第六咲 消失花
結局、外伝は後にして6章にいきました。
[Klara]
目が覚めた。気持ちの良い快晴だ。
窓から外を見ると、既に船は港に着いているようで、船が作るさざ波もエンジン音も無く、波が海岸線に打ち付ける音とカモメの鳴き声がよりクリアに聞こえる。
同じニースという町なのだが、昨日と今日とではまるで違って見えた。
どうやら、陸じゃ荷物の積み下ろしをしているようだ。そこにはリーネも……ってあれ?
「嘘ぉ!皆起きてたのか!?」
起こしてくれ、と一瞬思ったが、寝かせといてくれたんだろうと解釈する事にした。
服を着替え、急いで身支度すると、荷物を持って船を降りた。
「あら、クララさん、それほど急がれなくともよろしいですのに」
イレーネさんが、皆の手荷物を持ってニコリと笑いながら近寄って来た。
「あれ?手荷物持ちですか?」
「ええ。重い物が持てない手ですので」
そうか。確か筋肉の一部抜かれたって言ってたな。
「そろそろアッシュさんを起こしてこなければいけませんね。石原さんとカテリーナさんは、荷降ろしが始まった直後に降りて来られたのですが……」
「私が起こしてきます。15号室でしたね」
「よろしいのですか?それなら、申し訳ございませんが、よろしくお願いします」
15号室の扉を叩くと、眠たそうな声が漏れてきた。
「何?」
ジャクリーヌさんだ。
「そろそろ陸に降りた方が良いようです」
「ありがとうね。すぐに2人を起こすわ。……カテリーナちゃんは……あの子は起きているでしょうね」
「本当に起きて既に陸に降りているようですよ」
「分かったわ。……ほら!2人共起きて!降りるわよ!……ちょっと!早く起きないと布団引っぺがすわよ!……こら!!布団にしがみつかないの!!アニメじゃないんだから!!」
どうやら、クロード兄妹はアホみたいに朝に弱いらしい。実況を聞くに、本当に寝坊しているアニメの主人公のようだ。
「そうそう、起きて歯を磨いて……って、そこで寝る!?アッシュったら、どれだけ器用なの!!」
これは、部屋に入って羞恥心を活性化した方が早く起きてくれるかもしれない。
「すみませーん。入りますよー」
「はーい。……ほらほら、クララちゃん入って来たわよ!このままじゃ恥ずかしいでしょ!!」
もはや、恋人というよりお母さんだ。
兄妹の頬を引っぱたきつつも、なんとか歯磨きをさせる。次は着替えだ。
すると、ジャクリーヌさんが、いきなり恥じらいも無く脱ぎ出した。すごく……大胆な下着です。
見ているこっちが赤面していると、バチッと目が合った。
「いや~ん」
「いや、私女です」
一方のマイリーさんは、ジャクリーヌさんをチラチラ気にしていた。主に向こうのグラマーな体格と自分のペッタンコな胸との差を。乙女だ。
「くそぉ!理不尽すぎるぜ!」
個人的には、彼女の締まった肉体も好きなんだけどな……って、私は何を言っとるんだ。
さて、女性3人に囲まれたアッシュさんは、縮こまって着替えだした。色の白い胸が露わになる。
そこで私は、目を疑った。
「ちょっと!何ですかそれ!!」
「え、これ?」
彼の胸には、……ギリシャ十字?と鷲の絵を重ねた、中央に「19411208」と数字があるマークの焼印があった。
「これは、『安全庁強制収容所』の囚人が押される焼印だよ。本当なら、出獄した後に×印で消されるんだけど、僕は脱獄したからね」
「…………」
彼の表情は硬くなかったが、私は言葉を詰まらせた。
このたびの勝利で忘れていた。戦いは終わっていない。『Olive Branch』も『Psyche』も。今回は単なる通過点に過ぎないのだ。
「単なるってわけじゃないけど……あれ、デービス何でそこに……」
「え?」
見れば、私の右手にデービス(白鳩)が乗っていた。しっかり腰を落ち着けている。
「ほら、こっち来て」
彼の呼び掛けに応じ、鳩はパタパタと軽く飛んで飼い主の肩にちょこんと乗った。
「みんな着替えた?すぐ行くわよ!」
「はーい」
「ちょっとトイレくれぇ行かせろよ!」
それからさらに5分後、やっと港に降り立った。
「遅い!何してたの?」
早速リーネに怒られた。
「まあまあお嬢。セカンドユーロシティの出発時刻まであと1時間はありますよ」
「んー……ガウェインがそう言うなら……」
「あ、そうだ。帝国軍の兵士達は?」
「故郷に帰ってもらったよ。交通費は各国政府に出してもらった。お金すら出してくれなかったんだから、それくらいしてくれてもいいんじゃない?」
「アメリカとか大変そう」
「むしろ新興国が痛いかも。ほら、旧ロシア連邦とか」
「あー……」
旧ロシア連邦は、前々から国土内にあった共和国が独立したものの別称だ。ちなみに、説明不足だったが、ミハイル君やカーチャちゃんの故郷、ロシアというのは正確にはロシア共和国で、モスクワやサンクトペテルブルグなど大都市を含む、旧ロシア連邦最大の国だ。
「それと傷病者達は、ロビンさんが容態をしばらく観察したいからナポリまで連れて帰るって。マリッサとマリーちゃんが車で迎えに来るって言ってた」
「……まあ、そうした方が無難かもな」
マリッサちゃんというのは、私がリーネを研究所まで送って行った時にいた、あの露出の激しい姉ちゃんだ。マリーさんといったら、あの保安官コンビが来た時に連絡してきた『Hestia』の1人で、話によれば臨床放射線技師らしい。
「さて、皆さん揃ったようなので、お弁当を買ってセカンドユーロシティに乗りましょうか」
皆で弁当(『Psyche』達はスピリッツ)を買って、列車に乗ろうと改札口を出たら、そこには野次馬が溢れ返っていた。新聞社やテレビ局まで取材に来ている。
「うわっ!みんなすっげぇ可愛いじゃねーか!」
「きゃ~っ!カッコイ~!!」
「アッシュさまー!」
「カロリーネちゃんこっち向いてー!!」
……何この状況。どうしろと?
「――あ、そうか。予約、対帝国連合軍で取っちゃったんだった……」
犯人(?)はイレーネさんだった。
「弁慶、これはいかにすべきか」
「拙僧にも分かりかねます」
「どうすんだ?おめえら」
「これは宣伝に使えそうだ。ちょっと耳貸してくれ」
指を鳴らすと共に表と入れ替わった、リーネ、ガウェインさん、セルジオさん、イレーネさんの『種』達は、奥の方で文字通り額を集めてゴニョゴニョ相談し始めた。後からアッシュさんが手招きされてその中に加わる。
「――それじゃ、上手い事やってくれ」
塊が解散した途端、5人はテレビ局のアナウンサーにマイクを突き付けられた。
「ではこれから、司令官の皆さまにインタビューをしたいと思います」
問答無用だなオイ。
「ちょっと待て。僕とそこのガウェイン……そうだ、その背が高いの、そいつは司令官じゃない。そこのセルジオ・カンパネッラ、アッシュ・クロード、カロリーネ・フォン・メンデルベルグが本当のトップだ。この子らが順番に答えるから、1番良さげなのを記事に載せるなりニュースで流すなりしてくれ」
指名された3人は、取材に慣れていないのだろう、おずおずと前に出た。
「ほら、人格戻すのを忘れるなよ」
「公開処刑だよ、こんなの。あなたがやればいい話でしょ?」
「僕は口下手なんだ。それに、君はインタビューに慣れていた方が将来色々と役に立つだろう」
「…………」
そう言われればぐうの音も出ないのか、アッシュさんはただイレーネさん(の裏人格)にガンを飛ばし、インタビューアーに視線を戻す。
「素晴らしい大勝利でした!」
「そうでもないですよ。敵国の兵士も生きていますし、生かしましたし、あなた方にとっての大勝利とは少々ベクトルが違うんです」
「多くの人が好きな『敵国全滅!』という勝ち方ではありませんが、勝利ってそもそも相手の精神を打ち負かす事ですし、それでいいんじゃありません?」
「作戦の段階から、自然に激戦を行なわない形になっていました。相手に打撃を加えるには、こちらも少なからず犠牲を払わなければいけません。ですから、そういう観点でも激戦になるのは極力避けた方が良いというわけです」
俳優・女優のインタビューにありがちな感じで、黄色い声と拍手が聞こえてきた。
「さて、クロードさん。一部の人の間では、反戦団体が戦争に参加するのはいかがなものかという意見が囁かれているようですが、その点についてはどうお考えですか?」
「もちろんダメでしょ。僕も悩みましたよ。でも、彼女達が帝国に睨まれたのって、元はといえば僕達を匿ってくれたからでしょ?なのに、助けてくれた人を放っておくなんて、それは人としてダメなんじゃないかな」
「なるほど。ではメンデルベルグさん、今回の勝利の決め手とは一体何でしょうか」
「私!?……やっぱり、私とセルジオの裏人格さんが人肌脱いでくれたからですかね?私なんて、向こうの司令官と戦う事しかしませんでしたし」
「司令官、ですか?」
「ええ。首チョンパしただけです」
「顰蹙買いませんか!?」
「だって切れちゃったんですもの」
アナウンサーは思い切り引いていた。そりゃそうだ。
「……さて。気を取り直しまして、最後にテレビを御覧になっている皆様へのメッセージをよろしくお願いします」
「何がともあれ、私達の勝利は温かく見守って下さった皆様のおかげです。ありがとうございました」
「我々『Olive Branch』の戦いは、セントマイケル帝国が潰えるまで続きます。なので、いつか再びこの名を耳にする時が来るでしょう。その時には、また温かい応援をよろしくお願いします」
「私達『Psyche』の現時点での目標は、今対峙している敵、『Athena』とその背後にいる軍需会社、『Ultrasonic Co.』と決着をつける事です。この会社は帝国とも癒着しており、ここの力を削げば帝国は大きなダメージを受けると思われます。そのためにナポリ市民の皆様には、気を付けてはいますが少なからずご迷惑をお掛けてしまうでしょうが、ご理解の程よろしくお願いします」
「ありがとうございました!」
歓声の中、消えない人だかりの中、握手やサインのおねだりに応えつつ、列車に乗り込む。皆ぐったりしており、早くもスピリッツで充電する人もいた。
列車の中ではさすがにのんびりできたが、それでも時折すれ違う乗客に握手やサインを求められていた。そんな中のサインを注文したロマンスグレーの紳士に聞いてみた。
「もう彼女達の勝報が伝わったんですか?」
「ええ。実は私の部下で新聞記者の子が連合軍の中にいましてね。……ああ、その緊張している、ええ、その子、ユーグ・ブリエンヌ君がそうです。彼が報告してくれましてね。すぐ記事にしました」
ユーグ・ブリエンヌ君か。反『平和省』団体、『Le lever du jour(夜明け)』の1人だな。確か、ヒューゴーのフランス語名って事で、『Olive Branch』が暗くなってたな。どうやら戦死した仲間を思い出したらしい。アッシュさんなんて号泣してたぞ。
「という事は、あなたはどこぞの新聞社の編集長さんですか?」
「うーん。個人的にはそっちが良いんですが……」
そう言って彼がくれた名刺を見ると、
『Charles De Leclerc(シャルル・ド・ルクレール)
Directeurreprésentantif de Journal Rumeur(新聞『Rumeur(噂話)』代表取締役)』
とあった。下に英語・ドイツ語・イタリア語などの訳があった。親切だ。
聞いた事ある。名前だ。多くのジャーナリストや編集者が戦死し、危機に瀕した戦後のフランス新聞業界を、それまでライバルだった生き残りをまとめ上げて再生させた男だ。やっぱり社長になっていたのか。
「あの、ド・ルクレールさん、サイン下さい」
「私ので良いんですか?それなら何枚でも書きますが……」
「お願いします。色紙あるんで」
「何でそんな物が常備されているんですか……」
サインを強奪した所で、ローマのテルミニ駅に着いた。ここからはローマ=フォルミア=ナポリ線に乗り換え、ナポリ中央駅へ帰った。そこでは、今度はイタリアの新聞社やテレビ局の連中に囲まれた。
何とかあしらって研究所に帰って来た。
「お帰りなさい。よく戻って来たね!」
研究所に着くと、カヴァリエーリ博士以下研究者の皆様と『Hestia』が出迎えてくれた。
「博士、勝って参りました」
「話には聞いているよ。本当に良かったね。修理が必要な子はいる?」
「いえ。皆現地でロビンさんが修理出来る程度で、頭傷も無しです」
走り寄って報告するイレーネさんを、博士は実の娘のように迎え入れた。
「――おや、後ろの人達は誰だい?」
