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鋼鉄花  作者:
10/11

第八咲 軋轢花

さあ、ここが正念場だ!……と自分に言い聞かせたり。

今回はどちらかというと静だった前回とは打って変わって動に移行します。アクションが大変そうです。

[Carlo]

 目を覚ましたカルロがまず見たものは、白い天井と、自分の顔を覗き込む上司、ベルンハルト・モルゲンシュテルン巡査部長の姿だった。

「あ、起きた。アンドレッティさん、息子さんが起きたみたいです」

「ん……、あれ、カルロ、大丈夫?」

「……おぉ、起きたか」

 続いて彼の母親、パオラが寝ぼけ眼で顔を出した。伯父のヨハネも顔を出す。

「母さん……ここは……」

「ナポリ新市街中央病院よ。昨日の夜、道の真ん中で倒れていたところを、パトロール中のモルゲンシュテルンさんが助けて下さったの」

 そういう母親の表情も、皆の表情も、どこか暗かった。理由は何となく分かった。

「……ルッツ、見つかってないのか?」

「ええ。昨晩から帰ってきてないのよ。どうして知ってるの?」

 意識がはっきりしてくるに伴い、昨日の記憶が徐々に蘇ってくる。

「ルッツは……連れ去られたよ……」

 3人はぎょっとして彼を見つめる。特に養父であるヨハネは激しく動揺し、全身が包帯で覆われたカルロの肩を乱暴につかんでしまっている。

「な、どういう事だ!?何があった!?」

「いたたたた!!……昨日の6時くらいに、署から伯父さんの家に向かっていたんだ。そしたらいきなりスーツの男5人組に襲われて……。僕はボッコボコにされていた事しか正確に覚えていないけど、確か連中は黒のベンツに乗っていたよ……。襲撃には不釣り合いな高級車だったから、それだけは覚えてる。でも、ナンバープレートは付けてなかったみたいだから、車の特定は出来ないな……」

「黒のベンツ……ねぇ……」

 何ともなしに聞いていた巡査部長が、突然思い出したように手を叩いた。

「あ、そういえば昨晩、黒いベンツが爆発して5人が死んだ事件があったんだ」

「ええ!!?」

 皆サッと青ざめながら、さらっと怖い事を言う巡査部長が読んでいた朝刊をひったくった。

「何なに?……『XX日深夜、ナポリ新市街XX番通りの交差点で、自動車が爆発する事故が発生した。事故車は大破していたが、ベンツW207と判明した。車からは身元不明の焼死遺体が5体発見されている。その内2体には眉間に銃痕が見られ、タイヤにも撃たれた跡がある事から、ナポリ市警は事件性が高いという見解を示している。なお、トランクからは手錠などが発見されており、市警は車の乗組員が人を拉致した帰りに事件に遭ったとみて、その被害者の安否の確認を含めた捜査を急いでいる』か……。死体自体は発見されていないのか……。無事の可能性は高いな、ちょっと安心した」

「でもお兄さん、逃げたのならもうとっくに帰ってきているはずよ」

「ええ。ですので、襲撃者に拉致された疑いがあるとして調べています」

「…………僕も捜査に参加します、巡査部長……」

 カルロは、ガーゼで覆われた痛みに顰めながら半身を起こした。

 戸惑ったのは他の3人だ。

「しかしアンドレッティ君、君は全治1カ月だよ?怪我人を捜査に引っ張り出すなんて事は出来ない。君の今の仕事は、安静にして、1日も早く回復することだよ」

「モルゲンシュテルンさんの言う通りよ。そんなボロボロの状態じゃ、同僚も困るでしょう?」

「今のお前はまともに立つことすら難しい。無理したら、余計に復帰が遅れるぞ」

「でも……!もたもたしていたらルッツが……!!」

「気持ちはよく分かるよ、アンドレッティ君……」

 巡査部長は、優しく部下の肩に手を置いた。

「本当に痛いほど分かるよ。カンナヴァーロ君の気持ちもね。大丈夫、彼は私達が絶対に見つけ出す。絶対に、だ。だから君は、傷の回復に専念してくれ。もし発見された彼が精神的ダメージを受けていたとしたら、君の協力も必要になるだろうしね」

 彼は、部下が「そろそろお時間です」と呼びに来たのに返事すると、パイプ椅子から立ち上がる。

「また進展があったら連絡するよ。お大事に、ね」

 警察官2人は、ヨハネやパオラに会釈すると、

「それじゃあ、捜査に戻るね。また来るよ」

「早く戻って来いよー」

と、それぞれカルロに一声かけて、病室を出ていった。

 カルロは再び横になって、伯父と母が何やら話しているのをぼんやりと聞きながら、自らの手を見つめた。

「僕……本当に何も出来ないのか……?」



[Klara]

 朝日が昇る中、私はあのヘリではなく、白いポルシェに乗っていた。というのも、私がヘリに酔ったせいもあるが、最近『Ultrasonic』がヨーロッパに進出してきたため、同乗している「ある人物」に危険が及んでいるのだが、その護身には、社長に異常に好かれている私と行動させた方が良い、というわけだ。

 同乗者は、その人物の他にも3人いる。私とその男性の間に座っているのは、この車の中でも一番長身な人の良さそうなドイツ人青年、マックスさん。助手席でスナイパーライフル片手にじっと窓の外を見つめているのは、北欧はフィンランドの出身であるにも関わらず驚きの身長152cm、ミニマムサイズの狙撃手、ペトリ・ツオネンさん。そして運転手は、常に仏頂面な日本人美中年、内藤義豊さんだ。

 車は高速道路を通り、シュバルツバルト近郊の町、ドナウエッシンゲンまで辿り着いた。ヘルメスベルガー家の本拠地だ。

「さ、もうすぐ着きますよ」

「やっと、か……」

 マックスさんは元気だが、義豊さんは明らかに疲れている。

「でもペトリも疲れたろ。ずっと車の外見張ってて。お疲れ」

「……日常だ、気にするな……」

 彼は視線すら向けずにボソリと呟く。悪人ではないようだが、無口で表情が希薄なせいで、どうしてもただ無愛想なだけに思えてしまう。

 マックスさんはさらに、横に座る「ある人物」へ微笑みかける。

「19年ぶりの故郷ですよ…………ルートヴィヒ様」

「…………ふん。何を今さら……」

 その人物――ルートヴィヒ・カンナヴァーロ巡査は、拗ねたようにそっぽを向いてしまった。

 何でこの人が……。

「後々分かるだろう。……着いたぞ」

 煉瓦造りの時計塔が見える。ヘルメスベルガー家邸宅の目印だ。

 近くに来ると、改めてそのこじんまりとした雰囲気に驚かされる。……いや、庶民からしてみれば、大豪邸なのだ。しかしドイツ2大貴族と聞けば、ベルサイユ宮殿みたいな宮殿かもしくは白亜の城に住んでいると想像するのが妥当だろう。だがこの貴族は、先祖が住んでいた城ではなく、当時別荘として使っていた邸宅にひっそりと暮らしている。

 昔、東西戦争で敗北した後、私が母と早々と投降した時、その小さな屋敷を見て、捕虜という立場にも関わらず無神経に理由を聞いてしまった事がある。その際、今も現役の当主であるフランツさんは、嫌な顔一つせずに快く答えてくれた。

「4人家族と使用人が暮らすには、これでも大きい程だ」

 後に私は、食事を出されれば遠慮なくドカ食い、監視に制止されながらも屋敷を探検、夜になれば爆睡、と色々とやらかしたが、フランツさんは怒るどころかこの怖気づかない様子を気に入ってくれたらしい。それから数日後、私を長男、クリストフの伴侶に、という提案が舞い込んできた。

 回想に浸っている間にも、ポルシェは門をくぐり、空き地に駐車した。

「どうぞ……」

 ペトリさんに手を取られ、車から降りる。お家騒動に巻き込まれるのを防ぐために家を離れて5年、やっと戻って来れた。

「クララ!!」

 噴水に腰掛けていた黒髪の上品な紳士が、弾かれたように立ち上がり、全速力で駆けてきた。

「クリストフ!!」

 私も思わず駆け出し、2人はぶつかるように抱き合った。

「会いたかった……」

「僕もだよ……。何年この日を待ち望んだ事か……!」

 彼の腕の中でうっとりしていると、

「ようやく帰ってきたか」

「みんな疲れたでしょう?さぁ、入って」

邸宅から、黒髪で長身、50代としては若々しい引き締まった肉体の美丈夫が出てきた。その横には、いかにも奥様といったオーラが滲み出る婦人がいる。

「フランツさんにテレジアさん。お久し振りです」

「うふふ、もう義父さん義母さんと呼んでくれたっていいのよ」

 優しく微笑んだヘルメスベルガー夫人、テレジアさんが、ふとカンナヴァーロ巡査に目を向けた。

「あら、この子ね?両目の泣きぼくろなんて、全然変わっていないわね。それにしても大きくなって――」

「触るな!!!」

 その伸ばした手を、巡査は乱暴に払い除けた。

「ルートヴィヒ!お母さんを叩くなんて事、教えた覚えはないぞ!?」

「……ハッ!お母さん、だって!?何を今さら!!」

 妻の肩を抱いてキッと睨みつけるフランツさんをせせら笑う彼の目には、怒気が宿っていた。

「自分から捨てておいて、今になって親気取りで許して下さいって!?虫がいいにも程がある!」

「待って!!私達は捨ててなんか……!」

「責められたら今度は言い訳か。話しにならない。帰る」

「……おい、やめとけ」

 くるりと背を向けて去ろうとした巡査を、義豊さんが襟を引っ張って制止する。

「今のナポリじゃ、『Ultrasonic』のエージェントが血眼であんたを捜している。ここにいた方が安全だ」

「……チッ」

 巡査は彼の手を乱暴に払うと、ずかずかと屋敷内に入っていった。後に夫妻や3人組も続く。

 私とクリストフが、扉の前に残った。玄関では、執事長であるウルリッヒ・ヴォルフさんが重いドアを持っていたが、そろそろ手が限界のようで、クールを装いながらも腕がプルプル震えている。

「入ろうか」

「そうだね」

 あまりに可哀想だったので、早々とドアをくぐり、エントランスホールに入る。

「……ところでクリストフ、ずっと疑問に思っていたんだが、あの人は、何だ?」

「あの3人組?」

「それもちょっと気になるが、ルートヴィヒさんだよ」

「……難しい質問だな……」

 困ったように頭を掻くクリストフの表情は、どこか複雑だった。

「あいつは僕の弟なんだ。19年前に失踪した、ね……」


「クララ様!お帰りなさいませ!」

「無事に帰ってきたんですか、桜木さん!」

 3階にある私とクリストフの共同部屋の前で、私の身辺の世話と屋敷の清掃を担当しているメイド、桜木楓さんが出迎えてくれた。あの、ヘリコプターに乗り込んでいた女性だ。博識な日本女性で、歴史や文化、様々な科学分野はもとより、ナポリの裏社会の仕組み、占いや伝説、さらにはワインの美味しい味わい方といった雑学まで、人類の知り得た諸々は全て頭の中に収まっているのではないか、とさえ思えるほどの膨大な知識を持っている。ベルリン大学では、助教授として教鞭を取っている。

 そんな彼女がなぜここにいるかというと、ドイツに留学していた最中に東西戦争に巻き込まれ、日本に帰るどころではなくなってしまった時に拾われた恩義を返すためだ。この屋敷にいる使用人の内、代々仕えているヴォルフ家以外は皆、戦争のせいで職を失ったり焼け出されたり故郷に帰れなくなったりした時にフランツさんに見込まれて拾われ、その借りを返すために従っている人達ばかりだ。彼は元々第三次世界大戦時の英雄だったが、それゆえ、戦いの犠牲となった人々には責任を感じていたのだろう。

「皆さん元気でしたか?」

「ええ。元気ですよ。ミルズさんも、ルートヴィヒ様が失踪されてからずっと落ち込んでいたという風に伺っていましたが、今は再会してもう見るからに幸せそうで」

 ミルズさんというのは、あの巡査に元々仕えていたという執事だ。自分の主が消えてしまった事もあって、ずっとどこか落ち込んでいた。

「本当に良かったよ。あの人、ルートヴィヒが失踪してからずっと、その原因は自分じゃないのかって罪悪感を抱いていたからね」

「まあな。……ところで、失踪してるってので思い出したが、シャルロッテちゃんは帰ってきてるのか?」

 心の奥では、我ながら薄情だ、と呆れていた。自分は、よりによって加害者から、彼女の行方を聞いているのだから。

「『鋼鉄花』の方は今屋敷にいらっしゃいますよ。ただ、長年お嬢様と接してきた私達としましては、やはり同じである所よりもちょっとした違和感の方が目に付きまして、なかなか慣れないです。本物のお嬢様につきましては、今朝連絡がとれまして。音信不通だった間ロサンゼルスにいらっしゃったようですが、今はサンフランシスコのホテルにいらっしゃるという話です」

