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文字を創った彼女

作者: 森 祐希

 Ⅰ


 ある日の朝、文字を創ろう。

 彼女は、いきなりそう思いたった。

 理由は覚えていない。

 その頃の私と、今の私とはきっと別人になっているから。それでも推定することならば、私にもできる。

 その頃から私、いや彼女は創作というものに興味を持っていた。小説や戯曲を書いたり、詩を創ったり、さらには漫画や俳句にも挑戦していた。

 しかしそれでも上手くは表現できなかった。

 いったい自分とは何なのか、ということを。

 今でも完全には表現できてはいない。私に似たようなものしか現れてこない。……まぁ私の話は別にしなくて良い、また今度にしよう。

 とにかくそんなわけで、彼女は文字を創ることにした。

 もちろん出鱈目に、というわけにはいかない。するからには徹底に。

 これは今でも私の信条の一つ。

 昼間には学校で、退屈な授業を受け、退屈な話を聞く。そして帰ってから、休日には一日中図書館や家で、言語学や哲学の書を捲った。

 自発的な勉強というのは、どこか自由でいい。

深夜まで起きていても、特に責められはしなかった。勉強をしていると思われたのだろう。まぁ実際、勉強ではあったけれど、その方向が違うだけだ。

 学校でも同様、何も注意は受けなかった。

 教師としての職業意識の不足、責任逃れともいえる。教師というのは学校から出るとまた学校に戻る、変な人種だ。

 教えることに興味があって、その対象は誰でもいい。人として、心から尊敬できる人のは、一人か二人くらいしかいない。いや、それぐらいいれば良いほうか。その方とは今でも交流がある。

 一、いや二週間ほどそんな生活を続けていた。

 たしか期限を設けていた気がする。だらだらと長くするのは、性に合わない。

 そこで学習したこと、そしてそのあとの経過を、日記のようにして彼女はノートに纏めていたようだ。

 そのノートが先日、実家の押し入れから出てきた。そのことがこの依頼を引き受けて、書くことを決めたきっかけでもある。

 私のように綺麗な字ではなかった。誰に見せるためのものじゃないのだから仕方ないといえば仕方ない。

 矢印があちらこちらへと引かれている。原因と結果か? それとも前後関係か? いっしょくたになって、一目では意味がよくわからない。

 彼女が学んだことを要約すると。


 1、言語活動とは社会性を持った幻影に過ぎない。


 2、言語は個人の言語、地域(グループ)の言語、国全体の言語に分かれ、それぞれが独自に存在

   し、互いに影響を与えあっている。


 3、言語に必要な要素としては、音、聴覚イメージが概念と結合していること。

   ただそこで聴覚イメージは、視覚イメージや触覚イメージであっても支障はない。利便性から聴覚

   イメージが選ばれたにすぎない。


 4、言語の差異が生じるのは、時間性と空間(地理)性の二種類において。

   空間性の差異は理解できるが、時間性は、観察者自体が時間に囚われているため、よほどの隔た

   りがなければ、その差異を見抜くことはできない。


 5、言語で表現しようとしても、その表現者自身の言葉になり、また受け取る側も自分の言語で解釈す

   る。

   そのため正確で完全な意思疎通というものは不可能である。


 ……などなど、挙げればきりがないのでここまでにする。

 言語について、そのようなことを私は解釈していたようだ。この5のルールに沿えば、そういうことしか言えないだろう。


 言語という、よくわからないものの分析はそこで終わり。

 次からは創る段階。

 ただ分析を終えたあと、二週間以上に渡って日記が書かれていなかった。分析と創ることには、つまり理論と実行には乗り越えるのが難しい、大きな隔たりがある。言うことだけならば誰にだってできる、ということか。

 分析の終了から十六日後、日記が再開されていた。

 その日のところには、

「やっと見つけた。これで創ることができる」

 とだけ書かれていた。

 いったいどういうことだったのだろうか。


 Ⅱ

 

 ずっと私は悩んでいた。

 理論や規則というものは、私の中ですでに創ることができたのに、どういう文字を創るべきか、となると考えがまったく浮かんでこない。

 カレンダーを見る。今日は六月二二日、明後日からは期末試験だ。

 試験自体にはそれ問題はない。赤点さえ取れなければそれでいい。

 なぜ、他人に記憶量を見せなければならないのだろうか、しかもこんな拙い知識を。歴史上の事件の名前を覚えることに、なんの意味があるのだろう。名前だけになった出来事。授業中、それがいつも疑問だった。

