表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
〜転生した元勇者は世界一のVtuberを目指す〜  作者: ina
第1章 Vtuber準備編
15/26

第14話 前日と当日

リビングの床に広げられたスーツケースは、まるで小さな遠征の拠点のようだった。


母はチェックリストを片手にしゃがみ込み、父は腕を組んでその様子を眺めている。


「着替えは足りてる?」


「うん」


「パジャマは?」


「入れた」


「充電器は?」


「……入れた」


一瞬の間を、父は見逃さなかった。


「少し間があったな、本当に大丈夫か?」


「ちゃんと入れたって」


母がくすっと笑う。


「葵が一泊二日でいなくなるなんて、なんか変な感じ」


「大げさ」


「いや、本当に」


父が少しだけ柔らかい目をする。


「飛行機、初めてだろ?」


その言葉に、ほんのわずかに肩が強ばる。


「……うん」


「大丈夫か?」


理屈では分かっている。


統計的に安全だということも、構造的に飛ぶ理由も。


それでも、“乗ったことがない”という事実だけは、どうにもならない。


「大丈夫」


短く答えると、父はそれ以上追及しなかった。


母が静かに言う。


「桜ちゃんと同じ班なんでしょ?」


「うん」


「なら安心だね」


その名前が出るだけで、胸の奥が少し軽くなる。


不思議だと思う。


理屈では説明できない安心感。


夜、布団に入ってもすぐには眠れなかった。


魔法で空を飛んだことはある。


けれど、自分の意思で飛ぶのと、巨大な鉄の塊に体を預けるのとではまるで違う。


未知は、いつだって少しだけ怖い。


目を閉じる。


明日は、初めてがたくさん待っている。






———修学旅行当日


コンコン——


「葵? 起きてる?」


ドア越しに母の声がする。


足音が近づき、ゆっくりとドアが開いた。


「おはよ、起きてるよ」


ベッドの上で体を起こしながら答える。


「あら? 早いわね」


母は少し意外そうに目を細める。


「緊張してるの?」


「……別に」


一拍遅れて返す。


自分でも分かるくらい、わかりやすい嘘だった。


「ふふ、そう」


母は何も追及せず、くすりと笑う。


「今日は早めに学校に向かうんでしょ? 早く顔洗ってきなさい」


「うん、わかった」


洗面所で冷たい水を顔にかける。


鏡の中の自分は、いつもより少しだけ目が冴えている。


やっぱり、少しだけ緊張しているのかもしれない。


リビングへ行くと、父が食器を並べていた。


「パパ、おはよう」


「おぉ、葵起きたか。おはよう」


いつも通りの声。


けれど次の瞬間、父はふっと真面目な顔になった。


「ついに今日だな」


じっと見つめられ、思わず息を飲む。


なにか重大な話でもあるのだろうか。


「葵、真面目な話だ」


「うん」


背筋が伸びる。


「やっぱり行くのやめないか?」


……は?


「……え?」


間の抜けた声が出る。


「いや、こんなに可愛い子が一泊二日なんて! 何か危ない目にあったらどうするんだ!」


数秒の沈黙。


——なんだよ。


真剣な顔するから、こっちも身構えたじゃねぇか。


昨日まであんなにしっかり送り出す雰囲気だったのに。


「パパ!」


背後から鋭い声が飛ぶ。


「今までの話し合いはなんだったの!」


振り返ると、母が鬼の形相で立っていた。


「ひっ……でもママ」


「でもじゃない!」


「ごめんなさい!」


即座に頭を下げる父。


そのやり取りを見て、胸の奥の緊張がふっとほどける。


ああ、いつも通りだ。


少し安心している自分がいる。


「ほら、葵。今日は早いんだからパパのことは無視しなさい」


母がため息混じりに言う。


「うん、わかった」


そう答えながら席につく。


湯気の立つ味噌汁の匂いが、やけに落ち着く。


いよいよ今日だ。


胸の奥で、小さく鼓動が強くなる。


それでも。


この家のいつも通りの朝が、背中をそっと押してくれていた。



朝食を終え、歯を磨き、制服に袖を通す。


鏡の前に立つと、少しだけ表情が固い自分と目が合った。


「……よし」


小さく呟き、スーツケースの持ち手を引き上げる。


リビングに戻ると、父がすでに玄関で待っていた。


「送ってく」


「いいよ、近いし」


「送ってく」


即答だった。


母が苦笑する。


「時間あるんだから甘えなさい」


結局、三人で家を出た。


朝の空気はひんやりしていて、空は驚くほど青い。


歩きながら、スーツケースの車輪がアスファルトを転がる音がやけに大きく響く。


「飛行機、怖かったら深呼吸な」


父が横から言う。


「さっきまで行くなって言ってた人が何言ってるの」


「それとこれとは別だ」


母が呆れたようにため息をつく。


「桜ちゃんと一緒なんでしょ?」


「うん」


「なら大丈夫ね」


またその言葉。


大丈夫。


何度も聞くたび、少しずつ本当にそう思えてくる。


学校が見えてくると、すでに何人か集まっていた。


友達同士で騒ぐ声、スーツケースの列。


非日常の朝だ。


「じゃあ、行ってくる」


そう言うと、父が急にしゃがみ込んで目線を合わせた。


「楽しんでこい」


真面目な声だった。


「……うん」


母がそっと背中を押す。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


振り返らずに歩き出す。


でも、門をくぐる直前で、やっぱり一度だけ振り向いた。


二人とも、まだそこに立っていた。


手を振ると、父が大きく振り返す。


少し恥ずかしくなって、すぐ前を向いた。


その瞬間。


「葵ちゃん!」


聞き慣れた声。


振り向くと、桜がこちらへ走ってきていた。


「おはよ!」


息を弾ませながら笑う。


その笑顔を見るだけで、胸の奥の緊張が少し溶ける。


「おはよう」


「ちゃんと寝れた?」


「まあまあ」


「嘘っぽい」


「桜は?」


「わたし? わたしは楽しみすぎてちょっと寝不足!」


正反対だ。


思わず小さく笑ってしまう。


「飛行機、大丈夫?」


不意に聞かれて、一瞬言葉に詰まる。


けれど今度は、少しだけ素直に言えた。


「……ちょっと怖い」


桜はにやっと笑う。


「任せて」


そう言って、ぽんっと軽く肩を叩く。


「わたしがついてる」


その言葉が、妙に心強い。


先生の集合の声が響く。


いよいよ始まる。


初めての飛行機。


初めての一泊二日。


初めての、たくさんのこと。


葵は深く息を吸い込んだ。


隣には桜がいる。


それだけで、不思議と足取りが軽くなった。


「行こ」


「うん」


二人並んで、列の中へと歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