「『Olive Branch』の掛け声で集まって下さった同志です。このたびの戦いで大いに力になって下さいました」
「そうですか。いやぁ、お礼が出来なくてすみません。今研究費がかさんで金欠でしてねぇ……」
ちなみに現在、研究所では、体内被曝の有無や程度を測定できる機械を開発しており、今はその改良段階だという。需要は大いにあるし、他の研究所や企業もこの機械の開発はのっけから諦めている。売り出しさえすれば懐はかなり温まるだろう。それまでの辛抱だ。
「お気持ちだけでも嬉しいです。今まで日陰で活動してきたものですから」
「今からこいつらと飲みに行くのが御褒美ですよ」
「そうですね。この人らと飲むのがプレゼントですね。それプラスでお礼なんて貪欲も程がある」
「えー!!みんな飲むの!?誘ってよー!!」
ワーワー騒ぐ同志の代表4人を差し置いて、セルジオさんが博士と小声で何か話していた。
「あの、何か変わった事は……侵入者など……」
「何も無かったよ。毎日あの保安官の子達が留守番してくれていてね」
「あいつらが!?」
言い忘れていたが、ちょうど5日前にネヴィルさんが退院した。ただ、結核は免疫力が衰えると再発する危険性があるので注意が必要との事。
どうも、『Olive Branch』幹部を追って来たものの、最愛の人が彼らサイドで、しかもアッシュさん達には攻撃されるどころか助けてもらってしまったので今さら襲撃出来るわけも無く、かと言って行く当ても無いので、ここの雑用?を手伝ってくれる事になったようだ。
「こちらとしては敵が減るのは非常にありがたいのですが、上司に怒られたりしないんですかね?」
「無いって。元々部下の命を軽んじてるらしいから」
「むしろやめた方が良かったわけだ」
みたいだね~と、博士は呑気に言いつつ顎に手を当てて首を傾げた。これが彼なりの考えるポーズなのだ。変わった事をひねり出しているのだろう。
「あ、あと強いて言えば、エカテリーナ・ウラジーミロヴナ・ペトリャーコーヴァっていう女の子が来てたよ。君に会いに来たらしいんだけどね。やたらと君とクララちゃん以外に会うのを嫌がっていたから、とりあえず守衛室に通しておいたよ」
「え!カーチャ!?」
彼女の顔色が変わった。
「どうしたの?行くよ?」
「すまん。先に行っていてくれ」
訝しげに振り返った『Psyche』と『Olive Branch』は、首を傾げつつ住居棟に入っていった。
「私はついていっていいか?」
「いいぞ」
セルジオさんの部屋はちゃんと住居棟にもあるのだが、守衛室の奥に休憩・仮眠(充電)用のちょっとした自室があるのだ。
カーチャちゃんは、そこのミニテーブルに突っ伏していた。首筋からコードが伸びていた。お昼寝中らしい。
起こす(コードを引き抜く)か寝かせておくか迷っていると、
「……ん?」
勝手に起きてくれた。
「帰って来たぞ」
「お、お帰り……」
彼女は赤面し、もじもじしていた。ちなみに、人間の顔が赤くなるのは、そこに血液が集中するかららしい。そこまで再現するとは、『鋼鉄花』の技術は侮れない。
「戻って、来たのか?」
「そうだ。何か文句あるか?」
「いや、もう会えないと思っていたから、文句なんぞあるわけない」
「ちょっ!!元敵に抱きつくなんて、頭おかしいんじゃないの!?」
セルジオさんの腕の中で、カーチャちゃんは耳まで真っ赤になってしまった。
「だが、なぜ解放したのに戻って来たんだ?」
「えっ!……それくらい自分で分かりなさいよ!」
「分からないから聞いている」
「それは……お前の事が、す……す……わああああああああああん!!!」
「おいどうした!!戻ってこい!!」
目に涙を溜めて走り去るカーチャちゃんを、2人で『Psyche』住居棟まで追いかけた。
「え、何この子!首に矛のマークがあるけど!」
「『Athena』!?でも丸腰だし……」
「お嬢。こいつ、いつぞやに倒した剣士では?」
「ん?……ああ、そうかも」
「いらっしゃい。いかがなさいましたか」
彼女が入っていった大広間がにわかに騒がしくなる。慌てて走り込むと、そこには『Psyche』、『Olive Branch』、保安官コンビも勢揃いしていた。カーチャちゃんの焦りが手に取るように分かる。
「あわわわ……」
これが漫画なら、彼女の眼は渦巻きになっているだろう。
「ねぇ、あなた『Athena』でしょう?なのに何でここにいるの?社長に何か言い付けられて来たんじゃないでしょうね」
さらに悪い事に、リーネが彼女に詰め寄る。
「ち、違……」
「じゃあ何?」
「うぅ……それは……」
「あまり追い詰め過ぎると、逆に怖がって話さなくなるぞ」
ガウェインさんのたしなめも遅く、実は気弱らしい少女はもう泣きそうだ。
「まあまあ。そんなに突っかからなくても。彼女に敵意は無さそうよ。でも、どうも混乱しているみたいだから、代わりに慌てて追って来たセルジオに話を聞こうかしら」
そう来るか。イレーネさんは一体どこを見て何を考えているのかいまいち読めない。しかし、この判断は合っている。
話を振られた本人はというと、仕方ないと言わんばかりに溜め息混じりに微笑むと、ガバッとカーチャちゃんの首に腕を回した。
「私が呼んだんです。先日親しくなりまして」
「ふぇ?」
……やっぱり、赤面してる子は可愛いわ。
「少し紹介が遅れました。彼女はエカテリーナ・ウラジーミロヴナ・ペトリャーコーヴァです。カーチャと呼んでやって下さい」
「よ、よろしくお願いします……」
彼女の「処置」を決定したのは、当然ながらイレーネさんだ。ハッタリに気付いていないわけがない。しかし無害とみなしたらしく、怒るどころか笑って見守っている。相変わらず真意が見えにくいが、あの人の事だし、あくどい考えはしていないだろう。
「あら。それでしたら、生憎2人部屋はありませんが、3人部屋が空いてますよ」
「え、いや、そういうつもりでは……」
「セルジオの彼女?」
「俺、生物学的には女だぞ?」
2人共いじられまくりだ――いや、いじられるのは良い方だな。下手すると殺されかねない。
私は最近、『鋼鉄花』に死はあるのか不思議だった。カヴァリエーリ博士に聞いてみたところ、答えは「Si(はい)」だった。
「もちろん、普通の人間の死とはイメージがまるで違うよ。ただ、あの子達はタフでありながらも脆いんだ。例えば、パーツの保存が非常に大切なんだけど、それも、重要なパーツ1つが無くなって取り替えが利かなければ、簡単に機能停止に陥ってしまうからなんだ」
当然、パーツさえあれば修理出来る。心臓部のモーターなどさえも、新しい物に交換すれば済む。
だが、たった1つだけ、彼らを「殺す」方法があるという
「それは、人工脳を修復不可能なまでに破壊する事だよ」
意外だった。なぜなら、脳を破壊しても、記憶を新しい脳に移せばすむと思っていたからだ。
「確かにそうだけど、それでも死んでから破壊されるまでの記憶は失われる。増してや、元の記憶を保存していなければ、もう元には戻らない」
一見不死身のようでいて、ある意味人間より脆い。だからこその「鋼鉄の花」なのだ――博士はそう語ってくれた。
ただ、イレーネさんとロビンさんにとっては、ある意味救われる話なのかもしれない。ベルンハルトさんもネヴィルさんも、いつかは老い、いつかは先立つだろう。ロッテちゃんは、最近まで知らなかったが、生身の人間に『種』を植え付けた人間と『鋼鉄花』の中間的な存在だが、詰まる所人間、いつか死んでいく。愛する人を失い、自分は永遠に後を追う事なく生き続ける――これほど寂しく悲しく空しい事などあるだろうか。それが100年単位となれば、なおさらだ。
周りでは皆楽しそうに騒いでいる。どうも、2人の同居が強制的に決定されそうだ。
ふと、リーネに目を向けて思う。
――私が死んだ時、彼女は悲しんでくれるのだろうかと。
結論から言うと、セルジオさんとカーチャちゃんは1つの部屋で暮らす事になりましたとさ。
皆が去った後、私はアッシュさんと共に久々に保安官コンビと話をした。
「今はどちらに住んでいるんですか?」
「ここの近くにアパートがあってな。そこで暮らしている」
「最近先輩がこの近くでヨーロッパオナガヤマネズミの赤ちゃんを保護しましたので、その子と一緒に」
ヨーロッパオナガヤマネズミ?……ああ、戦後に発見された新種か。ヨーロッパの山脈に生息していて、大きな目と耳と、手並みに器用な長い尾が特徴的な、大人になっても手の平サイズまでしか成長しない可愛らしいネズミだというが、実物は見た事がない。
「俺の胸ポケットが気に行ったらしくてな、いつもそこに入っているこの間、こいつをシャツのポケットに入れたまま洗濯しそうになった時にはさすがに冷やりとしたな」
道理でさっきからネヴィルさんのポケットがもぞもぞ動いているわけだ。
「食事か排泄の時くらいしか出て来ないんでな。今日もつまみ出さないといけないかもな。……ほら、出ておいで」
彼がポケットの底をつつくと、大きな耳、丸い目、長い尾の、薄い茶色の毛がふかふかしてそうな愛らしいネズミが出てきた。まだ中指程の大きさしかない。首には赤いリボンが巻いてある。
「かわい~!触っていいですか?」
「いいぞ。ほら」
「うわー!」
アッシュさんの手の平に乗せられたネズミは、暴れるどころか何食わぬ顔で普段通りちょろちょろ歩き回っていた。私がカメラを近づけると、普通は逃げるのだが寄って来た。まだ幼いから好奇心旺盛なのだろうか。触ってみると、まだ子供だからか、すごくやわらかい肌触りだ。
「すみません。ちょっと寝たがっているみたいなんで、先輩の手に戻してあげてもいいですか?」
「……こんなに明るいし広いし人も多い所で寝るなんて、どれだけのんびり屋さんなんですか……」
ネズミは、飼い主の手に戻るなり、目を閉じて寝てしまった。可愛い。
「へー。寝る時には尻尾を体の下にしまうんですね」
「みたいだな……」
眠っているネズミをポケットに戻すネヴィルさんの表情は慈愛に溢れていた――『安全庁』の悪名高き保安官であったというアッシュさんの言葉が嘘と思えてくる程に。
「……でも、本当に良かったんですか?保安大尉って、結構高い地位ですよ?まぁ、僕としては敵が減る方が良いですか……」
「…………いいんだ。これで」
空は、透き通るように青かった。
[Shino]
信乃の心中には、靄が立ちこめていた。
というのも、同じ『Athena』である少女、シャルロッテが相談に来たのだが、これがまた、相談してくるのに言う事を聞かないという1番面倒臭いパターンの人物なのだ。
「……また何でそうあんたはカロリーネにこだわるんだ?」
「お父様の代から、あの女とは対立しているからよ。貴女が何と言おうと、あいつは私が殺す」
「だからと言って、体を改造するのはやり過ぎだ」
相談というのは、カロリーネ、そしてその兄である自身を作った会社の社長、ヴィーラントを抹殺するために、技師に自分の体の改造を依頼すべきか否かというものであった。
「ま、最終的にはあんたの問題だから私は止められないよ。しかし、逆に改造しただけで勝てるのか?」
「分からないわ。でも、今のままじゃ絶対に勝てない」
「鍛錬だけでは駄目なのか?」
「やってみたけれど、人間だった時のようにはいかなかったわ。筋肉もつかないし、感覚もそんなに磨かれない」
「だから改造、と。何度も言うが本当にカロリーネにこだわるねぇ……」
呆れるのを通り越して感心するしかなかった。
「社長ほどではないわ」
シャルロッテこそ他人事のように肩をすくめたが、第三者である信乃からしてみれば五十歩百歩だ。
(皆、戦いを目的のための手段としか考えていない。まぁ、手段である事に間違いは無いんだが、美学が全くない)
こんな無粋な争いにはもううんざりだ――彼女は意気消沈していた。
(今戦っていて楽しいのは、平八郎とカロリーネくらいだ。これではあまり面白い戦場とは言えない。――そろそろ引き時かもな……)
最近は、前線を退いて修行したいと考えていた。
(しかし、最後にあいつと決着を付けておきたい)
信乃は、戦いの終わりを悟っていた。
[Klara]
「えぇ!?って事は、お前ロッセリーニの一員だったのか!?」
「そう。戦闘要員だったのよ、私」
勝利報告もあり、私はリーネを引き連れて、もはや定番となったロッセリーニ・ファミリーの事務所にやって来た。そこで私が妹に彼らを紹介しようとしたのだが、その前に彼女達は再会の喜びを分かち合っていた。
