第23話 卒業式
春の空は、どこまでも高く澄んでいた。
校門の前に立つと、見慣れたはずの校舎が少しだけ大きく見える。
胸元には小さなコサージュ。
体育館の入口には「卒業式」の立て看板。
風が、やわらかく頬を撫でた。
「葵、おめでとう」
母がそっと声をかける。
父は少し照れくさそうに笑っている。
「今日は主役だな」
「……そんなことないよ」
そう言いながらも、胸の奥は落ち着かない。
今日で、この学校とも一区切り。
六年間。
長いようで、あっという間だった。
体育館には整然と並ぶ椅子。
在校生のざわめきと少し緊張した空気。
クラスメイトたちの顔を見渡す。
泣きそうな子や笑っている子、いつも通りふざけている子。
それぞれの六年分が、そこにあった。
「卒業生、入場」
音楽が流れる。
一歩ずつ、ゆっくり歩く。
床を踏む靴音がやけに響く。
前を向いて。
背筋を伸ばして。
壇上の校長先生の言葉は、どこか遠くに聞こえる。
「六年間の努力と成長を——」
その言葉の一つ一つが、胸に落ちていく。
名前を呼ばれる。
「如月 葵」
「はい」
はっきりと返事をする。
壇上へ。
証書を受け取る。
両手で、しっかりと。
重みがある。
紙なのに、不思議と重い。
これは、六年分の証だ。
席に戻ると、少しだけ手が震えているのに気づく。
緊張なのか。
実感なのか。
それとも——
もう、ここには毎日来ないという事実か。
「別れの言葉」が始まる。
在校生の声。
卒業生の声。
揃った歌声。
何度も練習したはずなのに、今日は少しだけ違う。
隣から小さなすすり泣きが聞こえる。
桜だ。
「あ゛お゛いぢゃーん」
「もう、桜静かに」
前の列でも、肩が震えている。
「ありがとう」の言葉が、胸に刺さる。
そして卒業式が終わる。
『たくさんの拍手でお見送りください』
沢山の拍手で見送られながら教室へ戻る。
黒板には大きな文字。
「卒業おめでとう」
そして最後のHR。
先生が一人一人に言葉をかける。
「葵は、いつも冷静だったな」
「でも、ちゃんと優しかった」
「中学校でも、自分らしくな」
自分らしく...か。
その言葉が、心に残る。
「桜は、葵に頼ってばっかじゃだめだぞ」
軽い笑いが起きる。
最後のHRが終わり教室を出る。
校庭に出ると、あちこちから声が飛び交っていた。
写真を撮る掛け声、笑い声、泣き声。
「またな!」
「絶対連絡しろよ!」
手を振り合い、抱き合い、別れを惜しむ姿がそこかしこにある。
そのとき——
「葵!」
背後から呼ばれて振り返ると、同じクラスの男子が立っていた。
「うん?」
「ちょっといいか?」
「なに」
いつもはふざけてばかりの彼が、今日は妙に真剣な顔をしている。
周囲の空気も、つられるように少し静まった。
「俺さ……」
深呼吸をひとつ。
「前から葵のこと好きだった」
まっすぐな言葉だった。冗談もごまかしもない。
「卒業する前に言わないと後悔すると思って」
握りしめた拳が、本気を物語っている。
だからこそ、曖昧にはしない。
「……ありがとう」
まず感謝を伝える。
「でも、ごめん」
目を逸らさずに言う。
「私は、その気持ちでは見れない」
はっきりと。
男子は一瞬動きを止め、それから苦く笑った。
「だよなー」
「なんかそんな気してた」
強がりはあるけれど、泣いてはいない。
「言えただけでスッキリしたわ」
「うん」
彼は大きく息を吐き、「じゃあな」と背を向けた。
——その直後。
「え、今告白してたよな?」
別の男子が近づいてくる。
「は?」
「お前抜け駆けずるくね?」
さらにもう一人。
「ちょっと待て俺も言う」
「いや待って」
嫌な流れだ。
二人目が前に出る。
「俺も好きだった!」
即座に、
「ごめん」
「早っ!?」
「考える時間ゼロ!?」
「今ので考え終わった」
冷静に返す。
「いや俺まだ何もアピールしてない」
三人目。
「俺も!」
「ごめん」
「だから早いって!」
いつの間にか周囲には人だかり。
「なにあれ」
「告白大会じゃん」
「葵モテすぎだろ」
ざわめきが広がる。完全に公開状態。
四人目が叫ぶ。
「俺、小三から好きだった!」
「長いね」
「感想!?」
「でもごめん」
「うわあああ!」
