第18話 修学旅行④
伏見稲荷大社での自由行動を終え、集合時間ぎりぎりに班全員が揃った。
「間に合った……」
「写真撮りすぎなんだよ」
「だって映えるし」
男子三人がまだスマホを見ながら騒いでいる。
桜とかすみは苦笑い。
葵は一度だけ、振り返った。
鳥居の奥。
さっきまで歩いていたはずの場所。
もう、あの声はしない。
ただ——
視線のようなものだけが、まだ残っている気がした。
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バスに乗り込み、ホテルへ向かう。
帰りの車内は行きとは違い、どこか落ち着いていた。
疲れもあるのだろう。
窓の外を流れる京都の街並みを、ぼんやりと眺める。
桜は隣で、撮った写真を見返していた。
「見て見て、この鳥居のやつ」
「ブレてる」
「えー!」
そんなやり取りをしながら、時間は過ぎていく。
やがて、ホテルに到着した。
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夕食会場は、大広間だった。
並べられた料理に、思わず声が漏れる。
「うわ……」
「豪華……」
湯気の立つ湯豆腐。
彩りよく盛り付けられたおばんざい。
京ゆば。
焼き魚。
小鉢に入った煮物。
普段の給食とは、明らかに違う。
「いただきます」
手を合わせる。
口に運ぶと、優しい味が広がった。
「おいしい……」
桜が目を細める。
かすみも小さく頷く。
男子三人はすでにご飯をおかわりしていた。
にぎやかな時間は、あっという間に過ぎていく。
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夕食後は、温泉へ。
湯気の立ち込める浴場。
温かい湯に身体を沈めると、自然と力が抜けた。
「はぁ〜……」
桜が完全に溶けている。
「極楽……」
かすみも同意するように目を閉じる。
身体の疲れが、じんわりと抜けていく感覚。
戦いの後の回復魔法とは違う。
もっと、ゆっくりとした——日常の回復。
(悪くない)
目を閉じる。
湯の音と、他愛のない会話だけが響く。
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入浴を終えると、レクリエーションの時間。
クラス対抗の簡単なゲームや、京都に関するクイズ。
笑い声が絶えない。
修学旅行らしい、夜だった。
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すべての予定が終わり、部屋へ戻る。
就寝時間までは自由。
女子五人部屋。
ベッドの上に座り、今日の出来事を話し合う。
「英語、ほんとびっくりした」
「発音よすぎだったよね」
「帰国子女?」
「違う」
質問が飛んでくるが、短く返す。
桜はそんな様子を見て、くすっと笑った。
「まあ、助かったのは事実だしね」
「ありがとう」
「うん」
明かりを落とし、布団に入る。
他の子たちの寝息が、少しずつ増えていく。
⸻
——深夜。
目を開けた。
静まり返った室内。
時計の針の音だけが、小さく響く。
(……)
胸の奥が、ざわつく。
空気が、わずかに重い。
————
微かに、気配を感じ取る。
ホテルの外。
遠く。
けれど、確かに“いる”。
神とはまた別の異質の気配。
(……人ではないか)
布団の中で、静かに息を整える。
前世で幾度となく感じた感覚。
敵意は、まだ薄い。
だが——
確実に、こちら側を“認識”している。
胸の奥の二色が、わずかに揺れた。
俺は少し考えた後、静かにみんなが寝ている部屋を後にした。
————
認識阻害の魔法を使い、ホテルを出る。
自動ドアを抜けた瞬間、夜の冷気が頬を撫でた。
昼間とはまるで別の京都。
観光客の喧騒は消え、街灯の光だけが淡く道を照らしている。
(……東か)
気配は、ホテルから少し離れた林の方角。
ゆっくりと歩き出す。
靴音はほとんど響かない。
魔法がうまく機能している証拠だ。
人の認識から、わずかに外れる感覚。
自分の輪郭が、夜に溶けていく。
進むほどに、空気が重くなる。
湿った土の匂い。
冷えた風。
そして——
“淀み”。
(これは……)
神の気配とは明らかに違う。
伏見稲荷で感じたものは、澄んでいた。
今感じるのは、濁っている。
積もった感情。
流れきらなかった想念。
それが形を持ちかけている。
林の手前で足を止める。
街灯の届かない闇の中。
ゆらり、と影が揺れた。
人の形に近い。
だが、輪郭は曖昧。
煙のように、揺らいでいる。
目だけが、かすかに光った。
——見ている。
確実に、こちらを。
(この世界特有の妖か...)
(敵意は……薄い)
だが、飢えがある。
前世の世界にも居た不安定な存在特有の、崩れかけた波長。
放っておけば、誰かに影響を与えるかもしれない。
特に、感受性の強い子どもに。
ホテルには、クラスメイトがいる。
桜も。
(ここで止める)
一歩、踏み込む。
「……お前は何だ」
声は低く、しかし静かに。
影がわずかに揺れる。
言葉は返らない。
ただ、周囲の空気が波打つ。
次の瞬間。
ぶわ、と冷たい風が巻き起こった。
影が広がり、地面に落ちる闇が、じわりと伸びる。
(まずい、暴走しかけている……)
完全な妖ではないだろう。
人の感情が染みつき、形を成しかけた“残滓”。
京都のような土地ならではだろう。
実際に今まで俺は人ならざるものを見た事はなかった。
目を閉じ、意識を集中させる。
右手をゆっくり掲げる。
魔法をイメージする。
「……鎮め」
声と同時に、淡い光がにじむ。
派手ではない。
だが、確かな波。
影がびくりと震えた。
抵抗するように揺らぐ。
けれど——
光は包む。
斬らず、焼かず、ただ整える。
濁った波長を、静かなリズムに戻す。
時間にすれば、数十秒。
やがて。
影は薄くなり、空気へと溶けていった。
残ったのは、冷たい夜気だけ。
静寂が戻る。
(……終わったか)
大きく息を吐く。
完全な静寂。
葵は夜空を見上げる。
京都の星は、意外と少ない。
それでも、いくつか瞬いている。
(守れた)
小さなことだ。
戦いでもない。
誰も知らない。
それでも、今回は、守れた。
バレないうちにさっさとホテルへ戻ろう。
認識阻害を解き、静かに部屋へ入る。
桜は寝返りを打っただけで、目は覚まさない。
音を当てないように布団に入り、天井を見つめる。
胸の奥の二色が、わずかに重なっている。
完全ではない。
だが、確実に。
京都の夜は、再び静かになった。