どうやら、東西戦争の時ヘルメスベルガー家に捕縛されたのち、彼らに身柄を引き渡されたようで、その際に色々良くしてもらったり(本当の意味で)可愛がってもらったりしたらしい。
「戦闘要員……?いるのか?ここで」
「いるって。ここ、本当は強いのよ。そうでもなけりゃ、お酒飲んで楽しくやっている所なんてすぐに自然淘汰される」
あ、そうか。昔はやんちゃで警察も手を焼いていたって聞いた事あるな。
「あん時わてらマルディーニと対立しとってなぁ、ホンマこの子によう助けてもうたわ」
ボスの話をまとめてみると、どうやらマルディーニ・ファミリーが陣地拡大のために侵入してきたようで、当時やんちゃだった彼らは応戦、善戦するも、最終的には圧倒的多数の相手に押し切られて敗北したらしい。その際、陣地の代わりにとリーネは自らを相手ボスに差し出し、ロッセリーニは形だけ辛うじて残る事になったという。
「……そりゃあ、逃げたら怒るだろうな。あそこ」
「…………今思えば、そうね……」
「せやけど殺さんでもええやろ。現にな、ジブンが死んてもうた時な、あいつら何やっとんじゃ一泡吹かせたろ言うてあいつら攻めよ思ててんけど、何日かしたら滅びててん。何でやろ」
「こいつの仕業です。自分で自分の仇討ったんです」
「ほんまかいな!」
私達をよそに、リーネ本人は何か言いたげだ。
「どないしたん?言いたい事あったら言い」
「あの……。実は、私を殺したの、あいつらじゃなくて、お兄様――ヴィーラントの手の者なんです……」
「……は?」
私だけでなく、ファミリーの構成員全員がポカンとしていた。
「何で分かるん」
「マルディーニの連中はまだ発砲していなかったのに、私は被弾しました。連中自身も驚いていましたよ。おそらく、道路を挟んだビルから狙撃したんでしょう。私がいつ逃亡しようとしているかリサーチして、どのルートを通ってもいいように、様々な廃ビルに狙撃手を配置して。考えられる首謀者は、お兄様以外ではヘルメスベルガー家の者のみ。ですが、宿敵の肩を持つような事を言いますが、彼らはそのような事はしません。馬鹿正直に正面から向かってきます。――となると、残りはお兄様だけです。証拠も残っています」
そう言って彼女が取り出したのは、数発の弾頭であった。
「これが、私に特攻を仕掛けてきた物です」
その表面には、リンドウの紋章があった。
「これは……メンデルベルグ家の……!!」
「そ。お兄様、堂々と犯人を自己申告しているの。きっと、私が血みどろになってこれを見て、悔しがりながら息絶えるのを想像しながら作らせたのよ。実際、見た時にははらわたが煮えくりかえった」
「サイッテーやな……」
再び弾頭をしまう妹。まさか兄に殺害されたとは思いもしなかった。
「分かったでしょう?お姉様。なぜ私がこんなにもお兄様にこだわるのか」
「あ、ああ……」
今まで、昔から仲が悪いというだけでなぜ殺意まで覚えるのか、正直言って分からなかったが、ようやく合点がいった。
「『Psyche』のみんなも『Ultrasonic』を潰そうとしていたらしいから、イレーネさんも許可してくれたよ。『あの男をギッタギタにして来なさい』って」
あー……あの時イレーネさんぶち切れてたからなー。
「さて、『Ultrasonic』とヘルメスベルガー家、どっちを先に滅ぼそうかな」
「ちょい待ち。その2つ、当然かもしれへんけど対立しとるらしいで。どっちも倒すんやったら、1回どっちかに肩入れして、そっから裏切らなあかんで。どっちかと和解した方がええんちゃうん。ちなみにわてのおすすめはヘルメスベルガーの方や。ちょっと前まで内側のゴタゴタで落ち気味やったけど、最近持ち直したらしいし、『平和省』と事実上睨み合っとるし。せやけど『Ultrasonic』の方はやばそうやで。帝国と提携しとんのに。アメリカにサザーランド家っちゅう大金持ちがおってな、オトンとオカン死んでまだ若い子供が残されとるっちゅう事で財産狙われとんねんけど、あの会社も遺産に目ぇ付け始めたらしいねん。多分変な兵器の作り過ぎや。噂によりゃ、新兵器作っとるらしいしな」
「えー!!?どっちかと和解ですか!?やだなぁ……」
完全に拒絶反応を起こしている。当然だ。自分達一家を離散させた人間達と、自分を殺した人間、どちらにも加担したくないだろう。
「ま、このご時世何が起こるか分からんし、ゆっくり考えたらええわ。まだ先の話なんやろ?」
「…………分かりました。考えておきます」
そう言いつつも、どうも不服というか、思考をストップしているきらいがあった。
ボスと(リーネはブランデー風味のスピリッツで)軽く一杯やって、事務所を後にした。
「でも、フィリ……いや、クララちゃんか、まっさか女の子とは。いやーびっくりしたわー」
「そんなに意外でした?」
「やー、ちょっと髪伸ばしとるから、あれ?とは思ってんけど……。むしろカロリーネちゃんの姉ちゃんいう方がびっくりしたわ」
そういえば、最近髪を伸ばしていたっけ。そろそろ男装も限界か?
「……どうですか?」
「かわええやん。わてそっちの方が好っきゃで」
「ホント、お姉様すっごく可愛くなってる」
「……そう?」
まんざらでもない。内心浮かれ気味で帰路に着いた。
その途中だった。
「――カロリーネ」
「……え、信乃!?」
少しブランクが空いていたが、『Psyche』と『Athena』が戦っていた、リーネと再会した、あの広場の水の枯れた噴水近く、信乃ちゃんは夜の闇に紛れてポツンと立っていた。
「どうしたの?今日は戦う約束してなかったでしょう?」
「その事だ。決闘の申し込みがしたくてな。2回共あの飛行機に邪魔されただろ?そろそろ決着を付けないと。これで最後になるだろうし」
「最後……?引退するの?」
訝しげに聞き返すリーネ。ショックを隠し切れていない。
「ああ。もう前線から退こうと考えているんだ。皆不毛な対立に固執していて、戦っても楽しくない。美学が全く感じられない。戦いから目的以外の何かを得ようとする意欲が全く見えてこない。他の『Psyche』と戦った事は何回かあるんだが、本気になれるのはあんたが相手の時だけだ、カロリーネ」
そう告げる彼女は、どこか寂しげだった。
「だから、この争いからは身を引きたい。修行してもっと強くなりたい。そして、もっと強い奴に会って己を高め合いたい。……けれど、その前にあんたともう一戦交えないと納得いかない。決着がよく分からないままだと、修行に集中出来ないだろうからな。あんたが勝てば、私はもっと頑張ればいい。私が勝てば、あんたは鍛錬する人間だろうから、さらに強くなるだろう。その時にもう1回戦えばいい。あんただって、煮え切らないのは嫌いなはずだ」
「…………」
リーネが、しばし目を伏せ、無言になる。
「……分かった」
再び目を開いた彼女の表情は引き締まり、眼光は鋭く真剣そのものだった。
「あなたが、最後の相手に私を選んでくれた事を光栄に思う。せっかくだし、お互い最善の状態で臨みましょう」
「当然だ。……明日の深夜、ここでいいか?」
「大丈夫よ。その時に勝敗が決まるのね」
「そうだ。――それじゃ、その時にまた会おう」
「ええ。期待してる」
踵を返し、手を振りつつ去る信乃ちゃんの背中を、リーネはずっと見送っていた。
「寂しくなるわね……」
[Ash]
同時刻、アッシュはカテリーナの一家が営むレストラン、『Cucina di Bronzano(ブロンツァーノ家のキッチン)』に来ていた。ジャクリーヌと2人きりのつもりだったが、なぜかマイリーとミハイルも来ており、結局いつも通りのメンバーになってしまった。
「何で兄貴がここにいんだよ!せっかく2人きりになるつもりだったのによ!!」
「それはこっちのセリフだよ!!」
「とにかく、俺はここに残るからな!兄貴は帰れ!!」
「何でそんな事を妹に指図されなきゃならないんだい?僕は1週間前から予約してたんだからな!」
「3日前だったでしょ?」
「俺なんか2週間前だぞ!?」
「いや、ここ予約受付3日前からだから」
「何だとぉ!?」
「やんのかぁ!!?」
別に第三者から見れば大したことではないはずだが、兄妹喧嘩はさらにヒートアップする。
「ま、まぁ、そんなに嫌なら席離してもいいんだよ?」
カテリーナの仲裁など完全無視、2人は皿やらコップやらを投げ付け始めた。至近距離で。
「アッシュ!それ備品!!」
「おい!やるなら表でやれよ!!」
ジャクリーヌやミハイルが的を外した食器を後ろでキャッチしていたが、いくらなんでも2人で大量の食器を回収するなど不可能、床に破片が散乱しだした。
「ちょっとやめてよ!店が潰れるでしょう!?」
いつものほほんとしているカテリーナもこれは我慢出来ず、ついに怒りだしてしまった。しかし兄妹は、今度は椅子や机を投げだす始末。
――ついに彼女の堪忍袋の緒が切れた。
「……いい加減にしやがれ!!」
彼女の投げ付けたフォークが、兄妹の鼻先をかすった。
フォークは、ドンと大きな音を立てて壁に突き刺さった。
兄妹が、冷や汗をたらしつつ、その光景を震えながら凝視している。
「弁償しろ、お前ら」
凄まじい剣幕のカテリーナは、持っていたおたまの柄を、片手だけでぐにゃりと曲げた。
「「……はい」」
ようやっと、店に平和が戻った。
「いやー、でもジャッキーとミハイル、あと後から来たグウェンとネヴィル……だっけ?のおかげで被害が小さくですんだよ。食器も割れたの十数個だったし。椅子とかで壁壊れたけど、調香師と医者だったらすぐ弁償出来るよね!」
「「…………はい」」
先程の1件以来、兄妹は完全に萎縮してしまっている。貴重なシーンなので、見ていて普通に面白い。結局、グウェンやネヴィル、ジェヒョンも来て、2人きりのデートからは程遠い状況になってしまった。
「でもネヴィル足速ぇなー。イメージ的にゃあまり動かなさそうだけど敏捷で。ちと新鮮だな」
「先輩速いですよー。4年前でしたっけ?1回元短距離選手の窃盗犯を追っていた事がありまして……」
「元短距離選手が窃盗!?随分とみみっちい事するんですねぇ」
「でしょ?私達も呆れ返りましたよ。ですが、指令があるんで捕まえないといけないんです。ただ、足が速いもんですからなかなか追い詰められないんですね。そしたら、たまたま別の捜査をしていた先輩が犯人を捕まえようとしてくれたんです。ですが、100m程距離がありましたから、普通に考えたら追い付けないじゃないですか。でも先輩は追い付いちゃったんです」
「100m先のランナーに追い付いた!?普通にオリンピック出られるでしょ!!」
「そうですよね?でも出ようとしないんですよ。やっぱり選手って、過去を調べられるじゃないですか。それが耐えられないようで」
「あー……」
そこに、酒瓶を手にしたカテリーナがやってきた。
「はい、どうぞ」
全員分のグラスにワインを注いでいく。
あと1つのグラスが残った所で、ジェヒョンが彼女を制止した。
「私はいらないです。ソフトドリンクを下さい」
「何で?」
「こいつ、いつもはもう文句無しの性格なんだが、酒癖が死ぬほど悪いんだ。初めて飲んだ時は、元々強い奴でも酵素を作れず酔いがきつくなってしまうらしいから仕方ないと思うが、5回目くらいでパンツ1丁になって暴れてしまってな。それから自粛するようになったみたいだ」
「……それは忘れて下さい……」
「うっそぉ!!酔ったらそんな事になるんですか!?」
「え、えぇ……。東アジア系には、酒に弱い人が多いんですよ……」
「それでもそんなにはならないと思うぞ」
「はーい。ボロネーゼ2皿とマルガリータ1皿だよー」
「あ、私私!」
「……ジャクリーヌ、そんなに食うのか?」
「ジャッキーは大食いなんだよ」
「そりゃ分かってるけどよ……。食費、大変だな、アッシュ」
「そうかな?僕は少食だから、つり合いは取れてるよ」
「それは……つり合いと言えるのか?」
アッシュとミハイルがグダグダ言っている間にも、ジャクリーヌは注文の品を次々と腹の中に収めていく。
「あ、おかわり」
「おかわりぃ!!?」
一方のアッシュは、ペペロンチーノだけでお腹いっぱいのようだ。むしろ、こっちの方が色気がある。
ミハイルが呆れ返っていると、
「久し振りに来たねぇ、アンジェロ」
「今日はおごったるからいっぱい食べやー」
「そんな、大丈夫?」
「ええって。ジブン研究費でカッツカツなんやろ?」
聞き覚えのある声が入口の方から耳に入ったので振り返ると、そこには、お得意先であるカモッラ、ロッセリーニ・ファミリーのボス、アンジェロ・ロッセリーニと、地元では親しまれている研究所、カヴァリエーリ研究所の所長、ベネデット・カヴァリエーリ博士がいた。立場の全く違う2人が、仲睦まじく話している。
