第11話 運動会④
次は、組体操だ。
組体操だけは他の種目とは違い、勝負というわけではない。
どちらかといえば、
運動会の流れを一度落ち着かせる、箸休めのようなものだ。
本来、1年生の組体操はとても簡単な内容しか行わない。
転んでも大きな怪我をする心配はなく、
「できた」という達成感を味わうためのものだ。
実際、最初の演目はその通りだった。
二人組で手をつないでのバランス、
低い姿勢での簡単な形。
桜も楽しそうに、俺の方をちらちら見ながら体を動かしている。
だが――
組体操の最後の演目だけは、少しだけ違った。
少人数で組み、
ほんの少しだけ難易度が上がる形。
もちろん、その分まわりには教師や補助の大人が配置されている。
万が一に備えて、だ。
……本来なら、問題は起きないはずだった。
だが、その時。
ほんの一瞬。
教師が別の場所に注意を向けた、その隙に――
桜の足が、わずかにずれた。
「あ――」
声にならない声。
バランスを崩し、体が傾く。
倒れても、危険な高さじゃない。
冷静に考えれば、大きな怪我はしない。
けれど――
「桜っ!」
そんなところまで、俺の思考は届かなかった。
体が勝手に動いた。
反射的に、魔法を使っていた。
桜の体が地面に叩きつけられる直前、
ふわりと、不自然なほどやわらかく勢いが殺される。
まるで、見えない手に受け止められたように。
次の瞬間には、
桜は尻もちをついただけで、その場に座り込んでいた。
「だいじょうぶかー!」
「ケガはないか!」
遅れて駆け寄る先生たち。
周囲からも、少しざわめきが起きる。
「だ、だいじょうぶです!」
桜はそう答えて、立ち上がった。
結果だけ見れば、ただの小さな転倒。
誰も、何もおかしいとは思っていない。
――幸い、周りにはバレなかった。
だが。
桜だけは、違った。
立ち上がったあと、
真っ直ぐ、俺の方を見ていた。
驚いたような、
それでいて、何かに気づいたような目で。
……ああ。
本人には、バレたな。
そう、直感で分かった。
組体操はそのまま続行され、
何事もなかったかのように、無事に終わる。
拍手が起こり、
2年生の組体操の準備が始まる――
桜は、俺のそばに小さく近づいてきた。
「……ねぇ、あおいちゃん」
小さな声。
「さっきの、なに?」
俺は、答えに詰まる。
誤魔化すには、
少し遅すぎたみたいだ。
————
俺は少しだけ悩んでから、答えた。
「今は人が周りにいるから、あとで話そう」
結局は、先延ばしだ。
「うん、わかった」
桜は迷いなく即答した。
……俺のことを、信頼してくれているのだろう。
本当のことを話してくれると、そう信じて。
それが分かるからこそ、少しだけ心が痛んだ。
嘘をついていたつもりはない。
だが、本当のことも言っていなかった。
その代償が、今来ただけだ。
これからも関わるなら、いずれは必ずバレていただろう。
そうして、全学年の組体操が終わり、昼休憩となった。
だから俺は――
「桜、少し校舎に入って話をしよう」
そう提案した。
桜は一瞬だけ真剣な顔になって、頷く。
「うん、わかった」
親に心配をかけないよう一声かけてから、校舎に入る。
1年2組――
いつも授業を受けている自分たちの教室。
中に入ると、二人の間に静かな沈黙が流れた。
今から話す言葉次第で、
桜との関係が終わってしまうかもしれない。
そう思うだけで、喉が締めつけられ、声が出なくなる。
すると、桜の方から口を開いた。
「あおいちゃん、くみたいそうのとき……たすけてくれたの、あおいちゃんだよね?」
……もう、バレている。
隠せない。
「……うん」
「そっか!ありがとう!」
桜は、屈託なく続ける。
「おちるかもっておもったとき、ほんとうにこわかったんだ」
「でもね、そのときにあたたかいものをからだにかんじてね、とってもあんしんしたの」
「よくわからないけど、そのあたたかいものは、あおいちゃんだってすぐにわかったの!」
「だから、あおいちゃんありがとう!!」
「それだけいいたかった!」
その言葉を聞いて、思わず問いかけてしまう。
「……桜は、なんで気味悪がらないの?」
「なんでおかしいと思わないの?」
「なんで離れようとしないの?」
「なんで感謝するの?」
「なんで……」
言葉が、止まらない。
すると桜は――
少し不思議そうに、こう聞いてきた。
「あおいちゃん、いたいの?」
「……え?」
「だって、あおいちゃん、ないてる……」
言われて、初めて気づいた。
目から、大きな雫がぽろぽろと落ちていた。
「なんで……」
慌てて拭おうとするが、止まらない。
すると——
「……あおいちゃんから、ぜったいにはなれないよ!」
「あおいちゃんが、はなれて!っていっても、はなれない!」
「だから、ひとりでなかないで……」
「あおいちゃんがいたいのは、さくらもいたいから……」
そう言って、桜はぎゅっと抱きついてきた。
いつもなら、引き離していただろう。
でも今は、そんな気力はもう残っていなかった。
涙が溢れるのを止める気力すら、
もう、なかったのだから。
—————
しばらくして、ようやく落ち着いた。
俺はもう精神が肉体に適応したのだろう。
前世では考えられないほどの痴態を晒してしまったのだ。
そう、思うことにした。