「え!連絡取れたんですか!?」

 という事は、『Ultrasonic』から無事脱走出来たという事だ。もし兄様が彼女を人質として利用しようと目論んでいたとしたらその計画は潰えた事を意味するし、そもそも、彼女によって監禁の事実が明らかになれば、会社自体が危ない。これは色々な意味で吉報だ。

「良かったですね。これで心配はだいぶ消えましたね。……後はリーネがどう出るか……」

「あれは相当怒ってそうです。とりあえず旦那様には、特に結婚式当日には警備を徹底するよう申し上げましたが……」

 結婚式――その言葉に、話の内容に関わらず心が躍った。

 桜木さんも、それを察したようだ。

「ああ、ちなみに婚礼は、明後日を予定しているそうです。何とか、6月には終わらせたいようで。ジューンブライドと良く言いますし。ユノ――結婚の女神にあやかりたいのはいつになっても一緒のようですね」

「明後日かぁ……」

 早くウエディングドレスを着てみたい、なんてそこらの女子みたいにうっとりしている自分がいた。

「さて、立ち話もなんだから、部屋でゆっくりしようか」

 そう言って、クリストフが自ら木の扉を開く。

 そこには、最後に見た時と全く変わらぬ、木目調が温かな懐かしい部屋があった。2人用なので、クローゼットやソファーといった調度品は大きめで、ベッドもダブルベッドだ。

「5年、か……」

 そんな歳月を経たにも関わらず、ほとんど何も変わっていない。それが、無性に嬉しかった。


 荷物整理やら結婚式の打ち合わせやらと一日忙しく、気が付いたらもう夕食の時間だった。

 昼も実食したが、お抱えのコックであるルシアン・クローデルさんの料理の腕前は、その味を保つどころかさらに上達していた。今度は何が出るのか。

 涎が出そうになるのを理性で抑えながら食堂に入ると、そこではローストビーフが待っていた。

「今日はめでたい日ですから」

 クローデルさんが、照れたように笑う。

 しかし、その席には巡査――ルートヴィヒさんの姿は無かった。

「おかしいなぁ……呼んだはずなのに……」

「きっとまだ神経がピリピリしているのよ。そっとしてあげましょう」

 どこか寂しそうなフランツさんを、テレジアさんが優しく肩を叩いて慰めている。

「……なぜああいう事になったんだ?」

「仕方ないわ。誤解があってもおかしくないもの。もう少し落ち着いてから腹を割って話す機会を作りましょう」

 父親の方は、よっぽど昼の罵声が応えたらしく、明らかに関係の修復に焦っている。一方の母親は、あくまで冷静に、確実に問題を解決させようとしている。私とクリストフの立場は、後者である。

「焦ったら余計に大変な事になるよ、お父様。今日いきなりは無理だよ。きっと、興味を持ったら来てくれるさ」

「ああ……」

 息子に励まされても、フランツさんの表情の曇りは晴れなかった。

 晩餐の時間は、静かに過ぎていった。


 どこか寂しい晩餐の後、シャワーを浴び、記事編集もそこそこにダブルベッドに入る。

 すると間もなく、クリストフがルームライトを消して、私の身に覆いかぶさってきた。

「昨日はずっと移動していたんだろう?疲れたかい?」

「まあな」

「早く寝たい?」

「んー。どうだろ。別にそんなに……だな」

「そうか。なら……」

 返事もそこそこに、彼は私のパジャマのボタンを外し始めた。

「な、何するんだ!」

 びっくりして、その手をつかみ、露わになった自分の胸をもう一つの手で隠す。

「結婚式は明後日だぞ!?それまで待ってくれ!!」

「待て、だって!?もうお預けはごめんだよ!8年間待ったんだから上出来だろう!?」

 相手はもう涙目だ。そこまで言われたら根負けしてしまう。

「分かった。じゃあフライングしても許す」

 私だってまんざらでもない。右手ではベッドサイドにあるライトスタンドの明かりを弱め、体はされるがままだ。

「やっぱり、明るいままじゃ恥ずかしい?」

 クリストフは、自分も顔を赤らめて笑う。

「だって君、こんなに真っ赤になって……」

 彼の手が火照った頬を撫でる。胸の高まりを直に感じた。

「恥ずかしがり屋は嫌いか?」

「ううん、可愛い……」

 2人は抱き合い、熱い口づけを交わした。



[Caroline]

 一方その時、ナポリでも一番高い場所、ジェンナーロ・ビルの屋上に、カロリーネとガウェインはいた。

「お姉様ったら、何でよりによってヘルメスベルガーの男なんかと!」

「まあ落ち着いてくれ、お嬢」

 頬をパンパンに膨らませて拗ねるカロリーネを、相棒は困ったように笑いながら制する。

「あの人は、体力は無いが思慮深い人だ。きっと、あの人なりに考えた事だろう」

「それが気に食わないのよ!」

 彼女はイライラしている。今にも刀を振り回しそうだ。

「あー!もうだめ!いっそのこと、お姉様を巻き込んででもあの一族皆殺しにしてしまおうかしら!」

「それをして後悔するのは自分自身だ。激情ばかりに身を委ねていると破滅する。俺もそうだった」

「えっ……!」

 カロリーネは、耳を疑った。彼が自分から過去を吐露するなど初めてだったからだ。いつもは、いくら聞いてもごまかし、決して語ろうとはしなかった。

「俺は元々ロサンゼルスで暮らしていてな、いわゆるギャングだった」

「嘘ね。普通のナポリ市民より真面目なくせに」

「いや、本当だ」

 その目は、冗談めかしたそれではなかった。

「確かに仲間内じゃ頭でっかちでギャングらしくないからジェントルマンと呼ばれていたし、犯罪らしい犯罪行為もやりはしなかったが、一応その仲間には入っていた」

 ガウェインは夜の街を見下ろし、目を細める。

「今でこそ街を見下ろしているが、死ぬ前はそびえ立つ高層ビルを見上げる側だった。俺達みたいな貧乏人は、ブランド物に身を固めてビルに吸い込まれていく金持ちを見ては嫉妬していた。仲間の多くが、その中でもガードのゆるい奴に、腹いせにカツアゲしていたな」

「そ、そうなんだ……」

 ロサンゼルスにいれば確実に狩られる側だった貴族の娘にとっては、未知の世界だ。

「もっとも、俺はそんな度胸すら無かった。小学生の時は、体型は単にひょろ長いだけで、気が弱くて、虐められっ子だった」

「冗談はよしてよ」

 カロリーネは、まるで信じていない。

「あなたのどこが弱いのよ」

「13歳からボクシングで鍛えたからここまできたんだ。元々は運動音痴だったから、一般人から見ればそこそこだろうが、先天的な戦闘能力の持ち主とは比べ物にならない程弱い。平八郎どころか、お嬢が戦った帝国軍司令官にすら、勝てるかどうか……」

「…………」

「それでも、虐めっ子を蹴散らす程度の力は持つようになった。その時、ギャング連中に誘われて仲間になって、気が付けばリーダーになっていた」

 彼は、スッと目を閉じた。きっと心はロサンゼルスの街へ飛んでいっているのだろう。

「そんなある日の事だ。部下が他の組に手を出して殺された。俺達は当然怒ったが、自分から仕掛けて返り討ちにされたんだから、向こうを責めるわけにもいかず、黙っていた。しかし今度は、相手連中が俺達の仲間を殺し始めた。さすがに怒ってな、奴らに勝負を仕掛ける事にした」

 そりゃそうよ、とカロリーネが頷く。

「わざわざ問題を広げる事はないでしょ、普通」

「だろう?……だが問題が発生した。その組のリーダーの父親が政治家で、しかもマフィア連中とコネ持っていたんだ。そしてあろうことか、親バカの政治家は、息子の非行を止めるどころか、マフィアを大金で雇って、俺達にけしかけてきた」

「それで……どうしたの?」

「その時の俺達は、退くという選択肢を視界にも入れなかった。殺された仲間の仇を討つだけで頭がいっぱいだった。俺達は無謀にも勝負を挑んだが、マフィアに敵うわけもなく、呆気なく全滅した。女は捕虜として略奪され、男は12歳の最年少も含めて皆殺しにされた」

「……!」

 絶句した。合法非合法とかそういう次元じゃない。戦略ですらない。これは単なる暴虐だ。

 それでも当事者の表情にあったのは、憤慨ではなく、後悔だった。

「あの時俺が冷静であれば、膝を折る余裕があれば、せめて組だけでも存続出来たのかもしれない。せめて、ジョージら15歳以下のチビすけだけでも助かったのかもしれない。女子メンバーも、心身共に深手を負わずにすんだのかもしれない。……しかし現実には、怒りにまかせて無謀な勝負を挑んだがために、全てを失った」

 ハァ……と、彼は珍しく溜め息を吐いた。

「頭を撃たれてしばらく生きていた間、ずっとそんな事を考えていたよ。その時姉御に出会い、唯一生きていて意思確認が出来る状態だった俺が、ただ1人『Psyche』として蘇った。俺は姉御の協力を得て、そもそもの原因であるギャング共とマフィアを実質的に機能出来ない状態に追い込み、女も助け出し、アホな政治家は俺の訴えで裁判にかけられ失墜した」

 しかしそう語る彼の目に、達成感はほとんど無かった。

「卑怯者は断罪した。しかし仲間は帰って来ない。失意の中、俺は、過去は塗り替えられないと今さらのように学んだ。そして、せめてこれからの与えられた第二の人生では、後悔しないように生きようと誓った。……だからお嬢にも、後悔しないように生きてほしい。激情に負けてはいけない。それに考えてみろよ。クララさんが、お嬢を裏切ると思うか?もしかしたら、政略結婚でヘルメスベルガーと同盟を組み、メンデルベルグ家の被害を最小限に抑え、あわよくば何らかの形で再興させようとしているかもしれない。誤解と偏見は、自分にも他人にも毒となる。事を起こすにしろ、もう少しゆっくり考えてからの方がいいだろう」

「ありがとう、でも……ごめんなさい」

 カロリーネは、しかし、悲しそうに笑って首を横に振った。

「私、東西戦争の遥か前、ヘルメスベルガー家の存在を知ったその時から、あいつらが憎かったの。なぜかは分からない。でもその理由を知るためにも、あいつらとは決戦をしなければならないような気がするの。みんなは巻き込まないようにするから、どうか私のわがままを聞いて……」

 ガウェインは、優しく、しかしどこか残念そうに笑った。

「……分かった。どうしてもというなら、行ったら良い。お嬢の人生は俺の物ではないし、俺が無理に変えてはいけないと思う。……しかし、頭だけは守れよ」

「ありがとう……」

 カロリーネは、顔を伏せて微笑んだ。



[Klara]

 気が付いたらもう朝だった。

「やあ、おはよう、クララ」

 クリストフが横で身を起こし、寝ぼけ眼をこすっている。

「昨日はすごかったな……。あなた、尻好き過ぎでしょ」

「ヒップは僕のライフワークさ」

「おいおい」

 2人は脱ぎ捨てたパジャマをとりあえず着直し、それぞれ、2階の男風呂と3階の女風呂に向かう。

 バスルームには、桜木さんと、シャルロッテ専属メイド兼彼女の音楽の家庭教師兼洗濯係のアンネ・ビスマルクさんがいた。

「あ、クララさんもひとっ風呂、ですか?」

 ビスマルクさんが、眼鏡の曇りを拭って快活に笑う。

「そうしますかね」

 チャポン、と、10人は入れるであろう大きな湯船に浸かる。桜木さんが当主夫婦を日本の温泉(草津だっけ)に招待したのをきっかけに、この一家はドイツではまぁ珍しい風呂好きになったのだ。

「今日はラベンダーのお湯ですよ」

 毎日、どんな風呂にするのかを決めるのは、当然のように桜木さんだ。

「それにしても、昨晩はお楽しみだったそうで」

 顔が熱くなるのが、自分でも分かる。

「…………否定はしませんけど、何で知ってるんですか……」

「いやー、ほら、デュボワさんの部屋って、お2人の隣でしょ?それで、喘ぎ声なんかがモロに聞こえちゃったみたいで」

「さすがの彼も、溢れ出すリビドーの収拾に困ったようです。幸い彼には奥さんがいますから、解決は出来たみたいですがね」

 2人が、いたずらっぽくニヤニヤ笑っている。

 ちなみにデュボワさんとは、クリストフの執事であり庭師としての仕事もこなすウジェーヌ・デュボワさんのことだ。おフランスの紳士で妻子持ちだ。

「べ、別にいいじゃないですか!将来はどっちみち世継ぎを産む事になるでしょうし!」

「全然悪くないですよ。ただ、政略結婚でありながらいちゃつくカップルは微笑ましいなと」

 とか言いつつ、桜木さんは思いっきり目をそらしている。しかも赤面して、ビスマルクさんもどこかもじもじしている。

「そうですよ。政略結婚で、あんな大胆なプレイなんて……」

 え。

「コラッ!バレるでしょ!」

 あれ、あんたら、覗いてたの!?

