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Antidote─女の涙─

作者: しげ


マーリニヤ地区はジエマの街の南に位置する。当然気候は他と比べ温暖だ。

しかし冬にもなればこの場所でも雪が降る。

その舞い降る雪は重く、地に着くとじわりと溶け、そうして凍りついた。



デウェルは気に入りの部屋の窓辺でその様を眺めていた。手にはアルギントに押し付けられた小説があった。デウェルはこの小説は一巻完結かと思い、面倒ながらも読み進めていたが、どうやらこの本は相当長く続いているようで、読んでも読んでも終わらなかった。




「──季節は巡って、貴方への想いだけが増していく。……貴方が私を想い返してくれなくて、もう幾つの季節が過ぎ去ったか。もう、心地良くすら感じるこの無為な時に焦がれ──」




デウェルはここまで読んで視線を止める。



この物語は悲恋の言葉。想い人には別の想い人、巡り巡って誰の恋も実らない。だが、登場人物は皆その叶わぬ想いに抵抗しない。寧ろ、そのまま叶わぬ想いであれと思うのであった。

デウェルはそのじれったさに似た感覚がどうにも気に食わなかった。



デウェルはその頁に栞を挟み、本を閉じた。







「──でね?すっご〜く素敵なお店があって、ニックも一緒にって思って……ニック?」



呼ばれるその名に、デウェルは意識を取り戻す。そこは2番街の喫茶店。差し向かいの席には、美しい金糸の髪の女、アズリエフがデウェルのぼうとした様子に白い首を傾げて座っていた。



「─おう、悪い。……何だって?」



初めて彼女と会ったあの日から、デウェルは週に一度「ニコラス」と呼ばれアズリエフと2番街で茶をしていた。デウェルが提案した事なのだ。

とりあえず、飲み食いをさせておけば間がもつし。



アズリエフは眉を寄せ「ちゃんと聞いてよね」と頬を膨らませた。


「──もう!3番街に素敵な雑貨屋さんがあって一緒に行こうって言ったじゃない!素敵な料理屋さんも近くにあるの!ね?行きましょニック!」



「──あ〜……ああ……いい……けど……」



返事を渋るデウェルにアズリエフは口の端を下げた。デウェルもその様子に気付き、まずい事をしたかと狼狽えた。



「──いや、待て、泣くな。行く。わかったから。飯、何食いたいか考えておけよ?」



その言葉を聞いてアズリエフは潤んだ瞳でへらりと笑った。



「えへへ、楽しみ。約束よ?ニック」



「ああ、はいはい。お前も、約束守れよ?」



「はぁい!」



デウェルはアズリエフと会う事になってから「約束」を取り付けた。

それは「泣かない事」。アズリエフは直ぐに泣く。そもそもアズリエフが泣いて居なければこんな関係も始まらなかった。デウェルはアズリエフが泣かない事を条件に、アズリエフの「友達」でいるという約束をしていた。



「それじゃあニック、また来週ね!」


そう言って歯を見せて笑うアズリエフに、デウェルも手を振る。



そうして帰路に着くつもりで暫く歩いて、デウェルはハッとする。


今、俺、笑ったか?


アズリエフに、手を振った?



