4 二人の恋路を邪魔するつもりはない
自分よりも劣っている姉が幸せになるのを、シトリーは許せないのだ。
男色疑惑を捏造してでも、ルネの新しい婚約に傷をつけたい。
「女の幸せを諦めて、公爵様の禁断の恋を応援されるのね~? 凄いわぁお姉様、素敵だわぁ」
全くそうは思ってもいないだろう言葉が、シトリーの可憐な唇から溢れていく。
「……禁断の、恋……」
「そうじゃなきゃ婚約破棄された傷物女に、その当日に求婚する男なんていないでしょ?」
公爵当主であるジュールが、美しい従者リュカと恋仲にある。
許されない恋をしているのだという。
そのため誰からも愛されない、たとえ白い結婚をしようと失礼にならないルネを、同性愛の隠れ蓑の結婚相手に選んだ。
「そう、よね」
ルネはシトリーの説明を聞いて、意外にもこの求婚について腑に落ちた。
男色かどうかはまだ噂の域を出ない。判断しようにも、ルネはまだジュールという人物を何一つ知らないのだ。
それでもルネを、婚約者にさえ捨てられたルネを必要としてくれる人がいるのだ。
「よかったわねお姉様? 傷物の訳あり令嬢を引き取ってくれるんですもの」
意地悪く歪んだ妹の表情は、もはや決意したルネの視界には映っていない。
(意図は分からない。だけど私でいいなら)
シトリーとは仲の良い姉妹だと思っていた。
しかし今回のラヴィオを巡った騒動もあり、さすがにもう一緒に暮らすわけにはいかないだろうと思う。
まだ十六歳のシトリーを追い出すわけにも行かない。
父親であるベルトラン伯爵も、ルネが嫁に出てもいいと言ってくれている。
この家はもう、ルネがいなくとも大丈夫なのだろう。
決意したルネの元に、部屋の外に出た父親が戻ってきた。
「お父様、私……結婚をお引き受けしますわ」
「本気か」
「ええ。私を必要としてくださってるのなら喜んで」
ルネの表情は憑き物が落ちたようだった。
今朝まではこんな未来が訪れるとは、夢にも思わなかっただろう。
婚約者だったラヴィオに誹られ、妹からその婚約者を奪われた。
(夫となる方が男色ならば、私は偽りの妻として陰で支えるわ)
誰にも必要とされていないルネは、この求婚を機に新しい自分として生まれ変わるような心地だった。
◆ ◆ ◆
初めて足を踏み入れる公爵邸は、貴族の屋敷というより城のようだった。
王家と親密な関係にあるというフォーレ公爵家は天井も高く、柱の細かな部分まで凝っている。磨かれた飴色の木材は品良く輝く。
王都のタウンハウスでこの規模なのだから、領地にある本邸はどれだけのものなのか。
(素敵だわ)
行儀が悪いと思いながらも、ルネは廊下を歩きながらついキョロキョロと周囲を見渡してしまう。
「あっ」
廊下に飾られた小さな絵画を前に、つい小さな声が出た。
「ルッチェラの作品だわ……凄い」
大胆な構図と筆遣いが有名な画家の作品だ。
没後五十年ほどでようやく日の目を見たルッチェラの絵は、その多くが売れなかった時代に本人の手によって処分されている。
まさか貴重な作品が公爵家にあるとは。
いやむしろ公爵家だからあるのだろうか。
マジマジと魅入るルネに声が掛けられる。
「なにかあったか」
ルネを案内してくれていた低く滑らかな美声に、ハッとして顔を上げた。
「いえ! お待たせしてすみません」
腰を落とし謝罪をするルネだが、背中にドッと冷や汗が出た。
(いけない。婚約者として今日からお世話になるのに、早速失礼をしてしまったわ)
ルネが結婚の打診を受けて一週間が経った。
父親が求婚を受ける返事を出すやいなや、あらゆることが怒濤のように決まっていった。
ベルトラン伯爵家に求められる内容はそう多くなかったものの、ルネと父親が一番首を傾げた先方からの希望は「一日でも早く公爵家で暮らすこと」だった。
それ以外は破格の条件で、持参金もなく身一つでいいとすら書いてあった。
ルネとしても、妹が暮らすベルトラン伯爵家をすぐに離れられるのは渡りに船だ。
嫌いになったわけではないが、あっさり許せるものでもない。
屋敷や学園で顔を合わせるたび、笑顔を振りまくシトリーにルネは複雑な気持ちを抱えていた。
そうしてあの求婚を受け取った日からわずか一週間で、迎えに来たフォーレ公爵家の馬車に乗ることとなったのだった。
屋敷に来て早々、初めて対峙したジュール・フォーレ公爵自らが、こうしてルネを自室へ案内してくれている――という状況だった。
再び無言で歩き出すジュールの後ろを、ルネは慌てて着いていく。
ルネを迎えてくれたときからずっと、ジュールはあまり喋らない。簡単な自己紹介を交わすと「よく来た」「案内しよう」とだけ言い、そこからずっと無言のままだ。
視線も冷ややかなもので、一瞬目を合わせてもすぐに逸らされてしまう。
言い寄る多くの女性を袖にして、学園でも女性に興味がなかったというジュールだ。ルネが嫌いなのではなくきっと、女性全般が苦手なのかもしれない。
(男色ですものね)
ルネは自分の推理にウンウンと大きく頷いた。
(それにしても、公爵様が学園で噂になるのも頷けるわ)
背が高く広い肩幅は、ただ歩いているだけでもさまになる。
整った男らしい精悍さはまるで彫像のようで、迫力のある美男子だ。
十八歳のルネと一歳違いとは思えない。
「遅いな」
「も、申し訳ありません」
気付けばまた、ジュールとの距離が開いている。ルネも精一杯歩いているのだが、いかんせん脚の長さが違うのだ。
立ち止まるジュールの元に急いで駆け寄ると、男は腰を屈めてなにかを拾った。
「落としたぞ」
「あ……!」
ポケットに入れていたハンカチが落ちたのだ。
ルネが落としたそれを、ジュールは手に持ったままジッと見つめる。視線の先にはルネの施した刺繍があった。
「それは……」
ルネは絵が好きだ。
それこそ婚約者であったラヴィオそっちのけで没頭してしまうほど、絵を描くことが好きだった。
自分の考えたモチーフや絵を図案にして、刺繍にするのも楽しい。
しかし好きと上手は違う。
下手の横好きだという自覚はあった。妹からは、子供の方がもう少しマシな絵を描くとも言われた。
この国では絵は男性が描くものだという風潮もあり、ルネは学園に入学してからというもの、自分の絵は家族以外に見せていない。
「これはきみが?」
誤魔化そうかとも思ったが、ジュールの瞳があまりに真っ直ぐにルネを見ていた。
嘘をつくことを許されない気がして、ルネは一瞬言葉に詰まる。
ずっとこのお屋敷に厄介になるのだ。
「私……絵が好きなんです。自分の絵を刺繍にするのも好きです。下手、ですよね」
やめろと言われたらやめるしかないが、好きだというものを隠すことはやめた。
今までなら周囲を察して隠すか、言うこと自体を止めていただろう。
大胆な自分の言葉に、ルネは心臓が飛び出そうになった。
「俺は、いい絵だと思う」
「え……」
ジュールはそれだけ言うと、ルネの手にハンカチを戻してフイと顔を背ける。
それから先ほどよりも随分ゆっくりとした歩調で、ルネの先を歩いた。




