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鋼鉄花  作者:
5/11

第三咲 因縁花

ちょっと小話ばっかりになりそうです。

今回は、結構重苦しい話も多いんで、鬱な人は読まない方がいいと思われます。

[Chiara]

 その昼、私はセルジオさんと共に彼女がいつもいる警備室へ赴いた。

 研究所の面々は所長すら知らず、『Psyche』の中でも存在を知る者は片手の指の数も満たさない、秘密のエリアだ。

「とは言っても、俺は『Sirius』という護衛目的の『鋼鉄花』から引き抜かれた存在だから、厳密にはあいつらとは違う種類なんだがな」

「護衛かぁ……」

「実は表も元傭兵に近い職業でな」

「なるほどね」

 警備室の奥の扉を開けて、鉄製の階段を降り、金属扉を開ける。

 その向こうは、鉄製の扉が壁に左右合わせて6個ある空間だった。

「何これ」

「言やぁ留置場だな。大体入るのは捕虜だな。今入ってるのは1人だが、そいつもその1人だ」

「あの赤毛の子?」

「そうだ」

 私達は、1番奥の右側の独居房に入った。

 鍵はカードと指紋認証。意外とゆるめ。

 中は狭く、曇りガラスのような大きい壁が鎮座していた。

「これはブラインドみたいな物で、電気を流してやると向こうが見える。……こんな風にな」

 彼女が壁のスイッチを押すと、一瞬で壁が透明になり、部屋の全貌が明らかになった。

 何て事は無い。少し狭くて出られないという事を無視すれば普通の部屋だ。特別ボロいわけでもない。むしろ綺麗な方だ。本もあるから退屈は凌げそうだし。

 そんな部屋の中で、赤毛の少女は鏡の前に座り、少し伸ばした左右側面の髪を三つ編みにしていた。緑の瞳は憂いを帯びている。

「――おい、ちょっと手空けられるか?」

 セルジオさんが声を掛けると、彼女はビクッとこちらを向き、私達を睨みつけた。

「何だお前ら。何の用だ?」

 セルジオさんは、嫌な顔一つしなかった。表面上では。

「フン。随分と強気だな。表面上は。……名前は?」

「言って無かったか?エカテリーナ・ペトリャコーヴァだ」

「聞いてなかったぞ。歳は?」

「17」

「若いな。2歳下か。『種』は?」

「無いな」

「無い……?」

 あれ?『鋼鉄花』の定義は?