「日本じゃ、仲人さんがずっと新郎新婦の一夜を見守っていたという話ですよ。別に変じゃないでしょう」

「いや、桜木さん、それ、言い訳になってないから」

「あ、そろそろあがります」

「ではごゆっくり。お疲れでしょうし」

「こらぁ!!」

 メイド2人が出ていき、1人広々と使える湯船に、色々な意味で疲れた体を浮かべる。

 湯に浮かぶ、ハーブがパンパンに詰まった袋を顔に近づけると、ラベンダーのシャープながらどこか優しい香りが鼻全体に広がった。

 ふと、カヴァリエーリ研究所の薬用植物園を思い出す。

「そろそろあのラベンダー、咲いてるかな」

 研究所の事を考え始めた途端、リーネの顔が浮かんだ。

「今頃怒ってるだろうな……」

 『Psyche』のみんなの事も気になった。私が突然消えて、何を思ったか、あるいは思わなかったかが。

「もし確執も何も無ければ、正式に結婚式に招待出来るんだが……」

 遠く離れたナポリが早くも懐かしく感じ、少し寂しくなった。



[Ludwig]

 一方、男風呂にも、寂しさに苛まれる男がいた。ルートヴィヒだ。

「まだ、馴染めませんか」

「ああ……」

 彼だって、厳密に孤独なわけではない。どころか、心を許せる人物が、現に物理的に傍にいる。彼が3歳の頃から彼に仕えているイアン・ミルズだ。元軍人だが、第三次世界大戦の際にイギリスから激戦区であったドイツに派遣された際、自分の小隊が中隊に切り捨てられて壊滅し、命からがら逃れていたところをフランツに助けられ、使用人となった。その時に頬を含めた全身に古傷を負ったが、ルートヴィヒはそんな彼に怯えず、むしろ慕っている。しかし彼の心は、従者との嬉しい再会でも晴れなかった。

「こんな風呂は久し振りでしょう、若様」

「そうだな」

 ルートヴィヒは湯に身を浮かべ、ちらりとミルズの方を見た。大柄で引き締まった肉体、とても47とは思えない若々しさだ。子供が既に成人していることもあってか、大人の雰囲気が漂っている。

(格好良いなぁ……)

 かくいう自分は、チビで貧弱で、彼女いない歴=年齢である……。

(せめてもう少し背が高ければ……)

 彼が、従者を羨望の目で見つめていると、

「隙あり!」

「うわっ!?」

 背後から、クリストフが彼の尻にタッチした。

「に、兄様!何やってんですか!離して……!揉むな揉むな!!」

「お前の尻、弾力も大きさも形もパーフェクトだ……!素晴らしい……!」

「何アホな事言ってんですか!!」

 ルートヴィヒは、顔を真っ赤にして、兄の手を引っぺがす。

「ま、いっか。満喫したし」

「ったく、からかわないで下さいよ!」

「ハハハ、ごめんごめん。でも、ちょっと気持ちは楽になっただろう?」

「あ……」

 確かに、嫌な事をされたはずなのに、どうしてか、気持ちはほぐれていた。

「お前、ずっとピリピリしてたから、皆心配してたよ?ちょっとは顔出してくれないと」

「…………」

 ブスッとした弟の頭を、兄が優しく撫でる。

「――ねぇ、19年前に何があって、何が僕達への憎しみの原動力となっているか、教えてくれないかい?何も分からないと、何もしてあげられないから、ね?」

 ルートヴィヒは、しばらく黙っていたが、やがてコクリと頷いた。



[Klara]

「――というわけで、ルッツが色々話してくれるみたいだよ」

 クリストフは、いかにも嬉しそうに満面の笑みをたたえ、ルートヴィヒさんの部屋に案内した。

 部屋の中、彼はミルズさんと、ソファーに座って優雅にお茶していた。

「あ、兄様ですか。クララさんも来たんですね。さ、どうぞ、向かいにでも」

 ミルズさんが、彼とテーブルを挟んで向かいのソファーに腰を下ろした私達にも紅茶を入れてくれる。

「ここはまだ慣れないかい?」

「ええ……」

 ルートヴィヒさんは、どこか寂しそうに笑った。

「どうしても、養父さんとカルロ――私の親友や同僚の事ばっかり気に掛かって……」

「仕方ないよ。さよならも言わずに来ちゃったからね」

 ふと、私は周りを見渡す。一番重要な聴衆であるはずの両親がいないではないか。

「あれ、ご両親は?」

 すると彼は、顔を俯かせて目を伏せた。

「話した方がいいとは分かっています。でもなぜか、直接は言いにくくて……」

「そっか。じゃあ僕から伝えておくよ」

 優しく笑う兄に、弟は少し頬を緩める。

「さ、気兼ねなく話してくれ。お前が失踪している間、何があったか」

「…………あれは、12月も末の頃でしたかね――」



[Ludwig]

 その時、ルートヴィヒは5歳だった。

 当時ヘルメスベルガーは、若き日のフランツの戦場における功績によって名声が高まっていた。しかし、いや、だからこそ、所有する軍隊の中では不穏な空気が漂っていた。

 まだ幼かった彼は、その理由を知らない。しかしそれは、いくら頭が良いとはいえ、5歳児でも悟ってしまうほど決定的なものであった。

 ただし、それ以外は至って平穏で、彼もそれほど気に留めず、兄やミルズと遊んでいた。

 ――あの日までは。


 その日、両親は用事で、兄も学校で家を空けており、さらに使用人である桜木とビスマルクは買い出しに出掛けており、デュボワも庭仕事に追われていた。つまり、実質的に屋敷にいたのは、執事長とメイド長の双子、ヴォルフ兄妹と厨房であくせく調理するクローデル、そしてルートヴィヒ主従だけだった。

 屋敷の住人の大多数がたまたま留守だった――この偶然の出来事が、彼の運命を大きく左右する。

 それは昼下がり、2人が本を読んでいた時のことだった。それまで、優しい眼差しを主人に向けていたミルズが、突然ドアの方に鋭い視線を送った。

「どうしたの?」

「……嫌な予感がしましてね」

「?」

 ルートヴィヒが首を傾げている間に、叩き付けるようなノック音と共に、息を切らしたクローデルが飛び込むように入ってきた。

「イアン君、やばいよ!ここの一族の軍の人達が、お坊っちゃまを狙って、ついに襲ってきたんだ!ヴォルフさん達が説得して下さっているけど、収まりそうにない。相手は見張り役を外しても10人もいるんだ。対抗出来そうなのは君くらいだよ!」

「分かりました。何とかしましょう」

 ミルズは厳しい顔で頷くと、呆然とする主人に笑いかけ、彼を自分の部屋に連れて行き、そこのクローゼットに身を隠させた。

「ご心配は無用です。私が2階で応戦します。坊っちゃまはここで隠れていて下さい」

 しかしルートヴィヒは、涙目で彼の腕にしがみつき、その手を離そうとはしない。

「怖いよ……一緒にいて……ねぇ……」

 ミルズは、しかし、「なりません」とかぶりを振った。

「ここは隠れるのにはいい……というより、ここしかありませんが、逃げ場所はありません。しかし外では見張りがいるようなのですぐに捕まってしまいます。そうなると、あとは戦うしかない。ここは私が防ぎます。ですので――あ、そうだ」

 と、彼は、おもむろに首に掛けた十字架を外し、膝をついてルートヴィヒの細い首に提げさせた。

「はい、これで私と一緒ですよ」

「え……」

 彼は、そのペンダントをまじまじと見つめる。その細かい鎖は、子供には少し長い。

 階下が騒がしい。そろそろ軍の連中もしびれを切らして暴れ出したのだろう。

「……では、そろそろ行きま――」

「ミルズ……っ!!」

 立ち上がり、主人に背を向けた従者の脚に、ルートヴィヒが抱きつく。

「ど、どうなすって……」

 びっくりして思わずその手を引きはがそうとする彼を、潤んだ大きな瞳が見上げていた。

「……また、元気で帰ってきてね……」

 ミルズは、一瞬ポカンとしたかと思うと、クスリと笑った。

「もちろんですよ」

 彼は優しく微笑んでルートヴィヒの頭を優しく撫でると、護身用にと入口に置いてある鉄の棒を手に、戦場へと繰り出した。

 ルートヴィヒは、しかし、まだ不安だった。仕方ない。むしろ、冷静な従者が戦い慣れしすぎなのだ。

 彼は1人、暗いクローゼットの中でガタガタ震えていた。

 外からは格闘の騒音が聞こえてくる。壁や床に何かがぶつかる音、バキッという嫌な音、窓ガラスが割れる音、男達の絶叫……。

(怖いよぉ……)

 まだ5歳の子供は、目に涙を溜め、耳を塞いで座り込んでしまった。

 ついに、乱闘の舞台は、彼が隠れている部屋に移った。ドア1枚隔てた向こう側は、既に戦場だ。

(どうなっているんだろう……)

 今まで恐怖一色に塗られていたルートヴィヒの心に、小さな好奇心が芽生えた。

 怖い、でも見てみたい――彼は、ドアの隙間から覗いてみることにした。

 そして悟った。現実が、最も惨い結末を用意した事を。

 彼が見たのは、激昂した敵の1人が、ミルズの腹に軍用ナイフを突き立てた瞬間だった。

(そんな……っ!!)

 声が漏れそうになるのを、口を塞いで抑え込む。心臓が早鐘を打つ。

「ぐっ……!」

 リーダー格の男が、ただでさえ虫の息であるミルズの首をつかみ、壁に叩き付けた。

「――さぁ、坊っちゃんの居場所を教えてもらおうか」

 彼はしかし、激痛に顔を歪めながらも、口元でニヤリと笑った。

「悪いが……それは、出来ん、な……」

 軍人達は、露骨に顔を顰めた。

「分からないのか?いや、分かってはいるだろう?あの子供が何なのか。確かに、戦では役立つ。しかし、いつかは災厄を招くだろう。呑気な連中は、『ヘルメスベルガー家・メンデルベルグ家の祖、ディートリヒ公公妃マルグリットの再来』などと言っているが、コントロール出来ていない分、公妃よりずっと厄介だ。フランツの旦那も、さぞやお困りだろう。旦那は情があるから、冷徹に自分の子供を『処理』出来ないだろうからな。だから代わりに、俺達が泥をかぶってやろうというわけだ」

「駄目だ……。そんな事、したら、余計に、暴走、する、ぞ……」

「まだ分からないのか。貴様、旦那に仕えているくせに、あの人をさらに苦しめるつもりか?あの子供は、制御不可能だ。誰にも手がつけられない。貴様だって、ずっと化け物の傍にはいたくないだろう?」

 ミルズは、しばらく眉間にしわ寄せて目を伏せていたが、やがてかぶりを振った。

「……それでも、私はあの人を信じる。きっと、いつかは立派な人間になるさ」

 男達の表情に、明らかに苛立ちが見え隠れしている。

「あ、そうかい。説得は不可能だな」

 リーダーは、冷徹に、拳銃でミルズの胸をぶち抜いた。

 貫通した銃痕から、鮮血が溢れ出る。

 その赤を見るなり、ルートヴィヒは、腹の底から猛烈なエネルギーが湧き上がってくる感覚を覚えた。

 「それ」は、抑える間もなく、胸までせり上がってくる。

 そして、「それ」が頭まで達したその時、脳の中で声がした。

『殺せ――』

 彼は、本能に突き動かされるように、隠れ家の扉を蹴り開けた。

 口元に、凶悪な笑みを浮かべて――。


 その後の事は、ルートヴィヒ自身も覚えていない。

 気が付いた時には、疾走する車の後部座席に横たわっていた。手足を、手錠や鎖でかんじがらめに拘束されている。体中に、鈍い痛みがあった。

 と、前の座席で舌打ちするのが聞こえた。

「くそっ!あのガキ、手こずらせやがって!」

「全くだ!プロの大人が、ABC(アーベーツェー)もろくに習っていない幼稚園児に7人もやられるだと!?冗談じゃねえ!!」

「早い事片付けねえと、俺達もやばいぞ!」

 車のボディに、木が当たりバシバシ音を立てている。森に入ってきたんだろうか。

 車は、だいぶ長い間走ってから停車した。

「おい、降ろすぞ」

 男3人は前の座席から降り、ルートヴィヒが転がされている後部座席までやってきた。人間がすっぽり入りそうな袋を片手に。

「な、何?」

 軍人達は、慌てふためく彼をその寝袋みたいなものに押し込んだ。もちろん彼は、これが死体袋なる代物である事など知るよしも無い。

 その袋は、予め掘っていただろう深さ10m程の深い穴に放り込まれた。

「え!?何?やめて!!」

 ルートヴィヒが泣きじゃくってもその手を止めもせず、耳を傾けようともせず、ただ黙々と、袋を土にかぶせていく。

 袋の中では、暗闇の中、パラパラと土が落ちる音だけが聞こえる。それと共に、重みがもろに体にのしかかる。

 やがて静寂が訪れた。

 元々暗闇が苦手な子供は恐怖のあまり叫びそうになったが、胸が圧迫され、かすれた声しか出ない。

 息が苦しい。それと伴い、眠気も襲ってくる。

(もう、だめなのかな……)

