8 リボンの色
朝の支度を終えたルネは、邸内を散歩していた。
広い公爵邸だが、さすがに五日もたてば全て見終わっている。だが何度見ても見飽きない芸術品が、いたるところに飾られているのだ。
「ああっ、やっぱり素敵……」
他国で知られている画家の絵画や、ルネが聞いたことがない名前ながら素晴らしいタッチの絵画もある。風景画から肖像画まで多種多様な絵画が、公爵邸には当たり前のように飾られているのだ。
これだけでルネは結婚を決めてよかったと思うほどだった。
「おやルネ様。お散歩ですか」
「リュカ。おはようございます」
敬称は不要だと本人に言われて外したが、いくら身分は平民の従者であっても実際は公爵の恋人なのだ。ルネは丁寧に腰を折った。
「今日はどのようにお過ごしですか? お暇でしたら宝石商でも呼びつけましょうか」
ルネは慌ててそれを断った。
昨日も一昨日も、入れ替わり立ち替わり商人を手配しようとしてくれたのだ。ルネにはそうほしいものは多くない。
ドレスは普段着ているものがあるし、アクセサリーは少ないが付ける機会もなく困っていない。多少の刺繍糸と絵の具、布とキャンバスがあればそれでルネは満足なのだ。
「午後からは刺繍をする予定です。私の刺繍した――」
ハンカチをジュール様に贈ったら失礼かしら。そう言いかけて途中で口をつぐんだ。
いくら形ばかりとはいえ婚約者といわれているルネが、リュカの恋人であるジュールにハンカチを贈ったらいい気はしないだろう。
「いいえ、なんでもないわ」
「そうですか? なにか心配事があれば遠慮なく申しつけてくださいね」
思いやりのある提案に、ルネは曖昧な笑顔で頷く。
この五日間で、リュカが優しい人だと分かっているからこそ、この人を傷つけたくない。
「あれ、ルネ様。リボンが取れかけていますよ」
指摘されて後ろに手を伸ばすと、確かにリボンの裾が長く伸びていた。
庭を散歩している間に枝に引っかかったのかもしれない。滑らかな絹リボンは、ルネの指先でスルリと解けて床に落ちる。
「綺麗な色ですね」
落ちたリボンを拾ったリュカが、そう呟いた。
ルネはその言葉で気がついた。顔からサッと血の気が引く。
(銀はジュール様の髪の色だわ。勝手に身につけてると思われてしまったかしら)
銀色のリボンはルネが選んだものではない。たまたまだ。
しかし実際ジュールの髪色も銀色のため、深読みされかねない色だと自分で気付くべきだったのに。
「もしよかったら受け取っていただけるかしら。私より、リュカに似合うと思うわ」
ジュールはルネよりもリュカに相応しい。そんな言葉を伏せながら、リボンを持つリュカの手を固辞した。
「え? 僕にですか?」
「タイの代わりに使ってもいいと思うの。リュカは綺麗だしきっと似合うわ。品質がいいいいものなのよ。婚約が決まったお祝いだとお父様にいただいたものの一つで、ベルトラン伯爵家で蚕から作っているものなの」
そこまで言ってルネは「もしかしたら銀色のリボンはお父様が気を回して用意してくれたものかもしれない」ということに思い至る。
フォーレ公爵家が代々銀髪だというのは貴族であれば誰もが知っていることだ。
つまりルネがジュールの男色を偽装するために結婚する、そのことに気付いていないのだろう。
大人世代にはまだ広まっていないのかもしれない。ルネの使命感が一層強まる。
「男の僕より、ルネ様が使ってあげたほうがリボンも嬉しいですよ」
「実家にいたときから、私の私物は殆ど妹に持って行かれてたもの。お父様も分かってくれるわ。私なんかより、綺麗な人に使われた方がいいもの」
ジュールを思わせるリボンをリュカに渡すために、ルネは必死に言葉を重ねた。
ただその言葉が、リュカの美しい眉間に皺を寄せる。
「私物はいつも妹様に持って行かれていた、のですか?」
「ええ、でも確かに地味な私にはあまり似合わないものばかりだったから……あんなことがあるまでは、仲のいい大切な妹だったの」
ルネの表情が思わず陰った。
妹であるシトリーのことはできるだけ思い出さないようにしているものの、折に触れてこうして記憶の扉が開かれてしまう。
大切だった妹を憎らしく思ってしまう、そんな自分自身が嫌になってしまうのだ。
リュカは「失礼」と呟くと、素早い動作でルネの髪の毛にリボンを巻き直した。
「ほら、ルネ様だって似合いますよ」
リュカに気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いつつ、ルネは「ありがとう」と笑顔を見せた。
ルネからの申し出はもしかしたら迷惑だったのかもしれないし、リュカはもっと素晴らしいリボンを持っているのかもしれない。
いらないと言えないリュカに押しつけがましいことをしてしまったと反省しつつ、ルネはリュカと別れ散歩へ戻った。




