りんごの野望
時間は過ぎ、日が傾く時間になった。
りんごとチビは猫らしく寝ては起き、家に戻って飯を食べ、また外に出てうつらうつらと眠るという事を繰り返し、今は夕暮れ時の縄張りチェックに出かけているところである。
りんごは傾いて行く太陽を見てシパシパと目を細めた。
「今日はこんなにいい夕日が出てるから明日も晴れニャー」
「マジすか」
チビは感動したように感嘆の声を上げるが、りんごは素っ気無く「常識ニャ」と答えた。
「ちょっとしたことで明日の天気が分かったりするもんニャ。こういうのも覚えておけば苦労しないニャ…お」
りんごが道の先を見て、警戒するように壁の隙間に入っていった。
「え…何すか、何すか?」
チビは良く分からず隙間に入ろうとするが、チビが思ったより壁と壁の感覚が狭く、体格の良いチビは頭がつっかえて進めない。
「別にお前は入ってこなくてもいいのニャ。ちょっと隠れただけニャ」
りんごはしっしっと手を払う。
「隠れてって…何から…」
「あっちを見ろニャ。お兄ちゃんがいるニャ」
お兄ちゃんとは、りんごが飼われている屋久島家の長男、屋久島龍二である。
「あの野郎は…僕の敵なのニャ…!」
りんごは口をキュッと固く引き結んで隙間から龍二を覗き込んだ。
「そりゃあ…確かに見かけは最恐っすけど…」
今現在、夕日をバックに歩むその姿は、何か一仕事終えた後のような不吉なオーラが漂うほど恐ろしい。
「何かあの長男さんとあったんすか…?」
チビがそう聞くと、りんごはグワッと目を見開いた。
「何かあったというもんじゃない!あいつは…!」
そこまで言うと、りんごは一旦口を閉じ、ワナワナと震えだした。
「あいつは僕の心の師匠を殺した男ニャ…!」
「ええ…!?」
「あれは僕があのお兄ちゃんの妹に拾われてから少し経った時の話ニャ…」
りんごは昔の嫌な記憶を振り返るように途切れ途切れに話した。
拾われたてのりんごは、家の中にあるもの全てが珍しかった。
玄関にある靴、カーペット、カーテン、コップ…。
特に、色々な物が動き回るテレビには釘付けで、よくテレビの前を陣取っては画面に現れては動くものにじゃれ付いていた。
しかし、たまにお兄ちゃんと妹がテレビの周りに謎の四角い物を置き、謎の線を繋げ、楽しそうに遊んでいるときがあった。
それを人はゲームと呼んでいたが、りんごはテレビとゲームの違いが分からないので、同じようにじゃれ付いてはお兄ちゃんや妹に画面が見えないとテレビの端に寄せられたりしていた。
それまではお兄ちゃんともある程度うまくやっていけていたのだ。
そして拾われて半年ほど経った、ある日の事である。
その日お兄ちゃんは外に遊びに出かけ、妹がゲームで遊んでいた。
しかし、りんごにとって、もうテレビという存在もありきたりのものになっていたので、のんびりと日の当たるところでウトウトしていた。
次第に妹の周りの空気がピリピリとしていくのは感じていたが、ついに妹が叫んだ。
「あー!もう!あとラスボス倒すだけなのに、ラスボスが倒せなーい!何回リトライすればいいのさー!」
その声にりんごは驚いて目が覚めた。
するとそこにちょうどお兄ちゃんが帰ってきたのだ。
「なんだ、お前朝からやっててまだクリアしてなかったのか」
まだ幼さの残る顔つきの兄ちゃんは、呆れたように妹を見た。
「だってこれ、ラスボスだけがどーしても倒せないのー!RPGなんてきらーい!」
今よりもっと小さく幼い妹は頬を膨らませてジタジタと足をバタつかせる。
「貸せ」
お兄ちゃんが妹からコントローラーをもぎ取り、リトライという文字を選択する。
二人揃ってのゲームは中々珍しい光景なので、りんごも興味が湧いてきて一緒に隣に座って画面を眺めた。
すると、画面の中に豪華な衣装を着た男が現れ、ふっふっふっと含み笑いをしながら現れた。
画面の中の男が喋りだす。
『これはこれは、勇者殿。このような所まで足を運んで頂けるなんぞ、光栄の至り』
