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レーチェ  作者: ナオ
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「いってらっしゃい」


 朝から雨が降っていた。玄関で少し痛んだローファーの爪先を鳴らしてドアをを開けた私は、躊躇いがちにかけられた伯母の声に今日も返事をすることなく家を出る。

 ここ一週間、会話もろくにしていないし、あの人の顔を見ていない。勿論意図的にだ。血縁関係はあったとしても、親子ではない私たちの間にはやはりお互いに遠慮があって、引き取られてからこっち喧嘩なんてしたこともなかったのは、距離を測りあっていたからなのだと思う。

 もともと母の実家は家柄もそこそこであったから、偶に会う伯母の育ちの良さみたいなものは感じていたし、自分と違う感覚を持った人だというのは知っていた。だから「違う」と思うことがあっても、それが「当たり前」だと納得していた。


 いや、そういう振りをしていたのだ。


 自分が目指す心持ちと本来の感情は、実は随分掛け離れたところにあるということを本当は悔しいほど理解していた。大好きだった二人が今ここに居ない。これからもそれは同じで、私のそばにいるあの人は私の大切なモノを否定する。優しい思い出を貶める。例えそこに悪意がなくても、私にはとても笑って受け止められるようなことではなかった。必死に受け流したつもりでも綺麗さっぱり流せているはずもない。

 飲み込んで飲み込んで、積もり積もったそれはもはや敵意に近いものになって、それでも庇護下にある自分自身への怒りさえ湧いてくる。


 赤になった信号に立ち止まる私をいつも冷静にさせるのは、少し長めの待ち時間。

誰が乗っているのかもわからない。けれども見慣れたその車たちが、連なって横切る光景だった。



『行ってらっしゃい』


 ふと過ぎった見送りの言葉は先程伯母が口にしたものと同じ。けれども胸に詰まりを齎したのは、伯母とは違い、笑顔でそれを送ってくれた人たちの面影だ。


 仲の良かった両親が他界したのは今から半年ほど前だった。こんなに急に、何も揃って行くことはないのに、としゃくりあげながらも、そんなところが二人らしいと心のどこかで納得もしていた。

 記憶に残る父と母は笑っている顔ばかりで、そのどれもが優しさと愛おしさに満ちていた。勿論喧嘩をすることもあったけれど、それもまるで一つの愛情表現のように暖かく思えて、子供心に羨ましいとさえ感じていたのだ。

 自分もいつかこんなふうに、誰かの傍にいられるのだろうか?と期待にも似た夢を持った。彼らの娘である自分が、とてもとても誇らしかった。それは今でも変わらないし、この先もそうだ。


 だからこそ、一週間前のたった一言が簡単に口火を切る切欠になってしまったのだろう。自分にとって『他人』の括りに入る人間との関係はやはり脆く、どうにかして修復しようという気も正直ない。

 これが友人であっても、私の態度は同じものになるだろうか?そんなことをぼんやりと考えながら進んでいたせいで、駅までの十二分間に水溜りを三回も踏んづけた。おかげで靴下が最悪の状態だ。

 ここ最近普段より早く家を出ているため、どこかしらで替えのソックスを買う程度、時間はまったく問題ないけれど、早く着きすぎる学校での暇潰しはそろそろ考えた方がいいかもしれない。なんて駅のホームで廻らせていると、黄色いラインの入った車両がホームの遠くに少しずつ近づいてくる。

 時計の針はまだ六時五十分、七時半には特に思い入れもない教室と机に挨拶ができてしまう。

 例えば毎日が朝練のサッカー部に想い人でもいたならば、もうちょっと心が弾んだだろうか?いつも放課後の観戦に熱をあげている友人を思い浮かべ、試しに自分と置き換えてみたら、余りにも似合わなすぎて少しだけ笑えた。

 秒針が一回りして予定通りの電車がホームの端に滑り込む。


 けれどこの日、私の腕時計がそれ以上進むことはなかった。



 始まりは午前、六時五十一分。


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