向こうがこちらに気付いた。
「あ、ミハイル君やないか。その子らは友達かいな」
「『Olive Branch』メンバー大集合かな。珍しいね」
初めてらしい客は、ボスを見るなり怯え出したが、常連はまるで友達のように接していた。実際に友達なのかもしれない。
「隣、いいかい?」
「ええ、どうぞ」
2人は、アッシュらの隣のテーブルを選んだ。
「何でカモッラのボスと学者さんが一緒にいらっしゃるんですか?もしかして……癒着?」
「ちゃうちゃう!」
グウェンに疑惑の目を向けられ、ボスは手をブンブン振って否定する。
「わてらは高校時代の同級生やねん!わてが、ミラノ訛りがひどいし弱っちかったっちゅうのもあっていじめられとった時に、よう助けてもうててん!」
「その時のお礼やって言って、第三次世界大戦の最中、国際的な軋轢のせいでユダヤ系排斥運動が広まった時に僕ら一家を匿ってもらってね。懐かしいな」
「「同級生!!?」」
比較的冷静なアッシュやネヴィルも目を向いている。一心不乱におかわりした品を頬張っていたジャクリーヌの手すら止まる。
「何で、いじめられっ子がボスになれたんですか?」
「単にオトンの跡継いだだけや。最初はみんなついて来てくれへんかって苦労したで。せやけど、もっと強なろ思て毎日訓練しとったら、自然とついて来てくれるようになったんよ」
「へほ、はっほーほほはひ、ひはへひはほはふははっはほはひは(でも、学校の子達、仕返しは怖くなかったのかしら)」
「ジャッキー、呑み込んでから話してよ。聞き取れないよ」
「ガキ大将みたいなのがね、もっと強いマフィアの首領の息子さんだったんだよ。マルディーニ、だからね」
「あのカロリーネが滅ぼしたところか!!」
マイリーはどうも、知ってる犯罪組織のドンが同級生だった事よりも、カロリーネの『種』があたかもヘボそうに言ってた所がそんなに強かったという事の方にびっくりしているようだった。
「せや、ボスなった後ドンパチした事あったけど、そん時も負けてもうててん。あいつにゃ、1回も勝たれへんかったわ……」
初めて見たロッセリーニの憂い顔に、アッシュ達も料理を運んできたカテリーナも、どう声を掛けたらいいか考えあぐねている。
「ま、そう辛気臭くなっても損するだけだよ、アンジェロ。負けはしたけど、君は凄く強くなったじゃないか。カロリーネちゃんの剣術の師匠をするくらいなんだから、間違いないよ。それでいいんじゃない?過去は変えられないんだし、今を有意義に過ごそうよ。勝ち負け関係なく、生きてれば丸儲けなんだからさ」
「……せやな」
肩をバシッと叩いて元気づける親友を見やり、彼も笑みを取り戻した。
「それじゃ、今を楽しみましょうか」
アッシュの音頭で、カテリーナを含むテーブルに集まった8人は、ワイングラス(グウェンはスピリッツ、ジェヒョンはグレープジュース)で乾杯した。
2人が帰った後も、アッシュ達はレストランに居座っていた。外ではポツポツ雨が降っている。
ふと、ジャクリーヌが壁の貼り紙に目を向ける。
「エルンスト……まだ見つかってないの?」
「うん……」
そう答えるカテリーナの表情は、重く沈んだものだった。
貼り紙は、『Olive Branch』の一員であり、彼女と1番仲の良かったドイツ人青年、エルンスト・シュヴァルツシュミットの情報を求める物であった。
彼は、しばらく仲間と行動していたが、ある日「故郷に戻る」と言い残して彼らの元を去った。それでも、アッシュ達が潜伏していたフランスとドイツは隣国だったので、頻繁に音信があった。しかし、ある日を境にそれがプツリと途切れてしまったのだ。
「イレーネさんは何か知ってそうだったけど、『言わないでって言われていたので、お教えできません』の一点張りでね」
「仕方ねえだろ。あいつにも秘密はあんだろ」
「でも、拉致されたような感じで言ってたわね。もしかしたら、『平和省』に……」
「そんな!!」
カテリーナが、見る見るうちに顔面蒼白になっていく。
「私達もそのように聞いていますが、どうも『安全庁』は関与していないようなので、あまり詳しい事は分からないんです……申し訳ございません……」
「いえ、そんな!ただ、もしそれからどうなったのかご存知でしたら……」
「噂によれば、『英知庁』に引き渡されたらしい。何をしているかは知らんがな」
「デービスも生死すら不明だし……」
落ち込む弟を見かねたように、グウェンがこう提案した。
「そういえばイレーネさん、公平に裁くために調査員を世界中に派遣しているっていう『Astraia』とか、大抵の情報は集めている『Cheiron』――どっちも『鋼鉄花』なんだけど、その人達に掛け合ってくれるって言ってるけど、どうする?」
「掛け合ってもらったとして、協力してもらえるのか?」
「あくまで『Psyche』と『Athena』の戦いじゃ中立みたいだけど、日頃仲は良好だし、頼めば協力してくれそうなんだって」
「それじゃあ……まただけど甘えてみようかな。僕達だけじゃ限界があるしね」
夜の闇は一層深まり、厚い黒雲と強まる雨と共に光を覆い隠していった。
[Klara]
雨の上がった翌朝、木々から滴り落ちる草葉の露に髪を濡らしつつ研究所を訪ねると、リーネとガウェインさんが2人で特訓していた。
「特訓というよりウォーミングアップですね。お嬢であれど、今から力を付けるのは難しいでしょうし、付けられたとしても、逆に気が紛れる原因となりますから。戦いの前には、新たな技術の習得より、自分の体が最大限の力を出せるようにしてやるのが一番なんです」
そうなのか。残念ながら、私はもっぱら戦いも運動も苦手で、東西戦争の時もあくまで後援をし、敗北した際も母、ミヒャエラと真っ先に投降したヘタレなので、戦う者の事は何一つ分からないのだ。
「それでいいんじゃない?強くても弱くても、生き残った者勝ちよ。もしかしたら、自分を本当の実力より弱いと思っていた方が、自分から危険を避けるようになるから長生き出来るかも。1番寿命を縮めるのは、自分の力を過信する事、そして、私達のように全てを戦いに投じる事よ。戦いに生きる者は戦いに死ぬの」
「そうか?……でも、1ついいか?ヘタレ目線から見れば、直前の訓練で下手に体力を使うより、温存した方が良いように思えるんだが……」
「それは駄目よ。直前だからこそ、体を慣らさないといけないの。ほら、私音楽が好きだけど、ピアノの発表会の前に指を慣らすために練習するでしょ?そんな感じ。それに、向こうは私のために全力で向かってきてくれるはず。なのにこっちは鈍った身で対抗するなんて、信乃に失礼よ」
その言葉には、明らかに相手への尊敬の念がこもっていた。信乃ちゃんは、こういう関係を求めているのかもしれない。
ここからは彼女達の領分、私には、妹を送り出す事しか出来ない。
「……頑張りなさいよ」
「分かってる」
彼女は、親指を立ててニコリと笑った。
[Ludwig]
ここ数日、ルートヴィヒは不安を覚えていた。
仕事中も何だかそわそわして、カルロとの他愛ない話も楽しめない。
原因は分かっている。自宅でも、通勤の時でも、出掛けた時でも、屋外での仕事の時でさえ、常に誰かに見張られている気配がするからである。
唯一安心できるのは、屋内での仕事の時だけ。なので、夜勤での仮眠の方がよく眠れる。いっその事、警察署で寝泊まりしたい程であった。
「どうしたんですかセンパーイ。最近元気ないっすよー」
神経が過敏になっているせいで、こうしてカルロに無邪気に肩を叩かれただけでも飛び上がってしまう。
「びっくりするじゃないか!!」
「びっくりしすぎでしょ!大丈夫ですか?なんか蛇に睨まれた蛙みたいな目してますよー?」
「べ、別にそんな事はないぞ?」
「いや、怯えた目つきだよ。カンナヴァーロ君」
上司であるモルゲンシュテルン巡査部長が2人の傍で足を止めた。
「夜勤明けは調子良さそうだけど、帰りは辛そうだよね。皆もストーカー被害に遭ってるんじゃないかって心配しているよ。何なら、うちの嫁に言っとこうか?」
そうだ。彼はあの『Psyche』のリーダーの夫なのだ。連中をナポリの自警団にしてしまったのも彼だという。一瞬、打ち明けてしまった方が楽になるんじゃないかと思ったが、
「……いいえ。警官が女性に護衛されるなんて、本末転倒です」
そう断ったが、実際は、警察の仕事を連中にとられたような感じがしてあまり気に入らなかったというのが本音だった。嫌いというわけではないのだが。
「…………ストーカーって事は否定しないんだね。でも、今の都会はどこも危ないから、警官も1人で出歩かないようにしないと。前もピストル目当てで警官に強盗を働いた不良がいたし、うちの嫁だってこの間マフィアの下っ端に襲われたって言ってたしね。今日もアンドレッティ君と同じシフトなんだろう?なら2人で帰りなさい。皆も、1人で帰るにしても人込みから孤立しないように。警察だからといって油断は出来ないよ。……僕も新人の時勉強させられたからね……」
苦笑したモルゲンシュテルン巡査部長と押し黙るベテラン達の真意を、新人巡査は汲み取る事は出来なかったが、事件に巻き込まれたんだなー、との推測くらいは出来た。
(そんじゃ、ルッツ、正門前に17:00な。残業があったら言えよ)
カルロは、ルートヴィヒの首に腕を回して引き寄せ、耳元で囁く。
(……また何かあったら相談しろよ)
(……ああ…………)
ほんの少しだけ、楽になったような気がした。
[Shino]
昼頃、信乃は十文字槍の手入れをしながら物想いに耽っていた。
「――そうだ。カーチャに引退の事知らせないと。前々から言ってたから薄々気づいているとは思うが」
早速、彼女の携帯電話に電話を入れる。
「うーん、やっぱり耳かけ式は、使う時に逐一外すのが面倒だな……」
相手は、2コールくらいで出た。
『もしもし、エカテリーナだけど』
「もしもし、信乃だ。元気か?」
『元気だ。それにしても、お前から電話なんて珍しいな。……やっぱり引退するの?』
「ああ……」
『そっか……。寂しくなるが、仕方ないか。ずっと迷ってたもんな』
「色々反対されたが、やはり自分の意思を貫いた」
『ハハハ!!基本的にお前って、頑固で負けず嫌いだもんな!』
「悪いか」
『いやいや全然』
そう言いつつも、電話の向こうの声は笑っていた。
『けど、あたしの場合はともかく、お前の場合は社長は許してくれるのか?引退』
「無理矢理縁を切った」
『あれま。連中が敵に回ったらどうするよ』
「会社の敵にならなければいいんだとよ」
『ふーん。良かったな。……あ、そうだ。1つお願いがあるんだけど、あたし、1回もお前の裏人格と話した事が無いから、ちょっと変わってくれ』
「いいが、一般的なイメージと違って、意外と大人しいぞ?芯は熱いが」
指を鳴らし、久し振りに入れ替わる。
「お初だな。そなたが、エカテリーナ・ウラジーミロ……ぶな?うーむ、ぺとらーこーば……すまぬ。舌が回らんのだ」
『カーチャと呼んで下さい。あなたが噂の、日本のゲームじゃよく熱血な無鉄砲野郎に描かれているけど、実際はそんな事は無い方ですね』
「そうだな。少し最期の戦いでは、一世一代の晴れ舞台とあって張り切り過ぎた」
『いや、弱虫扱いされるより1億倍良いですよ』
「そう思うとするか。本当の所、わしは父上の方が有名になられるべきと考えておるのだが、わしの方が、聞いた事も無い名前で有名になっておってな、真に不思議だ」
『演劇――カブキですかね?そこ辺りの影響だって、日本のテレビで言ってましたよ。トクガワの時代ではトヨトミ側のブシをヒーロー扱いするのが禁じられていたから、名前を変えたとか』
「その名が通ってしもうたのだな。格好の良い名前であるから、別段嫌ではないのだが、本名を覚えてもらえんのは悲しいな」
『それは誰しも嫌でしょう。自ら本名を隠している人間はその限りではないでしょうが』
「うむ。……すまんな。愚痴が過ぎた。しかし、聞いてもろうてすっきりした。ありがとうな。それでは、信乃殿に代わるぞ。さらばだ」
『さようなら。ありがとうございました』
再び、指を鳴らす。
「どうだった?」
『本当に落ち着いていてびっくりした。我がまま聞いてくれてありがとう』
「礼には及ばんよ。――ああ、そうだ」
『何だ?』
「急なんだが……今日の深夜が空いていれば、いつも『Psyche』が私達と戦っている。枯れた噴水のある広場に来て欲しい」