「何らかのミスで『種』を入れ損なったらしい。そもそも私の『親株』も生きているからな。我ながら変わり種だと思うぞ」

「なるほど。それじゃあ、『Athena』のリーダーは?」

「教えねぇよ」

「教えねぇって……。本拠地は?」

「知らん」

「知らねぇわけねぇだろ!じゃあ、『Athena』の生みの親である『Ultrasonic』とセントマイケル帝国が接近しているってのは本当か?」

 意外と2人共短気らしいな。

 エカテリーナちゃんもカチンと来たらしく、売り言葉に買い言葉とばかりに怒鳴り散らす。

「誰がテメェに教えてやるかこのクソアマ!!その記者みてぇな女もあたしを売りやがって!!お前らいつか絶対に殺してやる!!」

 するとセルジオさんが、怒りも露わにコントロールパネルのボタンを押して壁の一部を開けてズカズカ中に入り込み、エカテリーナちゃんの胸倉を掴んだ。

「お前……本気で言ってやがんのか……?」

「本気だとも。何なら、今からでも実行してやろうか?」

 こめかみに血管を浮き立たせる相手を、あくまで嘲笑う。

 その時、セルジオさんは胸倉から手を離し――彼女の頬に強烈なビンタを叩き込んだ。

「――っ!!」

 頬を押さえて倒れ込む少女を彼女は冷たい目で見下ろしていた。

「テメェ少しは自分の立場を(わきま)えろ。基本的には殺さねぇ方針だが、その気になればいつでも始末出来んだよ。その事を忘れるな」

 私達は部屋から出て、壁を閉めた。

「お前ら……!」

 後ろから、恨みがましい声が聞こえてきた。

 振り向くと、壁の向こうの少女は、頬に手を当てて、怒りのあまり涙を流したその目で私達を睨み付けていた。

「もう一度言う……!お前らいつか絶対に……絶対に殺してやるからな……!!」

 セルジオさんが、叩くように壁のスイッチを押す。

 すると、再び壁は白く濁り、もう何も見えなくなった。


 妙に彼女が気になり、繰り返し2人で様子を見に行く事にした。

 その日の夜も翌朝も、一言も口を利かず、私達が見えていないふりをしていた。

「怒り過ぎたか?」

「だろうねぇ」

 しかし翌日の昼、エカテリーナちゃんが壁を向いて何かしているのを見てしまった。

「おい、何してんだ?」

 2人で入って行くと、彼女はまたビクッと飛び上がった。やっぱり根は小心者か。

「なっ……!!お前どうしたんだその手!!」

 彼女の両手は血だらけだった。壁に血がべっとりと付着していた。

「さてはここの壁の石崩して逃げようとしたな?無茶しやがって。ほら、手ェ出せ」

 そう言いつつも、セルジオさんは自分からエカテリーナちゃんの手を取った。

「ちょっ!!放せ!!」

 怪我人は嫌がって手を払い()けようとしたが、

「おい、応急処置してやるから大人しくしろ」

と言われて渋々(あらがう)うのをやめた。

「え、接着剤?」

「あぁ。溶けて接着する仕様でな。傷は残らないんだ」

とか言いつつ、血管や皮膚がどんどん修復されていく。

 その間、エカテリーナちゃんはじっとそれを見ていた。

 仕上げに、手にきつく包帯を巻いた。

「これで良し。あんまり動かし過ぎたら駄目だが、日常に支障はないはずだ。今度はこんな無茶するなよ」

 ニコリと笑って手を包む敵に、エカテリーナちゃんは素直に頷いた。

 続いて、彼女のメーターをチェックする。

「あ!さてはお前充電してないな!?」

 確かに、電池残量がもう尽きそうだ。

「エカテリーナ。ちょっと寝てろ。倒れるぞ」

「んん……。……私の事カーチャって呼んでいいぞ?みんなそう呼んでるし……」

 少し警戒を解いてくれたのか、彼女は大人しくベッドに寝転んだ。

 セルジオさんが、彼女のうなじを開けてプラグを引き出し、コンセントにセットした。

「これセットしたら睡眠欲が出てきてな」

 言葉の通り、たちまちエカテリーナ――カーチャちゃんはスッと目を閉じた。

 つい昨日自分を殺すと宣言した少女を、セルジオさんは優しい目で見守っていた。

 私?もちろんビデオを撮っていた。こんな美味しいシーン逃してたまるか。


 午後からは、リーネちゃんとガウェインさんのマンツーマン剣術教室を見学したり、アッシュさん達とダベったりしていた。

「そういえば、近くに工具店がオープンしましたが、需要無いかと思いきや凄く繁盛しているんですよね。何でですかね?」

「あれは僕の知り合いの店でね、本当はあの人武器商人なんだ」

「店主の石原とは兄貴の方がつるんでるな。飄々としているが俺らから見りゃ面倒見のいいおっちゃんだな。助手のミハイルと俺は浅からぬ仲でな。恋人ともいう」

「その2人は私達の協力者で、情報とかくれるの」

 へぇー。

 じゃあアッシュさん辺りの紹介があれば負けてくれるのか?護身用具とか売ってたら欲しいんだが。

「多分べらぼうな要求でなければ大丈夫だよ」

 それなら行ってみるか。

「うん。じゃ夕方行こ」

 そんなわけで、石原さんの工具店「高野工具店(偽名らしい)」にアッシュさんと一緒に行く事にした。

 着いたのは、こじんまりとした新しそうな店だった。

「やぁ!石原さんにミハイル君!今日も来たよー!」

「おぉ、アッシュか。そこの初顔さんは誰だ?」

「キアラさんだよ」

「久し振りだな。マイリーは来てないのか?」

「ごめんね。今ジャッキー(ジャクリーンさんのあだ名)とゲームやってる。『大戦無双Ⅱ』とかいうヤツ」

 ボッサボサの黒髪の日本人は石原剛さん。42歳。ガリガリに痩せていて、右足は義足だ。もう1人の暗褐色の髪に琥珀色の目の美青年はミハイル・J・レブルスキー君。21歳の……名前的にロシア人かな。

「そういやあの2人隠れオタクだったな。今進み具合どうだって?」

「ジャッキーがエーリッヒ・ハルトマンでLv.50、マイリーが坂井三郎でLv.70だってさ」

 すると、石原さんがいきなり遠い目になった。

「坂井ねぇ……実は俺、彼に憧れてパイロットになったんだよな。戦後に自伝書いたのも彼の影響だし。嬢ちゃんは聞いた事あるか?『青空と焔』って」

「え!?どっかで聞いた事あると思ったらあの石原剛ですか!?知ってますよ!あれ映画化されましたし!いや、写真撮って下さい!!」

「こんなしがない野郎でいいならな」

 ……よし、有名人とのツーショットゲット。

 アッシュさんとミハイル君は、ゲーム話で盛り上がっていた。

「2人共レベル高ぇなぁ。でも確かあそこら辺は育てやすかったよな?」

「うん。階級が高ければ育てにくいし、単純に強ければ倒しにくいらしいね。一番育てやすいのは、あの2キャラみたいに、そんなに階級高くなくて強いメンツだって。敵に回ると厄介だけど。実際、ラスボスって4人の内2人は下士官以下でしょ?あのリアルチート」

「あーそういえば。あそこら辺は本当に仕様おかしいからな。マイリーも『あの鬼畜軍曹、1ターンごとに全回復して、倒れてもパートナーが生きてれば3ターン後に復活するとかワケわかんねー!!』ってムキになってたもんな」

「こら、ミハイル。ダベってねぇで仕事しろ。嬢ちゃん、何買いに来たんだ?」

「護身用具です。力が弱いので飛び道具みたいな物がいいです。置いてますか?」

「そうだな。最近は護身道具の方が売れてんだ。この御時世、丸腰で歩く奴の方が狂ってやがる」

 石原さんに(たしな)められ、ミハイル君が色々と武器(?)を持って来てくれた。

「最近は護身用具以外に、軍連中がガッポリ武器買ってくれるようになったな。セントマイケル帝国がブイブイ言わせだしただろ?だから危機感抱いてんだ」

「それにしては、『ニューヨーク非戦闘条約』がどうとか、軍靴の足音がどうとか言う話は聞かないね?」

「大衆の中でも、セントマイケル帝国を何とかしろという意見が大多数だからです」

「俺、今日の新聞見ててびっくりしましたよ。社説もオピニオンもセントマイケルを倒せばっかり。中には帝国軍皆殺しとか書いてる輩もいましたし。元はと言えば各国の軍人が操られてるだけだってのに」

