19 学園へ
ルネにとって久しぶりの登園は、やはりどう身構えても緊張するものだった。
それは婚約破棄事件が起こった場所だから、という理由だけではない。
「体調が優れない様子ですが、大丈夫ですかルネ様」
「学園復帰はやはり早計だったか? 無理そうなら馬車を戻らせるぞ」
「い、いえ、大丈夫です!」
馬車内で向かいに座る、美しい男たちが理由だった。
制服に身を包んだジュールと、シャツにベストを着こんだリュカが、公爵邸からずっと目の前にいるのだ。朝の日差し以上に眩しい。
改めてルネは、本当に自分がジュールの隣に立ってもいいものかと、緊張してきたのだ。
リュカのような可憐で中性的な美貌があれば、ルネだって胸を張れるだろうが、いかんせんルネは見た目が地味だ。落ち着いているといえば聞こえがいいが、華がないことは自分でも分かっている。
「なにかあればすぐに行く。遠慮せずに俺を呼べ」
視線に落ち着きがないルネに、ジュールは穏やかな声を掛ける。
昨日のピクニック以降、ジュールとルネの距離は一層近くなった。
以前は視線すら合わなかった二人だが、ジュールは目を合わせるどころかこうして優しい声をかけてくれる。
反射的に嬉しいと思うルネだったが、慌てて気を引き締める。
(リュカの前で私ったら……! あくまでこれは任務、二人の隠れ蓑として私が婚約者なのだと宣伝しなくては)
百面相をしているルネを乗せて、ゆっくりと馬車が止まる。
「到着しました」
リュカが先に降りる。
馬車の出口に足乗せの用意がされたのを見計らい、続いてジュールも降りた。
外からは生徒たちの明るい声が聞こえてくる。
ルネは息を吸い込んだ。
「ルネ。手を」
差し出されたジュールの手をとる。
ドキンドキンと高鳴る胸は、緊張のせいだ。扉を抜け、一段ずつ慎重に降りる。
「きゃ……!」
気を張りすぎていたのか、ルネは僅かな段差につまずき姿勢を崩した。
「っと。大丈夫か」
ジュールの太い腕が、ルネを抱きしめるようにして支えてくれた。
気遣うような微笑みを浮かべるジュールは、ふわりとルネを地面におろす。
お礼を告げるよりも先に、周囲にはつんざくような悲鳴が響く。
驚いてルネが周りに視線を向けると、多くの生徒たちが周囲を取り囲んでいた。
(ど、どうして……?)
ルネは意味が分からずオロオロとしていると、リュカがニッコリと意味深な笑みを浮かべた。
「ジュール様の笑顔に皆、悩殺されているんでしょう」
「なるほど……!」
そういえばジュールの渾名は「氷の公爵様」だった。
今のジュールからは想像もつかないが、あまり笑顔を見せない方だったのかもしれない。
そんな氷の公爵が、久しぶりの登校早々笑顔を振りまいているのだ。
これは――。
(偽婚約者への親愛表現だと、あえて見せつけてらっしゃるのね……!)
ジュール渾身の演技力、リュカがにんまりしているのも頷けるというものだ。
ルネをクラスまでエスコートしている最中も、ジュールは常に薄く笑みを浮かべる。
ルネは思った。
(完璧だわ……!)
普段は冷徹だというジュールが、まるでルネを愛しているかのように微笑んでくれている。これでルネたちは周囲からは、完璧な婚約者たち(偽)に見えるだろう。
一歩下がった後ろにいるリュカも、なんだか満足そうである。
そしてルネは改めて、この婚約及び結婚に対するジュールの「本気」を感じた。
今まで振りまかなかった笑顔を振りまいてまで、そうしてまでリュカを守りたいのだ。リュカだけのものだっただろう笑顔を見せてまで、偽装する――それはひとえに、リュカへの愛のため。
多くの生徒が久しぶりに登園したジュールやリュカ、ついでにルネを遠巻きに見つめる中、一人の生徒が「お、おはようございますジュール様」と声を掛けた。
声をかけるタイミングを皆、見計らっていたのだろう。その声掛けを皮切りに、あっという間にルネたちは廊下で取り囲まれた。
「おはようございます、ジュール様。今度我が家でお茶会が――」
「お久しぶりでございます。公爵様はやはりお忙しいと――」
「やっぱりジュール様がいない学園は物足りないというか――」
次々と言葉が投げかけられる。先ほどまで微笑みを浮かべていたはずなのに、一瞬でジュールの表情がスンと消えた。
「婚約されたという噂は本当なんですか!」
きっと誰もが知りたかったことだろう。
生徒の一人が投げかけた言葉に、周囲は大きくどよめいた。それから早朝の廊下がシン……と静かになる。
今朝、ジュールとルネが同じ馬車から降りて来たことは、多くの生徒が目撃している。
今までどんな美女だろうと袖にしていたジュールが、ルネをエスコートして歩いてきたのだ。ある意味どんな言葉よりも雄弁に説明をしていると思うのだが、それでも彼らは、ジュールの口から答えがほしいのだ。
たっぷりと沈黙をしたのち、ジュールはゆっくりと口を開く。
「事実だ」
淡々と告げる言葉にはかえって重みが増す。
周囲からは女生徒の悲鳴が上がり、男生徒の地鳴りのような声が追従する。
「いつ決まったんでしょうか!」
「言う必要はあるか?」
「やはりジュール様からの求婚でしょうか」
「当然だ」
「もう一緒に暮らしているという噂が……」
「ああ。半年後に挙式を予定している」
あれこれ投げかけられる質問に、ジュールはかいつまんで答えていく。
しかしこういった個人的な質問に対応している時点で、ジュールにとっては珍しいことだ。ルネの後ろから、リュカがそう教えてくれた。
「そうなのね……」
ジュールは人気のある人だと噂では知っていたが、こうして目の当たりにすると圧倒されてしまう。どちらかといえばジュールと違い、ルネは教室の端で一人、本を読んでいる人間だ。
ジュールの隣にいるせいで迫ってくる人垣が少し、怖い。
あれこれジュールに問いかけが投げられる中、ルネの耳に誰かの小さな呟き声が飛び込んできた。
「よりによってこんな地味な訳アリと婚約なんて。騙されてるんじゃないのかしら」