『いけるけど、何で?』
「あんたに……私とカロリーネの最後の戦いを見届けてほしいんだ……」
『……うん。分かった。頑張ってね』
「分かってる。それじゃあ、今日の深夜な。あと、出発の日が決まったらこっちから連絡する」
『ありがとう。じゃあ、バイバイ。負けるなよ』
「分かってるって。んじゃ、切って良いか?」
彼女は、電話を切ると再び槍の手入れに戻った。
「ああ言っちゃ、負けられないな」
[Klara]
日付の変わる頃、私達姉妹が広場に赴くと、そこには2人の少女がいた。
カーチャちゃんは、雨で少し水が溜まった噴水に腰掛けており、彼女を挟んだ私達の向かい側には、槍を杖に仁王立ちしている信乃ちゃんの姿があった。
「30分前から待っていた」
「そんな前から?連絡してよ」
「いや、私が来たかったから来ただけだ。気に病まなくて良い。……さて、審判の件だが、私の『種』の家来だった忍びを裏人格にする奴が、なぜか『Astraia』の調査員にいてな、そいつを推薦する。大丈夫だ。真面目だから、公平に審判しろと言ったら愚直なほど公正に判定してくれる。不正は無い。佐々木飛鳥というんだがな。こいつだ」
「只今参りました。佐々木飛鳥と申します」
廃ビルの4階から跳躍し、片膝立ちで降り立った人影の正体は、黒髪ショートカットで頭に緑色のバンダナを巻いた、緑色の作業服姿のアジア人少女だった。普通に可愛い10代後半と思われる女の子だ。
「何その服装。目立ち過ぎでしょ」
「バンダナは怪我した時の三角巾代わりですよ。服が緑なのは、よく森の中で活動するという事と、黒づくめだとかえって目立つ事を考慮した結果です」
「飛鳥を『あすか』と読まずにそのまま読むって、かえって珍しいですね」
「アリーチェという私の古い友人が付けてくれたんです。あの時、名前が無かったですから。女扱いが嫌いな子で、人の名前を付けるのにも男っぽくしたがってね。懐かしいな。貴女もよく知る人なんですけどね。……すみません、喋り過ぎました。審判ですね。一方が降参――はしないと思うので、戦闘不能となった時点で終了としましょう。ただし、頭を破損しようとするのは反則。皆様、これでよろしいですか?」
リーネが、コクリと頷きながら「薄緑」を抜く。
「いいよ。無駄な殺し合いはしたくないもの」
「だな」
信乃ちゃんも、十文字槍を構えた。
私達非戦闘員は、飛鳥ちゃんの横に退避した。
心配そうに見つめるカーチャちゃんの目は、一体どちらを見ているのだろうか。
私は固唾を呑んでカメラを構える。
「それでは、始め!!」
飛鳥ちゃんの掛け声と同時に、両者の刃がぶつかり合い、火花が散った。
信乃ちゃんの突きを、リーネは刀で受けていた。彼女は手を返して斬り付けようとするが、槍の十字になった穂に絡めとられてしまった。
「くっそ!」
刀が穂から放されると同時に、信乃ちゃんは右肩を下ろして肘を引き、リーネの腹を狙って槍を突いたが、相手は横に転がって避け、彼女の足を斬ろうとしていた。しかしその一閃は長い柄によって防がれた。彼女は得物をくるりと回し、片膝をついて立ち上がろうとしている敵の右腕を刺そうとしたが、逆手持ちされた刀に遮られた。
「なかなかやるな。成長した」
「そう言ってもらえて光栄よ」
一旦2人共退いて休憩する。未だかすり傷1つ負っていない。
「今回こそあの飛行機来ないよな?」
「パイロット本人に、今日は飛ぶなって口酸っぱく言っておいた。妹さんに、もし邪魔したら殴って良しって許可ももらった」
「それなら良かった。思う存分やれる」
「そうね」
言うなり、リーネは片膝立ちした状態からダッシュをかけ、その勢いに乗せて敵の腹を斬り裂こうとするが、再び穂に絡め取られ、さらには折られてしまった。
万事休す――と思いきや、鋼同士が衝突する音が鳴り響いた。
ハッとして見てみると、リーネの左手にある太刀と信乃ちゃんの左手にある脇差とが、文字通り鎬を削っていた。よく見れば、折れた刀は「薄緑」ではない。
「どういう事だ……」
横のカーチャちゃんと呆気にとられていると、
「刀を振り下ろす瞬間に入れ替えたんですよ」
飛鳥ちゃんが解説してくれた。
「あの刀、よっぽど大事なんでしょうね。折られるのを見越して、相手が刀に意識を集中させている時を見計らってこっそり左手でもう1振りの刀を抜き、素早く入れ替え、右の刀を犠牲にして、そちらに気を取られている間に不意打ちで右腕を斬ると。ただし、異変に気付いた信乃さんに受け止められてしまったみたいですね」
幸い、超高速連写した写真があったので確認してみると、正に解説通りだった。
「危ない危ない。あと0.3秒遅れていたら斬られていた」
「もうちょっとだったのになー」
両者とも冷や汗を頬に垂らしつつ、一旦引き下がる。
折れた刀が静かに置かれる。投げ捨てる気にはならないらしい。
「疲れた?」
「疲れた。だが、そっちの方が疲れているだろう?」
「そうね。やっぱりリーチが短いから」
「武器選び失敗したか?」
「全然」
そう言うや否や2人は突進し、刃同士が激しく重なり合った。
斬っては受けられ、突いては受けられと、鋼が触れ合うたび火花が散る。時折呻き声と共に血飛沫が飛び煉瓦を赤く染めるが、両者一歩も譲らない。
「ええい!ラチが明かない!」
苛立ち紛れに、リーネが槍と交差した刀を蹴り付けた。
「ぐっ!!」
勢い良く弾き飛ばされた信乃ちゃんだったが、なんとか両足で踏みとどまった。
「てっきり柄が折れると思ってたのに!もしかして改良した?」
「した。前折られたからな。しかし、あまりに強いとこっちにダメージが来るのか」
ふとここで、2人が左手首にある蓋を開け、中のメーターを確認した。
「やばい。電池残量が全然無い。仮眠して来れば良かった」
「こっちも20%も無い。これじゃあ、そろそろ終わらせないとぶっ倒れるぞ……」
2人共、冷や汗混じりに苦笑している。我が身を鑑みると、SDカードのメモリが無くなりかけだった。
いつの間にやら、両者満身創痍となっていた。リーネは腹を押さえ、信乃ちゃんは右腕を庇っている。しかし、腕や脚にも深い傷がいくつもあり、服には自分の血と返り血とが混じり合って付着していた。どちらも今日は鎧を着ていないのに、まるで真っ赤な鎧を着ているかのようだ。
「もう決めるか」
「ええ」
双方互いに微笑み合い、得物を構え直す。
飛鳥ちゃんの目も険しくなる。
「うおおおおおおおおおおお!!!」
「やあああああああああああ!!!」
雄叫びと共に、刀と槍が再び重なり合った。両雄(女の子だけど)有る限りの力を振り絞り、鍔迫り合いも激しさを増していく。
信乃ちゃんが渾身の突きを繰り出す。しかしリーネは、穂を足掛かりにバク宙し、着地するや否や彼女に向かって突撃した。
「くそ!前もやられたな!!」
舌打ちしつつも、彼女は槍を持ち替え、突き下ろす。
槍がリーネの左前腕を貫くのと、太刀が信乃ちゃんの腹を刺し通すのは、ほぼ同時であった。
「――ゲフッ……!!」
信乃ちゃんが、血反吐を吐いてドサリと倒れる。
「勝負あり!カロリーネ・フォン・メンデルベルグの勝ち!」
飛鳥ちゃんが判定を下してもなお、勝者はポカンとしていた。
「おめでとう!勝ったんだぞ!!」
「え、お姉様、私、勝ったの!?」
駆け寄って抱き締めて、やっと正気を取り戻す。近くでは、カーチャちゃんが私のように敗者に駆け寄り、背中に背負わんとしていた。
「嘘みたい……!あの信乃に勝てたなんて……!!」
彼女は、腕の中で満面の笑みを浮かべた。
ふと、カーチャちゃんの方を見やると、私の手をほどいて歩み寄った。
「手伝おうか?」
「いや、お前も疲れているだろう?私が背負うよ」
そう言うと、彼女はニコリと笑って先へ進みだす。飛鳥ちゃんもついて行く。
私も続こうとすると、後ろから妹が背中にもたれかかってきた。
「全身が痛い……」
そりゃそうだ。
しょうがないので、おんぶしてやる。
ふと、幼い時に、遊んだ帰りに寝てしまった彼女をこうしておんぶして帰った事を思い出した。
「ん?どうしたの?」
「早く来いよ。ロビンさんに治療してもらうんだろ?」
「貴女もお疲れでしたら、私が代わりましょうか?」
気付くと、はたと立ち止まった私を、前を行く2人(正確には+1人)と背中の1人が不思議そうに見ていた。正気を取り戻し、何でもないと笑って歩み出す。
「大丈夫?お姉様」
「だから何でもないって。……でもリーネ」
「ん?」
「頑張ったな」
「えへへ、ありがとう」
無邪気に笑う妹に、思わず笑みがこぼれた。
信乃ちゃんが日本に向けてイタリアを旅立つのは、戦いの翌々日である――私達はカーチャちゃんにそれを聞き、空港で待ち伏せしてやろうと、彼女と共にローマの郊外フィウミチーノ市にあるフィウミチーノ空港(ナポリにある空港、ナポリ・カポディキーノ国際空港には日本への直行便は無い)に赴いた。
やがて30分程経ち、ようやっとスポーツバッグを手にした信乃ちゃんとキャリーバッグを引く飛鳥ちゃんが現われた。今日は2人共ラフな服装だ。
「な、何であんたらが!?」
「30分前から待ってたよ」
「そ、そりゃ何だ?一昨日の仕返し?か?」
「来たいから来たの。気に病まなくても良い」
「そんな事言ったな。そういえば」
照れ笑いする主人を、忍びの少女はクスクス笑いながら見守っていた。
「こ、こら!笑うな飛鳥!」
「仲良いなぁお前ら!」
「カーチャも!あんたとセルジオ?の仲も大概だろ!」
「セルジオ、ねぇ……。今度顔見せにいかないといけないですね」
「あれ、あなたはご主人について行かないんですか?」
「『Astraia』としての仕事がありますので」
「そっか……残念か?お前も」
「少し。ですが、信乃さんが日本に帰りたいと言うのなら」
「日本か。遠いね……。――あ、そうだ」
そう言ってリーネが取り出したのは、ラッピングされた小さな箱だった。
「出発記念ということで、私達3人で割り勘して買ったの。良かったら取っといて」
「え、くれるのか?ありがとう!」
信乃ちゃんはびっくりして笑みをこぼしながら、真っ赤になって箱を差し出す彼女の手から優しく包みを受け取り、スポーツバッグの小さなポケットに入れた。
「あ、そろそろチェックインカウンターに行かないと時間が危ないですよ。あと20分で締切りです」
「ん?お、そうだな。もうこんな時間か」
そう言って時計を確認する瞳はどこか寂しげだった。
「もう行くの?」
リーネは引き止めるかのように、信乃ちゃんの手を取る。
「ああ、名残惜しいが……」
彼女も、手を強く握り返す。
「それじゃ、これから大変だろうが、負けずにお互い精進して、また戦おう。お前は成長が早いからな、次会った時どれほど強くなっているか楽しみだ。元気でいろよ」
「私も楽しみにしてる。……元気でね」
2人は、敵味方の垣根を越えて、固い握手を交わした。
「じゃあな」
信乃ちゃんは、手をほどくと自らキャリーバッグを持って立ち去る。
「さようならー!」
「お元気でー」
「また連絡しろよー!」
「ご武運を……」
皆が手を振って(飛鳥ちゃんだけ頭を下げて)送る声援に、彼女は手を振って答えた。
私達は、見えなくなるまでその背中を見送っていた。
[Shino]
信乃は、人込みをかき分けてチェックインカウンターに向かっていた。しかし、どうもプレゼントの中身が気になる。
気になり過ぎたので、パウダールームでチラ見することにした。
「……何が入っているんだ?」
ラッピングを剥がすと、いかにもアクセサリーが入ってますよーといった様子のふわふわした布を張った小さな箱と、白い封筒があった。
箱に入っていたのは、銀製のロケットだった。丸いトップの外側には、蝶の模様があしらわれている。
「綺麗……」
そして封筒には、クララが撮ったのであろう、カロリーネを始めとする顔なじみのメンバーと写った写真があった。戦闘中の物もあり、迫力がある。
「うわー、懐かしいなぁ……」
彼女は写真1枚1枚をいとおしむように見ていた、が、
「あ、時間が!!」
今度こそ、急ぎ足でカウンターに向かう。
やっとの事で、今回利用するアリタリア航空の窓口に着いた、その時であった。
「――おい、信乃」
「えっ……!」
誰かに呼び止められて振り返り――目を疑った。
いや、声で既に誰なのかは悟っていた。自分を名指しで呼ぶ人間なのだから。
しかし、このナポリでその声を聞く、それ自体に驚きを隠せなかったのだ。
(まさか……!!あの社長、あの人まで呼び寄せたのか!?)