「反戦組織としては穏便にやりたいんだけどね……」

 んで、これが私が頼んだアレか。

 催涙スプレーにスタンガン、最近じゃ護身銃とかあるんだ。

「催涙スプレーは言わずもがな。スタンガンは、映画みたいに気絶させる効果は基本的にゃ無いが、放電だけで十分威嚇効果はある。護身銃は、いわゆる麻酔銃だ。密造じゃ青酸カリ入りの弾もあるらしいが、これは大丈夫だ。どれも市販のブツだから、相手が死ぬような事は無い」

「それなら、このスタンガン下さい。白いお洒落なの」

「あいよ。133ユーロ(1ユーロ=1.5ドル=150円と想定)だ」

「安い!!赤字になりませんか?」

「大丈夫だ。俺らに利益がくる最安価格だからな」

 すげぇ。これじゃ値切る必要も無い。

 早速購入した。

「そういやアッシュ。ちょっとした情報がある。悪いニュースだ。かなりヤバい」

 そういう石原さんの表情は硬かった。

「何なに?」

「……あのネヴィル・アッテンボローがナポリに現われたらしい。カテリーナが見たって言うんだから間違いない」

「えええええええ!!?それはやばいよ!?」

 ネヴィルって誰?

「『平和省』の下部組織である、民衆の監視を行う『安全庁』の中でも最も悪名高き保安官です。部下の(キム)在鉉(ジェヒョン)は反対に心優しい人物で、アッシュも『安全庁』に捕まった時に良くしてもらったらしいんですがね」

 ミハイル君が解説してくれた。

「……分かった。ありがとう。気を付けて帰るよ」

 硬い表情でアッシュさんがドアを開けた。

 さよならを言って帰る2人の足取りは、どこかぎくしゃくしていた。


 夜、私+アッシュさん+ジャクリーヌさん+マイリーさんで『大戦無双Ⅱ』をやってみた。結構面白い。

 7時くらいにお客さんが来た。ウェーブのかかった栗毛にヘーゼルの目の美人さん。背は少し低いがグラマーなプロポーションで、肌が少々黒い。

「あ、みんな久し振り!」

「キャットちゃんじゃない!」

 彼女はカテリーナ・ブロンツァーノちゃん。私と同い年で23歳。『Olive Branch』のメンバーだとか。

「確かお父さんがコックさんだったよね?今から料理作るから手伝ってー」

「そのつもりで来たの。パスタ持って来たよ」

 そんなこんなでアッシュさんとカテリーナちゃんは料理に取りかかった。

 今日の夕食はボロニア風ミートスパゲッティだった。美味しい。ものっすごく美味しい。パスタがもっちもちだ。

「上手く出来てるね、良かった」

「アッシュミートソース作るの上手いねー」

 コック本人達も満足気。

 その時、電話のベルが鳴った。

「もしもし?」

『もしもし?キアラ?』

 電話の相手はリーネちゃんだった。

『今戦い終わって戻ってきたの』

「……言ってくれよ。取材出来なかったじゃないか」

『いいじゃん。雑魚だったし。それよりも、病院が大変なんだ』

「どういう事だ?」

『『Hestia』のマリーちゃんからの伝言なんだけど、『安全庁』の保安官がここの病院に運ばれてきたんだって。手帳には……えっと、ネヴィル・アッテン……ボロー?とか書いてたとか』

「それはヤバいな」

 早速みんなに知らせた。

「えええええええええええ!!?」

 あらま。アッシュさん慌ててるな。

 でもさすがにイレーネさんは通常運転だな。

「彼を狙って来たという可能性はありそう?仮病とか」

 そのままそっくり知らせた。

『それは無さそうって言ってました。症状は実際に現われているようですし、そもそも救急車で運ばれて来たから病院を選べないという事で……』

「なるほど。じゃあ、今病院?なら私も行くよ。もしかしたらアッシュさんもついてくるかもしれないが」

『あいよ』

 案の定、アッシュさんも行ってみるらしい。

 夕食を食べ終わり、2人はカヴァリエーリ総合病院に向かった。

「で、そのネヴィルなんちゃらってどこにいるんだ?」

「ここ」

 目の前の病室の扉を開ける。

 中には2人の青年がいた。

「アッシュさん、久し振りですね。お2人は初めましてですか。私はキム在鉉(ジェヒョン)と申します」

 入るなりパイプ椅子から立ち上がって恭しく頭を下げたアジア人は、えー……20くらい?それくらいの、もうごくごく普通の青年だが、どこか人を惹き付ける魅力があった。すごく優しそう。

「で、この人がネヴィルなんちゃらですか」

「ええ。私の仕事の先輩です」

 金髪で色白の背が高い青年がベッドに横たわっていた。首筋や額の氷嚢(ひょうのう)が既にぬるくなっている程の高熱のせいか、顔は赤く、体もぐったりしている。息が荒く、頻繁に痰の絡んだ咳をしており、その度に涼しい美貌が苦痛に歪んでいた。

