36 溢れそうになる想い
お茶会のホストであるジャネットの会話は、皆興味津々なのだ。
その上ジャネットの弟であるジュールは、女性の噂など一つもなかったフォーレ公爵だ。彼が求婚したというルネを、周囲はどんな人物なのかと注目をしている。
「愛されて求婚されるなんて、羨ましいわ」
「若く美しいフォーレ公爵閣下の一途な恋……ってこと? なんて素敵なの」
「あのジャネット様が可愛がってらっしゃるんですもの。お相手の方の人となりが分かるようだわ」
周囲から漏れ聞こえる声は、どれもルネたちに好意的なものばかりだった。
ルネを抱きしめていたジャネットの腕が緩み、小さな呟きが落ちてくる。
「今日は高位貴族の中でも、影響力の強い家柄を中心に招待しているわ。悪い噂は嘘なのだと知らしめなさい」
「お義姉さま……」
見上げると、ジャネットは目を細めてルネを見ていた。
ルネの名誉回復のために場を設けてくれたばかりか、こうしてジャネットの保護下にあるのだと知らしめたということだ。
公爵夫人であるジャネットは、元は王族と並ぶフォーレ公爵令嬢だ。生まれながらにして圧倒的な権力と力、それからそれに見合う気品と魅力を兼ね備えている。
そんな彼女がルネたちのために手を貸してくれるのだから、これほど心強いことはない。
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいのか……」
「べ、別にあなたのためなんかじゃないんですからねっ! ジュールの、フォーレ公爵家のためですわっ」
ツンと顔を背けるジャネットだったが、ルネはもう彼女の仕草は照れ隠しなのだと分かっている。ほっこりとした気持ちで、ありがとうございますと再び口にする。
「そうだわ。ルネ、以前の作品もお友達に見せたらとても好評だったの」
社交界で影響力のあるジャネット、その彼女のいう「お友達」はいったいどれほどの高位貴族なのだろうか。
そんな方々にお見せできるようなものでは……とルネは内心冷や汗をかくものの、心から褒めてくれているジャネットの言葉は素直に嬉しい。
「せっかくなら、今日持ってきてくれた作品をみなさんにお見せしてもいいかしら。みなさん、ルネの新作を楽しみにしていたのよ」
ジャネットがそう言うと、すかさず左右から従僕たちが現れた。その手には以前ジャネットに預けたルネの作品や、今日手土産として持ってきた作品がある。
メイドたちはなにを指示されたわけでもないのに、ササッとテーブルの上を片付けて素早くクロスまで交換してしまう。ジャネットの躾が行き届いている。
綺麗になったテーブルの上に、ルネの作った刺繍作品が広げられた。
途端にこちらを窺っていた貴婦人たちがワッと近寄ってくる。
「なんて素敵な色使い。鮮やかで、大胆で……吸い込まれそう」
「絹もなんて手触りがいいの! ベルトラン伯爵領で作っているものなの? どこで買えるのかしら」
「とても独創的な図案ですわね。でも不思議と、古典柄との相性がいいわ。お互いを引き立てているというか、全く新しいものへと生まれ変わっている」
「待って、なあにこの手法は! まるで絵画のよう……立体的な膨らみは、どうやってるの?」
恐らく目の肥えているだろう年配のご夫人たちも、ルネの刺繍やベルトラン伯爵領の絹を誉めてくれている。
刺繍はルネが考えた下手くそな図柄が多いが、その周囲には昔からの古典柄もちりばめていた。少しでも華やかにしたいと考えたときのものだが、引き立てあうという言葉を耳にしてルネの胸が熱くなる。
「あらルネ。今日持ってきてくれたのはこれね。うちの家紋だわ」
ジャネットが広げたのはジャネットの嫁いだリュンカール公爵家のものだ。