彼女は思い出す。かつて勝負を挑んだ時に、負傷させるどころかその身をかする事すら出来なかった事を。
(これは、大変な事になった……)
[Lotte]
その翌日、ロッテは1人研究所の植物園をぶらついていた。
開園当初は薬草や実験用が大半だったが、見学者に予想以上に好評だったため、観賞用も増えている。
『あらまぁ、素敵なバラですこと』
「気に入りました?これ、女王しゃまのお名前が付いているんでしゅよ」
『え、本当に?』
「本当でしゅよ。お花の色が黄色い、おーしゅとりあで生まれたバラだからって」
『まぁ、嬉しい事!わたくしが完成させた宮殿から取ったのかしら』
まだまだ幼さが残る彼女とは裏腹に、その『種』は貴婦人然とした大人の女性であった。
もっとも、本来は貴婦人との表現すら失礼な、やんごとなきお方なのだが。
『そういえば、貴女もオーストリア出身なんですってね』
「そうみたいでしゅね。あたしは覚えてないけど。生まれてからずっと研究所暮らしでしたから。みんな優しかったでしゅから嫌ではなかったでしゅけど、やっぱりお外を教えてくれたお父しゃんとお母しゃんには感謝してましゅ」
『……そう、ね……』
本人こそニコニコ笑っているが、「女王様」が向けたのは憐憫の目だった。
ロッテ・モルゲンシュテルンは、生身の人間に『種』を植え付けた存在、『Eve』の1人である。
彼女が人と『鋼鉄花』の間になったのは生まれて間もない頃。実験は様々な年齢層で行なわれており、彼女は赤ん坊での実験第1号であった。ロッテの場合、両人格の相性が奇跡的に良く、実験は成功した。
だが一方で、人格同士が馴染めない、自己を見失ったなどの理由で発狂あるいは自殺する者が少なからずいた(現在の『鋼鉄花』の場合、入念な性格分析を経て記憶インストールを行なっているため、まずこのような事は起こり得ない)。さらには、ロッテ含む乳幼児の実験協力者の両親と連絡がつかなくなり、引き取ってもらえない(おそらく捨てたと思われる)という事態も生じてしまった。
このような経緯あって、研究所は自らこの実験を中止し、禁止実験のリストに追加した。ロッテ5歳の時である。
実験協力児達は孤児院に預けざるを得ない状況になったが、受け入れを断られた。研究所は『Eve』の人権確立に実験開始当初から動いていたが、『鋼鉄花』の有用性などまだ知られていない時代、差別は免れなかったのだ。仕方なく、子供達は元研究員に育てられた。ロッテもそうなる予定であったが、そんな彼女を引き取りたいという夫婦が現われた。彼らこそ、どうあがいても子供は作れない、ベルンハルトとイレーネのモルゲンシュテルン夫妻だったのだ。彼女は2人の養女となり、外の世界を知る。母を始めとする、自分と近い人間がたくさんいる事も。
「今年の秋には、結婚5周年でしゅ。何かプレゼントしたいでしゅけど、お金無いし……」
『手作りなんてどうかしら。我が子が真心込めて作ってくれた物ほど嬉しい物は無いわ。どんなにお金を出しても足りないもの。下手でも喜ばれるのは大切な人の手作りくらいじゃないかしら』
「そ、そうでしゅか?」
ロッテの顔が、パァッと明るくなる。
「それじゃあ、しゃっそく計画開始なのでしゅよ!」
『うふふ。気が早いわね』
2人共ニコニコしながら住居棟に戻る。
南に下っていたら、右からやってきたカヴァリエーリ博士と鉢合わせになった。
「あれ?何でしゅかそれ」
「イレーネちゃんへの手紙だよ」
「じゃああたしが渡しましょうか?」
「本当かい?じゃ、お願いするよ。ありがとね」
「どういたしましてでしゅ!」
防護壁の一部にある通用門を開け、我が家へ帰る。
「あら!お手紙持ってきてくれたの?ありがとう」
「えへへ。どういたしまして」
優しく頭を撫でられ、ご満悦の様子。
母も穏やかに笑っていたが、手紙を開き目を通すにつれ、その表情は険しくなった。
「どうしたの?」
「……これ見て」
その内容は、こういった物であった。
『初めてお便り差し上げます。私は「Athena」の1人、鎧ヶ原平八郎と申します。
さて、私が今回お手紙を差し上げたのは他でもありません、貴女を始めとする「Psyche」の方々との決闘の申し込みをするためでございます。本当なら全員と戦いたいのですが、さすがに1人で20名程を相手するのは不可能ですので、貴方がたには3名精鋭を選りすぐっていただき、私はその方々と対戦するという形にしたいのですが、よろしいでしょうか。
本日の夜10時頃、直接住居棟へ参りたいと思っておりますので、お返事の程、よろしくお願いします。
鎧ヶ原 平八郎』
[Klara]
「……随分と自信満々ですね」
「なめられたものですね」
『Psyche』緊急会議の中、ガウェインさんとリーネが口々に呟く。
どうやら、『Athena』の1人から挑戦状が来たというのだが、それがあんたらの精鋭3人と戦いますよとの内容だったらしい。
「そういや、カーチャならその鎧ヶ原平八郎とやらを知ってるんじゃないか?なあ、知ってる事だけでも教えてくれ」
「いいぞ。仲間内じゃ有名でね、『鋼鉄花』の中でも最強の誉れ高い男だ。生涯無敗で、死ぬ間際以外1度も怪我していない。死亡した時も、ある富豪の御曹司のボディーガードをやっていて、主人が襲われた時に致命傷を負って、その後刺客を全員倒してから死んだらしい。信乃も全力で挑んだが、塵でも払われるように打ち負かされたって。カロリーネならこの意味、分かるだろ?うちのリーダーのオグナとは違って純粋な力による強さで、ずる賢さも狂気も皆無だ。そもそも、自他共に認める馬鹿だし。どっちかというと、おつむの容量はまるで違うがカロリーネや信乃に近い。小細工が嫌いで、使ったら余計に酷くやられる。効かないしな」
「なるほどな。……誰に行かせたら良いと思う?」
「あんたはそもそも『Sirius』だし、あたしとしてはカロリーネとガウェインを推薦する」
皆同意見らしい。あぁ……、と手を叩いて頷いた。
「でも、あと1人どうするんですか?」
あ、マリーちゃんだ。『Hestia』の放射線技師さんと名前が同じでややこしい(この子はマリー・ボアヴァンで、放射線技師の方はマリー・ヴェンギェルスカ)、イレーネさんに訴えに来た、裏人格さんがフランス人の友達のお父さんにもう1回火あぶりにされかかってたあの子だ。
「理想的にはリーダーが行った方が良さそうですが……あの腕では……」
どうやら、いつぞやに見た彼女の腕の惨状が目に焼き付いているようだ。
「そうね……。でも、今回は私も戦うわ」
「……えぇ!?」
「ちょっ!大丈夫ですか!?」
「やめといた方が……」
「そんな腕で戦ったら、大変な事になりますよ?」
「姉御、今回は持久戦が予想されます。負傷すらさせられないというのなら、相手が電池切れになるのを待つしかない。その腕で耐えられますか?」
周囲が猛反対する中、本人は薄く笑っていた。
「持久戦でしょう?だからこそ私が行くの。足の速さと負けん気の強さは自分でも保証出来るもの」
「……確かに、姉御の足の速さは随一ですし、根気も評価出来ます。それに、」
「でしょう?持久戦に持ち込める自信はあるわ」
彼女の自信ある笑みに、部下達もしぶしぶ頷く。
「分かりました……。忠告はしましたよ?」
「分かってるわ。それなりの仕事はこなす。約束する」
そう誓いを立てたイレーネさんだったが、表情は硬くとげとげしかった。
どうも、只事では終わらなさそうだ。
夜の帳が降り、辺りは真っ暗になった。
その闇の中、ダークスーツを着た、長身と鍛え上げられ締まった肉体を持つ日本人青年が現われた。背中には、全長が身長程ある大槍を差している。
「あ、平八郎」
守衛室で見張りをしていたカーチャちゃんの一言に、私もセルジオさんもドキリとして彼女の元に駆け寄る。
「久々だな、エカテリーナ。そっちには慣れたか?」
「だいぶな。そっちも、こんな所にまで召喚されるとはな。何があったんだ?」
「色々とだな。――お、お前達が『Psyche』か」
「いや、私は『Sirius』のセルジオ・カンパネッラ、こちらは人間のクララ・フォン・メンデルベルグです。あなたが鎧ヶ原平八郎さんですね」
「いかにも。……しかし、肝心の『Psyche』はどこだ?」
「――お待ちしておりました」
彼がちらりと右へ視線を移すと、そこには『Psyche』一同がリーダーを先頭に集結していた。
「お前がイレーネとやらか。社長の野郎に聞いたぞ。そんな顔して、まぁ色々とやらかしてるらしいな。大天狗って呼んでたぞ、社長」
「よくご存知ですね。社長さんには、別の意味でお世話になりまして。……おや、それは貴方、いえ、貴方がボディーガードをしているご主人も同じですか」
「…………調べたのか……」
歪む気配の無い笑みと真意の見えない瞳を前にして、平八郎の口元が引きつった。
イレーネさんの目は、時折感情が無になる。
もちろん、いつもは感情豊かで、むしろ人間より人間らしい表情を見せる。家族や仲間達に対する深い愛情も容易に推し測る事が出来る。
しかし、敵を前にするとそれらの豊かな感情が全てリセットされてゼロになる。そのくせ口元だけは微笑んでいるので、大方の人間には「不気味」と映る。
さらに彼女の瞳は、アッシュさんが「澄み渡りすぎている」と形容するほど曇りの無い透明なものだ。そこから感情という色が消えると水晶玉のようになり、正に「心の中まで読まれているような錯覚」を味わう事になる。いや、実際に読んでいるのかもしれない。
こちらは何も分からないのに、相手からは筒抜け――この感覚は、全ての人間にとって耐えがたい恐怖であり苦痛であろう。
先の対帝国戦の際、彼女を自機の後部座席に迎えたグウェンさんの裏人格は、こう評している。
「奴はな、まず警戒した時には薄笑いした仮面を被ったみたいになる。少し怒った時には普通に怒りを露わにする。そして完全に怒ったら無表情になる。私的には、ステップ3の時の奴とは敵対したくない。もっとも、あっちから向かってきたらまず顔から爆撃してやるがな。しかし、ポテトマッシャーを食らわす根性も無い鶏共は即刻負けだろうな。ハハハ」
大胆にして豪胆な彼にとっては軽い冗談だが、並みの人間からしてみれば笑い事では済まない。
それでも相手も剛の者だ。もう既に落ち着きを取り戻している。
「まぁ、言ってみりゃ『鋼鉄花』の始祖だからな、並みの人間じゃ困る」
「私も海千山千ですからね。……さて、貴方に最初に戦っていただくのは彼、ガウェイン・ウォリックですわ。驚いたでしょう?私達の中にもこのような屈強な者はいるんですよ。さ、頑張ってきなさいな」
「全力を尽くします、姉御」
「すげぇ筋肉だな……」