 これで仮病の方がおかしい。

「数日前から微熱と咳を訴えてたんですが、私の勧めに応じず医者に掛からなかったんです。そうしたら今日道で急に倒れまして」

 アッシュさんも、遠巻きながら病床に臥した男を見ていた。

「何の病気ですか?」

「分かりません。まだ診てもらってないので」

 と、

「……ん……?ジェヒョン、どうした?」

 ネヴィルさんの(まぶた)(かす)かに動き、ゆっくりと目を開けた。

「大丈夫ですか?先輩」

「ああ、何とか……」

 まだ意識は薄ぼんやりとしているらしく、青い目も虚ろだ。

「もうすぐでお医者さんが来られるはずです」

「そうか。分かった……」

 噂をすれば何とやら、ノックと共にロビンさんが入ってきた。

「失礼しま――」

 部屋に入った瞬間、ロビンさんが固まった。

 ネヴィルさんも、固まった。

「ネヴィル……君……?まさかとは思ったけど……」

「ロビン……さん……?」


 翌日、私は非番なロビンさんと一緒にお茶をする事にした。

 お昼過ぎになり、近くにあるカテリーナちゃんのお父さんが営業しているイタリアンレストランに入る。私はリゾット、ロビンさんはティラミス味のスピリッツ。最近、研究所近くの店でスピリッツが売られるようになっているらしい。

「これ、実はイレーネさんが味開発したんですよね」

 あの人そんな事までしてるのか。

「ええ。一応みんな働いているんですよ。イレーネさんは主婦だから大体バイトですがね」

 ……って、ん?後ろからアッシュさんとジェヒョンさんの声が聞こえるんだが。

「でも驚きましたね。マジ泣きするネヴィルさんなんて初めてですよ」

「先輩、元々は少し内気ではあるものの優しい人だったみたいですが……。泣いたのを見るのは久し振りですね」

 あー、そういえばそんな事あったな。

 確か、ロビンさんが入って来てベッドサイドに来るなり泣いて抱きついたんだっけ。

 ギャップ萌え。

「そもそも、あの人何でああなったんですか?元々ではなさそうですし」

「色々ありましてね……。ちょっと不謹慎な話も混ざりますから、ぼかし気味に話しますね」

 私とロビンさんの目がバッチリ合う。

(盗み聞きしちゃいますか)

(そうしますか)

 目で語り合うと、2人バレないように後ろの話に耳をそばだてた。

 すると、大体こんな話が聞こえてきた。



[Nevile]

 ネヴィル・アッテンボローは、元々イギリスの片田舎の人間であった。

 父は腕は良いが貧しい時計職人で、彼はその優しい父から溢れる愛情を注がれて育った。やがて彼は、そんな父の跡を継ぎたいと夢見るようになった。

 ――ただ、6歳の時にその父が病死してから、人生が狂い始める。

 というのも、父の葬儀のすぐ後に母は若い富豪と再婚したのだが、その富豪(ネヴィル自身が義父と呼ぶのを嫌がっているようなので、ここでもそれに倣った)というのが、最初は優しかったのだが、継子が美しく成長するに従い、……何というか、セクシャル・ハラスメント?をするようになっていった。

 どうやら富豪は小児性愛者かつサディストだったようで、ネヴィル本人曰く、

『部屋に入れられた時、AVを見て驚いた。ロリータ物とSM物ばかりだった。その事が分かるようになるのは後なんだが、あの10歳の時でも純粋に驚いたな。それが埃を被って積み上げられていた。埃まみれだったという事は、飽きたか満たされなかった、だろうな』

という事だ。

 さて、流しかけてしまったが、10歳の時のある晩、ネヴィルはついに富豪の私室に連れ込まれてしまった。

『夜遅くに暗い廊下を歩いていたら、いきなり前に奴が現われてな。部屋に来ないかって言われたんだ。もちろん俺は嫌な予感がしていたから断ったんだが、私室に無理やり連れ込まれてしまった。必死に抵抗したが、押し倒されて……それからは奴の思うがままにされてしまった』

 その結果は読者諸君の思った通りだろうし、それはもちろん犯罪である。しかし、母に助けを求めても富豪に媚を売るのに必死で相手にされなかったし、何より、セクハラされた時に既に通報していたのだが、富豪が金で揉み消してしまったという前例があったので、表沙汰にはならなかった。

 しかもこのような事は一度では終わらなかった。夜11時に彼の部屋のドアが叩かれた日には、必ずこの日と同じような事をされた。

 抵抗したい気持ちは失せなかったが、行動に移したらさらに酷い事をされた。

 再三本人の話を引用すると、

『襲われている時には、体が麻痺したようになり、意識もどこか虚ろだった。悪夢の中のようでな。仕舞いには魂だけが別の場所から自分を見ているような感覚に陥った』

 これが16歳の日まで、毎日のように続いた。

 だが、16歳のある晩、ついにネヴィルは我慢の限界となった。

 その日は、襲われなくて良い日だった。

 ネヴィルはその隙を突き、通帳の内1つと身の回りの物を持って、富豪と母を残して逃げた――家に火を放って。

 警察に捕まる事を恐れていたが、どういう訳か指名手配すらされなかった。

 彼はただ太陽の方向に向かって下って行き、その何日か後にはロンドンに到着した。この時既に悪夢・不眠、感情の委縮、襲われた時の状況のフラッシュバック現象、自分でも過剰と感じるほどの警戒心などに悩まされていた。

 その時、やはり緊張が頂点に達していたのだろう、信号で止まっている時に、たまたま近くで富豪に声がそっくりな男が、たまたまネヴィルという名前の息子を呼ぶのを聞いてしまい――怯えて車道に飛び出し、運悪く乗用車と接触してしまった。

 彼は跳ね飛ばされ、まともに地面に体を打ち付けられてしまった。容易に「死」との言葉が頭をよぎった。

 すると、目の前にいかにも優しそうな女性が現われ、ネヴィルの顔を覗き込んで微笑みかけた。

「大丈夫よ。今助けてあげる」

 その言葉に安心し、彼は意識を失ったのだが、気が付いたら病院で寝ており、言葉通り命だけは助かっていた。

 ただし傷の状態は酷いわけでろくに動けるわけもなく、ただぼーっとしていると、あの女性が白衣姿で現われた。彼女はロビン・ウォルトンと名乗り、自分は医者だったと自己紹介した。