 もう陽の光を浴びるのを諦めかけたその時、鼻が錆びた鉄のような臭いを感知した。血の臭いだ。

 途端、その小さな身に、力が湧き上がってくるのを悟った。ミルズが撃たれた直後の、あの感覚だ。

 そこで、意識はプツリと途絶えた。


 気が付くと、彼は鬱蒼とした森の中でペタンと膝をついて座っていた。

「…………あれ?さっきのは、夢?」

 しかし傍には、手錠や鎖、死体袋の3点セット、そして深い穴があった。

「誰かが助けてくれたのかな?」

 だがそれもおかしい。森の中に人が入るか、というのもあるが、そもそも人の力では、今転がっている鎖のように引きちぎられるという現象なんざ起こしようがない。

「…………ま、いっか。助かったし」

 彼は無理矢理自分を納得させ、立ち上がる。

「ともかく、おうちに帰らないと」

 食料は、ウエストポーチに入っていたお菓子類だけ。お金も無い。どう転んでも飢え死にする。5歳児でも、食べ物が無ければ危険な事は分かっていた。

「……よし!頑張って歩いて、家に帰ろう!」

 とはいえ、現在位置も目的地の方向も分からない。そこで、当てずっぽうで、太陽の方向へと歩き始めた。

 しかしここで、彼は大きなミスを犯した。

 この森は、「黒い森」の南端に位置する一帯である。屋敷のあるドナウエッシンゲンは、ここの北東にある。しかし今は夕方なので、太陽は南西にある。しかも、そうでなくとも、北半球ではまず太陽は北にこない。

 だがルートヴィヒは、そんな事など露知らず、自分の勘を信じて南西へと歩を進めた――真逆の方向へと。


 3日経った。ルートヴィヒは、泣きじゃくりながらフランスとスイスの国境にそびえるジュラ山脈の南を歩いていた。こうなったら、屋敷どころかドイツすら遠い。

 食料は尽きた。しかし盗むのは嫌だった。かといって、戦後の復興すらままならないこの時期だ、農家も、自分の食料を確保するだけで精一杯なので、恵んでもらう事も出来ない。仕方なく彼は、水や雑草で腹を慰め、空腹を無視して進む。

 さらに3日経つと、フランスとイタリアの国境近くにあるモンテビーゾ山の麓の森にいた。ここに来るにはスイスを縦断するのが1番の近道なのだが、彼はスイスには近寄らなかった。立ち塞がる山々に尻込みしたのも理由の一つだが、それ以前に、EUに加盟していないこの国では入国審査が厳しく、パスポートが無ければ入れないのだ。もっとも彼の場合、コワモテの警備員に怯えて近付かなかったのだが。

 そしてさらに3日が過ぎた時には、彼はミラノにいた。しかし本人はそんな事など知らない。イタリア語を全く知らなかったから、看板も読めないし、「ミラノ」とだけ聞いてもどの国なのかなんて5歳児には分からないだろう。ただ、自分の目的地とはまるで違う場所だという事だけは悟っていた。

 ルートヴィヒは、心身共にボロボロだった。もう6日も何も食べておらず、空腹すら感じなくなっている。こんな状況の子供が約600km歩いたのだから、疲れも溜まって当然だ。そもそもエネルギー不足なので、足を一歩前に踏み出すのさえ体にこたえる。森の中を来たせいもあってか、衣服は大きく裂け、靴も底が擦り切れて裸足が剥き出しになり、足の裏には大きな擦り傷が出来、道に赤い足跡を作っていた。それでも彼は、壁を支えに、足を引きずるようにして前へ前へと進む。

 その日は、地中海に三方囲まれた温かい国に珍しく、チラチラと綿雪が降り、ミラノの街を白く染めていた。そのせいで足場は悪く、傷に冷たい雪が沁みる。

「…………っ!」

 鋭い痛みと寒さに、意識は冴えるどころか朦朧としてくる。

 ついには目まいと共に全身の力が抜け、そのまま倒れ伏してしまった。

 瞼が重い。視界がぼやける。

 雪は柔らかく彼の身を包む。体が冷たい。このまま雪と一体になってしまいそうな錯覚を覚える。

 そして、彼は目を閉じた。


 気が付くと、彼は、知らない部屋のベッドに横たわっていた。

「……ん?」

 まだぼんやりとした目で周囲を見渡すと、そこは木目調で統一された温かみのある部屋だった。実際、黒いヒーターが近くで熱を提供してくれている。窓の外では牡丹雪が風に舞っている。

「……頭痛い……」

 額に手を当てると、高い温度を感じた。そういえば、首に氷嚢をあてがわれている。風邪気味なのだろうか。

(これは……夢?)

 しかし、足の裏の傷は痛んでいる。そもそも、頭が実際に痛くなる夢なんて聞いた事が無い。

(夢じゃないなら、ここ、どこ?)

 今さらな疑問を胸に、ボーっと雪がちらつくのを見ていると、ドアを小さくノックする音が聞こえた。何だろうと目を向けると、30歳前後の、眼鏡が知的な栗毛の紳士が、体温計を手に入ってきた。

「やあ。目が覚めて良かったよ」

 彼は、ルートヴィヒと目が合うとニコリと優しく微笑んだ。直感が、目の前の男は悪人ではないと告げている。

「私は、エドアルド・ヨハネ・カンナヴァーロだ。医者でもあり、神父もやっている。ちなみにここは私の父の家だ。本当はここミラノではなくナポリに住んでいるんだ。……おっと、ちょっと体温測らせてね」

 カンナヴァーロと名乗った男が、体温計を子供の耳に当てる。間もなく電子音が鳴った。高性能な機械だ。

「37.8℃か……。ちょっと引いたけど、まだ高めだね……。そろそろその氷嚢変えようか。ぬるくなっているしね」

 ちょっとだけ待っててね、というと、彼は氷嚢を持って部屋を出た。間もなく帰ってきて、子供の首元に氷嚢を敷いた。きもちいい。

「ところで君、どこから来た誰なんだい?家の前に倒れていたから、一瞬ストリートチルドレンかと思ったけど身なりは立派だし」

「僕はね、ドナウエッシンゲンから来た、ルートヴィヒ・フォン・ヘルメスベルガーっていうんだ」

「へぇー!それはすごいや。名家だね」

 ルートヴィヒは、存外反応が薄いのに変な気分になった。いつもなら、腰を抜かされていた。

「驚かないの?」

「少しはね。でも大切なのは、家柄よりもその人の人となりそのものだよ。高貴な身分でも悪魔のような人間もいるし、貧しくても天使のような人もいるしね。むしろ、君がドイツから来た事に驚きだ。ここはイタリアだよ?ここまで歩いて来たのかい?」

「うん、そうだけど……ここってイタリアなの?家に帰ろうとしてたのになぁ」

 カンナヴァーロが怪訝な顔をした。

「家に帰ろうとしていたのにこんな所まで来ちゃったのかい?何があったの?」

「僕の家の兵隊さんに、森に生きたまま埋められてね、森からは抜け出せたんだけど、家がどっちか分からなくて。それで迷いながら、食べ物はお菓子くらいしか持ってなかったから、ほとんど何も食べてなかったのかな?それで、あれが14日だから……あれ?今日ってクリスマスイブ!?それじゃ、10日歩いてたのかな?それで気が付いたらここにいたの」

「そりゃあ大変だ!痩せてるから、食べ物も無くて、元気も出ずに足を引きずるようにしていたから、あんなに靴が裂けたわけだ。それじゃあ風邪もひくよ。ゆっくり休んでいくといいさ」

 彼の、氷水を扱ったせいで冷えた手が、ルートヴィヒの熱っぽい額を優しく冷やす。

 その時、再びドアがノックされ、60代くらいの男性が、皿を載せたトレーを手に入ってきた。

「お待たせ。お腹すいたでしょ?」

 男性が、ベッドサイドのテーブルに皿を置いた。ボロネーゼスパゲッティだ。

 ルートヴィヒの目がキラキラと輝いた。久し振りにお腹が鳴る。彼は、体をカンナヴァーロに支えられながら口周りをミートソースまみれにして、夢中でパスタを頬張った。濃厚なソースにはひき肉がたくさん入っており、その旨味とトマトの甘酸っぱさが絶妙にマッチしている。

「ルートヴィヒ君、紹介が遅れたけど、この人が私の父、エンリコだ。お父さん、この子はルートヴィヒ・フォン・ヘルメスベルガー君だ」

「ああ、あの貴族の家の子か。珍しい事もあるもんだ。それにしても、すごい食べっぷりだね」

「1週間くらい、何も食べてなかったの。もうお腹がすいてすいて」

 そう言っている間にも、皿は空っぽになってしまった。

「ごちそうさま」

「こらこら、ソースで口がベトベトでしょうが!」

 エドアルド(大抵この文章では大人は名字で呼んでいるが、同じ姓が2人いたらややこしいので、例外的に名前で呼ぶ)は笑いながら、子供の口をタオルで拭く。

 腹が満たされて安心したのか、ルートヴィヒの目はもう眠そうだ。

「お父さん、そろそろ寝かせてあげようか。……じゃあ、私達はそろそろ部屋出るからね。テーブルに携帯電話が置いてあるでしょう?何かあったら、それで呼び出してくれ」

 ルートヴィヒがコクリと頷くと、2人はニコリと笑い、「お休み」と言い残して、それぞれが持ってきた荷物を持って部屋を出ていった。

 1人になっても、彼は寂しくなかった。体も心も温まっていた。

 ふと、テーブルに置いてあった、ミルズからもらった十字架を手に取る。少しずしりとくる重さに、むしろ安心感を覚える。

 そういえば、と、生き埋めにされる前にはサンタクロースにおもちゃを望んでいたのが、旅の最中には、暖を取れる場所と食事だけがほしいと願っていた事を思い出した。

 今日は、ちょうどクリスマスイブだ。

(願い、聞いてくれたのかな)

 そう思うと、笑みがこぼれた。


 それから2日後、ようやく熱が引いた。その1日後には、ベッドの上で半身を起こして長話を楽しめるようになったが、1日の大半は眠って過ごした。

 この時、化膿した足の傷(破傷風にならなかっただけいい方だろう)を見たルートヴィヒは、

「この傷が治ったら、また歩いて屋敷に帰ります。きっと、僕の……執事、だっけ?ミルズが心配して待ってくれているはずだから」

と、笑いながら宣言した。エドアルドは「歩いてじゃ大変だろう?その時になったら、言ってくれたら送るよ」と微笑んだが、その目は寂しさもはらんでいた。丸一日寝ていた日も入れて4日、既にこの家に溶け込んでいた。

 その翌日、1本の電話が入った。

 ベル音で目を覚ましたルートヴィヒが、好奇心から聞き耳を立てていると、

「もしもし、カンナヴァーロです」

どうやらエドアルドが出たようで、彼の不思議そうな声が聞こえてきた。

「……え、ヘルメスベルガーさんでいらっしゃいますか?という事は、5日前にうちに来た。ルートヴィヒ・フォン・ヘルメスベルガー君のお父さんで間違いないですか?」

(お父様!?)