 ……きっと今日と明日がタイムリミット。ちょっとでも日が開いてしまえば、たぶん何もできなくなる。

 そんなことを思っていると、携帯からメールの受信を告げる音。

 見ると、テスト前だから遊びに行かない? との友人からの誘い。

 テスト前と、遊びにいくこととは論理なつながりがないような気がする。いちいち言うことではないから言わない。

 残り二日のうちの一日がつぶれるのは厳しいかな、なんて思ったけど最近は文字創りに集中しすぎて、友達と遊びに行っていなかった。

 誘われても事情がある、と言って断ってきた。その日は図書館ではなく、ずっと二階の自室に籠りっぱなしだった。

 そろそろ危ないかな、そう思う。

 一人でも別に大丈夫なのだけど、周囲から可哀想なんて憐みの目を向けられると思うと、いじめる側より腹が立つ。何様のつもりなのか。

「いいよ」

 返事を打ちながら、つい声が出てしまう。しかしこれだけだと寂しいか、適当に顔文字なんか入れてっと……。

 そのとき私は、はっとして思わず携帯の画面にくぎ付けになった。

 そうだ、この記号を使えばいい。

 なぜ今まで気付かなかったのだろうか、不思議に思う。

 良いアイデアほど考えているときは逃げていくのに、考えを止めた途端に近づいてくるものなのかもしれない。

 やっと実現することができる。

 私の、私たちの時代の文字が創れる。その嬉しさのあまり、思わず「ありがとう」とだけ書いたメールを送り返す。

 その返事の返事は「??」というものだった。


 Ⅲ


 今日はテスト終わりで、学校は休み。

 私は一日中携帯を睨みながら、文字を創っていた。まずはひらがなの五十音。最初は時間が掛かったけれどパターンが見つかれば、あとは楽に行った。

 使用する文字は記号だけでなく、漢字やカタカナ、アルファベットや数字も含んでいった。

 「あ」はカタカナのアに似た了、「い」はL丶、という風に形から取っていった。

 漢字は形を崩して林は木木、鉄を金失というように、どこか子供の遊びにも似ているけれど。

 とりあえずは創ることができた。私はどこか満たされた気持ちになっていた。

 ただそれも長続きはしなかった。

 創った以上は、それを私だけで留めておきたくはなかった、この文字を広めたい、そんな欲が出てきた。

 ではどうするか。

 きっかけともなった携帯を見る。

 この文字は携帯かパソコンの中でしか使えない、書くこともできないこともないが、それはすこし鬱陶しいだろう。

 アドレス帳を見ながら考える。誰に広めたら効率がいいだろうか……視点を変えよう。流行を求めている人はだれか? 一人の名前が目に付いた。

 去年同じクラスだった人で、私とはタイプの違う人。

 なんでアドレスを知っていたのだろう……そうだ、文化祭後のクラス会のときか。結局、連絡は取っていないはず。

 この人ならいいかもしれない。そう思い、メールを送る。件名は入れず本文に「はじめまして」と、私の文字で書いて送った、名称はまだ決めなくてもいいか。

 送信後、すぐ返信が来た。

 アドレスが変わっていたらどうしようかと思ったがそのままだったようだ。その本文は「何?」の一言。私でもそう送り返すだろう。いや無視するかもしれない。

 もう一度送る、文面は同じで。またすぐに返信が来る。ずっと携帯を見て、メールを待っているのだろうか。

 その返信は「だから、何なの?」

 何に対しての「だから」なんだろう。……伝わらなかったらどうしようか。そう思い三度目のメール。

 今度はしばらく時間が経ってからメールを受信。無視されたかと思い、不安になりながら本文を読む  「あーもしかして『はじめまして』?」

 よかった、やっと通じた。安堵とともに喜びが広がる。ただそう喜んでばかりもいられない。まだ通じたのは六文字だけだ。

 そのあとも私はメールを送り続けた。

 少しずつ文字数を増やして、多くの文字を使うようにして。通じないところもあったが、その文字は改良を入れてわかりやすくした。

 なにか外国の人、いや異星人と会話をしている気分になる。きっと私のほうが異星人なのだろうが。

 ひらがなに加えて、漢字も少し入れていった。こちらは比較的すぐに分かってもらえた。

 ぱたっと相手からの返信が止んだ。どうしたのだろうかと思って、ふと窓を見るとすでに日が暮れていた。

 一階から母親が呼ぶ声がする。そこへ行くと、

「どうしたの、そんなににやにやして」

 そう声をかけられる。どうしたの? 本当にどうしたのだろう。

「いや、うん、ちょっとね」

「変な子ね」

 平凡な子より、変な子のほうが余程か良い。そう思った。


 Ⅳ


 休み明け、久しぶりに登校すると、教室の隅で幾人かのクラスメイトが固まっていた。全員が女、まぁよくある光景。私も加わる。

 話の内容は、隣のクラスの誰かが創った文字のようなものの話。

 ……彼女が創ったことになっているようだ。それは別にかまわない、むしろ私が創ったとばれることのほうが怖かった。祭りのあとの神輿は邪魔に扱われる。

 友人の一人が携帯を見せながら、

「望都さん、この話知ってる?」

 と、訊いてきた。

「ううん、聞いたことないなぁ」

 嘘はついてない、その話を聞いたことは初めてだから。


 その後、その文字は広まっていった。クラスから学年、次に学校全体。学校から学校へ、そして街から街へと。

 謎めいた文字の形が興味をかき立てたこと、それにより友人や仲間内のコミュニケーションの道具として使われることが流行の要因だ、とテレビや雑誌なんかにも取り上げられた。