 その後もロビンは、やはり助けた身だから気になるのか、しばしばネヴィルの病室に現われた。だが、彼としては、非番の時には何かと優しくしてくれるにもかかわらず、仕事の時には他の医者と同じようにしか扱ってくれない彼女が少し腹立たしかった。しかしそう訴えても、

「非番の時には本当の気持ちを出しても良いと思う。でも仕事の時には私は1人の医者として振る舞わなければいけないの」

と諭されてしまった――本人は突っぱねられたと形容したが。それくらいもどかしかったのだ。

 ただし、退院後ロビンに自分は家も家族も無いと告白すると、彼女は「両親の意思」との名目で引き取ってくれた。彼女自身も少なからず感情移入していたようだ。

 ネヴィルは彼女の両親にも好意的に迎えられ、ウォルトン家で2年間の歳月を過ごした。

『俺にとっては、実父が生きていた頃と同じくらい穏やかな日々だった。今までの人生の中でも一番愛しい記憶だ。もちろん、放火犯だと言う事を告白していない事に罪悪感を覚えていなかったというわけではないが、それを差し引いても楽しかった』

 ……しかし、幸福は長くは続かなかった。ある日突然終わらされてしまったのだ。

 その頃、彼はロビンに淡い恋心を抱いていたもののいつ告白するか迷っていた。だがついに決心し、事件の起きた日の夕方、バイトして買った指輪と共に気持ちを打ち明ける事にした。ロビンは快くそれを受け取ってくれ、プレゼントした指輪も薬指に嵌めてくれた。

 その後の事だ。夜勤に赴いたはずの彼女がまだ来ていないという連絡が病院から入ったのは。

 当然家族は心配し、あらゆる手段で彼女の携帯電話に連絡を入れようとしたが、通じなかった。

 結局その日は失踪届を出すだけで終わったのだが、翌日早朝に電話が掛かってきた。警察からだった。

 ――ロビンの死体を発見したという知らせだった。

 彼女は腹を刺され、それ程奥まっているわけでもない道で倒れていたらしい。現場にはリンゴの種が大量に落ちており、犯人が撒き散らしたんだろうという事だった。それが後にヨーロッパ中を震撼させる事になる連続殺人鬼『Apple Seed』の最初の犯行だと判明するのはまだ先の事である。

 ネヴィルは、天使のようだったロビンを殺した犯人を、天使が殺されるこの世界を憎んだ。

 もうこの世で生きていく気は無い――思い余った彼は自殺まで考え、実際に死に場所を見つけるべく家を出ようとした。ロビンの両親はそれを察し、娘も息子のようだった子さえも失うのは嫌だと引き止めたが、迷った末ついに旅に出てしまった。

 『安全庁』に入ったのも同時期である。せめて恨みを放出してから死にたい、それが動機だった。もしかしたら、心の奥底では救いを求めていたのかもしれない。

 ただ、その直後に、イレーネの裏人格のちょっとした悪戯心が原因で、ジェヒョンと出会う事になり、彼は唯一の相談相手を得た。少しは救われたが、それでもこの時既に、ウォルトン家に入ってから治まっていた悪夢などが再発しており、周囲の人間には怒りか軽蔑、あるいは観察対象としての興味というような感情しか抱けなくなってしまっていた。



[Chiara]

「……ねぇ、その富豪って、誰なんです?」

 そう聞くアッシュさんの語気は怒りに満ちていた。

 と、

「――私も詳しく聞きたいです。その事について」

 ジェヒョン君と背を向け合っていたロビンさんが、突然振り向いて口を挟んだ。

 その瞳は、何か煮えたぎる物を秘めていた。

 ジェヒョン君は目を丸くしていたが、アッシュさんは既に気付いていたらしく、やっと話しかけてくれたかと言いたげだ。犬以上に鼻が敏感らしいから、においで分かっていたのだろう。

 ロビンさんは椅子から身を乗り出した。

「あの子にそんな思いをさせる人は許せません。教えて下さい。その富豪というのは誰なのですか?」

「すみません。それが、私も聞いていないんです。どうしても思い出したくないと……」

 ジェヒョン君はオロオロしている。

「本当に知らないの?」

「はい。どうしても先輩が言いたくないと」

 結局、残念ながらその富豪とやらの正体は分からぬまま2人と別れた。

 ロビンさんはかなり残念そうだ。

「まぁまぁ。復讐するにしても、本人はそれよりもあなたには優しいままでいてくれる事を望んでると思いますよ」

「確かに彼ならそう言いそうですけど……」

 どうも腑に落ちないようだ。仕方ない。

「帰ったらネヴィル君の様子を見に行こうかしら」

「私は家に帰って仮眠を摂らないと。夜リーネちゃんがまた信乃(しの)ちゃんと戦うらしいから」

 次章から、「ハーイ!『鋼鉄花』主人公の最近夜行性生物になってる方、キアラでーす!」って自己紹介してから書き出そうかな。


 店から10分歩いた所に私のアパートがある。

 駅から徒歩5分の所にある2LDK。部屋の一方は仕事場で、大きな机と本棚がある。もう一方は寝室で、リビングと繋がっている。でかい物置が便利。これで月8万くらい。築10年くらいで綺麗のにこの値段。幽霊も出ないし。

