開港初めのジャガイモの輸出
開港5港とは、幕末の1858年(安政5年)に結ばれた日米修好通商条約をはじめとする安政五カ国条約に基づき、外国との貿易のために開かれた5つの港のことで 上から
函館(箱館):北海道
新潟:新潟県
横浜(神奈川):神奈川県
神戸(兵庫):兵庫県
長崎:長崎県
がこの5つだ。
歴史の教科書などで開港の話を聞くとまず思い出すのは長崎県だろう。
キリシタン大名の大村純忠らの誘致により、元亀2年(1571年)にポルトガル船が入港してポルトガル貿易港として開港した。
開港と聞くとすぐに外国船が出入港し食料や物質なども潤うと思いがちであるが開港当初はそうでもいかなかったようだ。
開港5港であった函館には早くから欧米の船が出入りし、船員たちの食料としてジャガイモの栽培が伸びていた。
幕末の開港初め(1859年〜)、ジャガイモ(馬鈴薯)は日本の重要な輸出・販売品の一つで江戸時代を通じて「飢饉時の救荒作物」や観賞用として扱われていたジャガイモですが、開港を機に「外国人向けの食料」として一気に需要が高まったからだった。
そこに病害・虫害が発生したのは1900年。道庁が残した記録からは、全滅への危機感が伝わってくる
防除に躍起になっても根絶は容易でなく、影響は10年も続いた。それを救ったのが、明治から昭和にかけて活躍した日本の実業家で造船界でも名を知られた川田龍吉だった。請われて函館に渡り、造船・修理所の立て直しに当たった。
日本の食卓でおなじみのジャガイモ「男爵いも」は川田龍吉が生んだ最高傑作といわれている。
趣味は園芸と読書の二つ。外国から農業雑誌を取り寄せて読むのが楽しみだった。そこで知ったジャガイモの新種を米国から取り寄せたところ、めっぽう病害虫に強かった。川田が男爵であったことから、この品種が男爵イモと呼ばれるようになったという。
アメリカはジャガイモを輸入するよう圧力を強める。北海道民からは病害虫が一緒に入り込まないか懸念が聞こえてくる。