 彼は、壁にべったりと耳を付けて息を潜めた。

「はい……ええ、元気だとは言えませんが、確実に体力は回復しつつありますよ。……え、何ですか?頼み?……は!?何ですって!!?」

「!!」

 突然の怒号に思わずビクッと飛び上がってしまった。彼が声を荒げるのなんて、聞いた事ない。

「ルートヴィヒ君を育てられないから、私に育ててほしいですって!?何を言ってるんですか!!」

「嘘……」

 ルートヴィヒは、愕然とした。全身から力が抜け、壁にすがるようにへたり込む。

 怒声はなおも響く。

「あの子がどれだけ家に帰りたがっているかご存知なのですか!?昨日なんて、『元気になったら歩いてでも帰りたい』と言っていたんですよ!そりゃあ、貧乏でどうしてもというなら、喜んで協力しますよ。ですが、貴方には経済的な余裕がある。家に内紛があると伺いましたが、それでもそんな状況の中女の子が生まれても何ら支障は無いようです。それなのに、あの子の育児を放棄されるつもりですか?」

 頬を冷たい物が伝う拭ってみると、それは涙だった。

「……え、放棄をしたつもりはない?どういう事ですか?…………はぁ、なるほど、それで家で育てるよりも私達が育てる方が良いだろうと。分かりました。上手くいくかどうかは分かりませんが、そこまでおっしゃるのなら協力しましょう。ただし――」

 エドアルドは、根負けしました、とでも言わんばかりに溜め息混じりで了承しつつも、少しドスのきいた低い声でこう続けた。

「――あの子は素直で賢い子ですが、それでも、この事実を知ってしまったら、『見捨てられた』と感じてしまうでしょうし、怒りもしくは憎しみの感情を抱いてしまうかもしれません。言うまでもなくその標的は貴方自身であり、あるいは家族にまで及ぶやもしれない。さらに、長いブランクが空く以上、関係の修復は困難になる。出来るだけ防ぎはしますが、もしかすると、貴方が普通に育てる以上に危険な状態となるかもしれないのです。その覚悟だけはしておいて下さい。……それも承知の上ですか。……ええ、こちらこそよろしくお願いします。……はい、ではさようなら……」

 通話を切った彼が真っ先に向かったのは、ルートヴィヒの部屋だった。

「ルートヴィヒ君、話があるんだけど――」

 そこまで言い終えた時、彼はハッと息を呑んだ。目の前のルートヴィヒは、涙をボロボロ流しながらも、虚ろな瞳で虚空を見つめ、抜け殻のようにベッドの上に座り込んでいた。

「……もしかして、聞いていたのかい……?」

 彼は、生気の無い双眸で見つめ返し、ただ弱々しく頷く。

 その震える小さな体を、エドアルドは堪らず強く抱き締めた。

「大丈夫だよ。私がいるからね。君を絶対に見捨てはしない。……私は3日後ナポリへ帰る。君もついておいで。旧市街は危ないけど、新市街は割と安全でいい人もいっぱいいる。きっと気に入ると思うよ」

 ルートヴィヒの目に生気が戻り、頬はほんのり色づき、口元はほころんだ。

 彼はナポリへ発ち、エドアルドの養子として愛情をたっぷり受けて大きくなっていった。カルロともここで出会い、幸福な日々が続いた。

 しかしそれでも、生家に「見捨てられた」という感情は、消えるどころか年を経るごとにどんどん膨らんでいった。それに伴い、生家、特に両親に対する怒りや憎しみは、発散もされずに蓄積し、いつしかマグマのように、心の奥底でふつふつと沸き出すようになった。

 こうしてルートヴィヒは、自ら一族との間に厚い壁を作り、容易に心を開けないようになってしまったのだった。



[Klara]

 皆、しばらくは無言だった。

 最初に口を開いたのは、自分でも意外な事に、私だった。

「確かに、貴方の辛い経験は分かった。しかしフランツさんは、本当に愛情が無かったんでしょうか」

「……え?それはどういう意味で?」

 案の定、ルートヴィヒさんは顔を顰める。

「いや、あなたも変に思った事はあるでしょう。現に、放棄したつもりはないとおっしゃっていたでしょう。あの時期のヘルメスベルガーは、内紛処理のために奔走していたと聞いています。そんな状況で当主たるフランツさんが、いくら相手が息子だからといって、嫌っている人間のために居場所をわざわざ捜しあてて、見ず知らずの異国の人間に、しかも自分の子を預かってほしいなんて頼みにくい事を言うのに、わざわざ自ら電話を掛けると思いますか?」

「た、確かにおかしいとも思いましたよ!けれど自分だけ何も知らず半強制的に家を追い出された人間からしてみれば、どっちにしろ不条理な事に変わりはありません!」

 プイッと横を向いてしまった彼に、クリストフは、懐から取り出した小さな封筒を手渡した。

「……何ですか?これ」

「明日僕達の結婚式だろう?これはその招待状さ。お母様が、お父様の代わりに渡してくれって」

 ルートヴィヒさんは怪訝な顔で、招待状に付属していた3枚の手紙に目を通すが、ある所でその目が止まった。

「これは……どういう事ですか?」

「そのままの意味だよ。別に来たくないなら来なくてもいいよ」

 彼は、無言で手紙を目を凝らすと、

「……ごめんなさい。もう少し考えさせて下さい……」

と、細い声で言った。

「ゆっくり考えたらいいよ。でも、式は午前だから、参加するなら遅れないようにね」

 迷いながらも小さく頷いた弟にクリストフは微笑みかけ、スッと席を立った。

「色々と話してくれてありがとう。お父様とお母様にも伝えておくよ。それじゃ、もうクローデルさんが朝食作って待っていると思うから、そろそろ行くよ。お前はどうする?」

「……まだ一緒は……」

 スッと目を伏せたルートヴィヒさんに、彼は寂しそうに笑いかける。

「そっか。まだ慣れないよな。気が向いたら来たらいいよ」

 そう言い残し、私達はひとまず食堂へ向かう。

「……あの手紙、何て書いてあったんだ?」

「『もし私達を家族と認めてくれるなら、結婚式に来てくれ』って」

「…………まああの人もさすがに一族への敵意は薄れているようだが、そんなんで来てくれるのか?」

「来るさ、きっと――」

 あの人は、果たして憎しみを捨て切れるだろうか。



[Carlo]

 さて、ここで話題を、ルートヴィヒつながりでカルロに移す。

 彼は、病室で静養しながらも、ヨハネ神父やモルゲンシュテルン巡査部長から情報を得て、独自にルートヴィヒの行方を追っていた。

 しかし、一向に情報が集まらない。あれほどの騒ぎになったにもかかわらず、だ。

「駄目だ。いくら聞いても、誰ひとりとして知らない」

「最低2、3件は目撃情報が集まるはずなんですがね……」

 神父も巡査部長も、疲れきって溜め息を漏らす。

 そんな折だった。奇妙な3人組が訪ねてきたのは。

 一言で言えば、チビ、普通、デカブツのトリオだ。

「初めまして。我々はヘルメスベルガー家の使者でございます。今日は、ルートヴィヒ様の件で参りました」

 3人の中で最も長身な青年が、人懐っこい笑顔でいきなり言い放った。

「誰ですか?貴方がた」

 モルゲンシュテルンの当然のツッコミに、青年は「ああ、これは失礼」と笑う。

 と、中年には差し掛かっているだろう色男が、こう釘を差した。

「……今日の場合、信頼を失ったらコトだ。全て本当の事を言え」

「……はいはい、分かりました」

 青年は、面倒臭そうに頭をかく。

「私達、自分では『Dysnomia』と名乗っている『鋼鉄花』でして、普通なら『種』となる過去の人物の人格のみで作られています。それで、この色男が土方歳三という江戸幕府末期の武装警察の副長で、このちびっこいのが、名乗りたがらないので名は伏せておきますが、100年以上経っても世界最高水準であり続けている、まあ優秀な狙撃手です。仮名ですが、ペトリと呼んであげて下さい。そして私は、ヘルメスベルガー家とメンデルベルグ家の先祖に当たる、マルグリットという者です」

 3人は、目を丸くして顔を見合わせた。

 『Dysnomia』もマルグリットも、知る人ぞ知る存在だ。

 まず『Dysnomia』というのは、確認された事がほとんど無いため詳細は分かっていないのだが、存在するはずのない8番目の『鋼鉄花』であり、最も危険な存在であるという事は確かとされている。一説によると、単純な戦闘力では、戦うために生み出された『Athena』のリーダーである狂戦士、オグナをも上回るのだという。逃亡した『Athena』だとも『鋼鉄花』の危険人物の総称だとも言われている。

 そしてこの、男かと思いきや実は女だった人物について。彼女、マルグリット公妃は、元々はフランス皇帝の隠し子で、後に普仏戦争にて隠れた英雄となった。並み以上に強い男よりもなお強く、戦争でも、フランス軍が壊滅的な打撃を受ける中、彼女の隊だけは善戦した。それでも最後には敵の手に落ちてしまったのだが、この時、偶然戦争中にその人と知らずに出会って仲良くなったプロイセン皇子ディートリヒ公が皇帝に、彼女を嫁に欲しいから助けてあげてくれと助命を申し出た。皇帝は、彼女を息子と結婚させ、二度とプロイセンに害を及ぼさないようにしようという下心を秘めて願いを聞き入れたが、それでも2人は喜び、83歳で亡くなるまで仲睦まじく暮らした。その証拠か、2人の間には6人も子供が出来、マルグリットは子供達に男女関係なく自分の戦法を伝授した。やがて子供達は世界中に散らばり、それぞれの国で新しい家を作り、独自に母の戦法を発展させていった。そのおかげか、彼女の血族ではほとんど戦死者は出ていない。中でも双子だった三男のクラウスと四男のジキスムントは、ドイツに留まり、そこで他の兄弟以上に戦いを追い求め、ついには戦闘一族を作り上げた。この、クラウスの子孫がヘルメスベルガー家、ジキスムントがメンデルベルグ家の子孫である。

(まあ随分と、色んな意味で危ない連中と出くわしてしまったなぁ……)

 カルロは心中で、溜め息を漏らした。

 一方の神父はあくまで冷静だ。

「ふむ……。さっき君達は、ルッツの事で話があると言ったね。もしかして、あの子をベンツの爆発現場から連れ出したのは君達かね?」

 すると、ペトリと紹介された小男が、気まずそうにコクリと頷いた。

「あの時は、ルートヴィヒ様が『Ultrasonic』の者共に連れ去られていた途中でしたから」

「『Ultrasonic』ですって!?」

 カルロは、もう脳内が混乱して頭がくらくらしてきた。

「何でそんな所にあいつが目ぇ付けられなきゃいけないんですか!」

 土方というらしい男も弱々しく首を振る。

「まったくです。どうも、社長であるフォン・メンデルベルグ氏と、最近躍進してきた新興宗教団体『福音の家』の幹部との密談をルートヴィヒ様が聞いてしまわれたようで」

「ええ。ある人から聞きましたんで、間違いないです。……あ、ちなみにルートヴィヒ様自身は無事ですよ。今はドナウエッシンゲンの屋敷にいらっしゃいます。で、ですね……」

 そう言って、マルグリットは、胸ポケットから何やら封筒を取り出し、神父に手渡した。

「何だね?これは」

「実は、明日に次期当主クリストフ様とクララ・フォン・メンデルベルグさんとの結婚式がありまして、まぁ、これはその招待状です。ルートヴィヒ様も……多分来られるはずです。もしその時に来られなかったとしても、これがあれば屋敷に入っていただけるので、ドイツにもしお越しになるならお持ちになって下さい。一応今4枚用意していますが、何枚差し上げましょうか」

 神父が、カルロの方をちらりと見た。

「どうする?」

「行くよ」

 即答だった。

「本気か?後日言っても良いらしいぞ」

「今すぐにでも会いたいんだよ。もしかしたらあいつ、僕が死んだと思っているかもしれないから」

 神父は、しばらく渋りながらも、「分かった」と呆れ混じりに頷いた。

「もし体調が悪化してしまったとしても、教会の3軒隣りが大きな病院ですので、ご心配なく。式は朝9時からですが、今から出発したら……間に合いそうにありませんね。当主様に事情をお伝えしておきましょう。午前中にお越し下さい」

「ええ!出来るだけ早く来ます!」

 頭を抱える神父をよそに、カルロは心の底でガッツポーズをしていた。

(やっと……またルッツに会えるぞ!)



