11 フォーレ公爵家を笑いものにするつもりかしら
姉であるジャネットにとって、公爵当主となったとはいえジュールはいつまでも可愛い弟であった。
嫁ぐときなど、どうにかしてジュールも連れて行けないかと真剣に画策したものだ。
結果としてはジュール本人から「え、嫌だ」とけんもほろろに断られてしまい、計画は無残に散った。
小さな頃は友達ができず、いつも「姉上、姉上」と後ろをついて回っていた可愛いジュール。あるときから自己研鑽に励むようになりみるみる逞しくなった弟は、可愛いだけではなく誇らしい存在でもあった。
父親が亡くなった後も立派に公爵として勤め上げている。
若造だと舐められがちな年齢ではあるが、周囲に頭を下げながら立派に領地をまとめ上げているのだから大したものだ。
もちろんジャネット自身も公爵令嬢としてジュールの姉として、恥ずかしくない生き方をしてきた。
誇り高く、かといって驕ることなく、時に権力を利用して派閥を広げていく。貴族令嬢、そして貴族夫人としてあるべき生き方をしている自負がある。
「許さないわよ、あんな小娘」
ジャネットが先触れを出すことなく、実家であるフォーレ公爵家に乗り込んできたことには理由がある。
――ジャネット様、おめでとうございます。弟様がご婚約されたそうですね。
先日行われた茶会で、まさか他人の口から弟の婚約を聞かされたのだ。
寝耳に水の話で、当然驚かないはずがない。
しかしそれを表情に出さずジャネットは「あら」とだけ返した。
情報の正誤も分からない話を鵜呑みにするわけにはいかない。それは自分の、ひいては家の足元を掬われかねないからだ。
曖昧に濁した態度をどう受け取ったのか、相手の夫人は沈痛な面持ちで話を続ける。
ジャネットに衝撃を与えたのは、続く言葉の数々だった。
――心配ですわよね。婚約者の方は学園で随分悪評高いようで……――
不憫そうな表情でそう告げられたとき、ジャネットはどんな顔をしていただろうか。
その後すぐに、ジャネットは情報を集めた。
育ちが公爵家ならば、嫁いだ家も公爵家だ。国内の社交界において、ジャネットに集められない情報はない。
しかしジュールの婚約者について調べれば調べるほど、ジャネットの美しい眉間に深い皺が寄ることとなった。
女性の名前はルネ・ベルトラン。ジュールの一つ年下の十八歳だ。
ベルトラン伯爵家の長子で、見た目も学力も十人並み。趣味は絵画と刺繍。
伯爵である父親と亡くなった母を両親に持つ。
妹の婚約者を奪ったが、真実の愛の前に敗れる。
家では美しい妹に嫉妬して苛めていた。
地味で大人しいふりをしているが金遣いが荒く、カッとなって物にあたる。
男と見ればすぐに色目をつかうせいで、元婚約者も手を焼いていた――。
学園に通う生徒たちから集めた話は、おおよそこのようなものだ。
複数人から同様の話が上がり、そして弟の婚約話自体も残念ながら真実であった。
ルネという女は既に弟を誑かし、フォーレ公爵家に居座っているという。
実家のあるベルトラン伯爵領は経営不振だというし、フォーレ公爵家の財産を目当てに乗っ取るつもりかもしれない。
「どうしてジュールに限って、こんな子を選んでしまったのかしら」
父親が健在だった頃から、幾度となくジュールには縁談が舞い込んできた。
王家にひけを取らないフォーレ公爵家の跡取りなのだから当然だ。
その上ジャネットに似て顔立ちもよく、頭もよければ腕も立つ。
数多舞い込む縁談の打診は、しかしジュール自身によってずっと断られてきた。
婚約をしたことはいい。
半年後には結婚をするということだが、それも好きにしたらいいだろう。
だが相手が悪すぎる。
「妹の婚約者を奪いそびれた女を妻にするなんて、フォーレ公爵家を笑いものにするつもりかしら」
嫁いだとはいえ、フォーレ公爵家はジャネットの実家だ。
心配する権利くらいはあるだろう。
父が亡くなり、母は早々に社交から遠のき遠方でのんびりと暮らしている。
公爵当主であるジュールを諫められるのは、もはや姉であるジャネットだけだ。
「とにかく、そのルネとかいう悪女を追い出さないと」
妹が涙ながらに婚約解消を訴え、それまでの婚約を破棄された途端にジュールに乗り換え婚約した、したたかな女だ。
男はすぐに女に騙されるが、ジャネットは違う。
海千山千の社交界を生きてきた公爵夫人である。
「結婚なんて、させるものですか」
女には女の戦い方がある。ジャネットは扇を強く握り締めた。
そうして夫の了承を取った後、急いでフォーレ公爵家にやってきたというわけだ。
フォーレ公爵家にある客室の一つで、ジャネットはため息を零した。
「とはいえ、さっきのジュールのあの様子……やっぱりあの娘に誑かされてるわね」
今まではジャネットのいうことを素直に聞いていた子だというのに、ルネを庇うような言い方をしていた。
あれではまるで、ジャネットが悪人のようではないか。
恋に狂った男とはいえ、愛する弟がああなってしまうのかと、ジャネットは肩を落とす。
「失礼致します。お茶をお持ちしました」
「頼んでないわよ」
「お持ちしろと言われておりますので」
カートを押して入ってくるメイドに対して、ジャネットはイライラとした声を出してしまい反省する。
持ち込まれたポットからカップへ注ぎ込まれる琥珀色の紅茶からは、ジャネットの好きな茶葉の匂いが広がる。
(ジュールかリュカね。全く……)
気を回してくれたのは分かる。
嬉しい気持ちと、それならばなぜあのルネという強欲女を追い出さないのかという気持ちがせめぎ合う。完全に正気を失っているのなら諦めきれるが、こうしてジャネットを気遣ってくれる優しさが分かるからこそ、身内としては辛いのだ。
ジャネットは用意されたカップを口に運びかけ、下がろうとしたメイドを呼び止めた。
「ねえお前。弟の婚約者はどんな娘か知っている? 悪いようにしないから、感じたことをありのまま喋ってよろしくてよ」




