22 ど、どうしましょう……。
侮られている。
ルネの心がみるみるうちに冷えていくのが分かる。
仲がいいと思っていた、大切にしていたと思っていた可愛い妹にとって、ルネはその程度の存在だった。
「……ジュール様は、譲れないわ」
ルネははっきりと口にした。
もとよりシトリーに譲るつもりはなかったが、妹の身勝手な理屈を聞いて改めてそう感じたのだ。
ジュールの隣に立つだけなら、シトリーの美貌は相応しいのかもしれない。
しかしジュールには周囲に明かせない大切な恋人・リュカがいるのだ。
誰より一番でなければ気が済まない、我が儘なシトリーでは彼らを支えることはできないだろう。
なによりルネが、なんだか嫌だった。
その「嫌」が具体的にどうしてなのか、そこまではまだルネ自身も言葉にできない。
しかしその嫌だという感覚は、ヘアピンを譲ったときよりも一層高まっていた。
勇気を出してはっきりと断りを告げるルネの顔を、シトリーは笑いながら覗き込む。
「お姉様はそう言うけど、いつも最後には私に譲るわ」
迷いのない言葉だ。
そうだ、結局いつもルネが折れていた。
可愛い妹の可愛い我が儘だと思っていたから。
だが今回は違う。
「だけど……ッ!」
ルネの言葉を遮り、鐘の音が響く。
一時間目終了を告げる音だ。
シトリーは足取り軽く、スカートを翻しながらクルリと回る。
「早くいい返事をちょうだいね。私も公爵夫人として用意を進めておくから」
ルネの言葉など、既に公爵家に嫁ぐつもりの妹には何一つ届かない。
シトリーはルネの返事を待つことなく一人、校舎へと戻っていった。
欲しいものは全て譲ってもらえて当然なのだ。シトリーをそんな風にしてしまったのは甘やかしてきた周囲であり、家族であり、そして――ルネだ。
ルネの心と同調するかのように通り過ぎる風は木々を揺らし、葉擦れの音を大きくした。
◆ ◆ ◆
教室に戻ったルネは授業を受けながら、周囲からの視線を感じていた。
チラチラと様子を窺う者、ルネの視界外の席をいいことに凝視している者、休み時間にひそひそ話をしている者たちなど様々だ。
(居心地が悪いけど……仕方ないわね)
婚約破棄騒動は学園内に知れ渡っている。復学することを考えたときに、こうなることは既に覚悟していたはずだ。
それになによりルネを強くさせたのは、課せられた使命の存在だ。
いかにジュールとリュカという恋人たちの噂を下火にし、ルネが婚約者として彼ら前に立つことで噂の防波堤になる。
ルネは男色自身に偏見は持っていないつもりだが、社交界は他人の噂がものを言う。男色公爵は恰好の的になり、やり玉にあがることも多いだろう。
(私が、ジュール様を守る)
そのために学園では仲のいい婚約者として振る舞い、ジュールの噂を払拭させるのだ。
さあ、いつでもかかってきなさい。ルネの気合いとは裏腹に、休憩時間も、昼休みも、放課後になるまで誰も聞きにこない。
(あ、あら……?)
ルネでは婚約者役に足りていなかったのか。
それともルネの方から、言って回るべきだったのか。
周囲にはまだ多くのクラスメイトたちが残っているものの、ルネに近づこうとする者はいない。
内心がっかりしつつも、少ない荷物を鞄になおしルネは教室の扉へと向かう。
「あ、あの! ベルトラン伯爵令嬢! ジュール様と婚約されたって、本当なの?」
後ろから声を掛けられ、ルネは内心「やったー」と小躍りしたい気分だった。
いままでどう切り出すか伺っていたらしい、一人の生徒を皮切りに教室に残っていた生徒たちがワッとルネに詰め寄った。
「フォーレ公爵家のお屋敷で暮らしているんでしょう? 羨ましいわ、ジュール様は休日、なにをして過ごされるの?」
「未来の公爵夫人ですもの。やはり花嫁修業は大変でしょう?」
「フォーレ公爵家は良質の馬を育てることに長けてますからね。王都のお屋敷でも多くの名馬を所有しているそうですよね!」
「なんでもいいから、ジュール様のことを教えてくださいっ! ファンなんです!」
「ジュール様の使っている香水はどちらのお店のものなの?」
一気にあれこれとまくしたてられ、ルネは「ええっと」と情けない声を出した。
クラスメイトたちは少なくとも、前回の婚約破棄の醜聞よりもジュール個人のことに興味があるようだ。今朝廊下で起こった批判的な空気でないことに安堵しながらも、ルネの背中には嫌な汗が滲む。
(ど、どうしましょう……。私。ジュール様のこと、なにも知らないわ)
聞かれたことの殆どに、ルネは答えられない。
名演技をして名婚約者になろうと意気込んでいただけに、自分の勉強不足に気付き泣きそうになる。
そして彼らの言っていた話のあれこれは、ルネも知りたいと思った。
どんなことを考えているのか。
なにが好きなのか。
確かにジュールの側は、いつも品のいい素敵な匂いがする。
公爵家は馬を世話する馬丁の人数が多かったが、名馬を排出しているなんて知らなかった。
(私、もっとジュール様のことを知りたい)
自然とそう思えた。
それから慌てて自分に言い訳をした。
(こ、これは、婚約者として演技するために必要だから! そう、だからよ。ね)
自分の好奇心としてジュールのことを知りたいだなんて、そんなわけはない。
ジュールへの好意は確かにあるが、必要以上に近づくことはリュカへの裏切りのような気がした。
それはともかくとして、ルネは今どうやってこの場を切り抜けるかという難題に直面しているのだ。
「ね、教えてくださらない? お願い!」
「ジュール様は、どうやってあの成績を維持されているんだい?」
冷や汗をかくルネを取り囲む人垣は、どんどん近づいて狭くなっていく。
「あ、あのですね……」