「フゥ、疲れた」

 寝室に入るなり、鞄と男装用コルセットを放り出してベッドに飛び込んだ。

 信乃ちゃんの事、謎のパイロットの事、カーチャちゃんの事、ネヴィルさんとジェヒョン君の事、博士の事、ロビンさんの事、セルジオさんの事、イレーネさん一家の事、石原さんとミハイル君の事、ゆかいな『Olive Branch』4人組の事、ガウェインさんの事、そしてリーネちゃんの事が頭を駆け巡る。

 ふと、リーネちゃんが、私の記憶の中にいる1人の少女と重なった。

 まさか…………いや、ただ同姓同名なだけだ。そんな虫の良い話があるか。

 2人のイメージを引き離した時、私は静かに眠りに就いた。


 夜目覚め、慌てて洗濯物を畳むと、沸かしていたお湯でカップヌードルを作った。

 第三次世界大戦直後には、核戦争で森林のほとんどが消滅して多くの生物が絶滅し、生態系が根本から破壊されてしまった為に、食物どころか水さえろくに手に入らなかった。

 そのせいで貧民層は次々と餓死し、むしろ金持ちの家出身だった私(当時4歳)さえも空腹に苦しんでいた記憶がある。

 だが、現在は放射線に強かった生物が絶滅生物の後釜を務め、森林も遅い所でも草が生え始め、早い所では低い木が伸びつつあるという。場所によっては、放射性物質を土壌から取り除くというヒマワリがたくさん咲いて綺麗だとか。海も浄化作用のある生物(カキとか)のおかげですっかり元気だ。

 おかげさまで、今やスーパーやコンビニでも簡単に食料が手に入るようになった。ありがたやありがたや。

 このカップヌードルだって、戦前とは中身が違うらしい。しかし、んな事気にしてたら負けだ。美味いし。

「さて、今日はどうなるのやら」

 シャワーを終え、身支度を始める。

 カメラの充電はバッチリ。SDカードも2つ持った。スタンガンも一応入れとこ。他にも色々入れ込んで、と。

 あとは、今までの余所行(よそい)きの小綺麗な服を洗濯機にぶち込んで仕事着に着替えて準備完了。

 1回目の戦いがあれだったし、今日も期待……出来るのか?リーネちゃん、表人格が戦うって言ってたからな。どうなんだか。

 出来たら、あの謎のパイロットの正体を掴みたい。そういえば、石原さんに爆撃機の写真見せたりしときゃ良かった。あの人辺りなら知ってそうなのに。あるいは、ジャクリーヌさん&マイリーさんに。

 その為には、もっと証拠写真撮っとかないとな。


「久し振りだな、カロリーネ」

「久し振り。今日は私が行くわ。九郎さんはお疲れなの」

 数日ぶりに信乃ちゃんとリーネちゃん&ガウェインさんが対峙した。

「なるほどな。私は良いぞ。あんたが強ければそれで良い」

「お嬢の実力は俺が保証する。一応師匠のような事をやっているからな」

「ならいいか。それじゃあ、この間中止された分思い切りやろうか!」

「お手柔らかにお願いするわ!」

 言うなり、刀――いや、九郎さんに「薄緑」って呼べって言われてたな――と十文字槍が(しのぎ)を削った。

 新人の方が防戦一方になるかと思いきや、むしろ彼女が押しているようだ。玄人の方は斬撃を槍で受けるのみだ。

 ついには、信乃ちゃんが壁際まで追い詰められてしまった。

「もらったァッ!!」

 勝ち誇った笑みを(たた)え、リーネちゃんは「薄緑」を大上段に振りかぶる。

 と、

「――それはこっちの台詞だ!」

 信乃ちゃんが、彼女のガラ空きになった腹に槍をぶち込んだ。

「あっ……!」

 腹から血を噴き出して崩れ落ち――そうになったが、何とか左手で傷を押さえて持ち(こた)えた。

「いいか?勝利を確信して油断した時こそが、人間が1番油断する時、つまり敵にとって一番奇襲しやすい時だ。完全に勝利を得るまでに気を抜くと、こうなる」

 震える脚で立ち上がろうとする敵を、彼女は(とど)めを刺すわけでもなくただ見守っていた。

「……何で、そう言う事を敵に教えるの……?」

「敵には出来るだけ(つわもの)でいて欲しいからな。私は、敵を殺し合うものだと考えていない。むしろ、切磋琢磨するものだと思っている。あんたは、戦闘技術は私と同じくらいだろう。どこでそこまで鍛えたのかは分からんがな。しかし、まだ経験が浅いから使いきれていないようだ。せっかく持っている物だ。使いこなさないと勿体無い」

