14 いまだすれ違ったままであった
ひたすらに歩いて、気付けば庭園まできたらしい。
季節の花の匂いが、ほんの少しだけ心を慰めてくれる。
「嫌な姉だわ」
生涯独身とまでは言わないが、いつか将来、ジャネットのお眼鏡に叶った令嬢を紹介しようと考えていた。姉という範疇を超え、過保護にもほどがある考えだったと自嘲する。
「婚約話が決まっても、わたくしのような姉に教えないのは当然だわ」
可愛がっていたつもりだが、無意識のうちに支配しようとしていたのかもしれない。
真っ当に生きてきたつもりのジャネットだが、この年齢になって自分の愚かさと向き合うことになるとは思わなかった。
自分の行動を自省しながら、心を少しでも落ち着かせようとジャネットはゆっくりと庭園を散策した。
「あら……」
見れば東屋にルネが座っていた。
スケッチブックと庭木を交互に見ながら、せわしなく手を動かしている。
絵を描くことが趣味だと言っていた。
まだ素直になりきれていないものの、ジャネットは思い切ってルネに近づき声をかける。
「ねえ――」
「きゃあ!」
こっそり近づいたつもりはなかったが、集中していたルネには突然の声掛けだったようだ。
まるでウサギのようにぴょんと飛び跳ねるその様子がおかしくて、ジャネットは思わず噴き出した。
「じゃ、ジャネット様? どうされたんですか」
恐る恐るルネが声をかけてくる。
けんもほろろに対応するジャネットに、めげずに何度も声をかけてくるのは勇気がいることだろう。それでも逃げるでもなく、こうして向き合ってくる。
(強い子だわ)
ジャネットはルネをじっと見つめた。
顔立ちはお世辞にも美人とはいえない。
だが不美人なわけでもない。小ぶりで地味だがよく見れば可愛らしい顔立ちをしているし、なにより品がある。
佇まいも年齢の割に落ち着いていて、年上からのウケはいいだろう。
磨けば光る子だ。ジャネットはそう判断した。
「ジャネット、様……? あの、私またなにか」
声を掛けられてジャネットはハッとした。
もはやジャネットの頭には、悪女だというルネの姿はない。
目の前にいる、ただの平凡な貴族令嬢を、どう義妹として盛り立てて行こうか、そんなことを考えていた。
だがジャネットの高いプライドが、勘違いを詫び頭を下げることを拒む。
押し黙るジャネットに、ルネにますます不安を与えているのだろう。困ったような顔をさせてしまっている。
持ち前の話術でどんな場をも切り抜けてきたジャネットだが、いい加減な言葉でルネに向き合うべきではない気もする。
一旦この場を離れて出直そう――ジャネットがそう考え、踵を返そうとした瞬間、東屋の段差に気付かず足元を取られた。
「きゃ……」
倒れる――そう考えた瞬間、ルネがジャネットに向かって両手を伸ばした。
「ジャネット様!」
自分を嫌っているジャネットを助けようとして、ルネは腕を掴んだのだ。
ジャネットは驚いた。
だがルネのか細い腕では肉感的なジャネットの身体は支えきれず、そのまま土の上へと一緒に倒れてしまう。
ジャネットは土の上で、目を真ん丸に見開いた。
「も、申し訳ありません!」
ガバッと勢いよく起き上がったルネが、倒れこんだままのジャネットに謝罪する。
ジャネットは勝手に一人で転んだのだ。放っておいてもいいくらいなのに、一緒に転んで謝るとはどういうことだろう。
(お人よしだわ)
ジャネットの脳裏に、ルネの人柄をあらわす単語がよぎった。
それからルネを見て「お人よし」という言葉が大変しっくりときた。
まじめで真っ直ぐ。
お人よしで、だから妹や元婚約者に裏切られる。
意地悪をしたジャネットを見捨てることもできず、恨むこともしないなんて。
ジャネットがルネの立場ならば、転んだ相手に高笑いを浴びせたかもしれない。
「大変、ジャネット様のドレスに土が」
無言で身体を起こすジャネットに、ルネはハンカチを差し出してきた。
「大丈夫ですか? 痛いところは? 起き上がれないようならお手伝いしましょうか」
あれこれと世話を焼こうと、ルネはジャネットの側でオロオロとしている。
自分のスカートの方が土だらけだろうに。
「……そうね、こんな子だからいいのかもしれない」
ジャネットは差し出されたハンカチを受け取った。
それから立ち上がり、自分のドレスのポケットを探る。
「あなたの方こそ使いなさい」
薄桃色のレースがついた絹のハンカチは、ジャネットのお気に入りだ。イニシャルの刺繍もうまくできたし、配色にも自信がある。
それをルネへと差し出したのはジャネットの詫びなのかもしれない。
ルネはハンカチを受け取り、パアッと嬉しそうな顔を見せる。
可愛い子だ。ジャネットは素直にそう思った。
「素敵なハンカチですね。刺繍はジャネット様が?」
「ふ、ふん。これくらい大したことないわ。あなたのハンカチだって――」
褒められて悪い気はせず、ジャネットも誉め返してやろうと渡されたルネのハンカチを広げる。
「……個性的ね」
そこには、なんとも言えない図柄が刺繍されていた。
下手と言い切るには、複雑な刺繍ステッチがうますぎる。
類を見ない配色センスは独特すぎるが、図柄と調和しているといえば、している気もした。
しかしルネは困ったように微笑む。
「いいんです。子供時代に描いた絵を刺繍にしたんですが、今も変わらず下手ですし」
「ど、独創的で悪くないわよ」
手のひらを反すタイミングが分からず、ジャネットはツンとした態度でおかしなフォローを入れてしまう。こうなってくると、素直にジャネットと接することができるルネの方が、器が大きいような気すらしてくる。
(そういえばこの下手くそな絵、どこかで?)
ジャネットはハンカチをマジマジと見つめた。滅多にお目にかからない絵だ、見たら忘れない気がするが思い出ない。
しかしとりあえず今は、目の前のルネと新しい関係を作るのが先だ。
ジャネットは勇気を出して、口を開いた。
「認めるわ」
「え?」
思っていたよりも小さな声は、ルネに届かなかったらしい。
萎えそうになる気分を奮い立たせ、ジャネットはフンと胸を張った。
「二人の愛は本物だったようね。私も姉として、応援するわ」
素直に謝ることができないが、これでジャネットの気持ちは伝わるだろう。
今後なにかあっても、ジャネットだけは必ずルネの味方になってみせる。そう心に誓った。
ルネは一瞬の間をおいて、ワッと喜びを露わにした。
「本当ですか! ジャネット様に認めていただけるなんて、心強いです。ジュール様も喜んでくれると思います」
「あ、あなたはどうなの」
「嬉しいに決まってます! ありがとうございます、ジャネット様!」
屈託のない笑顔は、ジャネットの心にスルリと滑り込んでくるようだった。こういう部分をきっと、ジュールも好きになったのかもしれない。
和解に胸を震わせるジャネットは、ルネが小さく零した一言を聞き逃す。
「リュカも幸せになれますね」
ルネとジュール、ルネとジャネット、そしてリュカ。
それぞれがそれぞれに、いまだすれ違ったままであった。




