第7話 初めての行事
あれから、半年ほどの歳月が流れていた。
季節は秋。
校庭の木々が少しずつ色づき始め、空気もどこか軽い。
この学校では、十月に運動会が行われる。
そのせいか、校内全体がどこか浮き足立っていた。
……もちろん、桜も例外ではない。
「あおいちゃん! あといっしゅうかんで、うんどうかいだね!」
「うん、そうだね」
この会話を、もう一か月は毎日繰り返している気がする。
桜はとにかく運動会が楽しみらしく、
登校中、休み時間、帰り道――
隙あらばその話題を振ってくる。
そして不思議なことに、
俺はそれを鬱陶しいとは、ほとんど感じなくなっていた。
この半年で、桜との会話はずいぶん円滑になった。
変わったことといえば、さくらちゃん呼びをやめ、桜と呼ぶようになったことぐらいだろうか
どうしても、ちゃん呼びはむず痒くなる。
席替えは二か月に一度。
これまで三回あったが――すべて、桜の隣の席だった。
もちろん、偶然ではない。
……俺が、魔法で操作した結果だ。
言い訳をしたくない。
だが一つだけ言うなら、クラスメイトに話しかけられると、言葉が詰まってしまうんだ。
だから――桜の隣が、一番“安全”だった。
桜家族とも最初の食事会以来、交流は何度も続いている。
最近では、テーマパークに一緒に行った。
……自慢ではないが、全力で楽しんだ。
ジェットコースターに乗って、
キャラクターの着ぐるみと写真を撮って、
気づけば、笑っていた。
精神年齢が、肉体に引っ張られている。
だが、不思議と喪失感はない。
「失っている」のではなく、「適応している」――
そう言った方が、しっくりくる。
この世界には、
動物園、遊園地、水族館……
前世では考えられない娯楽が溢れている。
いつか、全部行ってみたいと思っている自分がいた。
運動会まで、残り一週間。
この期間は特別で、授業の半分が運動会の練習に充てられる。
今日も、三・四・五時間目はすべて練習だ。
「はい、今日は三時間目から校庭に出ます!」
先生の声に、教室がざわつく。
「やったー!」
「外だー!」
一年生は、それだけでテンションが上がるらしい。
三時間目は、開会式と閉会式の練習。
整列、礼、校歌。
ひたすら立って、座って、並び直す。
正直、地味だ。
「桜、ちゃんと前見なさい」
「えへへ……」
桜はすぐに隣を見てくる。
俺は何も言わず、そっと前を向いた。
四時間目は、組体操。
……正直、時代錯誤な気もするが、
一年生ということもあって内容はかなり簡単だ。
二人一組で手を繋いでポーズを取ったり、
三人でしゃがんだりする程度。
怪我の心配は、ほぼない。
「はい、次は“山”の形です!」
先生の号令で、桜が俺の腕を掴む。
「ね、あおいちゃん、こう?」
「……うん、それで大丈夫」
五時間目は、短距離競走の練習。
位置について、よーい――
「ドン!」
一斉に走り出す。
……遅い。
いや、正確には、
“意図的に”遅くしている。
魔法で身体能力を上げれば、
誰にも負けない自信はある。
だが、それをやる理由はない。
今は、“普通”でいる方が大事だ。
「桜、速いね」
「えへへ! あおいちゃんもがんばって!」
その笑顔に、妙な罪悪感を覚えた。
—————
世界から一瞬音が消えた。
そうしてすぐに
『《1週間後葵の秘密が"バレる"ことになる》』
……ん?
今、誰か喋ったか?
周囲を見回すが、
先生も、子どもたちも、何事もなかったようにしている。
……気のせい、か?
————
前世も含めて、
“行事”というものを経験するのは、これが初めてだ。
なら――
最大限、頑張るとしよう。
そう、心の中で小さく決めながら。
———運動会当日の朝
「葵ー、朝よ。起きなさい」
母の声と同時に、部屋のカーテンが勢いよく開けられた。
一気に差し込んできた朝日が、まだ半分眠っている頭を直撃する。
「今日は運動会でしょ?」
「早く起きて、顔洗ってきなさい」
「……はーい」
布団から体を起こした、その瞬間だった。
「葵ー!」
父がやけに軽快な足取りで部屋に入ってくる。
手には、どう見ても高そうなカメラ。
「昨日いいカメラ買ったからな!」
「今日は葵の可愛い姿、たくさん撮るぞー!」
「……パパ?」
「なにそれ、聞いてないんだけど?」
その一言で、空気が変わった。
母の背後に、はっきりと“オーラ”が見える。
「あ、あれ?」
「い、言ってなかったっけ?」
父が母への説得を試みる。
「マ、ママ!」
「とりあえずその握りこぶしを緩めよう!」
「ね?落ち着いて!」
父の必死な説得も虚しく——
ごすっ、という鈍い音。
……おぉ、痛そう。
「全く……パパは、どうして相談もなく……」
母は深いため息をついたあと、こちらを見た。
「さぁ、葵』
「早く顔を洗ってきなさい」
「……ね?」
逆らうという選択肢は、最初から存在しない。
「は、はい!」
素直に部屋を出ることにした。
母よ、魔王よりオーラ出てなかったか?...
⸻
朝食を済ませ、身支度を整える。
今日は運動会のため、服装は学年ごとに色分けされた学校ジャージだ。
一年生は、赤。
水筒とタオルをランドセルに入れて背負う。
教科書がない分、いつもよりずいぶん軽い。
玄関へ向かうと、両親が並んで待っていた。
「葵、私たちはあとから行くから」
「気をつけて学校に行くのよ」
「うん、わかった」
「パパがな!」
「観客席の一番前、絶対取ってやるからな!」
「……パパ、ほどほどにね」
「「じゃあ、行ってらっしゃい!」」
「行ってきます!」
思った以上に大きな声が出た。
自分でも少し驚く。
……俺、結構楽しみにしてるな。
⸻
学校へ向かう道の途中。
同じ赤いジャージを着た小さな影が、こちらに向かって全力で手を振ってきた。
「あおいちゃーん!!」
「桜」
いつも以上に、テンションが高い。
「おはよう!!」
「今日は楽しみだね!!」
「うん、そうだね」
「桜、いつも以上に元気だね」
「もちろん!!」
「今日のために、かけっこも玉入れも、れんしゅういっぱいしたもん!!」
「そうだよね」
「短距離競走も、玉入れも、頑張ってたもんね」
「えへへ」
そんな他愛ない会話をしながら、並んで学校へ向かう。
⸻
校舎に入ると、まずは教室へ。
しばらくして担任が入ってきて、HRが始まった。
朝の挨拶を終えると、担任は今日の運動会の日程を簡単に説明する。
HRが終わると、全員で校庭へ移動した。
すでにグラウンドでは、クラスごとの整列が始まっている。
「桜、ここ」
「うん!」
自然と、隣に並ぶ。
「ねぇ、あおいちゃん」
「なに?」
「きょうさ」
「あおいちゃんが走るところ、ちゃんと見るね!」
「……ありがとう」
「わたしもね!」
「がんばるから、あおいちゃんも見てて!」
「……うん」
開会式の放送が流れ始め、
ざわついていた校庭が、ゆっくりと静まっていく。
(今日は――運動会だ)




