1 ねえいいでしょお姉様?
ベルトラン男爵家では今朝も、いつもの光景が繰り広げられていた。
貴族子息たちが通う学園の制服を身に纏った姉妹が、朝の日差しが注ぐ窓の光を受けて立っている。
宝石箱や引き出しをあれこれ触っているのは、姉であるルネの部屋に押しかけた妹・シトリーだ。
「ねえねえお姉様、いいでしょう? 今日の髪型に合わせたいの」
おそろいの栗毛を揺らすシトリーだが、姉と違いふわふわと綿毛のようなロングヘアーだ。よく見れば、前髪の後ろから耳裏にかけて細かな編み込みが施されている。
クリクリとした瞳の華やかな顔立ちをしているシトリーだが、彼女が手に持っているのはルネのヘアピンだ。三つの小さな宝石が並んだそれは、ルネが十七歳の誕生日にもらったものだ。
「ね、お願い。ちょうだい? これがいいの」
簡単にねだるシトリーは甘え上手で周囲の保護欲を駆り立てる。
ルネも普段であれば仕方ないとあげていただろう。
しかしこれはルネの婚約者であるラヴィオが、昨年の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。
さすがに婚約者からもらったものを、いくら妹とはいえ、あげるわけにはいかない。
「貸すのは駄目かしら。他のものはあげられたけど、それは大切なものだから」
「え~! 酷いわお姉様。まるで普段から私が、お姉様のものを奪ってるみたいじゃない」
「違うわ、そういうことを言いたいんじゃないのよ。困ったわね」
ルネは寂しくなった宝石箱と、アクセサリーを入れている化粧机の引き出しを見て苦笑いを浮かべた。
長女であるルネにとって、シトリーは守るべき大切な妹だ。二つ違いで十六歳のシトリーはまだどこか幼く、地に足が着かない危うさがある。
子供の頃からルネのものをなんでも欲しがるシトリーだが、そろそろ駄目なものは駄目だと教えてあげるべきではないか。そんな考えがよぎっては消える。
「お願い、お姉様。本当にだめ?」
両手を胸の前で組み、うるうるとした大きな瞳で見上げられると、ルネは弱い。
早くに亡くした母から「姉としてシトリーを守って」と言い遺されている。
そんな妹の願いを拒否することは、許されない気がした。
とはいえ、よかれと思ったルネの優しさが、結果としてシトリーを助長させてきたことに本人は気付いていない。
「私に付けてもらったほうが、この子だって嬉しいわよ。ね?」
シトリーは指先でつまんだヘアピンをこの子と呼び、自分の髪の毛にサッと差し込んでしまった。
薄い桃色が三色並んだヘアピンは確かに、ルネよりもシトリーの甘い雰囲気によく似合っている。
地味で飾り気のないルネにはあまり似合わない色で、そのためずっと宝石箱へ入れていたことを、シトリーは見抜いていたのかもしれない。
「どう? どうお姉様! 似合うかしら」
クルリとその場で回るシトリーは、姉の贔屓めを抜きにしても妖精のように可憐だった。
あどけない雰囲気も相まって、学園でも人気の美少女であるのも頷ける。
「……似合ってるわ。でも大事にしてね。大切なものなの」
「知ってる。ラヴィオからのプレゼントでしょ?」
鏡を見ながらシトリーはピンの位置を微調整していた。
これは返ってこないかもしれない。ルネは今までの経験から薄々察していたが、恐らく今回も返せと強く言えないのだろう。
ルネは小さくため息をついた。
「シトリー、いくら将来義兄になるとはいえ、ラヴィオには敬称を付けなさい」
婚約者であるラヴィオは伯爵家の三男で、ベルトラン伯爵家に婿入りを予定し将来ベルトラン伯爵となる青年だ。
ルネと同い年の穏やかな青年で、十年前に婚約をして以降家族ぐるみで交流がある。
姉の婚約者を呼び捨てにするのはいかがなものかと窘めると、シトリーは不満を隠さず頬を膨らませた。
「いいじゃない。ラヴィオがいいって言っているんだもん」
「ラヴィオが?」
二人に接点があっただろうかとルネが聞き返すと、シトリーは「あっ」と自分の口元を両手で隠す。
それから芝居がかった様子で視線を宙でクルリと泳がせると「まあいっか」と笑った。
「ねえお姉様。昼休みに中庭に来て? 西の東屋、絶対よ」
うふふと微笑むシトリーは、いたずらっ子の妖精のようで大変可愛らしい。
それからシトリーは壁に掛けられた絵画を眺めて「相変わらず下手くそねお姉様」と笑った。
その日の昼休み。
呼び出された西の東屋には朝と同じように、無邪気に微笑むシトリーがいた。
シトリーの腰に腕を回して立っている男子生徒は、まるでルネを悪の手先だと思っているかのようではないか。顎を上げ、ルネを見下ろすように睨みつけている。
彼の名前はラヴィオ。ルネの婚約者――のはずだ。
「ルネ。きみとの婚約はなかったことにしてもらう」
穏やかだった風が大きくうねり、ルネの癖毛を吹き上げた。
髪の毛を抑えながらルネは、なにがどうなったのか混乱を隠せない。
ラヴィオとの婚約は、とりたて大きな問題もなかったはずだ。
お互い伯爵家という間柄で、三男であるラヴィオは家を継げない。
ベルトラン家はあまり裕福とはいえないが、伯爵という地位がある。家格もお互いの利益も合致し、両家納得済みの婚約のはずだ。
ルネとラヴィオの間には恋愛のような情熱はないが、貴族の結婚の多くは家の取り決めによるものだ。なんの問題にもならない。
混乱するルネだったが、突然ラヴィオがこんなことを言いだした理由に一つ、心当たりがあった。
「領地の税収が思わしくないからかしら。心配はいらないわ、一昨年天候不順だったでしょう。蚕が病気になったせいで、絹が取れなかったの。領民もみんな頑張ってくれてるわ、今年はきっと――」
「はあ、そうじゃない。女の癖に領地経営に首を突っ込むところも嫌だったんだよね。全然分かってないよなあルネは」
てっきり、ここ数年ベルトラン伯爵家の税収が減り、未来の伯爵として不安を感じたせいだと思っていたのにそうではないという。
ではなぜ?
投げつけられた言葉に大きく動揺していたルネは、ラヴィオの隣になぜシトリーが立っているかという疑問が、すっかり頭から抜け落ちていた。
「ねえいいでしょお姉様。ラヴィオを譲ってちょうだい?」
甘えたシトリーの声にルネはハッとした。
ルネの婚約者であるラヴィオの隣には、その腕にしがみつくシトリーがいるのだ。




