第17話 修学旅行③
午前中の見学が終わり、バスでホテル近くの公園へと移動した。
冬の陽射しはやわらかく、芝生は少しだけ湿っている。
先生の指示で班ごとにレジャーシートを広げ、円になって座る。
昼食は近くの料亭から配達されたものだった。
黒塗りの箱にきちんと詰められた京風の弁当。
小さな器に入った炊き合わせ、上品な出汁の香り、彩りよく並ぶ旬の食材。
「うわ、すご……旅館みたい」
かすみが目を輝かせる。
「葵ちゃーん!一緒に食べよ!」
桜が手招きする。
「うん」
自然 と、そこに混ざる。
箸を持つ。
湯気が立つ。
誰かが「それちょうだい」と笑う。
その一つ一つが、胸の奥をじんわりと温めていく。
(……ああ)
前世では、こんな穏やかな時間はほとんどなかった。
食事は戦の合間。
笑い声は束の間。
守るために強くなり、強くなるほど孤独になった。
今は違う。
守るためではなく、ただ一緒にいるために座っている。
それだけで、こんなにも満たされる。
⸻
昼食を終え、自由時間となる。
自由時間は、候補が用意されておりそこに行くためのバスも用意されていた。
俺たちの班は予定通り、伏見稲荷へ向かった。
バスを降りると、朱色の鳥居が遠くに見える。
境内へ足を踏み入れた瞬間——
空気が、変わった。
冷たいわけではない。
重いわけでもない。
ただ、澄んでいる。
千本鳥居へと続く参道。
赤と影が交互に重なり、光が縞模様のように地面へ落ちる。
その中へ一歩踏み込んだとき。
——ふ、と。
耳元に、声が落ちた。
《ふむ……不思議なおなごが来たものじゃ》
葵は、足を止めた。
周囲には、観光客のざわめき。
友達の足音。
笑い声。
けれど、その声は——
確かに、自分に向けられていた。
《その身に、二つの色を宿すとは》
低くもなく、高くもない。
年老いたようで、幼子のようでもある、不思議な響き。
(……誰だ)
警戒が、反射のように立ち上がる。
前世の感覚。
魔力探知を瞬間的に半径1kmまで広げる。
その結果恐ろしいほどに強い力を探知する。
この気配は——
人ならざるもの。
鳥居の奥、社殿の方角。
見えないはずなのに、視線を感じる。
《妾はこの地に祀られしもの》
《名を——ウカノミタマノカミという》
その名が、胸の奥に静かに落ちる。
伏見稲荷に祀られる神。
五穀を司る神。
人の営みと、命を見守る存在。
ウカノミタマノカミは、葵を“視て”いた。
魂の色を。
本来、人の魂は一色。
生まれ、歩み、積み重ねていく一つの光。
だが。
《ほう……》
《これは珍しい》
葵の魂は、二色。
今世の淡く澄んだ光。
そして、その奥に重なる——
燃え残るような、強い色。
剣と誓いと後悔を抱えた、前世の魂。
完全には溶け合っていない。
だが、分離もしていない。
二つの光が、静かに絡み合っている。
《未練を抱えし魂は多い》
《じゃが、お主のそれは……未練だけではないな》
葵は、息を整える。
(聞こえているのは、俺だけか)
横では桜が写真を撮っている。
男子は鳥居の数を数えている。
誰も異変に気づいていない。
《案ずるな》
《今はただ、見ただけじゃ》
その声は、どこか楽しげだった。
《お主はまだ、穏やかでよい》
《戦う気配も、抗う気配も、今はない》
《それでよい》
その言葉に、胸の奥がわずかに震える。
戦わなくていい。
守らなくていい。
ただ、子どもでいていいと——
神に言われるとは思わなかった。
《されど》
わずかに、声色が変わる。
《いずれ、その二色は問われる》
《混ざるか、裂けるか》
《あるいは——新たな色となるか》
鳥居の奥を抜ける風が、強く吹いた。
一瞬、朱色が揺らめく。
そして。
声は、消えた。
「葵ちゃん?どうしたの?」
桜が覗き込む。
「……いや」
少しだけ、笑う。
「なんでもない」
本当に、なんでもない。
空耳かもしれない。
神の気まぐれかもしれない。
でも——
確かに、何かが自分を“認識した”。
前世を知る存在が。
今世を見ている存在が。
葵は、もう一度鳥居の奥を見た。
