第3話 前日と当日
夕食時、母から心配そうな声がかかった。
「葵、大丈夫? 明日から小学校よ?」
箸を持ったまま、俺はにこっと笑う。
「うん! 大丈夫!」
前世を含めれば、もう三十年近く生きている。
だが――学び舎に通った経験は一度もない。
それでも、前世では誰も成し遂げなかった魔王討伐をやった。
今さら小学校くらい、どうにでもなる……はずだ。
「葵、小学校やめない?」
父が、また同じことを言い出す。
「パパ!」
「いつまで言ってるの! いい加減になさい!」
母の拳が、父の頭に落ちた。
「ぐふっ……」
……おぉ、痛そうだ。
「まったく、パパは」
母はため息をつき、俺に視線を向ける。
「葵も、お友達たくさん欲しいよね?」
「うん!」
即答したものの――胸の奥が、少しざわつく。
友達。
俺を知る人間が、増えるということ。
前世では、勇者と関わった者は例外なく殺された。
魔王によって。
もちろん、この世界に魔王はいない。
分かってはいる。
それでも心が、拒否する。
……親には、何重にも結界魔法を張っている。
それ自体が、俺の弱さの証明だった。
「葵?」
父の声で、我に返る。
「大丈夫?」
……しまった。
相当、変な顔をしていたらしい。
「だ、大丈夫!」
慌てて笑顔を作る。
「今日はもう寝るね! おやすみなさい!」
「おやすみ、葵」
「歯磨き、ちゃんとするのよ」
二人の声に見送られ、俺は席を立った。
歯を磨き終え、二階の自室へ。
去年から、小学校の予行練習という名目で一人部屋になった。
そのおかげで、魔法の制御も、Vtuber関連の作業もやりやすい。
本当は、今日も絵の練習をするつもりだった。
……だが。
ベッドに入った瞬間、意識が落ちた。
————
「……葵、寝てたわ」
リビングで、母が小さく言う。
「明日のことで、緊張してたのかな」
「きっとね。いい夢、見てるといいな」
少し間を置いて、母が口を開く。
「……ねぇ、パパ」
「なんだい?」
「葵のことなんだけど……」
「……わかってるよ」
「やっぱり? 気づいてた?」
「あの子の親だもの。さすがにね」
父は少し考えてから、静かに続ける。
「葵は……僕たちに、本心を見せてない気がする」
「まだ六歳になったばかりの子がだ……」
「きっと、僕たちの知らないところで、何かあったんだろう」
「パパ……」
「だからと言って、無理やり聞き出すつもりはない」
父は、はっきりと言った。
「僕たちは見守るだけだ。
そして、葵が頼ってきた時は、全力で力を貸す」
「……それが、親の役目だろう?」
「……そうね」
――朝。
「葵! 朝よ!」
「起きて!」
母が部屋に入ってきて、カーテンを開ける。
「……」
「起きないお姫様には、パパのキスが必要かしら?」
「おはよう!!」
俺は飛び起きた。
危ない。
放送事故が起きるところだった。
横を見ると、部屋の隅で父が体育座りをしている。
「……葵は、パパのこと嫌い?」
大の大人が、何をやっているんだ。
「パパもいたんだ!」
「パパ、おはよう!」
満面の笑みを向けると、父は一瞬で復活した。
「おはよう! 葵は今日も可愛いね!」
……本当にちょろい。
「今日から学校よ!」
「顔洗ってきなさい」
「はーい!」
「……葵、本当に学校行くのかい?」
「今日はパパと一日中遊ばない?」
「いい加減になさい!」
母の拳が、二発。
「ぐぇっ……!」
……今日は多めだな。
————
朝食を終え、新品のランドセルを背負う。
服も新品だ。
「準備、できた?」
「うん!」
「じゃあ、行こうか」
両親と手を繋ぎ、家を出る。
学校までは徒歩圏内だ。
……手を繋ぐと、落ち着く。
精神が身体に引っ張られているのかもしれない。
「緊張してる?」
父が聞いてきた。
「……少しだけ」
「大丈夫だよ」
父は、少し照れたように言う。
「親バカだと思われるかもしれないけど……
葵はいい子だ。友達も、きっとたくさんできる」
「……」
俺は、その言葉に答えられなかった。
———
小学校が見えてきた。
近づくにつれ、心臓の音がうるさくなる。
こんな感覚は――魔王城に攻め込んだ時以来だ。
まさか、魔王城と小学校を同列に感じる日が来るとは。
皮肉なものだ。
……やはり、精神が幼くなっている。
肉体と精神が、少しずつ噛み合ってきているのかもしれない。
校門をくぐる。
周囲には、俺と同じくらいの子供と、その親たち。
さて――
現代の戦場に、向かうとしよう。
あえて、ここは宣言しておくか。
【俺たちの戦いは、ここからだ】