すると勇者と呼ばれた男がキッと豪華な服の男を睨みつける。
『黙れ!貴様はここで俺が倒す!』
『おやおやぁ~、そんなに事を急いてはいけませんよ。それより、私を倒してどうするというのです?』
勇者と呼ばれた男がひるむ。
『なん…だと…!?』
『私はこの世界を統べる者…』
その一言にりんごが過剰に反応した。
この世界を統べる…つまり、この豪華な服を着込み、一々ふっふっふっ…と含み笑いする男は自分たちの住む世界の頂点の者らしい。
「なんという事…!つまり神様!神様ニャ!?」
りんごは興奮してテレビ画面にかじりついた。
後ろでは「ねーお兄ちゃん、この画面見飽きたら飛ばしてー」とごねる妹と、「いや、久しぶりにこのモーション見たい」と小競り合いするお兄ちゃんの声が聞こえたが、りんごは画面の中にいる神様に夢中になっていた。
画面の中の勇者は怒鳴る。
『黙れ!貴様のような奴にこの世の中が統べられるか!』
それに対し、神様は余裕綽々といった体で笑い続ける。
『ふっふっふ…分からないでしょうねぇ?頂点に立つ者の楽しみ…』
「楽しみ…!?楽しみとは何ニャ!?」
神様は興奮したりんごに答えるかのように口を開いた。
『毎日このように豪華な衣装を着て、美味しい食べ物を食べ、皆から崇められる…。
この楽しみは、頂点に立った者ではないと分からないでしょうねぇ?ええ?だから止められないんですよ…世界征服ってのは!』
「美味しい食べ物!」
りんごの脳裏に次から次へと美味しい食べ物が流れていく。
りんごは理解した。
つまり、この画面の中の神様についていけば、毎日美味しい食べ物が食べられるのだ。
この家でも美味しいものは食べられるが、美味しいものほど皆が「少しだけね」と少ししか寄越さずに自分から遠ざけようとする。
りんごは決意した。
「僕はあなたの弟子になります!師匠!師匠と呼ばせてくださいニャ!師匠!師匠!」
りんごはピョンピョンと画面の中の神様に飛びついていると、お兄ちゃんに手でつかまれ脇に寄せられた。
邪魔だという無言の合図だ。
『行くぞ、魔王サタンよー!』
テレビ画面の中では、勇者と神様が戦っている。
「いいところまでは行くんだけどさー、体力半分になると回復魔法使うし、力もパワーアップするし、倒したと思ったら最終形態になるのー」
妹が不満げに神様を指差して呟く。お兄ちゃんは手馴れた手つきでアイテムボタンを押した。
「あ、あった」
そう一言呟くと、あるところにカーソルを持っていく。
「いいか、この『天界の聖水』ってのあるだろ」
「あ、うん。魔の属性に即殺効果あるんだよね」
「これを…」
お兄ちゃんがそのボタンを押した瞬間、神様が断末魔の絶句を上げた。
『ぐわああああ!この私が、私がーーー!』
その瞬間、りんごも絶叫した。
「ギニャアアアアア!神様が、師匠がーーーーー!」
りんごがバッとお兄ちゃんを振り向くと、お兄ちゃんと妹は談笑していた。
「うっそ、これで倒せたの!?」
「だからこれクソゲーだって言ったろ。レベル十でもラスボス倒せるからな」
そして画面の中で苦しんで断末魔を上げている神様を見据え、お兄ちゃんは言ったのだ。
「こいつ、弱えーんだよ」
「…あの時のお兄ちゃんの薄ら笑い…今思い出してもゾッとするニャ…」
りんごはブルッと身震いした。
「それ神様っていうか、ゲームの敵キャラじゃ…」
チビが真相を話そうとするが、興奮しているりんごは言葉を荒げて続けた。
「だから、その時僕は決心したのニャ…『師匠である神様がこの世からいなくなったのなら、僕が師匠の代わりにこの世界の頂点へ君臨します!』…と!」
「へ?」
チビの耳に不穏な言葉が飛び込んできて、思わずりんごを顧みた。
「ん?聞こえなかったニャ?僕が世界征服してこの世に君臨するって言ったニャ」
チビは考えた。
つまり、師匠は世界最強になると、そういう事を言っているのか?