 思春期の子供による、大人への反抗だ。とも書かれていたが、特にそんなものは感じなかった。

 私たちはそんなことを考えて行動してはいなかったと思う、それを大人がどう取るかは別問題だけど。

 文字が広まるにつれて、だんだんと文字のバリエーションが増えていった。「ギャル文字」という名が付けられた。

 使用者の多くがギャルだからギャル文字。安直なネーミング。名前なんてどうでもよかったけれど。

 ……ただ、それはもはや、私の手から逃れていくように思えた。

 「文字を創った」彼女とは、たまに連絡を取り合った。正体は知らせずに、もちろんあの文字で。

 相談なんかもされたことがある。

 まるで、神かなにかだと勘違いしているのかもしれない。

 異星人はやがて神になったようだ。

 文字を創り、そして流行らせる。

 なにか一つのことを成し遂げることできた。私が生きた痕跡を残すことができた。そう思っていた。

 そんな達成感、満足感、とでもいうものもまた感じていた。

 でも、終わりもまた、あっけないものだった。


 Ⅴ

 

 創ってから、だいたい一ヶ月後。

 その文字は全国へと広がっていった。私たちは流行を追うことだけには敏感だ。じっと出てくるのを待っている。

 真面目な学者が、この文字が日本語にもたらす問題点を指摘していたこともある。指摘はするが、改善策は出さない。もっと他にすべきことはなかったのだろうか。

 ちょっと前から、ネット上でマイプロフィ―ルというものを創って、日記を付け始めた。

 また普通の日記も同様に、これは秘密の日記。

 ネット上の、公開する日記には日々の出来事(もちろん実生活をそのまま、というのではなく受けるように創作したり、名前や性別を変えたりして)や、小説や詩なんかも載せた。私の創った文字で。

 それなりにアクセス数は伸びていた。

 これからは個性化の時代だ。なんて呼ばれていたけれど、私たちの考えや思考なんて、結局は似たようなものなのかもしれない。

 その日も学校から帰って日々の出来事を纏める。

 生活のなかで、唯一安らげる時間。

 人付き合いが嫌いだ、というわけではない。ただ、ほんの少し息が詰まってしまう、そんな瞬間があった。

 ネット上の、もう一人の私。

 違う言葉を使う私。

 どっちが本当の私なんだろうか。

 そんなことを考えながら、文字を打っていく。

「……」

 キーボードを打つ手が止まる。

 ふと、気付いてしまった。

 私が創った文字、この文字を知らず知らずのうちに日本語として読んでいる。日本語として使っている。

 なら、これは新しい文字でもなんでもない。

 単に日本語じゃないか。

「はは……」 

 椅子に座ったまま背を反らして、天井を見上げる。

 急に馬鹿らしくなった。

 私は何を自惚れていたのだろう。文字を創った、なんて。

 勝手に舞い上がっていた。

 私には何も残せるものなんてない、そう思い知らされたような気がした。

 その日は夕食も取らず、寝る。

 そうしなければならなかった。

 考える時間が必要だった。

 もう一人の私が去っていった、いや死んでしまったこと。そのことを理解するために。


 Ⅵ


 日記は、そこでまた中断している。きっとネットの日記も止めたはず。探せば見つかるかもしれないが、あえてしない。

 秘密の日記のほうは、それから半年後に再開されていた。

 本当にとりとめないこと、どうでもいいことを書いている。まったく興味が惹かれない。

 言葉を創ったことについては、そんなこともあったかな、というぐらいで、あまり覚えてはいなかった。

 たまにテレビで取り上げられたりもするが、どこか他人事のように見ている。まぁ実際に、私の手からは離れていったのだけど。

 冒頭でも少し触れたが、私は、つまり今の私は小説家という職業に就いている。文字を創る側から、使う側へ、いや使われているといったほうが適切か。

 執筆をしているときに、ふと違う人に躰を使われているような気になる、それが日記に書かれていた「もう一人の自分」ということだろうか。

 そうだ、あと少しだけ補足しよう。

 彼女の創った文字は、その後もブームが続いたが、二〇〇六年あたりからはだんだんと下火になっていった。

 結局、彼女は新しい文字を創ることはできなかった。

 そういうことになるのだろうか。


 ……さて、もうこれくらいでいいだろう。

 「作家の視点から見た『ギャル文字』について」の原稿は、以上のことを持って締めさせてもらおう。

 求められたテーマとは外れているかもしれないけれど。

 最後になるが、どれが事実で、どれが創作か。ということはあえて言うまい。謎は謎のままで良い。


 そんなことを書いていると、携帯が震えだした。メールが来たようだ。

 送信者は「文字を創った彼女」。


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