30 どうしてこんなことになってしまったのか
実家でラヴィオと対峙したルネは、あれからどう公爵家に戻ったのかあまり記憶にない。
土曜日、しつこく言い寄るラヴィオを突き放し、戻った応接室でジュールと合流したこと程度は漠然と覚えている。
妹といいラヴィオといい、ありのままの本音で人間の醜さを突きつけられた気がして、ルネは人の悪意に触れた影響か長く呆然としていた。
翌日もせっかくの日曜日だというのに、朝からぼんやりと部屋でふさぎ込んでいた。
胸は鉛が沈んでいるように重く、今朝の朝食もあまり喉を通らないままだ。
自室で刺繍でもしようかと刺繍枠を取り出し、糸を刺してはため息をつく。気がまぎれるどころか自分の思考の海に溺れて、ルネの手はしょっちゅう止まった。
そんなルネの元に、思いがけない人物がやってきた。
「ごきげんよう。なあに、その顔」
ルネの部屋の扉を開けたのは、ジュールの姉であるジャネットだった。
銀色の美しいロングヘアをたっぷりと結い上げ、艶のある濃紺のシルクドレスがよく似合っている。相変わらず存在そのものがゴージャスでファビュラスな存在だ。
ジャネットはヒールを鳴らし、窓際に座るルネの正面に腰を下ろした。
無作法かもしれないが、高貴な猫のように自由なふるまいこそジャネットに似合うのだから不思議なものだ。
「ジャネット様……? どうしてこちらへ?」
「なによ、あなたが落ち込んでると聞いたから、遠路はるばる顔を見に来てあげたのに。迷惑だったかしら」
「いえ、とんでもありません! 嬉しいです」
ルネをよく思っていなかったはずのジャネットが、ルネの不調を聞きつけて飛んできてくれたのだ。ジャネットの気遣いもだが、彼女がルネに向けていた心境の変化が嬉しくないわけがない。
ジャネットは「そうでしょう」と深く頷き、艶やかに微笑んだ。
それから彼女が持っていた扇をパチンと鳴らすと、どこからともなく大勢のメイドたちが現れた。彼女たちの腕は円柱の箱や細長い箱、正方形の箱など多くの箱を抱えていて、どれもリボンや包装紙で綺麗にラッピングされている。
「これはお土産よ。受け取りなさい」
メイドたちの手により運び込まれた大量の箱は、ルネへの土産だという。
ちらと見えた包装紙は、王都でも有名なブティックのものだ。この国一番の公爵家で生まれ、そして同じく公爵家に嫁いだジャネットのお土産の規模は、ルネの思うものと桁が違うようだ。
嬉しい反面身の丈に合わない気がして、ルネは背中に冷や汗をかく。
「こんなにたくさん……ジャネット様、ありがとうございます」
「ふ、ふん! あなたのためじゃないのよ、未来の公爵夫人のためなんだから!」
人を寄せ付けない美貌で他人に誤解されやすいのだろうが、優しいところはやはりジュールと姉弟なのだ。ルネは二人の共通点を見つけてほっこりすると同時に、昨日の出来事を思い出して表情が曇る。
ジャネットはルネの些細な変化を見逃さなかった。
「なにかあったのかしら。例えば――ジュールにも言えない悩みがある、とか」
「あ……」
ルネはハッとした。
きっとジュールが気を回して、ジャネットを呼びつけてくれたのだろう。
平静を装っていたつもりのルネだったが、昨日実家を出たあとは明らかにため息の回数は増え、ジュールと視線を合わせることもできなくなっていた。
女性同士ならば胸の内を相談できるに違いないと考えてくれたに違いない。
ジュールとジャネットの優しさは、嬉しい。
だけどまさか再び妹が自分の婚約者を狙っているだなんて、言えるわけがない。
その上、元婚約者までが捨てられるであろうルネを狙っているのだ。
誰かに聞いて欲しい気持ちはあるが、話せない。ルネは嘘を重ねられるほど、器用ではないのだ。
黙りこくるルネを見て、ジャネットは扇を鳴らした。
「まさか……ジュールと喧嘩した? それならわたくし、あの子を叱らなくては」
「違います! ジュール様はいつもお優しいです!」
叱るという言葉に慌てて、ルネは腰を浮かせて否定した。思ったより大きく出てしまった声を手で押さえる。
行儀の悪い行動に恥じ入りながら、ルネはストンと椅子に座り直した。
「それならなに? 言ってごらんなさいな。こう見えてわたくし、口はかたいから安心なさい」
自分で「こう見えて」と発言するあたり、ジャネットは人付き合いが上手なのだろう。思わず笑ってしまったルネだったが、昨日のことを思い出すと視線が下を向いていく。
「ねえルネ。困っていることがあるならちゃんとジュールと話し合った方がいいわ。例えば、愛が重くて鬱陶しいとか」
ジャネットは、リュカとジュールのことを言っているのだろうか。
愛し合う二人を鬱陶しいなんて、そんな風に思ったことはない。
だが最近、二人を見ていてみぞおちのあたりがヒヤリとすることはある。喉のあたりが苦くなるような、息が詰まるような気になるのだ。
「ですが……」
そもそもジュールたちのことについて、ルネはどうこう言える権利はない。
あくまでルネは空白である妻という立場に収まるだけの、飾りものだ。
それに気持ちが落ち込む理由はきっと、昨日のシトリーの振る舞いと言動が大きい。
お飾りの妻である公爵夫人の座を、シトリーは欲しがっている。
その上、元婚約者であったラヴィオがよりを戻そうと言い寄ってきたのだ。
どうしてこんなことになってしまったのかと、ルネは思い出すだけでまたため息が出た。




