第16話 修学旅行②
飛行機から降りた瞬間、自分の足が妙に頼りないことに気づいた。
地面はちゃんとあるのに、感覚がふわふわしている。
生まれたばかりの小鹿みたいだ、と自分で思う。
「よ、ようやく着いた……」
小さく息を吐く。
桜はぐっと両手を上に伸ばした。
「んー! 葵ちゃん! ついに着いたね!」
「「京都!」」
声が重なり、ふたりで笑う。
そう、俺たちの修学旅行先は京都だった。
空港からバスで市内へ向かう途中、先生が改めて日程を説明する。
——修学旅行の予定。
1日目:歴史・平和学習
午前は市内の歴史的建造物を見学。
清水寺、金閣寺などを回る。
午後は班ごとの自由時間。
夕方にはホテルへ移動し、夜は振り返り学習。
2日目:朝食を取り次第空港へバス移動。
空港で昼食。
今回の班は六人。
たなか りょうた、すずき しゅんた、たかはし りょうの男子三人。
そして、桜、かすみ、そして俺。
男子三人、女子三人の構成だ。
「自由時間、楽しみだよね!」
桜が身を乗り出す。
「うちの班は伏見稲荷大社だもんね!」
そう。
俺たちの班は、伏見稲荷大社へ行くことになっている。
千本鳥居。
写真で何度も見た、あの赤いトンネル。
「混雑は想定済み」
「またそういうこと言う」
かすみがくすっと笑う。
「でも葵ちゃん、事前リサーチすごかったよね」
「まあ」
事前学習の資料に加えて、自分でも調べた。
清水寺の舞台の構造。
金閣寺の歴史。
そして京都名物。
湯豆腐、おばんざい、京ゆば、サバ寿司。
食べられる機会があるかは分からないが、候補は頭に入っている。
後ろの席では男子三人がすでに盛り上がっていた。
「千本鳥居でかくれんぼできる?」
「怒られるだろ」
「写真対決な」
騒がしい。
桜はそんな様子を見て笑いながら、俺の肩に軽くもたれた。
「なんかさ」
「なに」
「ほんとに修学旅行って感じするね」
窓の外には、京都の街並み。
どこか落ち着いた色合いの建物。
遠くに見える山並み。
飛行機の恐怖は、もう遠い。
代わりに胸の奥にあるのは、期待と、少しの高揚。
「……うん」
小さく頷く。
バスは市内を抜け、今回宿泊するホテルへ到着した。
大きな玄関口。
整えられた植え込み。
どこか和を感じさせる落ち着いた外観。
「ここ泊まるの?」
桜が目を丸くする。
「思ってたよりちゃんとしてる」
「“思ってたより”は失礼だよ」
軽く言いながらも、内心同じことを思っていた。
ロビーは広く、ほんのり木の香りがする。
班ごとに指示され、荷物を部屋へ運ぶ。
女子は五人部屋。
スーツケースを壁際に並べ、とりあえず最低限の荷物だけ整える。
「夜ちゃんと見よ!」
桜がベッドに軽くダイブしそうになり、
「こら!」
とかすみに止められている。
その様子に少し笑ってから、俺も荷物を整える。
すぐにロビーへ再集合。
午前中は歴史学習だ。
再びバスに乗り、市内へ向かう。
⸻
最初に訪れたのは清水寺。
石段を上るたび、足元から歴史の重みが伝わってくるようだった。
「うわ……」
桜が思わず声を漏らす。
舞台に出た瞬間、視界が一気に開けた。
京都の街並みが広がる。
遠くまで続く屋根と山の緑。
「高……」
男子の誰かが小さく呟く。
葵は舞台の構造に目を向ける。
釘を使わない伝統工法。
何百年も前の技術が、今もここにある。
「落ちたらやばいよね」
桜がひそひそ言う。
「縁起でもないこと言わない」
けれど、視線は景色から離れなかった。
教科書で見た場所に、自分が立っている。
それが不思議だった。
次に向かったのは金閣寺。
池越しに見る金色の建物は、想像以上に眩しい。
「ほんとに金だ……」
かすみが目を細める。
水面に映る姿まで、きれいに整っている。
風が吹くと、きらりと揺れた。
「写真撮ろう!」
男子三人が騒ぎ始める。
おれは少し離れた場所から、静かに眺めていた。
池の水面に映る金色が、風に揺れてゆらりと歪む。
現実なのに、どこか幻想的だった。
光を反射するその姿を見ていると、胸の奥に妙な感覚が広がる。
(こんなに、穏やかでいいのだろうか)
気づけば、そんなことを考えている。
前世では勇者と呼ばれていた。
けれど結局——
両親も、大切な想い人も、守れなかった。
最後に見た光景は、血と炎と、届かなかった手。
守る力があったはずなのに。
選ばれたはずなのに。
それでも、守れなかった。
なのに今は。
普通の小学生として、友達と並んで、修学旅行に来ている。
笑って。
騒いで。
未来の予定を楽しみにしている。
(これは、本当に現実か?)
あまりにも穏やかすぎる。
あまりにも、満たされている。
あまりにも、幸せすぎる。
ふと、怖くなる。
目が覚めたら全部消えてしまうんじゃないか。
これは長い夢で、いつかまた一人きりの場所に戻るんじゃないか。
金閣寺の金色が、どこか遠くに見えた。
(……考えすぎだ)
神秘的な景色に当てられて、余計な記憶まで引っ張り出されたのだろう。
そう自分に言い聞かせる。
「葵ちゃん?」
桜の声。
現実の音。
振り向くと、心配そうな顔がそこにあった。
「うん?」
「先生が次のところ行くから集まりなさいって」
「あ、わかった」
その一言で、ちゃんと足元に戻ってくる。
夢じゃない。
桜の声も、かすみの笑い声も、男子の騒ぎ声も、全部ちゃんとここにある。
班で並んで歩き出す。
清水寺の石段とはまた違う、砂利の感触が靴底から伝わる。
太陽は少し高くなり、空気がやわらかく温まっている。
午前の見学が終わる頃には、足は少し重かった。
それでも、不思議と心は軽い。
「午前だけで結構満足感あるね」
桜が隣で笑う。
額に少し汗がにじんでいる。
「まだ半日あるけど」
「午後は自由時間だよ?」
その言葉に、男子三人が即座に反応する。
「伏見稲荷だ!」
「千本鳥居!」
「写真スポット!」
かすみも楽しそうに頷く。
「迷わないようにちゃんと地図見てね?」
「任せろ、リサーチ担当」
男子の一人が言うと、桜がにやっと葵を見る。
「本当のリサーチ担当は?」
「……私」
即答すると、笑いが起きる。
伏見稲荷大社。
千本鳥居。
赤い鳥居が連なる、あの景色。
想像するだけで少し胸が高鳴る。
さっきまで感じていた不安や、過去の影は、今は薄い。
隣には桜がいる。
同じ班のみんながいる。
守れなかった過去は消えない。
でも今は、守るとか戦うとかじゃなくて。
ただ——
一緒に笑って、歩いて、同じ景色を見る時間がある。
小さく息を吸う。
京都の空気は、どこか甘くて、少しだけ土の匂いがした。