平八郎はニヤリと笑い、大槍を背中から抜いて構える。ガウェインさんは、徒手空拳で静かに立っている。
審判は、再び飛鳥ちゃんにお願いした。セルジオさんと仲睦まじく話している姿が印象的だったが、「顔見せに行く」との発言もあったし、きっと旧友なのだろう。ふと思い当たる節があったが、見逃そう。2人共、来歴については多くを語らないのは、あまり知られたくない過去があるからかもしれない。
「頭を狙わない、これをルールとします。どちらかが戦闘不能となった時点で終了です。それでよろしいですか?」
皆頷く中、飛鳥ちゃんと平八郎の視線が重なった。
「ね、それでいいでしょう?」
「あ、あぁ……」
彼女が優しく笑いかけるのに引き換え、彼は小さく頷くと俯いてしまった。その表情からは、罪悪感がにじみ出ている。
「そんな、昔の事は気になさらずに……」
「いや、俺が勝手に感傷的になっただけだ。気にするな」
一体何があったんだろうか。愛情はあるようだから、別れたカップルとは似て非なる空気だ。
「おい、それよりしっかりジャッジしろよ。公平にな」
「ええ。貴方とはいえ、公平に判定させていただきます」
「それでいい」
再び、対戦相手同士視線がぶつかり合った。
「それでは第1戦、始め!」
最初に攻撃を仕掛けたのはガウェインさんだった。彼が鋭く肩目掛けて突きを繰り出すも、相手はちょいと身をよじって避け、狙いを外した右腕をつかんで筋肉質な巨体をいとも簡単に塀に投げ付けてしまった。
「大丈夫!?」
「大丈夫だ!大丈夫じゃなくても持ちこたえられるだろう!」
彼は少し顔を顰めつつも、相棒リーネの声援に、切れた唇から流れた血を拭って瓦礫をかき分けて立ち上がる事で答えた。
「まだ倒れんぞ!」
そう叫び、再び鉄拳を振るったが、敵の腹に届くと思った瞬間、拳は空を切り、行き場を失って守衛室の外壁にめり込んだ。
「今、わざと力抜いただろ?あの勢いじゃ、本当なら綺麗な窪みを作ってたはずだ」
「共有財産だからな」
「いや、手を傷めないためと無駄な力の発散を抑える為だ。……お前、外見に似合わず頭でっかちだな。馬鹿じゃないはずだ」
「確かに頭でっかちかもな。少なくとも、お前のように体だけ、無意識的に避けているようなタイプではないな。人間誰しも無意識が先行していて、そちらの方が反応時間が短く反応速度が速いらしいが、俺の場合は、そこに意識的な観察や推測が入り込んでいる」
「……ん?俺はただ、何も考えずに体が勝手に動いているだけだが……」
「…………いや、同じ事言ったぞ、今」
「ま、そんな事はどうでもいい。今度はこっちから行くぞ!」
「…………お前の場合、馬鹿とかいう以前の問題だと思うぞ……」
呟くガウェインさんの頬を、槍の穂がかすめ、皮膚をほんの少し斬り裂いた。血が浅黒い肌を伝う。
「避けたと思ったんだが、速いな」
「あれこれ考えてるから遅いんじゃねえか?」
「かもな……そろそろ人格換えるか」
彼がそう呟くや否や、リーネが薙刀を投げ渡す。
薙刀に手が触れた瞬間、ガウェインさんの目つきが、炎が燃えているかのような闘志あふれるそれとなった。体中からあふれるエネルギーが、離れていてもひしひしと伝わる。
「貴様が敵かァッ!!」
言うなり、彼は平八郎目掛けて力強く駆け、得物を振り下ろした。
「うわ、マジか……」
敵は一瞬固まりつつも、間一髪で刃から逃れた。
「くそぉ!!」
再び相手の肩を袈裟斬りしようとするもかわされ、薙刀の刃は周囲に揺れが伝わるほど勢い良く地面にめり込んだ。
得物を引き抜こうとするガウェインさん(裏)の背後から、平八郎が彼の背中を突かんとしていたが、気配を察知した彼が、引っこ抜いた勢いで薙刀を振り回し、両者の武器をかち合わせて攻撃をしのいだ。
「お前、わざと抜けずにもがいてる演技してたろ」
「ふん……ばれておったか……」
先程塀に叩きつけられたせいだろうか、ガウェインさんは時折顔を顰めている。左腕左脚の関節がどう考えても異常なのだから仕方がない。左脚は明らかに折れている。そろそろ限界なのかもしれない。
それは自身が一番分かっているようで、だからこそ相手にも感じ取られたようだ。
「そろそろとどめか。次で終わりにしよう。お前も脚痛いだろ?」
言うや否や、平八郎は敵の心臓目掛けて強烈な突きを繰り出した。
ガウェインさんとて負けていない。愛用の薙刀をもって槍を受け止めていた。
「ぐぬぬぬ……」
「っく……」
両者一歩も譲らず、文字通り一進一退といった様子だ。
その時であった。
「でやああああああ!!!」
平八郎が、渾身の力を込めて得物を突きだした瞬間、薙刀の柄が折れ、ガウェインさんの胸の真ん中を大槍の穂が貫いた。
「そんな……!」
リーネもぎょっとして目を見開いている。
ブシュゥゥゥゥと音を立て、人工心臓から血液が噴き上げ、地面を、敵を赤く染める。しかし彼は倒れず、青ざめた顔で仲間を、そしてリーネを振り返り、苦しげに笑った。
「殿……九郎殿……。拙僧は負けてしまいましたが、どうかこの身を、盾としてお使い下さいませ。それが、今の願いで、ござりまする……」
彼女は目を伏せると、指を鳴らした。
「分かった。よく頑張ってくれた。私達が仇を取ってやる。そなたはゆっくり休むが良い」
「はっ……ありがたき幸せ……」
そして彼は、力強く立ったまま目を閉じ、動かなくなった。
勝負の行方は、誰の目にも明らかだった。
「第1戦勝者、鎧ヶ原平八郎!!」
勝者は深く息を吐き、敗者は、本当に盾にするわけにもいかず、仲間達によってロビンさんの元に運ばれていった。
「次はこの子、カロリーネ・フォン・メンデルベルグですわ。可愛い子ですけど、一族の中じゃ屈指の強さでね、裏も先の対帝国戦で活躍して下さいました」
「お前か。噂に聞いていた。良い戦いを期待してる」
「同感だ。そなた程の者と戦えるとは光栄である」
リーネ――いや、九郎さんと呼ぶ方がいいだろう――と平八郎、両者対峙し、それぞれの武器を構える。
「御二方共、準備はよろしいですね。では始めて下さい!」
その言葉と共に、九郎さんは太刀を上段に構え空高く跳躍した。敵は大槍の柄で彼女(ややこしいんで「彼女」で統一)の身を叩こうとしたが、彼女はそれを両足で蹴り、真っ逆さまに落下した。平八郎はその身を刺そうとするも、相手は柄をつかんでそのまま上に乗ってしまった。
彼は慌てず槍を振るって九郎さんを落とすと、すぐさま目にも止まらぬ乱れ突きを繰り出す。しかし九郎さんはそれを全て太刀で受け、今度は彼女の方が敵に乱れ斬りを繰り出すも、武器の柄を駆使した相手に全て受け流された。
刺突と斬撃が高速で絡み合い、削られた鋼が宙を舞い、街灯の光に照らされて輝く。
痺れを切らしたのか、平八郎が槍の柄で九郎さんの腹を突く。
「がはッ!!」
鳩尾をやられたからだろう。顔は苦痛に歪み、脂汗がにじみ出る。
「何ゆえ刺さんかったのだ」
「もう少し戦いたかったから、それだけだ」
そう言ってニコリと笑うと、彼は九郎さん目掛けて突進した。彼女は刀で槍を払おうとしたが、力及ばない。
その時、九郎さんが叫ぶ。
「すまぬ、カロリーネ、替われ!」
同時に、外圧にびくともせず標的の胸に向かって真っ直ぐ突き進んでいた槍の軌道が、同じ体の持つ同じ刀に、いとも簡単に曲げられた。
「お前がカロリーネか!」
「そうよ!」
リーネは薄く笑い、上段の構えから刀を振り下ろす。平八郎はいつも通り槍で受け止める。しかしその大槍の柄が真っ二つに折られてしまった。
「おっと」
相手は、口こそ慌てているそぶりを見せたが、右手のみで白刃取りしていた。
「リーチは短いが、扱いやすいかもな」
一旦退くリーネに彼女は、折れた得物の内、穂がある方を右手に、ただの棒となった方を左手に持って振り回してみせた。風を切る音がこだまし、舞い上がった木の葉が棒に裂かれる。
「これは……」
リーネは苦笑し、指を鳴らした。ここは自分のパワーで攻めるより、九郎さんのスピードでやり過ごすべきだと判断したのだろう。
2本になった武器が彼女に襲い掛かる。彼女は、時には身をかがめ、時には飛び退り、棒を足掛かりにまでして、敵の攻撃を避ける。とにかく避ける。私では残像でしか追えない速度で振り回されている物を避けている。
戦いは長かった。さすがに2人の顔にも疲れの色が見え隠れしはじめた。
「なかなかやるな」
平八郎が、一旦攻撃の手を止める。九郎さんの緊張も一瞬溶ける。
だが、次の瞬間、
「――なら、これはどうだ?」
平八郎の姿が無くなったと思いきや、彼は九郎さん、そしてリーネの腹をその槍で串刺しにした。
「リーネ……?」
もちろん、彼女が頭をやられない限り死なない事は知っている。しかし、私の顔からは血の気が見る見るうちに引いていっていた。頭がクラっとし、地に膝をついてしまう。
「大丈夫か!?」
セルジオさんに抱き起こされ、やっと足が力を取り戻す。
『Psyche』達の表情も暗かった。無理も無い。1番戦力になる仲間2人が既に敗北し、残るリーダーは強いか弱いかもよく分からないのだから。
「よいしょ」
平八郎はリーネの胸を踏みつけて槍をその腹から抜く。それでも彼女はピクリとも動かない。
「第2戦勝者、鎧ヶ原平八郎!」
「――あら残念、どちらかは勝てると思ってたのに」
仲間の間に諦めた空気が漂う中、イレーネさんは悠々と進み出た。
「ついにお前か」
強いか弱いか味方ですら分からない、つまり敵にとっては得体の知れない――イレーネ・モルゲンシュテルンとはそういう女なのだ。平八郎が苦い顔をするのも頷ける。
「まあまあそう警戒しないで。私は単純な女ですよ?」
「……どの口がそう言ってんだか」
ニコニコする彼女を尻目に、彼は溜め息混じりに頭を抱える。
「俺、お前みたいな策略家は苦手なんだよなァ……。なんか調子狂う……というよりもう頭ブッ刺したい」
「こらこら。頭は狙っちゃいけませんよ」
「飛鳥。特例ねぇか」
「ありません。頭は狙われないというルールは、確立された規則ですから、それに従って下さいね」
「ちぇっ。……でも、それ以外ならギッタギタにしてもいいんだろ?」
「えぇ。どうせ直せますし」
「よし!イレーネとやら、その口利けなくなる程メッタ刺しにしてやる!!」
「どうぞ、好きなように」
ピリピリした空気の中、平八郎は槍を、イレーネさんは拳銃を構える。
そんな中、審判が口を挟んだ。
「ところでこの勝負、先に2勝した者勝ちでしたら、無効になりますよ?この試合では1回勝てば2勝分、という形にした方がよろしいのでは?」
「じゃあそうするか。いつも通りドッジボール形式な」
「なら、負けたら外野行きで、仲間の誰かが勝つまで戦力外と。引き分けになったら?」