桜は俺から少し離れ、机の横に立ったまま、何も言わずにこちらを見ている。
急かすことも、問い詰めることもない。
……それが、逆にありがたかった。
俺は一度、深く息を吸ってから、桜に声をかける。
「……桜、少し聞いてくれる?」
桜はすぐに頷いた。
「うん」
「全部は話せない」
「だけど、言える部分だけは話す」
そう前置きしてから、言葉を選ぶ。
嘘はつかない。
だが、すべては言わない。
その境界線を、慎重になぞるように。
「私には……普通の人にはできないことができる」
桜は驚いた顔をするかと思ったが、ただ真剣に耳を傾けていた。
「さっきの組体操のとき」
「桜が落ちそうになったとき、俺がしたのは……力で支えたんじゃない」
「見えない力で、体を守った」
桜は小さく目を見開く。
「それって……まほう?」
「……そう」
短く、はっきり答える。
「どうして使えるのか、とか」
「いつから使えるのか、とか」
「それは……今は話せない」
「でも、桜を助けたのは本当だ」
「咄嗟で……考えるより先に体が動いた」
一瞬、沈黙が落ちる。
桜は俯いて、何か考えているようだった。
……拒絶されても仕方ない。
怖がられても、おかしくはない。
そう覚悟した、その時。
桜は顔を上げて、にこっと笑った。
「やっぱり、あおいちゃんだったんだ」
「……え?」
「だってね」
「こわいって思わなかったもん」
「まほうでも、なんでも」
「あおいちゃんがたすけてくれた、っていうのはかわらないよ?」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「それにね」
「さくら、あおいちゃんがだれにもいわないでっていったら、いわない」
「ひみつ、まもるよ」
「……ありがとう」
やっと、それだけ言えた。
———
今は、昼休憩の時間だ。
「あおいちゃん!おなかすいたね!」
「はやくパパとママのところで、ごはんたべよ!」
桜は、いつもと変わらない屈託のない笑みでそう言った。
その笑顔が、今の俺にはひどく心地よかった。
……さっきまでのことが、嘘みたいだ。
校舎を出る前に、俺はそっと魔法を使う。
泣いたせいで赤くなっていた目元と、わずかな腫れを消すために。
ほんの一瞬。
誰にも気づかれない程度の、ごく小さな魔法。
……の、はずだった。
それを、桜はしっかり見ていた。
「おぉ!!すごい!!」
目を輝かせて、身を乗り出す。
「いまの!いまの!」
「あおいちゃん、ほんとにまほうつかえるんだね!」
今世では、誰にも見せていなかった力。
隠し続けてきた秘密。
それを見た桜は、怖がるどころか——
全力で、褒めてくれた。
「かっこいい!」
「さくらね、すっごくうれしい!」
胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。
「……ありがとう」
「えへへ!」
桜は満足そうに笑い、また俺の手を取った。
「ほら、いこ!」
「おべんとう、たのしみ!」
引っ張られるまま、一歩踏み出す。
……秘密は、増えた。
でも、それを重荷だとは思わなかった。
少なくとも今は——
桜の隣を歩けていることが、ただ嬉しかった。
そう思いながら、俺たちは観客席へと向かった。
————
観客席に戻ると、
レジャーシートの上で両親と桜の両親が待っていた。
「おーい、葵!」
父がこちらに気づき、軽く手を振る。
その直後、少しだけ表情を変えて俺を見る。
「……葵、もう大丈夫なのかい?」
心配していることが分かるそんな声で。
「うん」
短く、でもはっきり答える。
「……そうか。なら、よかった」
それ以上、父は何も聞いてこなかった。
母も、桜の両親も同じだ。
(……何か気づいているのか)
泣いたことか。
それとも、もっと別の何かか。
けれど誰も踏み込んでこない。
まるで——俺が話し出すのを、待っているみたいだった。
「ほらほら、座って座って!」
「お昼にしよっか!」
桜の母の一声で、空気が和らぐ。
それぞれが弁当を広げ始め、
ふたを開けた瞬間、あちこちから感嘆の声が上がった。
「わぁ……!」
「からあげだ!」
「たまごやきもある!」
桜は目を輝かせて、自分の弁当と俺の弁当を交互に見る。
「あおいちゃんのもおいしそう!」
「さくらのとこうかんする?」
「……一個だけなら」
「やった!」
嬉しそうに唐揚げを差し出してくる。
こちらも卵焼きを渡すと、
桜は頬をぱぁっと緩めた。
「おいしー!」
その様子を見て、思わず笑ってしまう。
「葵ちゃん、ちゃんと食べられてる?」
桜の母が気遣うように聞いてくる。
「はい、大丈夫です」
母も少しだけ安心したように微笑んだ。
「いっぱい動いたからね。しっかり食べないと」
「午後も競技あるしな!」
父がそう言って、またカメラを構える。
「パパ、今は食べる時間」
「は、はい……」
母の一言で、父は素直に引き下がった。
——いつも通りの光景。
いつも通りの昼休み。
でも、さっきまでの出来事を知っているのは、
俺と、桜だけだ。
桜は何事もなかったように弁当を食べながら、
時々、ちらっと俺を見て笑う。
その笑顔を見て、思う。
(……もう少しだけ、この時間が続けばいい)
午後の競技が始まるまで、
俺は静かに弁当を口に運んだ。