ここ暫くアズリエフの顔を見ると、笑んでいなければいけないような気になった。まるで赤子をあやす父である。


角の取れた自分の行動に苛立ちを覚えて煙草を咥える。路地裏から近道を通って店に帰ろうと思った。───ふと、視界の端に揺れる金色。デウェルは反射的にそちらを見る。


そこには、揺れる金色の雲の様な美しい女──スカードヴィエがいた。相変わらず宝石の様な目をしていた。その目から、不意に涙が零れたのがデウェルにも見て取れた。

デウェルはその奇跡の様な美しさに目が離せなくなっていた。


スカードヴィエがデウェルの気配に気付き、振り向いた時には、涙など無かったように微笑んでいた。



「お帰りなさいデウェル。今日は早いわね。」



まるで「触れる事は許さない」とでも言うような笑顔だった。──でも。



「──なんだよ。泣いてただろ。誤魔化してんじゃねぇよ。」



その言葉に一瞬唇を結ぼうとしたスカードヴィエだが、口を歪ませ涙を流した。



「──やあね。デウェル、あなた、いつの間に──……」



言葉を紡ごうにも涙が止めどもなく流れるから、スカードヴィエの声は潰れ途切れた。


デウェルはスカードヴィエの手首を掴み、人気の無い道へ連れて行った。理由は分からないが、誰にも見られたくない涙のようだったから。


スカードヴィエは蹲り、膝を抱えて一頻り泣いた。デウェルは隣で煙草をふかす。



そうして陽が少し傾いた頃、スカードヴィエはぽつりと呟いた。



「──……デウェルは、私の弟よ……」



「……おう」



「ジャッジも、シャルもヴァフも……アルさんも……家族なの……私の……」



「…………おう」



「……でも───でも、あの子も……っ……」



「……?」



スカードヴィエの言う「あの子」が誰だか分からないデウェルだが、潤むエメラルドの瞳が美しく、同時に痛ましい。射し込む光は違えど、デウェルは母を思い出す。



泣くな



そう、口にしたかった。だがデウェルには、この光を自ら摘む事など到底出来ない。



「……なら、そうなんだろうよ。」



「──え?」


そう口にして、デウェルは次の煙草を出そうとするが箱の中身が空になっていたのでその箱を捻って潰しながらこう続けた。



「お前が家族だと思ったんだろ?──なら、関係ねぇよ。縁がどうだろうと、そいつもお前も、『家族』なんだろうよ。俺も、…………そいつと同じならそう思うけどな。」



言っててくさい台詞だと思って取り繕う為にデウェルは頭を掻き毟る。しかし、スカードヴィエの瞳には、蕩けそうな夕陽が射して、どんな宝石より価値のあるものに見えた。



そして、目を細めて微笑んでいた。



「──弟がね、血の繋がった、弟が居たの。……でも、私とシャルがアルさんと一緒に行く時故郷に……アレングワナに置いて来た。ほんの子供で……一人で……死んでるわ。探したって……今更……どうしようも無いって、分かってる……私……は……」



デウェルにはスカードヴィエが、まるで光の精のように見えた。金の睫毛に光る涙。デウェルはどうにも出来ずに、ただそこにあったスカードヴィエの手を握った。込める力に返る熱があった。



暫く2人で手を繋いで、夕陽が沈んで息が白くなる頃に手を離して店に戻った。



店に居たのはジャッジメント、ヴァファートだけだ。


「デウェル、どこ行ってたの?まだお父さん達帰ってないよ。ご飯作って?…僕、お腹空いたよ。」



そうジャッジメントに言われて黙って調理場に行くデウェルをジャッジメントは眺めてふふと笑った。



「なんだよ」



怪訝そうにするデウェルだが、ジャッジメントは優しげな目をしていた。



「デウェル、優しいね。」



「……あぁ?お前が飯作れって言ったくせに」



「うん……うん。そうだよね。……ありがと。」



急になんだと思ったが、他の面子が揃う前に食事の支度だと思ってあまり気にしなかった。



そうして暫くしてからスカードヴィエが店に戻った。──同時に帰っては勘繰られると思ったからなのだが、スカードヴィエはいつものように優しく笑んでいた。



「遅れてごめんなさい。──あら?アルさんとシャル、まだ帰ってないの?」



「そろそろ帰って来るはず──あ、噂をすれば。お帰りなさい。お父さん、シャル。」



そうしてアルギント、シャルフリヒターが店に戻り、丁度デウェルも夕飯のピラフを店のテーブルに並べていた。



アルギントは店を見渡し、ジャケットを入口のハンガーに掛けてにこりと笑う。



「いやぁ、やはり自宅は落ち着きますねえ。デウェル、食後のコーヒーお願いしますね?」



「自分でやれよったく……」



「おやおや、そんな事を言ってたって結局入れてくれる優しいデウェルだって、パパわかってるんですよ?」



「おやっさーん、飯前に言った方良くね〜?」



話の腰を折る具合にシャルフリヒターが口を挟む。アルギントは一息ついて、それから腕を組みこう言う。




「……次の『仕事』の日程が決まりました。明後日。3番街です。」



デウェルはぎくりと身を固める。



「し……『仕事』って……」



アルギントはいつもの微笑みを絶やさない。



「君のお察しの通り、『処理』です。名簿は既に出来ています。」




そうして紙面をいくつか振って見せた。その紙に見える文字に、デウェルの顔から血の気が失せる。







『アズリエフ=アーター』








窓の外に寒の戻りの雪がちらつく。街灯の赤い灯を見る子供が佇む。





「きれい。あかいの、きれい──」





デウェルは朝に読んだ小説を思い出していた。




無為な時間に焦がれる───




どうか、うつろう事が、無いように──






──nextend──


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