42 最終話
「私がメイドの娘だから? 血のつながりがないから? 汚いって思ってるから?」
「そんなこと言ってないわ。ねえ、落ち着いて」
シトリーの話があちらこちらに飛躍する。
ルネを見つめる目つきが、どんどん胡乱なものになっていく。
「私を騙して、親切なふりで馬鹿にして、楽しかったんでしょ? 滑稽だったでしょ? いい気味だって思ってるんでしょ!」
「シトリー!」
なんのスイッチが入ったのか、シトリーは突然ルネに刃を向け、一気に振り下ろした。
転ぶように体勢を変えて刃を避けたルネだが、誰かにこれほどの殺意を向けられたのは生まれて初めてだ。足ががくがくと震え、立ち上がれない。
シトリーは腰をバネのように持ち上げ体勢を立て直すと、へたり込むルネをジッとみた。
「お姉様がいなければいいのよ。そうしたらベルトラン伯爵令嬢は、私一人でしょ? ベルトラン伯爵家の財産も、ジュール様の愛情も全部、私だけのもの」
短剣を頬に当て、うっとりと語るシトリーにはもうなにも通じないのかもしれない。
そう思いながらもルネは、言葉を尽くす。
少しでも正気に返ってほしい。
「シトリー、よく聞いて。ベルトラン伯爵家は既に、従弟が継ぐことになってるわ。元々あなたがラヴィオと結婚したとしても、この家は継げない。ラヴィオも知らなかったようだけど、最初からそういう予定だったのよ」
ラヴィオは直系の娘であるルネと結婚していれば、ベルトラン伯爵となれた。
しかしシトリーは家族ではあるがベルトラン伯爵家の血をひかない。
ルネがラヴィオとの婚約を譲り、格上であるフォーレ公爵家へ嫁入りを決めた瞬間、ベルトラン伯爵家は従弟が継ぐことになったのだ。
「この家なんかもう、どうでもいいわ。私は公爵夫人になるんだもの」
ああ、どこまでも話は噛み合わない。
どんな理屈も常識も、もはやシトリーの耳には届かないのだ。
極上の笑みを浮かべ、シトリーは短剣を握り直した。
ルネはギュッと目を閉じる。
「お姉様がいなければ、私がジュール様に愛されるのよ!」
ブン、と空気が切り裂かれる音がした。
続いて訪れるだろう刺される痛みを想像して、目を瞑るルネの身体は硬くなる。
しかし。
予想していた痛みは、いつまでもやってこない。
恐る恐る、ルネはゆっくり目を開けた。
「ルネ、無事か。遅くなってすまない」
「ジュール、様……」
ルネに向かって短剣を振り下ろそうとするシトリーの手首を、ジュールが掴んでいた。
どうにか振り下ろそうとシトリーも無言でもがくが、鍛えられた男性にはかなわない。すぐに短剣を奪い取られ、その反動でシトリーは床へ投げ出された。
ジュールはすぐにルネに駆け寄ると、しゃがみ込む身体を抱きしめた。
「リュカが異音と、ルネの部屋が開く音を聞いたんだ。まさかと思ったが、来てよかった」
きつく抱きしめるジュールの背中に、ルネも思わずしがみついた。
「心配させないでくれ。ルネになにかあったら、俺が生きていれると思うか?」
「ジュール様」
緊張を和らげようとしているのか、ジュールに冗談を言われて肩の力が抜ける。
「……んで、なんでよ! なんでどいつもこいつも、お姉様なんかに!」
シトリーの叫び声で、僅かに和んでいた室内の空気が凍った。
「なんか、だと?」
ルネを立たせたのち、まだしゃがみ込むシトリーをジュールが見下ろす。
その視線は痛いほどに冷たく、鋭い。
「ルネの妹だからと穏便に進めようと思っていたが、やはり性根の腐った女だ」
ジュールは取り上げていた短剣を、大きな手の中で握りなおす。
さすがに危機を察したのか、シトリーの身体はビクリと震えた。
「俺のルネを殺そうとしたんだ。自分が殺されても恨むまい?」
短剣の先がシトリーへ向いた。
月に照らされた短剣は、刃が鈍く光る。
(駄目――!)