「なるほど、ね!」

 まだ力が入りきっていないであろう脚を()して、リーネちゃんは突撃する。

 そして、信乃ちゃんの脇腹へ斬りつけようとしたが、かわして逆に彼女の腹に槍を突き立てようとする。

 すると彼女は、踏み(とど)まった勢いで(きびす)を返し、逆手持ちにした「薄緑」で槍を受けた。そのまま柄をくるりと回して順手持ちに替えて横薙ぎした。

 パキッ

「あっ!!」

 その刃が、槍を先端から叩き折った。

 槍の穂が飛び、リーネちゃんの頬を裂く。

「やるな、あんた」

 信乃ちゃんは苦笑し、ただの棒になってしまった槍を背中に背負い、代わりに腰に差していた打刀を抜いた。

「こういう時もあるから、第二の武器は必須だな。白兵戦に向いた武器と遠戦に向いた物とを持っておくのがデフォルトだ」

「了解」

 普通は慌てる所だが、彼女は既に落ち着いていた。

「お前さんは真の戦士のようだな。もう冷静になっているとは」

 ガウェインさんも手放しで称賛している。

「落ち着いた?なら再開しようか。先々色々とありそうだから実践は重ねておきたいからね」

「お安いご用だ」

 2人、再び対峙した。

 と、その時であった。

 あのプロペラ音が、あの広場に響き渡った。

 鳥……飛行機?……いや、あの機関砲、派手な機体……間違いない、先日の爆撃機だ。

 今日はすぐに攻撃せず、ゆっくり上空を旋回している。隠れた獲物がいないか探しているのだろう。

 やがて機体は垂直落下し、地面に、そして私達に迫る。

 そして、機関砲が火を噴いた。

 皆飛び退(すさ)って()けたものの、レンガには血痕が(したた)り落ちていた。

 爆撃機と『鋼鉄花』、どちらも金属の塊であるが、空からの襲撃に対して人間型はあまりに無力だ。

 しかし彼らは逃げず、各々の得物(えもの)を手に刺客を睨みつけている。

 と、

「おい貴様!一体なぜ俺達の邪魔をするのだ!!なぜ俺達をつけ狙う!!」

 凛とした低い男の怒声が響いた。叫ぶ度に脚から血が流れる。

 すると、機械を通したような女の声が聞こえてきた。

『私は、名は言えんが「Athena」の者だ。同族には「魔女狩りの魔女」「死神」などと呼ばれている。ハンドルネームはハンナだ』

「……知ってるよ私。うちでは有名だ。毎日のように、牛乳スピリッツをかっ食らっては、人間とアンドロイドを見分けるゴーグルを付けて、何ちゃらとかいうドイツ製の骨董品爆撃機に乗って「鋼鉄花」を無差別に爆撃している凶悪犯だ」

 信乃ちゃんが忌々しげに舌打ちした。

『私が君達を破壊しようとしているのは、君達が私の同族だからだ。表人格は後のセントマイケル帝国政府、「平和省」と対立する立場の人間だったが、奴らの犬である「安全庁」に殺された挙句、その記憶を「Ultrasonic」に売られ、無理矢理「Athena」にされた。したがって、対立していた者達の手下にされたというわけだ。この境遇に彼女と私は怒り、「Ultrasonic」を逃げ出して彼等に復讐を誓った。だが、それには「Athena」が至極煩わしいのだ』

 うん。どうも色々と勘違いしているらしい。

 信乃ちゃんは少し苦い顔をしたが、すぐにキリッとした表情に戻り、リーネちゃんにこう告げた。

「屋上に逃げていろ。その男と一緒に」

 2人はすぐに意味を理解したらしく、近くにあった1番高いビルに上った。

 当の本人は、肩の傷に顔を顰めながらも空に向かって声を張り上げた。

「馬鹿だなあんた!!さっきの2人は『Psyche』っていう別の『鋼鉄花』だ!!私達の敵で、むしろあんたにとっては間接的な味方だ!!今ここにいるあんたの敵は私だけだ!!」

『何!?』

 お、動揺してる。

『……まあいい。とりあえず、君が私の敵である事には変わり無いのだからな。それでは、早速死んでもらおう。辞世の句くらいは言わせてやろう。そこまで降りるのにタイムラグがあるから、その間にな』

 そして、機体は急降下する。

 標的になった少女は、それをじっと見つめていた。

 機首がビルの屋上に届きかけた時、彼女は薄く笑って、

「もう一度言う!勝利を確信した時こそ人間共通の弱点だ!!」

 その時、

「うおォォォォォ!!!」

 ビルから1つの人影が舞い降り、爆撃機の風防目の前に刀を突き立てた。

 リーネちゃんだった。

 さっきのやりとりはこの為だったようだ。ガウェインさんも呼ばれたのは、いざという時に彼女を投げ飛ばすように、だろう。

 パイロット――ハンナは振り落とそうともがいているが、彼女は刀を抜き、機体から飛び退いた。

 私は、もうシャッターチャンスの連続なもんで、ファインダーを覗きっ放しだ。

 と、

「危ない!!」

 いきなり信乃ちゃんに体当たりされ、押し倒された。

 頭を強く打ってしまったので怒ろうとした――その時だった。

 爆撃機が、轟音を上げて爆発した。

 機体の破片が、地面にドサドサ落ちる。

 火柱が上がり、夜空を照らした。

 後に残ったのは、パチパチという火が燃える音と金属の塊だけであった。

 一瞬、瓦礫の中からハンナを捜そうと手を伸ばしたが、途中で手を止めた。憧れた人の無残な有様など見たくない。

 皆似たような思いなのか、瓦礫に手を付ける者は1人としていなかった。

 ふと、リーネちゃんがおもむろに懐から横笛を取り出した。

 鎮魂歌のつもりなのだろう、綺麗な音色が笛から紡がれ出された。

 美しくも物悲しい旋律が夜のナポリを包み込んだ。


 翌日、『Curiosare』の編集部に久々に顔を出した。最近この雑誌で『Psyche』の取材ルポ「鉄の真影」を連載しだしたのだ。当然登場人物は仮名で、本人から許可も取ってある。実はこの連載が、この文章の元になっている。今と違うのは、まだ関係者からの話を聞いておらず、私の目線のみが文章に反映されている所だ。

