04
続いた恵みの雨が上がり、不思議な光彩が空にかかる。それは誰もが知るこの国の始まりの合図。有体に言うところの年の始まりであり、人々が等しく年を重ねるとされる一日でもあった。いつの頃からかその年の成人を祝う祝祭が催されるようにもなったこの日は、一年で最も賑やかな一日といっても過言ではないだろう。とりわけ今年は王族、しかも後の王となるであろう人物の成人が重なるのだから尚のこと。
数え十四才で成人とされるドルマンでは、王族成人の儀は民に対する初お披露目の式典でもある。
王という国の支柱が危ぶまれている現状において、通常とはまた別の意味も持ってくる。
中身がまだ不十分であったとしても、その存在はそこに在る必要があったのだ。裏側に広がる因子には蓋をして、実質候補というに留められた仮の後継者であっても、その事実を欠片も知らぬ良民たちは人当たりの良い賢そうな容貌をした彼を他意なく受け入れその歓びを祝う。一方で事実を知る内の者たちはその憂いを膨らませながらも、民衆と同じ体を装った。
「やはり来なかったな」
無事お披露目の一幕をおろしたその場所で、沈んだ息が吐き出される。長身の身体には質のいい筋肉がバランスよく配置され、左耳の真下を横切る傷跡は、その秀麗な容貌とは裏腹に彼が戦いを知る者だと語っている。
「要らぬ不安を煽らぬためとはいえ、民の目を欺くというのは胸が痛みます」
部下らしき青年は小さく呟くと、何かを堪える様に一礼をし、その場を辞した。
残された武官はまた一つ溜息をつきぼんやりとした目を今度は壁際に立つ侍女へと向ける。
ところによってはまだ少女という年頃の彼女も、この国では既に成人だが、それでも彼とは二十近く離れているため話し相手には足りないと判断したのかもしれない。そのまま小さく頭を振ると、自分も扉の方へと足を向けた。
「スティンキー・モスの代役までたてるとはね、本物が知ったら大笑いだ」
「サイモン‥」
扉の向こうに待っていた人物は微笑みながらそう言うと、壁に預けていた背を離し、徐に何かを放ってよこす。
「頼まれていた記録を洗い直しましたよ。あまり表に出すことはお勧めできませんがね」
「そうか‥、ありがとう」
受けとった封筒の厚みを確かめるようになぞると、彼の精巧な顔立ちがより一層引き締まったものとなる。
「シリウスにはまだ?」
「ああ‥、今はアルベルトが行っている。連れて来ることができるかはわからんがな」
「嘘つき。わからないはずがないでしょう。彼は仕えるべき主君を既に決めている」
「‥‥」
「羨ましいほどに一途だ」
「本当にな‥」
短い遣り取りからはどちらも結果を諦めていることが窺える。いや、むしろ最初から期待はしていない。という方が正しいのかもしれない。
交わす微笑みには若干の苦味や呆れといったものも含まれてはいたが、言葉通りの羨望も確かにのせられていた。知っているからこそ期待など持てるはずもない。
そしてその訳を、騎士として、男として、少なからず羨ましく思っての遣り取りでもあるようだ。
ただ一方の立場としては、
「頭が痛い?」
「まったくだ」
眉尻を下げるなんとも言えない心境らしい。
隣で笑う友人に今度は非難めいた視線を向けながら、先程重くなった気分を吐き出すように息をつくが、そんな素振りがまたなんとも様になる。
どこか気安さを帯びた穏やかな空気の中、外の賑わいとは裏腹に、現状と未来へ続く不安は消えることのない余韻のように燻っていた。
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「マスタマスタ」
「ボスサマボスサマ」
木漏れ日の中忙しく羽ばたく小鳥が二羽。鬱蒼と繁る静かな森に二つの単語が交互に響く。
まだ飛びなれていないのか、低い位置をふらふらと行き来するさまはどこか心許なく、そこに捕食者が現れないことを祈るばかりである。
暫く辺りを巡っていた二羽は、やがて自分たちよりも高い位置からぶらりとおちる片足をみつけると、懸命に羽をばたつかせてその主を目指した。
そこには奇妙な帽子を日除けのように顔に乗せ、うとうととまどろむ彼らの目的地。
顔を覆う黒をつんつんと嘴でどかし鼻先をつつくと、くしょん、と小さな音の後にゆっくりと瞼が持ち上がり、濃い色の布影から更に深い藍色の瞳が覗く。身に付けているものと同じ黒色の髪をした青年は肩へと移動した鳥たちに口元を緩め、ずれた帽子をつまみあげると今度はひょいと頭にのせた。
「何か面白いものでもみつけたかい?」
問いかける声は優しく、再び隠された眼差しをけれども簡単に感じさせる。二羽もまた満足げに、体中の羽を膨らませてその眼差しに応えていた。
「おや?チョビがいないね」
そこでふと漏れた声に小鳥が「アッ」といった反応をする。
青い一羽はチチ、チチ、と何かを訴えるように音色を変えて繰り返し、白い一羽は肩を離れてブーツの紐を啄ばむと、まるで急かすように小さく羽ばたく。
そんな様子に何らかの察しが付いたのか、帽子の青年は一つ溜息を零すと、身を置いていた太い枝から地面へと降り立った。
「まったく一人歩きは危ないと口を酸っぱくして言っているのに、困ったこだなぁ」
ふぅと大袈裟に息を吐いて行く様は言葉の割にどこか楽しげで、彼の性格を現しているようにも見える。
「マスタ、マスタ」
「だめだめ、のばさないとこたえないよ」
悪戯に弾む声音に軽やかな羽音が重なり、その姿は森の奥へと溶け込むように消えていく。
遠くに聞こえた軽い破裂音に、嘲りの笑みを浮かべて。