37 シトリー、お前だ
「待ちなさいよ、お姉様!」
放課後の教室、ジュールの迎えを待つルネに鋭い声がぶつけられた。
誰が呼んだのかなど、振り向くまでもない。
だがルネが声のした扉に向き直ると、そこには記憶にあったシトリーの姿はなかった。
「……シトリー?」
いつも周囲の視線を惹きつけてやまなかったシトリーは、常に身なりに気を使っていた。艶のあった髪の毛は遠目にもパサパサと乱れているし、笑顔溢れていた表情はまるで飢えた獣のように荒々しい。
なにより彼女の周囲を取り巻く雰囲気が、ルネの知っている妹のものではなかった。
「ええ、ええ。私よお姉様。シトリーよ。約束したのに、いったいいつになったらジュール様を譲ってくれるの?」
シトリーが一歩ずつルネの元へと近づいてくる。
ルネの婚約者だったラヴィオを奪い、それでも飽き足らずルネに求婚したジュールを奪おうとしているのだ。
だが以前ルネははっきりと断ると口にしているし、ジュールもシトリーに興味はなく、むしろ迷惑そうにしていたはずだ。
「お姉様のものは私のもの。私がほしいと思ったら差し出すのがお姉様の役目でしょ!」
異様な雰囲気のシトリーの言動に、クラスはシンと静まり返る。
何人かが怯えた様子で、ゆっくりと教室を出て行った。
「ねえシトリー。あなたの言っていることは滅茶苦茶よ」
「滅茶苦茶にしたのはお姉様じゃない! なによお姉様なんて、私と血が繋がってないくせに偉そうに!」
シトリーの言葉にルネはヒュッと息を飲んだ。
それはルネがずっと、シトリーに知られまいと秘密にしていたことだ。
「どうしてそれを……」
「知らないとでも思った? 残念でした! 去年、酔った叔父様がぽろっと零したのよ。血も繋がってないくせに、姉の顔をするお姉様がおかしくっておかしくって!」
高笑いするシトリーを、ルネは呆然と見つめる。
ルネはルネなりに、血のつながりのないシトリーを大切にしてきたつもりだった。
だがシトリーはルネを、そんな風に思っていたのか。
この一か月ほどの間に、何度シトリーに落胆したらいいのだろう。
「……それで? それを知ってシトリーはどうしたいの。自由になりたいの?」
「自由? お姉様から? そうね、自由になりたいわ! 私はフォーレ公爵夫人になるのよ! 出自からしても、拾われっ子のお姉様なんかより私の方が相応しいでしょ?」
「……なにを言ってるの」
拭い去れない違和感が、いよいよ強くなった。ルネは眉をひそめる。
シトリーの主張は、どこかルネの考えと食い違っている。
まさか。
ルネはハッとした。
だがそれを口にしていいのか、知らないままの方がいいのではないかと言い淀む。
「お姉様なんて、お父様の子じゃないくせに! 拾われっ子が図々しいのよ!」
シトリーの悲鳴のような声に、教室はシンと静まり返った。
窓の外からは場にそぐわない、他の生徒の笑い声が遠くに聞こえる。
ルネは言い返すべきか迷った。
確かに血は繋がっていないが、家族だ。
先日の、ジュールから袖にされたことを踏まえて、シトリーはもう十分プライドが傷ついているだろう。彼女のプライドを、さらに折るようなことはできない――。
グッと押し黙るルネの肩に、温かな手が置かれた。
覚えがある、この大きな手は。
「ジュール様……」
見上げるとそこには、真っ直ぐシトリーを睨むジュールの顔があった。
走ってきたのだろう、いつも冷静な彼の額には、汗で髪の毛が張り付いている。
扉の後ろからは少し遅れて、先ほど早々に教室を出て行ったクラスメイトたちが顔を出す。ジュールを呼びに行ってくれていたのだ。
「あら、ジュール様! ジュール様もご存じなかったんでしょう? まさかお姉様が使用人の子で、貴族の血が一滴も入っていないだなんて。公爵夫人になんて相応しくないわ」
シトリーはコロコロと楽しそうに笑う。
その表情は醜悪で、だが秘密を暴いてやったのだという達成感に満ち溢れていた。
ルネは眉を下げ、奥歯を噛みしめた。
そうしていなければ涙が溢れてしまいそうだった。
「素直にジュール様を譲ってくれてたら、こんなこと言わなくて済んだのに。可哀想なお姉様。もう社交界にも居場所はないわね」
ふふ、と微笑むシトリーは毒花のようだ。
周囲に毒をまき散らすが、自分のなにが悪いのか気付かない。
「いい加減にしろ」
ジュールの低い声が、教室内に強く響く。
「お前がどこでなにを勘違いしているのか知らないが――」
「待ってください、ジュール様……それは……っ」
ルネは慌ててジュールの袖を引っ張った。
それ以上はいけない。
だがジュールは止まるつもりはないようだ。ルネに一切の視線を寄せず、ただ真っ直ぐにシトリーを睨みつける。
「拾われっ子はシトリー、お前だ」
端的に言い放たれた言葉は、長い間ルネが秘密にしていたことだった。