「あ、編集長。お久し振りです」

 迎えてくれたのは、フェデリコ・ペルッツィ編集長。気の良いおっちゃんだ。

「やあ、久し振り。午後からランチしない?」

「ええ、行きますよ。昼食代を浮かせるためにね」

 彼とは、もうかれこれ5年来の付き合いだ。既に気の置けない仲になっている。

「ところで、もう君のルポに感想が来てるんだけど、1つちょっと気になるのがあってね。直接君に見てもらいたいんだ」

 早速、感想10通全てに目を通す。

 例の感想らしき物は1番最後にあった。


『From. W.H.さん


 早速目を通させていただきました。

 私自身、「鋼鉄花」とは浅からぬ仲なので、どこか懐かしい気持ちで読みました。

 さて、デルヴェッキオさんのルポに出てきた「Psyche」のリーダー、イザベル・マルセイユとは、イレーネ・モルゲンシュテルンの事でしょうが、はっきり言ってしまうと、あの女は危険です。

 もちろん、普段はご存じの通り大人しくて優しく上品な女です。裏人格も悪い奴ではありません。私は彼女とは、裏人格の生前からの腐れ縁といいますか、大方敵同士だったんですが、それでも悔しいながら悪い印象はあまり無い人間です。

 しかし、あの女は激昂させると何をするか分かりません。頭が良く戦闘能力が高い上怒ったら一時的に冷徹になるので余計にタチが悪い。私もあの女が怒り狂った現場に居合わせた事がありますが、それにより実に多くの人間が犠牲になりました。

 取材をやめろとは言いません。個人的に連載は楽しみにしています。しかし、人間の心を持っているとはいえ、連中には人間の常識は通用しません。中には危険人物だっています。ですから、今後はこの辺りに留意して取材を行なって下さい。あなたの無事をお祈りしております。』


 私は知らなかった。

 まさか、この手紙を再度思い出す日が来るとは。



[Ludwig]

「それじゃ養父(とう)さん、夜勤行って来る」

「分かった。気を付けてな」

 夕方、ルートヴィヒは少し早めに家を出ようとしていた。

 彼は5歳の時養父のエドアルド・ヨハネ・カンナヴァーロに引き取られて以来、ずっとヨハネ神父の仕事場であるサンタ・ルチア教会隣のこの家に住んでいる。

 修道院は無い。科学と宗教の両立を説き、大人げない旺盛な反骨精神をもって、不条理と感じたらバチカンにさえも突っかかる神父のせいで、バチカンから疎まれているのだ。

 ただし、信者からの受けは良い。持論の筋は確かに通っている事、曲がった事が嫌いで律儀な信用出来る人である事、ポケットマネーをはたいてでも慈善活動を行い、さらにその功績が大きい事などが理由だ。そのおかげで破門は免れているのだが、逆に教皇さえも頭痛に悩む原因になっている。

 ルートヴィヒはこのような人の元で育ち、警察官を志したものの休日には家の手伝いをしている。幼少期からピアノが得意だった彼のオルガン演奏は信者にも人気だ。もちろん、彼らが皆ルートヴィヒを我が子のように見守ってきたせいもあるだろうが。

「最近治安が急に悪くなっているんだ」

「どこからか武器が密輸されているのかもな。しかし武器は悪くは無い。武器となりうる物を武器として使う者が悪いはずだ。爆弾も包丁も、殺傷も出来るが人の役に立つ事も出来る」

「そうだろうね。だから、物を悪用する人間は俺達が捕まえないと」

「でも気を付けろよ?」

「分かってるって」

 彼は薄く微笑み、出発した。

 最近ガキ共の落書きが増えている。治安が悪い証拠だ。しかし、その作者らしき若者が夕方は見当たらない。不良が夜大手を振って歩けないほど危険な街なのだ。

 きっと、この黄昏時(たそがれどき)の薄闇の中、表世界には見えない所では魔物が唸っているのだろう。

 まとわり付く闇に二の足を踏みそうになりつつも、ただ歩く。自分は魔物を退治する人間なのだから。

 ――ふと彼は、路地裏から(かす)かに聞こえる声に気付いた。

「何だ?」

 もし密談だったら……そう思い、道に散らばる物を踏まないよう慎重に歩いた。

 そこには、2人の男がいた。

 1人は……30代後半?の、金髪碧眼で容姿端麗な、どこか中性的な男。もう1人は20代後半らしき、黒髪茶眼で色白の美形紳士。真面目そうな中に冷徹さをちらつかせている。どこかで見覚えがある顔だが、思い出せない。

 2人はボソボソと訳の分からない話をしている。銀虫だの福音だの。彼はむしろ頭が良いと評判の青年だが、意味が分からない。

 首を傾げていると、2人がこっちに向かって来た。

 慌てて、しかしなるべく自然体を装って路地裏を抜け出す。

 動悸が治まらないのを他人事のように感じつつ、仕事場へ向かった。

 突き刺さる視線に気づかぬまま。

例のごとく、またまた中途半端な所で終わりです。


ちょっとキアラちゃんが百合好きみたいな感じになっちゃいました。まぁ、確信犯ですがね。


それにしても、ネヴィルの不幸さには私もドン引きします。ちょっと今回は書くのを躊躇しましたね。

……これ、利用規約に違反してないかな?


あーそうそう、新聞とかテレビとかで、放射能と放射線とごっちゃになってるっぽいですけど、放射能ってのは放射線を出す能力の事ですから、全く別物ですよ。


ちなみに、「ハーイ!『鋼鉄花』主人公の最近夜行性生物になってる方、キアラでーす!」ってのは、タイ○ニのもじりです。


次回は、キアラの正体を書ければいいかな。

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