膝から崩れ落ちる男子。なぜか拍手が起きる。
なんで拍手。
そのとき——
「ちょっとあんたたち何してんの」
聞き慣れた声が聞こえる。
腕を組んで立つ桜だ。
「卒業式に集団告白とかバカなの?」
その圧に男子たちが後ずさる。
「いや、その……」
「ほら解散!」
半ば強制的に追い払われ、ざわざわと散っていく。
「葵、大丈夫?」
「うん」
肩を少しすくめる。
「なんか始まった」
桜がじっと見る。
「全部断ったの?」
「うん」
「即答?」
「うん」
桜の口元がわずかに緩む。
「……そっか」
ほんの少し、安心がにじむ。
「モテ期じゃん」
「いらない」
「贅沢だねー」
肩を軽く叩かれる。
春の風が吹く。新しい日々が、すぐそこまで来ている。
校門へ向かう前、ふと振り返る。
校舎、教室、廊下。
たくさんの時間が詰まった場所。
小さかった自分。
秘密を抱えていた自分。
少しずつ変わっていった自分。
全部、ここにある。
校門には両親が待っていた。
「あ、パパとママだ!」
「じゃあ葵ちゃん、中学校で!」
「うん、じゃあね」
桜も自分の両親のもとへ向かう。
「葵、人気者だったな」
父が近づいてきて楽しそうに言う。
「いらない人気」
「まぁまぁ、そう言うな」
笑う父を怪訝な目で見る。
すると母が心配そうに尋ねる。
「葵、もう大丈夫なの?」
「うん」
短く答える。
母は、その一言の奥を探るみたいに、少しだけ目を細めた。
「無理してない?」
「してないよ」
少しだけ笑ってみせる。
さっきまでの騒ぎも、告白大会も、もう遠い出来事みたいだった。
父が肩をぽんと叩く。
「モテるのも大変だな」
「だからいらないって」
「贅沢なやつだ」
くくっと笑う。
母はそんな二人を見て、やれやれという顔をする。
「でも、ちゃんと自分の気持ちを言えたなら、それでいいのよ」
その言葉に、ほんの少しだけ胸が温かくなる。
「うん」
「じゃあ、帰ろうか」
「そうね」
「帰りましょう、私たちの家へ」
そうして、俺の、俺たちの卒業式は終わった。
————
家に戻ると、どっと疲れが押し寄せた。
玄関に入った瞬間、ようやく実感が湧く。
――本当に、終わったんだ。
「おかえり、卒業生」
母が柔らかく笑う。
「ただいま」
父が卒業証書の筒を見て言う。
「開けないのか?」
「あとでいい」
今はまだ、少し余韻に浸っていたかった。
リビングに入ると、テーブルの上にはちょっとしたご馳走が並んでいた。
「え、なにこれ」
「卒業祝い。大げさなのはしてないけどね」
そう言いながらも、いつもより豪華だ。
「唐揚げ多くない?」
「大好物でしょ?」
母がにやっと笑う。
思わず小さく笑ってしまう。
三人で席につく。
「改めて、卒業おめでとう」
父がグラスを掲げる。
ジュースだけど。
「おめでとう、葵」
「……ありがとう」
乾杯の音が小さく響く。
食卓はいつもより少し賑やかだった。
父は今日の“告白大会”の話を面白がって聞きたがる。
いい加減にして欲しいものだ。
母も楽しくその話を聞く。
全くこの両親は...。
それでも俺は自然と笑みがこぼれる。
そうして、卒業式の日の夕食は楽しい時間となった。
———
食事が終わり自室に戻る。
制服を脱ぎそれをハンガーにかける。
もう着ることはないだろう、その小学校の制服。
指先でそっと撫でる。
「終わり、か」
ぽつりと独り言。
机の上を見ると整えられた配信機材がある。
新しいパソコン マイク webカメラ。
卒業という一区切りと、これから始まる準備。
ふたつの世界が、同じ部屋に並んでいる。
椅子に座り、パソコンを起動する。
静かなファンの音。
モニターの光が、薄暗い部屋を照らす。
「さて、これから忙しくなる」
今後のことを考えると楽しくなる。
だが、今日だけは何も考えずに。
すぐにパソコンの電源を落としベッドに倒れ込む。
目を閉じると今日一日の映像が頭の中を流れる。
体育館、歌声、桜の顔、告白してきた男子たち、そして校門。
もう戻らない日々。
次は中学校だ。
その先には、配信者としての自分。
二つの人生を、ちゃんと歩いていく。
胸の奥に、小さな炎のような決意を灯しながら
俺はゆっくりと眠りに落ちていった。