せっかく招待して貰ったのだからと、ルネは昨晩せっせと糸を刺した。鳥と船をモチーフにしたリュンカール公爵家の家紋に、ルネの感性で色をあしらっている。
「さすがね。とっても素敵よ、ありがとう。一番いい応接室に飾らせてもらうわ」
「ありがとうございます」
そんな、とか。とんでもない、とか。
ルネは一瞬謙遜しようかと思ったが、それはジャネットの前では相応しくない気がした。だから一番の笑顔でお礼を告げる。
貴婦人たちはまだまだテーブルの上で、ルネの刺繍の評価会が続いているようだった。好意的な意見ばかりで、ルネが今日ここに呼んでもらった意味を改めて知った。
(皆さんに守られてばかりだわ)
感謝の気持ちでいっぱいになるルネの肩に、ジュールの手が重なった。
「ルネの人柄も能力の高さも、ここから末端貴族にまで広まっていく。姉上は学園の噂に憤慨してらしたからな。今日生徒たちは呼ばれていないが、いずれ届くだろう」
「あ……」
今日の招待客がルネたちと同世代がいないと思ったのは、そういった理由だったのだ。
情報も噂も、上から下へと流れる。
ことの真偽は、正義はどちらにあるのか。ジュールとジャネットは、貴族らしい手段で修正させようとしたのだ。
「ジュール様……ありがとうございます」
滲みそうになる目元を瞬かせ、ルネは精一杯のお礼を告げた。
何度この人を好きになったら、わずかに残る未練を振り切ることができるのだろうか。
高鳴る胸を押さえながらルネは、今日も溢れそうになる想いに蓋をするのだ。
◆ ◆ ◆
新しい週が始まった。
学園でのルネの生活は、日が経つにつれ少しずつ周囲が賑やかなものとなっていく。
「ジュール様がルネ様を溺愛しているって話、社交界で広まっているそうです。やはり真実の愛は二人にあったんですね」
「あの……刺繍の腕前が素晴らしいと聞きました。私にも見せてもらえますか?」
「ジャネット公爵夫人と大変仲がいいのでしょう? 私の姉も羨ましがっていました。もしよければ今度我が家に――」
ジャネットとジュールの考え通り、高位貴族から下位貴族へ、母から子へ、姉から妹へと、お茶会に参加していた人たちの間でルネの話が広まっているようだ。
それに伴い、ジャネットやジュールとの間を取り持ってほしい、繋がりがほしいという露骨な誘いも増えてしまったが、それらはジュールのお陰で遠ざけられている。
「今はフォーレ公爵家で学ぶことが多くて。また落ち着いたらお誘いください」
ジュールに教えられた通りにそう答えれば、全ての生徒は引き下がってくれた。
他人の威光を見せびらかしているようで気が引けるが、これも力の使いどころだとジュールが教えてくれた。
実際のところは、フォーレ公爵家でのんびり絵を描いたり、刺繍をしたりとゆったりと生活させてもらっている。
手厚く世話をされ、好きなことばかりさせてもらい、おいしい食事におやつまでついているのだから、実家で暮らしていたよりも少し太ったかもしれない。
それに――ジュールの傍にいられるだけで、幸せなのだ。
思い出して微笑むルネの姿は、クラスメイトたちからは今までよりも満ち足りた姿に見えるようで、つられて周囲もなんだかほわっとした空気に変わる。
穏やかな暮らし、満ち足りた日々。
あとは半年後に控えた結婚式を待つだけ――だが。
そんなルネの姿を、教室の扉の外から睨みつける人物がいた。
美しかった栗色の髪の毛を乱し、射殺さんばかりにルネの後ろ姿を睨みつけている。
廊下側からその姿を見てしまった男子生徒はギョッとした顔をして、慌ててその場を離れていった。
「許さないわよお姉様……! 拾われっ子のくせに、私を差し置いて幸せになるだなんて……」
血走った目で睨みつけ、奥歯を噛みしめるのはルネの妹・シトリーだった。