[Caroline]

 さて、夜、明日に仕事があるモルゲンシュテルンをナポリに残し、神父とカルロが、先にドナウエッシンゲンに帰った例の3人組を追うような形で、車で出発した頃、カロリーネもまた、同じく敵の本拠地へ向けて旅立とうとしていた。

 『Psyche』の仲間達には、「お姉様を捜しに行ってくる」とだけ告げた。嘘は吐いていない。厳密に言ってないだけだ。真実を知っているのはガウェインだけだ。見送りも彼だけにしてもらった。あまり目立った行動を取って、ヘルメスベルガーあるいは兄の手下にリーダーの留守を悟られるのだけは避けたい。

 今回狙うのは、次期当主とクララの結婚式だ。自分の姉の式を襲撃する事に、さほど罪悪感は感じない。

 今からローマの空港に行き、夜行便でドイツはバーデン=ヴュルテンベルク州にあるシュトゥットガルト空港に着いた後、ずっと南へ下って目的地へ赴く。向こうで泊まっている間に襲われるリスクを出来るだけ回避するためだ。しかも襲撃は予定では着いてすぐ。電力はスピリッツでなんとか乗り切る。『鋼鉄花』にとっても過酷なタイムスケジュールだ。

「それじゃ、行ってくるわ」

「気を付けてな。衝動に心を乗っ取られるなよ」

「……頑張る」

 2人の間に、多くの言葉はいらなかった。

 カロリーネが、スーツケースを手にし、それ以上何も語らず研究所に背を向け歩き出す。ガウェインも、手を振らずじっと彼女の背中を見送る。

 研究所の門をくぐる間際、カロリーネは、握り拳を空に向け高々と掲げた。

 まるで、「勝ってくる」と宣言するかのように。



[Klara]

 いよいよ、結婚式の朝となった。

 私達新郎新婦は、朝早く教会へ向かい、控室で着付けをしてもらっている。

 少し伸びた真っ直ぐの髪にふんわりしたカールをかけてもらい、純白のウェディングドレスをまとったところで、クリストフが控室に入って来た。

「ふぁー!!いつも以上に綺麗だよ、クララ!!」

 入るなり、彼が歓声を上げる。

「そ、そうか?」

「ああ!お姫様が肖像画から抜け出してきたみたいだ!」

「……常套句を2つつなげたら、案外新鮮に感じるんだな……」

 口ではそう茶化しながらも、本心ではまんざらでもない。

「もうすぐ式だよ。準備は完了したかい?」

「もちろんだ。今すぐにでも出られる」

「そりゃあいい!今から入堂の準備を始めてくれ。君のお父さんの代理人は、ヴォルフさんにお願いしたよ」

「分かった」

 私が教会の入り口へ向かうと、そこには、父が生きていたらこれくらいの年齢だったろうロマンスグレーの紳士がいた。この人が執事長のヴォルフさん。

「緊張、されていますね」

「そ、そりゃあ、ねぇ……」

「私も、妻との結婚式では緊張しましてね、誓いの言葉の時に『ういっす』と答えてしまったんです。それから友人に未だにからかわれていますよ」

「プッ。……ご、ごめんなさい。あなたらしからぬ話でつい……」

「いえいえ。狙っての事ですから」

 少し緊張がほぐれたところで、教会の扉が開く。

「さあ、参りましょう、クララ様」

「ええ……」

 私はヴォルフさんに左腕を預け、赤いカーペットが敷かれたバージンロードを歩いて、真っ直ぐ祭壇へ進み出る。

 新郎が私と向き合い、頭のベールを上げた。お互い、顔は真っ赤だ。

 賛美歌斉唱、聖書朗読に祈祷と、順調にスケジュールが進んでいく。次が誓約式だ。

「新郎は、晴れの時も雨の時も、新婦と共に歩み、生涯新婦を愛する事を誓いますか」

「はい、誓います」

「では、新婦は、新郎を時に支え時には支えられ、新郎を末永く愛する事を誓いますか」

「はい。誓いま――」

「――いいえ!誓わないわ!!」

「!!?」

 ぎょっとして振り向くと、教会の入り口に、刀を持った黒い影があった。

 その姿を一目見て、無意識に呟いた。

「リーネ……」



[Caroline]

「覚えているかしら?私はカロリーネ・フォン・メンデルベルグ。よくも私達一族を滅ぼしてくれたわね。……今日は記念すべき日ね。ヘルメスベルガー家滅亡記念日よ」

「悪いが、それはお断りだ」

 フランツがザッと教会の長椅子から立ち上がり、カロリーネと対峙する。

「死んでも落ち着けないかね、お前さんは。我々が安らかな眠りに就かせてやろう」

 だが彼女は、ニヤリと笑って、腰の「薄緑」の柄に手を掛け彼目がけて突進する。

「悪いけど、それはお断りよ!」

 敵の首を標的に居合い切りした――と思ったら、ガキン、と金属音が響いた。その刀身は、目の前に現れた女のショートソードによって受け止められていた。

「ちょっと!シャルロッテ邪魔!!」

「邪魔しに来たんだから邪魔で当然でしょう!?貴女の相手は私よ!」

「そこまで言うんなら、あなたから先に片付けて金属ゴミにしてやるわ!」

 そう言ってカロリーネは、シャルロッテ(機械の方)が振り下ろした剣を刀で受け止めて弾き返すと、その勢いに乗って得物を大上段から敵の胸に振り下ろす。

 すると、

「きゃああああっ!!?」

 あろうことか、斬撃から逃れたはずのシャルロッテのドレスの胸が切られ、下着が露わになってしまった。ピンクの、レースがいっぱいついてる可愛いやつ。

「ご、ごめん……」

 反射的に謝ってしまう加害者だったが、被害者は、

「何すんのよぉおおおおおおおっ!!!」

目に涙を溜め、剣をがむしゃらに振り回してメッタ斬りしてきた。しかも速い。本当の意味で目に止まらないくらい、めちゃくちゃ速い。カロリーネでさえも、二の腕を斬られてしまった。

「くそっ!めんどくさい!」

 そう吐き捨て、カロリーネが刀を構え直した、その時だった。

 突然、爆発したような轟音が教会内に響き渡った。

 皆ビクッとして音の方を見やると、傭兵集団らしき男達が教会の扉を蹴破って突入してきた、正にその瞬間だった。

 軍服のリンドウの紋章を一目見、カロリーネもシャルロッテもフランツも顔を顰めた。

「『Ultrasonic』……ここまで来やがったか……」

 ふと、フランツがチラリと自分の娘のアンドロイドを見た。

「シャルロッテ。悪いが、あの軍人共を先に始末してくれ。この娘にやられるのも心外ではあるが、自分じゃ戦わず他人をけしかける奴は、大嫌いだし討たれる気もしない」

 シャルロッテは少し悩み、不服そうに顔を歪めたりもしたが、渋々了承した。

「……畏まりました」

「そっちは頼んだぞ。よし、それじゃあツオネン、内藤、マルグリット様、援護してもらおうか」

「「Yes,Sir!」」

 内藤(本名の「土方」と呼んだ方が良かったか?)は大業物の愛刀を、マルグリット(一応先祖だから様付けだ)はなんと背丈以上に大きいグレートソードを手に、シャルロッテと共に傭兵達に向かっていく。ツオネン……ペトリはというと、旧式のライフルを構え、物陰から敵を鋭い目で見つめている。

 3人の姿を見送ったフランツがスッと手を上げると、従者らしい男の方から、きらびやかな大剣が飛んできた。それを片手でパシリと受け取ると、鮮やかな手さばきで鞘から解き放ち、流れるような動きでその切っ先をカロリーネの鼻先に突き付けた。

「……てっきり御老体だと思っていたけど……現役なのね……」

「仮にも先祖から戦ってばかりの戦闘一族の当主なんだ。戦えなくてどうする。もっとも、次期当主は、剣自体は上手いというのに戦い嫌いだがな」

 カラカラ笑う彼の目に、陰りはまるで無かった。

「お前みたいな、真正面から単身殴りこんでくる奴は嫌いではない。私が直々に相手しよう」

「光栄だわ」

 カロリーネの頬は紅潮している。正々堂々と勝負を挑まれて、内心嬉しいのだろう。

 ふと彼は、新婦を抱いて壁に身を寄せる息子に目を止めた。

「クリストフ!その()やお母さんを連れて逃げろ!牧師やゲストの事も頼んだぞ!」

「はい!……皆さん!早くこちらへ!避難しましょう!」

 クリストフはコクリと頷くと、大声を張り上げてパニックになる第三者達を招集すると、教会の裏口から逃がしていく。

 その時、傭兵の1人が、彼に銃の照準を向け、引き金を引いた。

「危ない!」

 先に気付いたクララが弾頭の前に躍り出ようとした正にその瞬間、銃声がした。その直後には、銃弾が、ポトリと自由落下する。見ると、2つの弾頭が(いびつ)に曲がってくっついていた。

「何者だ!どこにい――」

 言葉が終わるか否かという時、その発信源である傭兵の眉間ど真ん中に、穴が空いた。男は力なく仰向けにドッと倒れる。

「あれはツオネンだな」

 フランツが呟いた。

 クララはというと、その光景に怯えるどころか、むしろ身を乗り出してまじまじと見つめていた。

「すごい、魔法みたいだ……」

「クララ!何やってるんだい!危ないから早く行くよ」

「分かった」

 新郎に怒られ、彼女はドレスの裾をたくし上げ、小走りで去っていった。

「うちの姉……昔っからあんなんなの……」

 恥ずかしげに顔を隠すカロリーネとは逆に、フランツは笑っている。

「いや、いい度胸しているよ。見込んだ通りだ。……さて、これで気負いなく戦えるだろう」

「そうね」

 2人は、スゥッと深く息を吸い、それぞれの得物を構える。

「どちらが負けても文句は無しな!」

「当然!」

 両戦士は真っ向からぶつかり、刃を交わらせた。



[Ludwig]

 ルートヴィヒとミルズは、この戦いを、控室に続く廊下の陰から見ていた。

 新郎新婦に「出ないの?」と言われて頷きはしたものの、今は、突撃して加勢すべきか否かで悩んでいた。いくら一族を恨んでいても、滅んでほしい程ではない。

「ミルズ……俺は、どうすべきだと思う?」

「行ってはなりません、若様」

 ミルズは、眉間にしわ寄せながらも首を振った。

「そんな事をしてしまっては、全てが水の泡です。旦那様も、若様に戦って頂きたいとは思われていないでしょう」

「それはそうだろうが……」

 ルートヴィヒの表情は複雑だ。

 戦況は、混乱の一途をたどっている。

 しかし、シャルロッテ&『Dysnomia』対『Ultrasonic』の戦いは加勢する必要は無さそうだ。

 シャルロッテの戦法は華やかだ。チョウのような軽やかな身のこなしで音も無く敵の後ろから近づき、ハチのように刺す。かつては子供達の中では最弱と陰口を叩かれていたそうだが、今はそうとも言えないだろう。胸を片手で必死に隠す恥じらいにも、本人にとっては災難だろうが、可憐さを感じる。

 土方の場合は、華麗ではないが、合理的で計算し尽くされている、敵の脚を斬って動きを止めるのも辞さない少し冷徹な剣だ。型はハチャメチャで体の動きも一見初心者も真っ青なずさんさだが、妙に強い。それもそのはず、彼は、型よりも相手の動きから予想しうる最も効果的な動きを優先しているのだ。その身のこなしに無駄は無い。

 一方のマルグリットは、どっちかというと剣の重みで相手を断ち切っている。しかしそれは彼女の本当の戦い方ではない。よく見れば、彼女の周りだけ異様に敵が少ないと分かる。あまりの迫力に、プロの傭兵でさえ尻込みしてしまうのだ。当然、女性が身長よりさらに大きい得物を振り回す光景も圧巻だが、敵がむしろ彼女に気圧(けお)され遠ざかっている光景も壮巻だ。

 ペトリは文字通り裏方だ。ただ、敵にとっては最も厄介だろう。彼は狙撃手。正体を現わさない、どこから狙っているかさえも分からない敵は、万人にとって恐怖である。

 さて、彼らの戦いは順調だとして、問題はカロリーネ対フランツ戦だ。これが正に五分五分なのだ。

 カロリーネが斬り付ければ相手はそれを剣で受け、フランツが胴切りすれば彼女が剣の上に飛び乗って翻弄し、今度こそ自慢の「薄緑」が敵に一太刀浴びせたと思えば、当の本人は既に飛び退(すさ)っており手ごたえは壁のものだったりと、互いに一歩も譲らない。2人共、軽やかさもありながら男性的で力強い戦法だからだろうか。文字通り鎬を削り、鋼の欠片が舞い、火花が散る壮絶なデッドヒートであるのもかかわらず、互いに無傷なまま、ただただ時間と体力だけが消耗されていく。