「両方外野入り」
そんなややこしいルールだったのか。
「なら、引き分けたら貴方も戦力外ね。良い取り引きですわ」
「確かにそうだ。お前ともやり合わなくて良くなるんだからな!」
飛鳥ちゃんが開始宣言をする前なのにもかかわらず、平八郎は得物を手に敵目掛けて突撃した。
槍の穂の鋭い光が、イレーネさんに襲い掛かった。
――しかしその瞬間、彼女は霞のごとく姿を消し、槍は標的を見失い空を切る。
……いや、もちろん分かっている。彼女は、ただ単に身を翻して避けただけだと。私のカメラがとらえた連写もその証拠だ。だがそれは、並みの人間には瞬間移動にしか見えないのだ。
さらに相手は、宣言通り口が利けないほどメッタ刺しせんとするが、それも軽々とした身のこなしで受け流してしまった。仲間達でさえも驚嘆の目で見つめている。
「さ、もう少しやりましょうか」
「当然だ!」
平八郎は棒を振るって殴りかかるも、イレーネさんは消えたと思ったら背後に立っている。こんどこそはと突きを繰り出すが、ひらりと腕を飛び越えて避けていく。
「くそっ!!」
彼も苛立ち露わにすぐさま振り返って蹴りを食らわせようとしたがあっさりかわされ、勢い余ってバランスを崩しそうになる。
「うおっと!!」
「あら、足元にお気を付け下さいな」
「違えよ!!」
平八郎は、怒号と共に棒を地面に叩き付けた。
「ったく、ちょっとはまともに戦え!!ちょこまかと逃げやがって!!」
「まともに戦えば、負けるのは分かり切っていますわ。持久戦でしか勝てないでしょう。だからこそ戦ってなかったんです。しかし、自ら戦いを挑んだ以上、ずっとこうはしていませんよ。次からは攻撃します」
「そうでなくちゃな!」
イレーネさんは、脚を狙った一撃を横とびしていなし、その身と地面がこすれ合い舞い上がる砂ぼこりの中、拳銃の引き金を引いた。破裂音が数回連続で響く。
だが相手は、棒を振り回して弾丸を全て打ち返し、元の持ち主の元へ向かわせる。その中の2発が、彼女の肩と頬をかすった。
「――っ!」
私は元より、『Psyche』達でさえ初めて、イレーネさんの表情が苦痛に歪んだのを目の当たりにした。
「火薬なしでこれほどの威力とは……」
「高校時代は4番バッターでな、スカウトもされたんだが、本気で打ったら、その球に当たった奴が死にかねねぇから断った。勉強じゃ赤点だらけだが、運動神経じゃ右に出る奴はいねぇ!!」
槍の一部だった棒が、風を切りながらイレーネさんに迫る。
「……そんなので、よく就職先が見つかりましたね」
彼女はひらりと身をかわした。
「失礼な!もうカミさんもいるし、子供も3人いるぞ!?」
轟音と共に、棒がコンクリートの壁に刺さった。
「……ん?もしかして、貴方の奥さんって……」
今度は銃弾が数発空を舞う。
「あいつ、飛鳥のオリジナルだ。あいつが作られたのはだいぶ前だが、オリジナルはまだ20代だ」
彼は槍を振り回し、弾を全て弾いた。
「さて、ちょっと気合い出すか」
言うなり、平八郎は彼女に激烈な攻撃を加えていく。イレーネさんもよく受け流しているが、それでも体は傷だらけだ。
「――っ!!」
彼女は顔を顰めつつも、自らの脚でしっかり立っていた。だが体は正直だ。脂汗がにじんでいる。
「しぶといな。執念深いだろ?お前。精神的にはまだ戦えるだろうな。……でも体はどうだ?」
平八郎の意味深長な視線をたどり、本人はもとより皆が皆あっと声を上げて青ざめた。
彼女の右肩には、亀裂とも言える深い深い傷があり、腕は皮膚だけでつながっていた。皮膚の下にある金属部が槍で破損しているのが不思議だが、ともかく、これ以上暴れたら腕は簡単に取れてしまう。右手で銃を撃つ事は、筋肉が切れた今では到底不可能だ。当然左手で引き金を引く事になる。ただし、彼女の腕の力では、片手で反動に耐えるのは不可能だ。かと言って、右手は使えない。
それは彼女自身も気付いているのだろう。三角巾で銃を右手に固定しはじめた。だが、あの腕の状況を見るに、拳銃の反動で簡単に千切れてしまうはずだ。
さらに悪い事に、隙を突いた平八郎が彼女の懐に入り込んでいた。
「心配する事はない。すぐ終わる」
イレーネさんが声を上げる間すら与えず、彼はその細い首を鷲掴みした。
「――っ!」
呼吸は必要ないはずだが、顔は苦痛に歪んでいる。苦しいというより痛いのかもしれない。足は宙ブラだし、首からはバキバキ音がしてるし。
「――すぐ楽にしてやるからな」
右手に槍を持ち直した彼は、勝ち誇った笑みを浮かべて、彼女の胸目掛けて得物を突いた。
『Psyche』達も、2階から見物していた『Olive Branch』の面々も、血の気が引いているのがありありと分かった。かくいう私も、手汗でカメラが滑り落ちそうになっていた。胸を貫かれたガウェインさん、そして串刺しにされたリーネの姿が脳裏をよぎる。
――その時、銃声が私達の鼓膜を震わせた。
空気が凍りつく。皆が皆唖然としていた。
もちろん状況は呑み込めている。しかし、それが夢か現か考えあぐねているのだ。
平八郎に胸を貫かれそうになった正にその時、イレーネさんが、あの文字通り皮一枚で繋がった腕で、敵の胸の中央を標的に発砲したのだ。
反動に右肩が耐えられるわけがなく、皮はブチリと切れ、腕がゴトリと落ちる。
「――え!?」
平八郎はぎょっとして、鮮血が溢れ出す自身の胸を凝視した。
左手から力が抜け、イレーネさんの首が解放される。彼女は激痛に顔を顰めつつも、震える足で立ち上がった。
「さぁ……まだ戦えます、よ……」
ここで、審判がストップに入る。
「駄目です!これ以上戦えば死にかねません!」
「これは私の戦いですわ」
「ですが……」
「…………そうだよ。やめて、お母さん……」
ハッと振り向くと、そこにはネグリジェ姿のロッテちゃんがいた。
「駄目でしょ?こんな時間に、起きてたら。早く、寝なさい……」
そう言って笑う母の表情には、明らかに苦悶のそれが混在していた。それを察してか、娘の目尻に水分が溜まっていく。
「お母さん、あたしもう、苦しんでいる顔みたくないよ……。負けたくない気持ちは分かるよ。すごく分かるけど……、ガウェインさんもカロリーネさんもみんなも、原形を留めない体になってまで戦ってほしくはないと思うよ。だから、お願い……」
ついには泣きだしてしまった娘を、母親は左腕で優しく抱き締めた。
「いつの間にか、大人になっていた、のね……。ごめんね……ありがとう」
母子だけの時間――しかしそれは、ザクリという足音に遮られた。
顔を上げるとそこには、槍を手にした平八郎が立っていた。
「来ないで!!」
小柄な少女は、長身で屈強な男の前に、ぐっと歯を食い縛って立ち塞がった。
しかし、
「――勘違いしてくれるな」
男は破顔一笑し、手に持った得物を捨てた。
「俺の負けだ。生まれてこの方、死ぬ間際以外かすり傷も負ったことない俺にこんな重い傷を負わせたんだからな。そして撃たれる前、俺は確かに慢心していた。それをお前が打ち砕いた。その時点で、俺は負けだ」
彼の差し出した手をイレーネさんは温かく握り返した。
「引き分けに、しましょう。貴方は、全戦不敗で、なくてはならない。――戦うためでなく、貴方の主人を守るために、ね」
両雄握手を交わし、互いを称え合う。和やかな空気が流れ出す。しかしそれを、パトカーのサイレンが切り裂いた。
2台のパトカーから降りてきた中には、カンナヴァーロ巡査(あのチビ)とアンドレッティ巡査(あのノッポだってさ)、そしてベルンハルトさんの姿もあった。
初老の私服警官が、私達に警察手帳を示す。
「警察です。近隣の住人から、この研究所で暴動があり、爆発もあったと通報がありましてな。心当たりのある事をお聞かせ願いたい」
本当はリーダーが応対するところだが、生憎あの状況なので、私と飛鳥ちゃんが答える。
「今の今まで『鋼鉄花』恒例の決闘をやってましてね。爆発は起きていませんよ。確かにめちゃくちゃな戦いでしたが」
「ええ。ですので、ご近所の方々には、騒音以外害はございません」
「なるほど……、しかし昨今、『鋼鉄花』の戦いを人間の脅威とする見方が強まっていますので、おいそれと無罪放免にするわけにはいきません。つきましては、貴女がたお2人には署まで同行していただき、詳しく話をお聞かせ願いたい。……そこの男性にも」
警部だというその警官の目線、その先には、返り血を浴びた、明らかに加害者な男の姿があった。
「胸を撃たれて健在という事は、彼も人間ではないのでしょうから、いずれにしろ無罪でしょう。ですが最近、『鋼鉄花』達があまりにも犯罪行為を頻繁に行なうので、彼らにも刑法を適用しようという動きもある。ここで我々が手を抜けば、警察そのものの威信にかかわります。ですので、協力していただきたい」
元々私達には拒否権などない。大人しく、内情を惜しみなくさらけ出す警部に促され、パトカーに乗り込もうとする。だがベルンハルトさんは、やはり気になるのだろう、妻子の方をたびたびチラチラと見ている。
すると警部が、彼の肩をポンと叩いて微笑んだ。
「行ってやりなさい。モルゲンシュテルン君」
彼は、面白いほど顔を輝かせて敬礼すると、力尽きて膝を突いた妻の元へ駆け寄り、その体を抱きかかえ、ロビンさんのいる整備室へと歩き出した。
夫が何か囁きかけると、妻は頷いて薄く笑う。父のズボンの裾をつかんだ娘は、安心したように笑っている。
そんな光景を隣で見ていたカンナヴァーロ巡査が、ふと帽子を目深に被り、鍔で顔を隠した。
「家族、か……」
その頬には、光るものがあった。
――この、巡査の言葉の意味を知るのは、それから数日後の事であった。
第五咲でちょっと脇道にそれてしまった感じがするので、そろそろ本筋に戻します。
今回は、ちょっと細かい設定を出すのが多いですね。新興国の話とか新聞事情の話とか新種の動物とか。
あと報告するのは……、あ、ちょい役のはずだったロッセリーニのボスが案外気に入っちゃった事ですかね。意外や意外。ま、ちょっと暗い話ですし、バックグラウンドはともかく、明るいキャラは必要なのでは。
今回は、ちょっとほっこりした感じのエンドかなーと、勝手に思っています。当初はもっと違う終わり方だったんですが、こっちの方が良さげですね。つい先日思いついたんですよ。
さて、次は、本当なら1話で終わらせたいのですが、プロット書いた段階で明らかに長引きそうな展開なので、結局2話に分けそうです。今回はギリギリOKでしたが、でも長いですね。携帯電話で見ている方なんて、かなりしんどいのでは、なんて思ってます。
次の下書きはまだなので、またですがのんびりお待ち下さいませ。