されたことを思えば妥当なのかもしれない。
それでもルネは、思わずジュールを止めようとした。
しかし。
「だがルネの前だ。血を流すことで罪滅ぼしにされてもかなわん」
ジュールは静かにそう告げると、近くにあった布を切り裂いて、シトリーの腕を後ろに拘束した。
「お前の犯した罪は、正しく、厳正に処罰してもらう。いいですよね、義父上」
扉の向こうには父とリュカがいた。
丁度リュカが呼びに行って連れてきてくれていたらしい。
項垂れた父は静かに頷く。
「妻の最期の頼みだったからと、家族として、必要以上に甘やかしてしまったのかもしれません。申し訳ない。修道院へ入れ、今後一切、外に出すことはないでしょう」
「そうしてくれ。ルネ、それでいいか」
「ええ。私は……ええ」
混乱するルネだったが、とにかくシトリーが命を落とさずに済んだと安堵した。
フォーレ公爵家にたてついたのだ。力関係を考えれば、王家に牙をむくようなもの。その場で首を落とされても文句は言えない。
血のつながりはなく、もはや愛情も過去のものとなってしまったが、やはりルネにはシトリーを憎み切ることはできなかった。
だがそれをよしとしない人間が、たった一人、いた。
「いやよ、いや。ねえお父様、私は伯爵令嬢なのよ。これからフォーレ公爵夫人になる女なの。なんの冗談?」
拘束されたシトリーは、力なく首を横に振る。
こうなってもまだ、自分はジュールに愛されると妄信しているのだ。
痛々しさはもはや哀れみしか感じない。
ルネは妹だった人間から、そっと顔を背けた。
「俺がお前を愛すことはない。きっとこれから先、お前は誰からも愛されないだろう」
非情なジュールの言葉が、シトリーの最後のプライドを容赦なく砕く。
シトリーの唇からは悲鳴のような鳴き声が上がる。
「いやよ、いや……! いや! なんでえ! なんでよおお!」
父と侍従たちが、暴れるシトリーを引き摺るようにして連れて行く。
シンと静まり返る荒れ果てた室内で、ルネは呆然と立っていた。
(これでもう、全部終わったのね)
今までの様々な出来事が頭の中を駆け巡る。
もっと別のやり方があったのかもしれない。そうすればシトリーにももっといい未来があったのかもしれない。
後悔と懺悔はきっと、しばらくルネにつきまとうだろう。
部屋を見ていたジュールが、なにかを拾い上げる。
「これはルネの絵だろう?」
子供の頃に描いたキャンバスだ。
まだ母が生きていた頃、ルネが絵を描くことを応援してくれた母が買ってくれた、大切なキャンバスの一つだ。
「今とあまり変わりないですね。ずっと下手くそ」
ルネは笑う。
だが下手くそな絵でも味がある。
多くの人に肯定してもらえて、最近のルネはそう思えるようになってきた。
「俺は好きだがな。覚えていないか? 昔お茶会で、俺に刺繍したハンカチをくれたこと」
「……?」
「一緒に野犬に立ち向かったぞ」
その一言で、一瞬でルネの頭に記憶が蘇った。
母が亡くなって暫く経った頃、父と共に参加したお茶会の出来事だ。
「えっ……あの子が、え? ジュール様!?」
失礼ながら髪色も顔立ちも、もうぼんやりとしか覚えていない。だが真ん丸で可愛らしい体型は記憶にある。
その当時の男の子と、目の前のすらりとしたジュールの姿が繋がらない。
ジュールは苦笑した。
「惚れたきみに相応しい男になれるよう努力した……そう告げたら、もっと好きになってもらえるだろうか」
「そんなの……」
当たり前ですよ。いうより先にルネはジュールに抱きついた。
好きになった少女のためにと一生懸命鍛えられた男の腕は逞しく、ルネの身体を難なく受け止めるのであった。
◆ ◆ ◆
穏やかな日差しが注ぐ午後。
ルネはバルコニーに出て、庭園を眺めながらキャンバスに向かっていた。
「いい出来栄えだ。次はなんの絵を?」
ジュールは愛する妻の肩に厚手の絹ストールをかける。もちろんルネの実家がある、ベルトラン伯爵領で作られた絹だ。
暖かくなってきたとはいえ、まだ少し風が冷たい。
ルネは目立ってきたお腹を擦りながらジュールを見上げる。
「そうですね。あの日の結婚式の絵にしましょうか」
つむじにキスをされ、ルネは微笑んだ。
弧を描くルネの唇に、かすめ取るようなキスが繰り返されて、それがおかしくてまた笑った。妻の笑い声に誘われ、外では氷の公爵と呼ばれる男も相好を崩す。
フォーレ公爵家はもうすぐ、新しい家族を迎えようとしている。
幸せを感じながらルネは、抱きしめてくるジュールの背中に腕をまわした。
終




