15 突然語彙がトチ狂った
その晩ジャネットは、ジュールの執務室を訪れた。
ルネも一緒にいた夕飯時に報告するには、まだ恥ずかしさが上回っていたからだ。
「あなたたちの言う通りだったわ。ルネはいい子ね」
なんでもこなす万能従者であるリュカの淹れた紅茶を飲みながら、ジャネットはそう呟いた。自分の過ちを認めることができるのもまた、ジャネットが公爵夫人という立場にありながらも高潔でいられるゆえんだろう。
ジャネットの反省に、リュカは「意外だ」と顔に書いてある。
弟のジュールはといえば、なぜか腕を組み「そうだろうそうだろう」と頷いていた。ルネもジュールを愛していると言っていたが、やはりこの弟の方が愛は深そうだ。
ジャネットは苦笑しつつも弟の相手がルネでよかったとも思う。
「今後ルネは、わたくしと同じ公爵夫人……いえ、家格でいうならわたくしよりも上となるわ。フォーレ公爵家は、この国一番の高位貴族ですもの」
「頼めるか姉上」
「任せなさい。わたくしの持てるもの全てを総動員して、ルネを後援しますわ」
初対面で勘違いしていた負い目もある。
今後あらゆる場で、ジャネットはルネを助けていくつもりだ。
だが。
ジャネットは眉をひそめる。
「でもルネにつきまとっているデマはどうにかしたほうがいいわ。婚約破棄は事実でも、捻じ曲げられて生徒たちを中心に広がっているもの」
「分かっている」
本当に分かっているだろうか。
噂とは実に厄介だ。
それでいて噂は武器にすると、なんと効果的なものかとも思う。
「実際はどうだったのジュール。あなたはもう真相を全て調べてるんでしょう」
尾ひれがついた噂を払拭しようにも、どの範囲までどんな形で広まっているのか分からない。
ジュールは紅茶をティーカップに置くと、膝の上で手を組んだ。
強く握りこむジュールの拳に、太い血管が浮く。
「俺が……俺が彼女に恋をしたときには、既に婚約者がいた」
ポツリとジュールが零す。
「忘れきれず、しかし諦めることもできず、ずっと想うだけだった」
弟から初めて聞かされる話に、ジャネットは聞き入る。
「婚約破棄されたことを知り、すぐさま求婚し受け入れてもらった。どれだけ嬉しかったか。しかし」
一度言葉を区切り、一呼吸置くとジュールは重い言葉を言い放った。
「思うんだよ、姉上。俺がどんな手を使ってでもルネを奪っていたら。そうすれば彼女は衆人環視の元、婚約破棄を迫られるようなことはなかっただろう」
「……ッ、そんな。じゃああれは……妹が学園で、泣きながら婚約者を返して欲しいと嘆願したという話は」
「逆だよ。婚約破棄をしろと、妹と元婚約者が高圧的に宣言をしていた。ルネは地味だ、面白みもないと罵りながらな。これは俺とリュカが現場を目撃している。事実だ」
ジャネットは、大きな瞳をさらに大きく見開いた。
まさか悪女どころか、貴族令嬢のプライドを傷つけられるような惨い仕打ちを受けていたなんて。
婚約を解消することはこの国では珍しく、それ故万が一そのようなことがあれば内々に進める話だ。たとえある日婚約者がすげ変わっていようと、まるで以前から「そう」であったように周囲も話を合わせる程度には、繊細な話だというのに。
「酷いわ……」
ジャネットは強い。
自分自身もそう思っている。
だがそれでも十代の頃はそれなりに傷つき、苦しみ、悩んでいたことも多い。ベッドの中で、一人涙していた夜もある。
婚約破棄の申し出を、まるで寸劇のように見世物にされるなんて。
まだ十八歳のルネが受けるには、あまりに惨い仕打ちではないか。
「私が最初から、色眼鏡でルネを見てしまっていたのね。噂に聞く悪女にジュールが誑かされてるんだと聞いて、いても立ってもいられなくて……」
全ての真相を知ったジャネットは、改めて己のしでかしたことを反省した。
そしてジュールが抱いていたルネへの昔年の想いに触れたことで、確かにルネとジュールの間には既に確固たる愛が育まれているのだと気付く。
「姉上がそう感じてくれただけで十分だ。普段通りの態度でルネに接したらいい。傷ついている彼女にはまだ、時間が必要だろう」
「ごめんなさいね、ジュール。わたくし、あなたの大切な人に……嫌な姉だったわね。許してくれる?」
「ああ。これからルネのことも助けてやってくれ。社交界の花と呼ばれる姉上なら、女社会では俺よりも頼りになる」
寛容な弟の言葉に、ジャネットは詰めていた息を吐いた。
伯爵令嬢である娘なら、確かに社交界に疎いだろう。女同士の人付き合いやファッションであれば、ジャネットは適任だ。
弟を愛してくれる素直な娘を、義妹として可愛がろうとジャネットは心に刻んだ。
頷くジャネットを見て、ジュールも珍しく穏やかな笑みを浮かべる。
「ルネは公爵家に舞い降りた天使だからな。姉上の態度も許してくれるさ」
「なんて?」
「ジュール様……」
突然語彙がトチ狂った弟を、ジャネットは思わず凝視した。
ジュールは言葉を紡ぐ。
「あの頃から変わらず、ルネは俺の天使で女神だ。愛の化身、聖なる存在。誰より可憐で優しく、慈悲深い」
うっとりとした弟の表情は、ジャネットも初めて見る。だがどこか背中がうすら寒い。
「……リュカ、この子はわたくしの可愛いジュールかしら」
「残念ながらジャネット様。こちらがあなた様の可愛い弟君ですよ。この話は長いので適当に切り上げ――」
「何度でも聞け。俺とジャネットが出会ったのは、俺がまだ十歳にもならない頃だった」
「あー、また始まった……」
げんなりするリュカを置いて、ジュールは語り始めた。