そういう考えに行きついたチビは興奮した。
「うおおお、師匠マジすげえっす!一生ついていくっすよー!」
「ふふん、ついてくるといい、弟子よ!」
ここに突っ込みは存在しないので、誰も止める者はいない。
ここに世界征服を企む二匹が誕生したが、この世の中の誰も知りえないことだ。
しかし、ふとある考えがチビに浮かんだ。
「けど、そのラスボス…いや神様をやっつけたっていう兄さんはどうするんすか?倒すんすか?」
りんごに気を使ってチビはゲームの中のラスボスを神様と呼ぶことにした。
りんごは龍二の事を敵のように憎んでいるようであるが、一応一緒に住んでいる家族である。まさか倒すなんてことはしないだろうが、とチビは考えているが。
それを聞いて、りんごは驚いたように目を丸くした。
「ば、馬鹿を言うんじゃないニャ!あいつは、あいつはこの世界に君臨する神様を一瞬で死に追いやった男ニャ…!
だから世界を征服して、軍勢を整えた後に戦いを挑むつもりニャ…!」
「(倒すんすか、マジすか…)」
チビとりんごがそんな会話をしている間に、お兄ちゃんこと龍二はスタスタと歩いてきて、自分たちの目の前を通過していった。
「…ふー、やり過ごしたニャ」
りんごは隙間から出てきて、去っていく龍二の後姿を見送る。
すると、龍二が歩いていく方向から妙に奇抜な服装の男たちが三人ほど歩いてくるのが見える。
パッとみると龍二の着ている制服に似ているような気がするが、前側のボタンは全て空けられ、下にはTシャツを着ている。
そして髪型も髪の毛を全部剃ったスキンヘッド、リーゼント、モヒカンなど、明らかに一風代わった出で立ちだ。
「あれ?あんな奴ら、この辺にいたかニャー?」
りんごがそういうと、チビもそっちのほうを見て首をかしげた。
「いやー、一回見れば忘れられない頭っすから、見たことないっすね」
そうしていると、その三人組と、龍二がすれ違いそうになった。
龍二はふ、と顔を上げると、向こうの道からやってきたスキンヘッドの男もふ、と龍二を見た。
途端、そのスキンヘッドの男は目じりを吊り上げ、ズカズカと龍二に近寄り、学生服の胸倉を掴み上げた。
「てめー、何ガンくれてんだ、ああ!?」
それを見ていたチビは目を見開いた。
「喧嘩っすよ!師匠!」
「大丈夫、大丈夫」
りんごはチビをなだめるように押さえつける。
「あれはただの睨み合いニャ。僕ら猫でも良くある事ニャ」
「あ、そっすね」
そう言われてチビも黙って睨み合いの行く末を見守ることにした。
胸倉を掴まれた龍二は、眉間に深く皺を寄せてスキンヘッドの男を睨みつける。
それを見ていた後ろのモヒカン頭が肩を震わせた。
「うわっコワッ。ちょ、やめようぜ…」
モヒカン頭がスキンヘッドの肩を掴んで止めたが、スキンヘッドはその手を払いのけた。
すると、龍二は胸倉を掴むスキンヘッドの男の手を軽く掴んで胸倉から手を離させた。
「生まれつき目つきが悪いんだよ」
「生まれつき目つき悪い~?明らかにお前いま、ガンくれただろうがよ!」
そう言われると龍二は余計に不愉快そうな顔になった。
「元々こういう顔なんだよ、クソが」
「クソだと!」
この言葉に、後ろにいたリーゼントの気に障ったらしい。
「二対一になったすよ。僕も助太刀してくるっすか!?」
チビはチラチラとりんごを振り返るが、りんごはしれっとした顔で成り行きを見ている。
「なーに、あんな事、僕たちの世界でも日常茶飯事ニャ」
「そっすね」
チビは納得して素直にその場に座り直した。
すると、スキンヘッドが瞬間的に龍二の顔へ拳を叩き付けた。
龍二は「ぐっ」と短く叫んでその場に倒れる。
「あ、倒されたニャ」
りんごは簡単に実況した。
変わった髪形の三人組は「何だ、弱えーじゃん」「顔は怖いのにな…」と話しながらその場を後にする。
「あー!師匠、兄さん倒されたっす」
「なーに、勝つものが居れば負ける奴も居るのニャ」
りんごはそういうと歩き出した。
「あれ、師匠。どこに行くんすか?そっちは家の方向じゃないっすよ」
「お兄ちゃんを倒したあの三人組がどこの家の奴か確認してくるニャ。世界征服後に僕の力になってもらうニャ」
「けど、暗くなってきたっすよ」
「大丈夫!元々僕らは夜行性ニャ」
「けど俺、腹減ったっす」
「じゃあお前は帰ってもいいニャ」
りんごは三人組を追いかけ、夕暮れの中を駆けて行った。