第9話 運動会②
アナウンスが流れる。
『それでは、準備が整いましたので、第1種目――100メートル徒競走を開始いたします』
校庭に、わずかなざわめきが広がる。
「あおいちゃん! がんばってはしるから、みててね!」
「うん、見てるよ」
1組、2組、3組からそれぞれ2人ずつ。
計6人で走ることになる。
『走者の紹介をします』
『1番走者、1年1組――あおやま みずきくん』
「はい!」
1番左に立つ男の子が、元気よく返事をする。
『2番走者、1年1組――すずき あやちゃん』
『3番走者、1年2組――たなか りょうたくん』
続けて名前が呼ばれ、そして――
『4番走者、1年2組――かやの さくらちゃん』
「はい!!!」
先に呼ばれた子たちに負けないくらい、大きな声が響く。
その様子があまりにもまっすぐで、
思わず、こちらの口元も緩んだ。
その後も残り2人の名前が呼ばれ、
いよいよ競技が始まる。
運動会最初の種目、しかも最初の組。
周囲の空気は、自然と緊張を帯びていた。
だが――
「よぉぉし!! がんばるぞ!」
桜が、はっきりとした声で気合を入れる。
その一言で、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
桜は、周りまでも自分のペースに巻き込む才能がある。
この半年間、一緒に過ごしてきて、それはよく分かっている。
『位置について』
走者たちが、一斉に構える。
『よーい』
『ドン!』――パンッ。
スタートの合図と同時に、6人が一斉に走り出した。
一斉に地面を蹴る音。
腕を振る音。
小さな体が、必死に前へ前へと進んでいく。
桜は、出遅れることなく前に出た。
フォームは正直、きれいとは言えない。
だが、とにかく全力だ。
腕も脚も、思い切り振っている。
「……」
俺は、無意識に拳を握っていた。
距離は短い。
あっという間に、ゴールが近づく。
そして――
ゴールラインを、6人がほぼ同時に駆け抜けた。
「……!」
桜は、ゴールした瞬間に勢い余って少し前につんのめり、
すぐに立て直して、きょろきょろと周囲を見る。
「ど、どうだった……?」
自分の順位が分からず、不安そうな顔。
少し遅れて、結果がアナウンスされる。
『――1位、1年1組 あおやま みずきくん』
『2位、1年2組 かやの さくらちゃん』
「……!」
桜の顔が、ぱっと明るくなった。
「に、にい!?」
「やった!!」
その場で小さく跳ねる。
息を切らしながら周りを見渡す
そして――俺を見つける。
「あおいちゃん!!」
「2いだった!!」
胸を張って、誇らしげに報告してくる。
「すごいよ、桜」
「ちゃんと最後まで走り切ってた」
その言葉を聞いた瞬間、
桜は少し照れたように笑った。
「えへへ……」
「がんばったもん!」
そのやり取りを見ていた先生が声をかける。
「よく頑張ったね、桜」
「ちゃんと前を向いて走れてたよ」
「はい!!」
返事も、さっきより少し誇らしげだ。
走り終えた桜は、胸に手を当てながら深呼吸し、
次の走者たちと入れ替わるように列に戻ってきた。
それから何組かが走り終える。
さぁ、次は俺の番だ。
練習の時は、目立たないように。
平均か、それより少し遅めに。
誰にも引っかからない速度で走っていた。
本当は、今日も練習と同じように走るつもりだった。
――普通に。
――何も起こらないように。
だが、桜が走っているのを見て、ふと思った。
一生懸命で、
転びそうになりながらも前を見て、
全力で走るその姿を。
(俺は……これでいいのか?)
前世では、力を出さなければ誰かが死んだ。
今世では、力を出せば“浮いてしまう”。
だから隠してきた。
目立たないように、
関わりすぎないように。
でも――。
桜は——。
速いとか遅いとかじゃない。
勝つか負けるかでもない。
「走りたいから走る」
ただ、それだけだ。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
(……少しくらい、いいか)
全部じゃない。
前世の力を出す必要はない。
でも、
自分で自分を押し殺したまま走るのは違う。
放送がが聞こえる。
『次の走者、前へ』
俺は一歩、ラインに近づいた。
(ほんの少しだけ――)
桜が見ている。
親も、クラスメイトも。
そして何より、
今の“俺”が。
――走る。