胸の奥で、二つの光が静かに揺れている気がした。
⸻
境内を下り、土産物屋が並ぶ通りに差しかかったときだった。
「Hey… excuse me…」
小さな声。
振り向くと、金髪の男の子が立っていた。
年は七つか八つくらい。
目が少し潤んでいる。
「……え?」
男子三人が固まる。
「え、英語?」
かすみが小声で言う。
桜も戸惑ったように葵を見る。
「どうしよ……」
男の子は必死に何かを伝えようとしている。
「I… I can’t find my mom…」
早口で、震える声。
周囲は観光客で賑わっている。
けれど、その子の世界だけが切り取られたように不安で満ちていた。
(迷子か)
葵は一歩前に出る。
「It’s okay. Calm down.」
流れるような発音。
班の五人が一斉に葵を見る。
「え?」
桜の目が丸くなる。
男の子ははっと顔を上げた。
「You… you speak English?」
「Yeah. A little.」
少しだけ微笑む。
「What’s your name?」
「Liam…」
「Okay, Liam. Don’t worry. We’ll help you.」
できるだけゆっくり、優しく。
Vtuberとしての強みにする為だけに覚えた英語。
こんな所で役に立つとは思わなかった。
「Where did you last see your mom?」
男の子は鳥居の方を指差す。
「There… many gates… red…」
千本鳥居の中で、はぐれたのだろう。
人の流れは多い。
子どもの背丈では視界も低い。
不安になるのも無理はない。
葵は周囲を見渡す。
「We’ll go to the information center. Staff will call her. Okay?」
「…Okay」
小さく頷く。
葵は振り返る。
「迷子。インフォメーション行こ」
「え、葵ちゃん英語喋れるの!?」
桜が小声で叫ぶ。
「あとで説明する」
短く返し、リアムの手を軽く取る。
ぎゅっと、握り返された。
小さな手。
震えている。
(守れる)
今度は、守れる。
大げさな力も、剣もいらない。
ただ、迷わないこと。
落ち着くこと。
それだけでいい。
⸻
案内所に事情を説明し、スタッフが館内放送をかける。
数分後。
息を切らした女性が駆け込んできた。
「Liam!」
「Mom!」
強く抱きしめられる小さな身体。
涙と安堵が混ざる声。
「Thank you… thank you so much…」
母親が何度も頭を下げる。
葵は軽く首を振った。
「He was very brave.」
リアムが少し照れたように笑う。
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥の二色が、静かに重なった。
《ほう》
あの声。
《剣なき守りも、悪くない》
《よい選択じゃ》
今度は、誇らしげだった。
(……当たり前だ)
心の中で返す。
前世で守れなかった。
でも今は違う。
守る形は一つじゃない。
リアムが去っていく。
何度も振り返りながら手を振っている。
桜が葵の腕をつつく。
「ねえ」
「なに」
「……かっこよかった」
少しだけ照れた顔。
男子三人も無言で頷いている。
「いつの間に英語なんて覚えたの?」
「勉強」
嘘ではない。
ただ、説明できないだけだ。
桜はじっと葵を見る。
「なんかさ」
「うん」
「さっきより、顔がやわらかい」
その言葉に、自分でも気づく。
胸の奥が、さっきより静かだ。
戦場の記憶も。
神の言葉も。
全部、今は遠い。
代わりに残っているのは——
小さな手の温もり。
「戻ろうか」
葵は歩き出す。
伏見稲荷の空は、少しだけ夕方の色を帯び始めていた。
一応この世界には神様的な存在はいます。
葵は初めて会いました。
神様以外にも....
葵は会ったことありませんが。
初詣だったり神社は行ったこと何度かありましたが神と話したのは今回が初めてです。




