26 よかったら私が庭をご案内しますわ
復帰したルネの学園生活は、初日以降は穏やかなものだった。
二人で一緒に買い出しをしてからというもの、ジュールとの関係も以前より親密になった気がする。
毎朝仲睦まじく馬車から降りて、ジュールのエスコートで教室に行く。帰りも同じように迎えに来たジュールと共に馬車に乗って、フォーレ公爵家に帰るのだ。
クラスメイトたちも次第に落ち着きをみせる。
腫れものを触るような雰囲気でもなく、ジュールの婚約者として尊重されていることを肌で感じていた。あれこれ聞いてきたクラスメイトたちと一人ずつ、差しさわりのない範囲でジュールのことを伝えたおかげもあるのかもしれない。
ルネの学園生活は、想像していたものよりずっと快適なものになっていた。
一週間が終わり、休日である土曜日が来た。
ルネはジュールと共に実家であるベルトラン伯爵家の応接室に座っていた。
求婚され、早々にフォーレ公爵家へ向かったときからまだ日は浅い。
それなのに既にルネは、それすら大分昔のような懐かしい気持ちになっていた。
扉を背にしてルネとジュールが長椅子に腰かけ、ローテーブルを挟んだ向こうに父であるベルトラン伯爵が座っていた。
「ご挨拶が遅くなり、申し訳ありませんでした。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
ジュールは若いながらも公爵当主として、堂々とした態度で父に頭を下げていた。
格下の伯爵である父の方が恐縮している。
「こちらこそ。これからもルネをよろしくお願いします」
そう言ってジュールと握手を交わす父の表情は、ルネがよく知る父だった。
母が亡くなり父一人となってからも、元々裕福ではなかった伯爵家を盛り立てるために奮闘してきたことを、一番側にいたルネは知っている。
「母親が亡くなり、ルネには伯爵家を支えてもらってばかりいました。伯爵家を盛り立てるために、独学で経営や領地について勉強してくれたりと、苦労ばかりさせてきました」
ルネの目頭がじんわりと熱くなる。
母が亡くなったのは、ルネが七歳の頃だった。
まだまだ母親に甘えたい頃、長く病床に伏していた母を見送った。
病床で母は、ルネが描いた絵を何度も誉めてくれたものだった。下手くそな絵を笑うことなく、上手だわと頭を撫でてくれた感触を今でも覚えている。
女であるルネが絵を描くことについては、やはり表立って応援できない父だったが、時々スケッチブックを買ってくれた。
それも父なりに、母とルネの思い出を大事にしてくれているのだろう。
まだ女性の身分は男性に比べて低く、画家を目指す娘がいるなどと言ったら社交界の笑いものだ。もちろんルネも画家を目指せるような腕前ではないが、趣味で絵を描いているだけでも馬鹿にしてくる人間は少なくない。
複雑な心境だろうに、それでも父は時折ルネの絵を矯めつ眇めつ「上手だな」と褒めてくれたのだ。
「私が蚕に必死になっているせいで、ルネには随分寂しい思いをさせてしまった。私が言うのもなんですが、優しい子なんです。どうか幸せにしてやってください」
領地で取り扱う養蚕は、繊細な生き物ゆえに難しい。税収が落ち込んだここ数年は特に、不調からの起死回生を図ろうと領内を飛び回り、家庭を顧みることがなかった父親だ。
頑張りはあまり実を結んでいないものの、寂しくさせたと思ってくれていたのだ。
その事実だけで、ルネは今までが報われるような気持ちだった。
「ベルトラン伯爵――いえ、義父上。ルネは幸せにします。もちろん、誰より」
硬く握りあう二人の握手は、ルネの胸に込み上げるものがある。
だがルネの心境は、少しだけ複雑なものも混じっていた。
父の様子を見るに、まだジュールがリュカと恋人関係であることは耳に入っていないのだろう。そうでなければルネたちの後ろに、リュカが控えることを許すはずがない。
なにも知らないのであればそれでもいいとルネは思う。
ルネの幸せを信じて送り出してほしい。どうか公爵様に愛されている幸福な娘だと思っていてほしいのだ。
男色公爵の隠れ蓑として結婚するなんて、露ほども知らずにいてほしい。
ジュールたちとの日々はルネにとって平穏そのもので、不満は何一つない。しかしそれを見た周囲がどう思うか。当事者とは違う目線で見るだろう。
ルネは覚悟した上でフォーレ公爵家にいるものの、誰かに傷ついてほしいわけでもないのだ。
手土産として一緒に選んだワインとチーズも渡し終わり、貴重な銘柄のボトルに父は相好を崩した。これを選んでよかったと、ルネはジュールと目配せをして小さく微笑みあった。
穏やかな応接室だったが、突然扉が大きく開かれた。
「ジュール様! お話はお済みですか? よかったら私が庭をご案内しますわ」
入ってきたのは妹であるシトリーだった。
父が腰を浮かし、鋭い声で叱責する。
「シトリー、場を考えなさい」
「え~? でももうお話は終わったんじゃなくて? お父様の相手をしてても、ジュール様は退屈でしょう?」
シトリーのドレスは、夜会にでも行くかのような華やかなものだった。
場所を考えなければよく似合っているが、まだ午後をすぎたばかりの時間には、場違いさが先に立つ。
こういったドレスにベルトラン領地の絹を使わないのも困ったものだった。シトリーは外国産の、高級な絹地が好きなのだという。
派手な外見を飾り立てるアクセサリーは、いくつかルネの宝石箱にあったものだ。栗色の髪の毛にピンク色の宝石が並ぶヘアピンを見つけて、ルネの心は僅かに沈む。
ヘアピンには嫌な記憶ばかり重なっている。
シトリーに似合うあのヘアピンは、元婚約者であるラヴィオからルネへの誕生日プレゼントだった。
だが去年のルネの誕生日には、既にラヴィオはシトリーと愛を育んでいた。
ヘアピンがシトリーに似合う理由を考えるだけで、ルネは婚約破棄の一幕を思い出し落ち込んでしまう。
長椅子の隣に無理矢理お尻を押し込めたシトリーは、しなだれるようにジュールの腕に腕を絡めた。
「ね、いいでしょジュール様」
大きな瞳を潤ませるように見上げる。女性からはあざとく見えるが、多くの男性がこのシトリーに夢中になるのをルネは誰より近くで見ていた。
ルネの胸の中にザワザワとさざ波が立つ。