「……ふぅ」

 どちらも、このままじゃ埒が明かないと思ったのだろう。誰が言うでもなく、2人共自然に引き下がり、壁にもたれて一時休む。

「お前さん、女ながら、並みの男以上に強いな……東西戦争の時より、強くなったんじゃないか?」

「あなたこそ、あと5年で60なのに、並みの若い男より強いわ……」

 自然に、相手への賞賛が漏れる。

「まったく、お前さんがヘルメスベルガー家の一員であれば、我が一族はさらに強くなっていただろうに……」

「まったく、あなたがメンデルベルグ家の一員であれば、私の一族も滅びずにすんだかもしれないのに……」

 彼らは既に後悔していた。

 双子の兄弟から発展した両家が、手を組まずに争い合った事を。

 しかし、それもすぐに吹き飛んだ。解決策を見つけたからではない。もう手遅れだと腹をくくったのだ。

「さあ、仕切り直そうじゃない!」

「そうだな。早くけりを付けて、出来れば結婚式を再開したいからな」

 息が整ったのか、2人ほぼ同時に得物を構え直す。

「おぉらああああ!!!」

 先手を打ったのはカロリーネ。刀を大上段に振りかざし、雄叫びを上げて突進する。

「させるか!」

 刀が振り下ろされたかと思うと、フランツはそれを剣で受け止めた。相手はそれに屈せず斜めに斬り付けるも、彼は辛くもかわす。

「次は私の番だ」

 そう言うなり、彼は、指揮者のようにスッと剣を上げると、次の瞬間、目にも止まらぬ乱れ斬りを繰り出した。

 カロリーネはというと、焦るどころか余裕綽々だ。「速いけど、私の中じゃまだ遅い方ね」とでも言いたげに、攻撃を刀身で受けていく。

 しかし、彼女の脇腹を、激痛が襲った。

「えっ……!?」

 驚愕し我が身を見ると、脇腹に深い刺し傷があった。

 ルートヴィヒには、その傷が意味することが分かった。斬撃の中、ランダムに刺突をさりげなく忍びこませていたのだ。

 彼女自身も、遅れてだがそれに気付いたようだ。悔しげに顔を歪めた。

 フランツはその隙を狙って、剣を上段に構える。そして、

「さて、さようならだな、お嬢さん」

迷うことなく、彼女の脳天目がけて刃を振り下ろした。

 が、

 ガキン

 無機質な音が響く。

 渾身の力で振り下ろされた大剣が、彼女の細い腕を裂きながらも、その腕に受けられていた。

 ルートヴィヒは目を見張り、目を凝らし、さらに息を呑んだ。その傷口からは鉄が覗いていた。

 フランツはというと、一瞬驚きはしたが、『鋼鉄花』の事を知っていたせいかすぐに平静さを取り戻し、剣を構え直して斬りかかろうとする。

 だが彼は気付いていなかった。自分が少なからず動揺している事を。そして、カロリーネがその隙を突いて、刀を収め、代わりに脇差を抜いて腰に隠し、彼の胸に狙いを定めていた事を。

 先に気付いたのはルートヴィヒだった。

「危ない!」

 体が自然に動き、あれだけ拒絶していた父の盾にならんと駆け出していた。

 しかしその体は、軽く弾き飛ばされてしまった。他ならぬ父の手によって、だった。

 父と一瞬だけ目が合う。その瞳は慈しみに満ち、優しく微笑んでさえいた。

 その一瞬後、フランツの胸から鮮血が噴き出した。

「父上……!!」

 気が動転していたせいだろうか。ルートヴィヒの中に、あれだけ恨んでいた男を父とすんなり認めている自分がいた。

 床にゴロリと転がる父親に呆然とする中、彼は、招待状と共にもらった手紙を思い出していた。


『親愛なる我が息子、ルートヴィヒへ


 まだ屋敷には慣れていないようだが、長旅の疲れはとれたかな。いきなりでびっくりしただろう。今まで音沙汰無かった生家に、突然連れ戻されたのだから。今までカンナヴァーロさんに預けっぱなしにしていた事にも、私が思う以上に怒っているかもしれないね。しかし、それにも理由がある。この際だ。カンナヴァーロさんのおかげでだいぶ落ち着いた大人になったようだし、正直に話してもいいだろう。

 まず、素直に言おう。本当にすまなかった。せめて理由は教えるべきだったのかもしれない。理由も分からず家から放り出したのなら、理不尽だと思われても仕方ないと、今になって思う。こう言っておきながら言い訳するのは実に見苦しいだろうが、どうか聞いてくれ。

 私がお前をあの人に預けたのは他でもない。お前も薄々気付いていただろう、その秀で過ぎた戦闘能力と強過ぎる戦士としての本能を抑制するためだった。

 どうもお前は、血の臭いを嗅ぐと、戦闘能力を極限まで引き出せる代わりに、興奮しすぎて制御不可能になるようだ。もちろん、味方を攻撃しない程度の理性は残るようだが、大抵の場合、少なくとも幼少期は、周囲の物を徹底的に破壊するか屈強な男が数人命がけで取り押さえるかしない限り止まらなかった。しかも身体能力が高い。抑えるのだけでも大変だった。

 当然、我が一族でも、将来の主要戦力として教育するか完全に本能を鎮めてしまうかで大いにもめた。その中には、お前を家から追放すべしという過激な連中もいたよ。そして彼らは、実際にそれを実行してしまった。

 お前の失踪後、私達は必死になって行方を捜した。そうすると、非暴力主義者としてちょっとした有名人なカンナヴァーロさんの元で介抱されているという情報を得た。

 私は悩んだよ。家で本能の制御法を編み出すか、それともこの非暴力主義者に息子を託すか、でね。私は後者を選択した。私達が戦闘一族である以上、お前の能力は大きな誘惑だ。きっと、不戦(たたかわず)を教えるどころか、お前を戦争マシンに仕立て上げてしまうかもしれないからだ。

 一応、力の制御という点では成功したようだ。無理な相談に応じて下さり、ルートヴィヒを我が子のように立派に育て上げて下さったカンナヴァーロさんには、感謝してもしきれない。まさか警察官になるとは、想像も出来なかった。ここまでこれば、我ら戦闘一族の中に入っても暴走はまずしないだろう。こちらも内紛を解決し、お前を迎え入れる準備が整った。

 そこでだ。お前にとっては無神経極まりない頼みだろうが、どうかもう一度、ヘルメスベルガー家を家族として認めてもらいたいのだ。もちろん、ナポリからこちらへ移住しろとは言わない。仕事の事もあるだろうしね。私達はただ、もう一度お前を家族に迎え入れたいだけなのだ。

 返事は、言葉だと私としても気恥ずかしい。だから、もし認めてくれるのなら、お前の兄さんの結婚式に出席するという形で示してくれないか。

 出来るなら、良い返事がほしいと願っているよ。


 そうそう。当日は、カンナヴァーロさんとお前の友人だというアンドレッティ君も来てくれるそうだ。式に来なくても、怪我を圧して来てくれた友達には挨拶しなさい。


 フランツ・ヘルメスベルガー』


 ルートヴィヒは1人で手紙を読み返し、涙を漏らした。兄の前で走り読みした事を、今さらのように後悔した。父親としての威厳を保ちたい願望と、19年会わなかった息子への後ろめたさや気遣いが、文面でせめぎ合っていた。

 彼の答えは「はい(Ja)」だった。しかし、いざ和解となると、なぜか父親の前に出るのに躊躇してしまう。それでも帰りたくはなく、勇気が出るまで物陰で隠れておくことにした。

 だが、勇気を振り絞った頃には、時既に遅し。

 フランツの胸から、血がダクダク流れる。息はあるようだが、その命の炎は、もはや風前の灯となっている。

 そして、血の臭いが、ルートヴィヒの鼻を刺激する。

 その瞬間、腹の底から、ふつふつと沸き上がるものを感じた。

 彼の心が、恐怖に震える。

(止められない……怖い!)

 なんとかしてその「何か」を抑えようとするが、それはむしろどんどん頭をもたげ、ついには脳までせり上がって来た。

 頭の中で声がする。

『――殺せ』

「い、嫌だ……!」

 彼の声は震えていた。

 怪訝そうなカロリーネの視線も届かない。

 脳内では、声がさらに低く、強く語りかけてくる。

『戦え。戦うのだ。生きとし生けるものを滅すのだ』

 すると、ルートヴィヒの右手が、ひとりでに父の剣に手を伸ばし始めた。

 彼は懸命に、右手を制止しようとする。

「嫌だ……戦いたくない……!」

 しかし手は言う事を聞かない。どころか、魂自体が体から独立しそうな感覚を覚える。もはや沸き出した「何か」は、全身を支配していた。

 もはや意識さえも遠のいていく――その時、別の声がした。

『――ルッツ』

 ヨハネ神父のものだった。

『慌てるな、ルッツ。まずは心を落ち着かせろ。いいか?お前の力を抑えるのは至難の業だ。なら、別の方向に使えばいい。大切な人を守る為に使え』

 その瞬間、ルートヴィヒの中で何かが、爆せた。

 もやは晴れ、迷いは消える、体も力を取り戻す。

「俺は……皆を守りたい!」

 右手が、父の剣をつかむ。

 状況についていけないのはカロリーネだ。

「あなた、教会にいたあの……!一体何者なの!?」

「俺はルートヴィヒ・フォン・ヘルメスベルガー。この人の次男だ」

「ルートヴィヒ……!」

 彼女の顔が、見る見るうちに蒼白になっていく。

「あなた、もしかしてあの……!もしも東西戦争に出ていればメンデルベルグ軍は兵士含めて全滅していただろうという噂の……!」

 彼女は、手を震わせながらも、しっかりと刀の柄を握る。

「面白いじゃない……!その実力、確かめてやるわ!」

 カロリーネは闘志を奮い起こし、果敢にも突撃する。

 しかし、渾身の一撃が、銃弾をも落とす音速の一撃が、難なく素手で、しかも片手で受け止められた。それどころか、その勢いを利用して彼女の腕を自分の方へ引き寄せ、余った右手に持った剣を喉笛に突き立てた。

「……!」

 悲鳴は無かった。ただ、気管から空気が漏れてヒューヒューいうだけだ。それでも、顔は苦痛に歪んでいる。

 脚の震えを制止し、ガチガチ震える手で刀を握り直すカロリーネに、ルートヴィヒの剣の刃が再びきらめいた。



[Klara]

「本当にどうしよう、クララ……」

「うーむ……」

 教会から脱出した私達は、庭で、未だ続く戦いの解決策を考えあぐねていた。

 可能なら、力づくででも仲裁したい。しかし、フランツさん達はともかく、リーネや『Ultrasonic』の連中は、さいですか、そんなら戦いやめましょか、となるとは思えない。かと言って、武力調停できるような力など持ち合わせていない。

「フランツさんが戦死するとは思えないが……リーネ、強いからなぁ……」

 ふと、横で私と同じように芝生の上に座っていたクリストフが呟いた。

「傭兵の実力がどうなんだろう……」

「『Dysnomia』の3人でなんとか倒せそうだぞ。あの人らがいなかったら危なかったけどな。ま、金で雇っているだろうから、忠誠心も低いだろう」

「そりゃ、力が強過ぎるからって爪弾きされていたところを拾われたあの3人に比べたら低そうだけど、数が多いじゃないか。大丈夫かな」

「きっといけるさ。むしろ、考えないといけないのは、リーネ――カロリーネをどう止めるかだ。きっと今頃フランツさんと渡り合っているだろう。早いとこ止めないと」

「それもそうだな……」

 クリストフも、横にいるテレジアさんも気が気でないだろう。中には、父と弟とのアンドロイドが取り残されているのだから。

 私は考える。フランツさんが死ぬ可能性、リーネが死ぬ可能性、その両方になる可能性――。

 結論は1つ。どう転んでも、身内の誰かが死ぬ。

 そうなると、すべき事は、1つしか思い浮かばなかった。

「――ちょっと教会に戻る」

「「えっ……!?」」

 すっくと立ち上がった私を、2人がぎょっとして見つめる。

「何を言っているの!?死にに行くようなものよ!ここにいなさい!みんなならきっと大丈夫よ!」

「お母様の言う通りだよ、クララ!それに、説得する気だとしても、聞き入れられるとはとても思えない!」

「確かに、彼らが説得を聞き入れてくれるとは思えない。しかし、リーネはもしかしたら私の話なら聞いてくれるかもしれない。その可能性に賭ける。このままでは、どう転んでも私の身内が死ぬ。家族が殺されるところは見たくない。だから、家族の1人として、2人の争いは何としてでも止めたいんだ。分かってくれ」

 すると、クリストフが、「負けました」と言わんばかりにクスリと笑った。

「なるほど、確かに、危ないけれど、君が言うようにした方が良さそうだ。でも1人で行くのは危ないだろう?僕もついていくよ。2人で行けば大丈夫さ」

「クリストフ……」

 彼が、エスコートするかのように私の手を取る。

「お母様はここで待っていて下さい。すぐ帰ってきます。――それじゃあ、早速行こうか」

「ああ……」

 2人は、手を取り合って、教会の扉を恐る恐る開いた。

 むっと、中から鉄の臭いがしみだしてくる。

「うっ!」

 そこは、正に赤色の世界だった。

 床一面に死体が転がり、壁にはべっとりと鮮血が付着している。

「ちょっ!危ないですよ!お下がり下さい!」

 返り血でせっかくの黄色いドレスがベトベトになってしまっているマルグリットさんが、こちらに走り寄って来た。

「マルグリットさん。私達は、カロリーネを説得しに来たんです。通して下さい」

「いや、カロリーネなんてまだ可愛いもんですよ!そうでなくて、あれですよ!あれ!」

「あれって……」

 2人ふと指差す方向を見やり――血の気が引いた。

 1人の青年が、二振りの剣を振り回して人間という人間をバッタバッタと斬り倒していた。

 顔まで返り血が付着してしまっているので分かりにくいが、間違いない。

 しかし、認めたくなかった。

 ルートヴィヒさんが暴走しているなんて。



[Caroline]

