28 お父様。なにも心配することはないわ
シトリーはルネのものをなんでもほしがった。
物に執着の薄かったルネは、シトリーが寂しい子なのだと思って、あげられるものはなんでもあげてきた。
だがこれは、いやだった。
真珠の髪飾りは、ジュールがルネのために選んでくれたものだ。
確かに高級品ではあるが、ルネが大切にしている理由は値段ではない。
「そもそも、お庭を案内することすらお姉様の許可がいるの? ああ嫌だな、泣いちゃおうかな? お姉様に意地悪されたって言おうかな? どうしよう? ジュール様、お姉様を嫌いになるかもね?」
妹は顔を近づけ、意地悪く笑う。
少なくとも子供の頃のシトリーは、こんな表情をする子ではなかった。
「いいじゃない。別に。ただお庭を案内するだけよ? なにを怖がってるの?」
「……ジュール様を変に誘惑しないで」
ジュールの後ろにはリュカがついてくるだろう。シトリーがジュールにちょっかいをかけることで、リュカを悲しませたくない。
「ありがとう、お姉様!」
嬉しそうな笑顔を振りまくシトリーを、ルネはもう可愛いと思えなくなっていた。美醜の問題ではなく、心が動かないのだ。以前ならばやれやれと苦笑しながらも受け入れていたことも、もはや脱力と虚無感しか残らない。
応接室の扉を開け、シトリーは「ジュール様、一緒にお庭に行きましょ!」とジュールの腕を引いた。
「だが……」
ジュールがチラリとルネを見た。
だがジュールの視界を遮るように、シトリーがジュールへズイと身体を近づける。
「お姉様は自室で絵を描いていたいんですって! 描き残した絵があったことを教えた途端、これよ? ほーんと、女のくせに絵を描いてばっかりで、妹として恥ずかしいわ」
ルネはスカートを握り締め、湧き上がりそうになる怒りをグッと堪える。
「そうなのか?」
「え、ええ。そうなんです。よかったらシトリーと散策してらして」
怪訝そうなジュールの声を、ルネは肯定した。
ルネの後押しが決定打となったのか、ジュールは渋々といった様子で立ち上がった。
腕に絡むシトリーは笑顔だったが、反面ジュールは無表情になる。シトリーに顔を向ける様子もない。
やはりジュールは女性が苦手なのだろうと、ルネは嘘に加担してしまったことを申し訳なく思った。
「リュカ、ごめんなさい」
後ろに控えるリュカにせめて謝罪を告げた。
恋人であるジュールが他の女性に密着されているのだ。気分のいいものではないだろう。
「大丈夫ですよ。僕も一緒に行きますから」
リュカは穏やかな微笑みを浮かべてそう言ってくれた。
だがルネは、そんなリュカの回答を予想していたのかもしれない。表向きの彼の立場上、この場で他に言えることなどないだろう。
ルネは、ただ自分の罪悪感を打ち消したいがために謝罪してしまった気がして、より深く反省した。
「本当にごめんなさい」
「ルネ様は気にすることないですよ。分かってます。僕がジュール様を守りますから」
確固としたリュカの決意は、主であり恋人であるジュールへの、最大級の愛の言葉だ。
やんわりと、しかし毅然とした態度を崩さないリュカの姿は、柔らかい中性的な美貌からは想像できないほど芯が強い。
この人こそ、ジュールが愛する人なのだ。納得できるその立ち振る舞いに、改めて二人の絆を確信できた。
「ありがとうリュカ」
万感の想いで、ルネはそっとリュカの手を握る。
握ってから「私に触られるのは嫌だったかしら」と内心慌てるルネだったが、リュカは僅かに驚いた表情を見せた後「役得ですね」と笑った。
「リュカ、行くぞ」
既に扉まで移動していたジュールが、イライラとした声でリュカを呼ぶ。
リュカの手を握っていたのを見られていたのだ。ルネは慌てて握っていた手を離した。
「男の嫉妬は怖いなあ」
小さく呟いたリュカの声を、ルネは聞き逃さない。
(私がリュカの手を握ってしまったのが、お嫌だったのね)
それはそうだ。二人は愛し合っているのだから。
以前のルネならば仲睦まじい二人の様子にほっこりしたかもしれない。
しかし今は少し、喉のあたりに苦みを感じる。
「ルネ、よかったのか。描きかけの絵があるなんて、シトリーの嘘だろう」
二人きりになった応接間で、父は申し訳なさそうな声をかけてきた。
分かっていて止められなかったことを、気に病んでいるようだ。
「ラヴィオのことは、すまなかった。まさかシトリーが姉の婚約者に手を出すほど、立場をわきまえていないとは思わなかったのだ」
「お母様は、シトリーを妹として大事にしてと言い残していましたわね。本人も忘れているようですし、私たちも家族として、彼女を甘やかしすぎたのかもしれません」
ルネは努めて明るい笑顔を作った。
今までルネが、ルネと父が築いてきた家族というものがただの虚像だった。それを認めるのが怖くて、二人で目を背け続けていたのかもしれない。
「ですが私はもう家を離れます。お父様、シトリーをお願いしますわね。ラヴィオとの婚約で満足している様子がありませんもの。なにか、しでかすつもりかもしれません」
父は深く頷いた。
ルネという姉が消え二人きりの家族になった今、父は以前より客観的にシトリーを見ているのかもしれない。
「家のことは気にしなくていい。ルネ、お前はお前の幸せを追いなさい。公爵様はお前を大事にしてくださっている。そうだろう? あの真っ直ぐな目は信用できる男だ」
ジュールに対する父の判断は間違っていない。
彼は真っ直ぐにリュカを愛している。
そのためにルネを妻に迎えようとしているのだ。
娶るからには責任は取る、そんなジュールの意思はひしひしと感じている。
やっていることは世の道理からはずれているのかもしれないが、ルネに対して真摯な姿勢は彼の本質だ。
ルネはジュールを尊敬しているし、ルネのような傷者が役に立てるのなら喜んでこの身を捧げようと思っている。
「ええ、そうよお父様。なにも心配することはないわ」
だからルネは愛する父に、そう言葉をかけるのだ。




