プロローグ
ふぅ……。
さすがに、緊張するな。
自分の吐息が、やけに大きく聞こえる。
控室の空気は冷えているはずなのに、手のひらにはじっとりと汗が滲んでいた。
「アオイさーん! 時間です!」
控室の外から、少し弾んだ声が飛んでくる。
その明るさが、かえって現実味を強める。
「はい! 分かりました!」
返事をしながら、深く息を吸う。
胸の奥が、少しだけざわついている。
――登録者、100万人。
頭の中で、何度も反芻した数字だ。
区切りとしては分かりやすいし、目標としても悪くない。
けれど、いざこの瞬間を迎えると、その重さは想像以上だった。
数字だけ見れば、ただの通過点だ。
だが、その一人一人に“見られている”と思うと、さすがに落ち着かない。
期待。
好意。
好奇心。
そして、無責任な悪意。
すべてが、画面の向こうからこちらを覗いている。
鏡越しに映る自分を見る。
銀色がかったライトに照らされた、3Dの身体。
人間離れしたバランス、滑らかな輪郭、過剰なまでに整えられた造形。
細部まで作り込まれたアバターは、現実の肉体よりも“理想的”で、
それでいて――どこか俺自身そのものでもあった。
(……ここまで来たんだな)
ここに至るまで、簡単な道じゃなかった。
カメラの前で笑い、
コメントに反応し、
現実では出せない元々の「自分」を演じ続けてきた。
それが嘘かと聞かれれば、違う。
だが本当かと言われれば、それもまた違う。
スタッフが最終確認をしながら声をかけてくる。
「音声、問題なしです」
「トラッキング安定してます」
「同接、もう……凄いことになってますよ」
軽い冗談めかした言い方の裏に、隠しきれない興奮が混じっていた。
モニターの端に映る数字は、あえて見ない。
見たら、たぶん余計に緊張する。
「アオイさん、緊張してます?」
ふいに向けられた質問に、少しだけ考える。
「……まぁ、それなりに」
嘘はつかない。
「でも大丈夫です」
言葉にすると、不思議と本当にそう思えた。
スタッフが、どこか誇らしげに笑った。
「今のアオイさんなら」
……そう言われると、少しだけ肩の力が抜ける。
ステージ前。
暗転した空間の向こうで、観客のざわめき――いや、
チャット欄の流れが、肌で分かるような錯覚があった。
言葉にならない圧。
無数の視線が、波のように押し寄せてくる感覚。
(この世界じゃ、自分の命を武器にしない)
(代わりに――声と、言葉と、存在感だ)
前世では、世界を救うために戦った。
命を賭け、仲間を失い、血に塗れて立ち続けた。
今世では、世界に“見つかる”ために立っている。
皮肉だが、悪くない。
少なくとも、ここでは誰も死なない。
……今のところは。
「5秒前です!」
カウントが始まる。
4。
心拍が、一段速くなる。
3。
指先が、わずかに震えた。
2。
頭の中が、妙に静かになる。
……1。
光が弾けた。
「――はーい! みんな、聞こえてる?」
「100万人記念配信!始めるよー!」