 カロリーネは、未だルートヴィヒと鍔()り合いを繰り広げていた。

 彼女の体力は既に限界だった。しかし相手は、『Ultrasonic』の傭兵達とも渡り合っている。父の剣と執事ミルズから借りた剣を二手に持ち、宙を舞うように戦っている。

 カロリーネが振り絞った力で斬りかかるも彼は片手で受け止め、さらにそれを真っ直ぐ滑らせるようにして彼女の腹を突く。同時に、傭兵の放った弾丸を顔も向けずに刀身で叩き落とす。今度は傭兵に顔を向け、カロリーネの腹に刺さった剣を抜くと、足を踏み込んで宙を舞う。マシンガンの迎撃の嵐をくぐり抜けると、小銃を左右サイドから向けてきた男2人の顔を開脚で蹴り倒して昏倒させ、地上へ降り立つ。すると精密な動きで敵をバッサバサと斬りバッタバッタと薙ぎ倒していく。敵は必死で応戦しようとするが、間に合わず、なすすべもない。

 疲れ切ったカロリーネは、床にへたり込み、壁に背中を預けて見物するしかなかった。彼女は生まれて初めて、戦闘中に自分から武器を置いた。

 彼女がぐったりしてルートヴィヒの戦いを他人事のようにぼんやりと見つめていると、

「――リーネ!」

 聞き慣れた声がした。

 見上げると、白いウェディングドレスを身にまとったクララが、妹を見下ろしていた。

「大丈夫か?リーネ」

「……っ!」

 喉をやられて呻き声も出せないカロリーネは、横にしゃがみ込んだ姉を、視線で冷たくあしらう。

「まあ、そう怖い目をするな。私は、お前とヘルメスベルガー家の争いを止めに来ただけだ」

 妹が、顔を顰めながらも喉の傷口を手で閉じて口を開こうとしたが、先にクリストフが、倒れている父の横で立て膝をついて叫んだ。

「ルッツはどうする!?止める!?」

「いや、彼が攻撃しているのは、サハラ砂漠に雪を積もらせるのと同じくらい説得が難しい連中だ。放っておいていいだろう。それより、フランツさんの傷の手当ての方が先だ」

「分かった」

 彼が父の止血を始めたのを確認すると、クララは妹に向き直った。

「すまんな、話してくれ」

「……私は、和解する、気なんて、さらさら、無いわ……。私は、必ず、ヘルメスベルガーを、滅ぼす……!」

「そう意地を張るな。……そうそう、やっと何となく分かったよ。お前がそんなにヘルメスベルガー家にこだわるのか」

「!?」

 カロリーネが、ぎょっとして姉を見つめる。

「ど、どういう事!?」

 そんな彼女に、クララは優しく語りかける。

「お前は、ヘルメスベルガー家に、家族の理想形を見ていたんだろう?」

 彼女は、怒りもせず、ただ静かに頷いた。

「メンデルベルグ家みたいに母子3組と父が別棟で暮らしているわけではなく、家が皆一つ屋根の下で暮らしている。父は1人の妻を愛し、妻と共に子供を育てている。執事やメイドは1人専属で信頼できる。子供達は皆仲が良い。何より、夜父が家にいる。――ここら辺が、お前の理想と合致したんだろう。そして我が身を鑑みると、理想はまるで叶っていない。お前はまず羨ましく思い、やがて嫉妬し、それが憎しみに変わった。……ざっとこんなもんだろう」

 クララは続けた。

「だがな、今のお前になら分かるだろう?彼らも完璧ではない。あの人、ルートヴィヒさんは、その高すぎる戦闘能力のせいで家を事実上追われた。シャルロッテちゃんは、一族最弱の汚名を晴らす事に執念を燃やし、父に命令されたリーネ暗殺に執着し、結局自分というものを見失ってしまった。幸と不幸なんてものは、トータルすれば皆一緒だ。何をそんなに嫉妬する必要がある?」

 すると、カロリーネは、プッと膨れてしまった。

「そうは言っても、今さら心変わりなんて出来ないじゃない!」

 クララは、静かに諭す。

「何でだ?人は放っておいても変わっていく。昨日と今日のお前は違っている。これがイメージしにくくても、例えば10年前のお前と今のお前とではまるで別人だろう?だから、人は必ず変わっていくし、人が作る社会も変わる。だから、意見を頻繁に変える人間は論外だが、逆に何があっても頑として考えを変えようとしないのは、律儀、とかいうレベルなら褒められるべきものだが、度を過ぎれば危険だ。人はそれを頑固、あるいは度を超したなら狂信という」

「…………」

 カロリーネは、俯いて膝を抱え込んでしまった。

「ま、突然考えを変えるのは難しいだろうが、別に執着する必要も無いという事だ」

 攻撃の意思は無いと判断したのか、クララは妹を置いてクリストフの方に歩み寄った。

「フランツさんの調子はどうだ?」

「かなり危ないよ。胸をやられている……」

 その目は、今にも落涙しそうだ。

「デュボワさんとミルズさんに、教会の外に運び出してもらうように頼んだらどうだ?3軒隣りは病院だと聞いたぞ?」

「そうしよう。……デュボワさん、ミルズさん、ちょっとお父様を病院まで運んでくれないか?」

「畏まりました」

 2人にフランツを任せたクララはふと、ルートヴィヒの方に目を向ける。

 彼は、『Dysnomia』や妹と協力しつつも、ほぼ1人の手で傭兵達を蹴散らしていた。2振りの剣を巧みに操り、立ち塞がる自分よりも遥かに大きい敵を次々と斬り捨てていく。

 そんな彼の前に、マシンガン片手の男が躍り出た。だが、男が引き金を引いた瞬間、その弾丸はルートヴィヒの背後にいた傭兵を蜂の巣にした。

「なっ……!」

 声を上げた瞬間、彼のこめかみに、ルートヴィヒの足がヒットした。ルートヴィヒは先程、マシンガンの猛攻を、右手の剣を口に咥え、その余った腕で背後にいた例の傭兵の頭上に片手逆立ちしてかわし、同時にその状態で体を駒のように回転させ、マシンガン男を含めた周囲の敵を蹴り飛ばしたのだ。

 残るは1人。しかも、怯えて銃を持つ手が震えている、20歳にもなっていないであろう可愛らしい少女だ。

 と、ここで、クリストフが言った。

「ルッツ、お疲れ。その女の子は、生け捕りにでもしておいてくれ」

 ハッと、ルートヴィヒが顔を上げる。

 一面に人が倒れ、その地で床を染めていた。

「これは……」

 彼は、呆けたように足元を見つめる。

 ふと、彼が傭兵の少女に気付いた。

「こ、来ないでぇ!」

 彼女は、ガチガチ音を立てる歯を食いしばり、ガタガタ震える手で銃口を彼に向けている。

 しかし、

「隙だらけだぞ」

 ルートヴィヒは目にも止まらぬ速さで彼女の後ろに回り込み、その腕を固めてしまった。

 少女は、恐怖のあまり声も出せず、体もすくんでしまっていた。

「兄様、まず何から吐かせます?」

「上司とその目的だね」

「……というわけだが、知っているか?」

「ひっ!!」

 女の子の細く白い首に、冷たい光を放つ剣が突き付けられる。

「え、えと、依頼主は、ヴィーラント・フォン・メンデルベルグ様、です!」

「そうかそうか。で、その目的だな?大体想像は付くがな。複数あるんなら、全部言えよ」

「も、目的ですか?ひ、1つ目は、ルートヴィヒという人の身柄の確保と始末、でしょ?2つ目は、えと、ヘルメスベルガー一族の始末、で……あと1つが……えー!何だっけー!!」

 女の子は、ガタガタ震えながら泣き出してしまった。

「おいおい、プロなのに依頼忘れたのかよ」

 そう笑いながらも、ルートヴィヒの表情は優しい。この気の弱い少女を気に入ったのだろうか。

「ち、違うんです!直接実行するのは私達じゃないんです!」

 クララが、ハッと息を呑んだ。

「つまり、別隊がいるということか!?」

「うー……実はそうなんです……。それで、その人達の目的は、クララという人の――」

 その時だった。ステンドグラスを突き破って、機動隊のような服の男達が乱入してきたのは。

「なっ……!」

 ガッシャーン!と大音量で響き渡り、皆ドキッとして音の方を見やる。

 しかし、だからこそ気付かなかった。教会の裏口からも、侵入者が現われた事に。

 直後だった。

「やめろ!!放せ!!」

 クララが男達の1人に捕まり、その肩に無理矢理担ぎ上げられてしまった。

「このっ……!クララを放せ!」

 真っ先にクリストフが敵に飛びかかろうとするが、相手の足は異常に速く、まるで追い付けない。さらに他の敵が背後から追ってくる。いつ追い付かれてもおかしくないが、追い付かれたら足止めを食らう。

(どうすれば……!)

 と、その時、彼の横を、黒い影が通り過ぎた。

 カロリーネだった。

 抜き身の刀片手にまるで黒い風のように、怪我をしているとはとても思えないスピードで、クララをさらった男との間合いを詰めていく。

(いける!)

 彼は直感した。

「そっちは任せるよ!追っ手は僕がなんとかする!」

 彼女は、不思議そうに振り返りながらも、コクリと頷いた。

「よし!」

 クリストフは踵を返すと、4、5人の敵目掛けて剣を手に突進した。

 一方のカロリーネは、黒塗りのベンツを追っていた。敵が、ベンツにクララを放り込んで逃走したのだ。

 車は猛スピードで逃げる。しかし、人を乗せるちょっとした時間に、彼女は、敵の目と鼻の先まで追い付いていた。

「……!」

 ヒュッと喉を鳴らして地面を強く蹴り、空高く飛び上がる。着地地点はボンネットの上だった。

 車の中が見える。後部座席には、テープで手を縛られ口を塞がれたクララの姿があった。その目は珍しく恐怖に見開かれている。

 運転手は車を蛇行させ、カロリーネを振り落とそうとする。しかし彼女は、ボンネットのわずかな引っかかりに手を掛け、なんとか耐えようとする。

 次の瞬間車がドリフト走行した。

 カロリーネは必死で腕に力を込めるが、逆にボンネットの一部が取れ、彼女は枯れ葉のように投げ飛ばされてしまった。さらにダメ押しと言わんばかりに、車は空中に放り出された彼女をはね飛ばした。ついでにと、車体をUターンさせ、やっとの思いで追ってきたクリストフをもはねてしまった。

 倒れ伏した2人を置いて、黒いベンツは走り去った。

 その直後、今度は教会に向かって、白いミニバンがやってきた。

 ミニバンは2人の真横で停車した。

「どうされました?大丈夫ですか?」

 運転席から降りてきたのは、ヨハネ神父だった。

「どうしたの?」

 カルロが、後部座席の窓から顔を出す。

「人が倒れている。交通事故としては傷が妙だが……」

「乗せてあげなよ」

「もちろん」

 神父は2人を車に乗せ、教会へ急いだ。


 教会では、敵を倒したヘルメスベルガー一族が、2人とクララの帰りを待っていた。

 やがてカロリーネとクリストフが帰ってきたが、カロリーネはぼろぼろと涙を流し、クリストフは沈んだ顔で左足を引きずりながら歩いてきた。

 教会へ入って来ていたテレジアが、目を潤ませる息子を優しく抱き寄せた。

「きっと、そこの女の子が言っていた別隊だよ。あいつら、車を持っていた。それで、2人共はね飛ばされたんだ」

「大丈夫よ。あの子は無事に帰ってくるわ。それより、車にはねられたの?病院に早く行って来なさい」

「でも、そんな余裕無いよ!クララが……!」

「クララは私達で捜すわ。必ず見つけ出すからね」

 そこに、神父と車椅子に乗せられたカルロが入ってきた。

「養父さん!カルロ!」

 ルートヴィヒの表情が華やいだが、2人はポカンと中の惨状を見つめていた。

「ルッツ、何これ!?」

「今から説明するよ」

 3人が話し合っている横では、カロリーネがまださめざめと泣いていた。

 しかし、グッと拳を握り締めると、喉の傷を手で閉じ、クリストフの元へと歩み寄った。

「――クリストフ、さん、ね……」

 ルートヴィヒはハッと剣を構え直し、『Dysnomia』達も身構える。

 しかしカロリーネは刀を収めると、崩れ落ちるように、クリストフの足元でひざまずいた。

「お願いします……!どうか、私に手を貸して下さい……っ!」

長い!40000文字ギリギリだ!

ちなみに、次が最終章の予定。

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