5話 イメチェン
午後の仕事は、今日も問題なく終わった。定時になり帰り支度をしていると、漆戸が莉世に呼ばれて怒られていた。どうやら、再提出の書類もまともに仕上がらなかったらしい。「残業してやり直しなさい」と言われて、怒った顔のまま自分の机に戻っていた。教えた方がいいのかと花が迷っていると、それに気が付いた茅ノ間が「お疲れ」と、帰るよう促してくれた。
「お疲れ」
和景にもそう言われると、花はリュックを背負ってドアへと向かった。
「お疲れ様でした」
少し気がかりではあるが、きっと茅ノ間が教えてあげるのだろう。花は、朝思いついた「髪を切る」事に、チャレンジしたかった。
「ここ……予約してないけど、大丈夫かな?」
電車に乗りアパートの近くの美容院へ来ると、花は迷いながらもその美容院のドアを開いた。
「いらっしゃいませ」
どうやら、比較的客が少ない時間だったようだ。若い女性の店員さんが、花を出迎えてくれた。
「予約してませんが、いいですか……?」
「はい、大丈夫ですよ。まずはこちらでデータを作りますので、お荷物お預かりしますね」
緊張していた花を安心させるように、彼女はそう言った。花はようやくほっとして荷物を預けた。
「今日は、どうされます?」
書類を書いた後、その店員さんに案内されて椅子に座った。ケープをかけられながら尋ねられた言葉に、花は迷う。
「くくりあとが無くなるように切って欲しいだけしか考えてなくて……私でも似合うような髪型ありますか?」
「そうですか……では、この際ボブカットぐらいまで切ります? あと、癖が気になるようでしたら、緩めのパーマとかもどうですか? 初回料金にさせていただきますので、割引もありますので是非この機会に」
店員さんは近くのファッション雑誌の中から、いくつかの髪型を見せてくれた。ショートヘアでないことに安心して、花は少しドキドキしながらそれらをじっと見ていた。
「分かりました、こんな感じの髪型でお願いします。パーマも、お願いします」
花が指さした髪形を確認した店員は、にっこりとほほ笑んだ。
「ありがとうございます。では、本日は私、柏樹が担当させていただきます。お時間は二時間ほどかかります、よろしくお願いします」
二時間……その間は、ゲームできないかも。花は「はい」と頷いたものの、二時間ゲームできない事に少し残念そうな顔になった。
背中近くまで伸ばされていた髪が、バッサリと切られた。随分長く伸ばしていたなぁと、床に落ちた自分の髪を見て花はぼんやりそう思っていた。確かに学生時代、おしゃれをしていた友人たちをうらやましい、と思ったことはあった。でも彼女たちのようにおしゃれを頑張ろうとは思わなかった。花は、勉強を頑張っていい会社に就職するしか考えていなかった。花を育ててくれた祖母に、早く恩返しをしたかったからだ。「大学に行かなくてもいい」と言ったのに、「今は、大学に行った方がいい」と祖母は大学まで行かせてくれた。そして卒業して花が就職する姿を見ることなく、その祖母は死んでしまった。
他に親せきはいるのかもしれないが、花はよく分からなかった。付き合いや年賀状のやり取りも、祖母はしていなかったからだ。祖母と住んでいた家は近所の人に助けて貰い売って、今のアパートに引っ越した。自分が育ち祖母との思い出が詰まった家を維持するお金は、当時の花にはなかった。
祖母が死んでしまい、花は天涯孤独になってしまった。不安の中でもアルバイトと祖母が残してくれた貯金で何とか大学を出て、今の会社に就職することが出来た。やはり高卒と大卒では給料が違ったので、祖母には感謝しかない。
そんな環境だったので、好きな人を作ったりおしゃれをしている時間が、今までの花にはなかったのだ。
「いたっ」
パーマ液を流しに洗髪台に行き、戻ってきたときに座り直した花はお尻に何かが当たる感触で思わず小さな声を上げた。
「どうされました? 大丈夫ですか?」
柏樹が心配して手を止めて声をかけると、花はケープから出ている手でその辺りを触ってみた。
「あ、そうだ」
スカートのポケットには、茅ノ間がくれた赤いポーチが入っていた。仕事中に貰ったので、すぐにポケットに入れて忘れてしまっていた。
「中身、大丈夫ですか?」
「あ、確認してもいいですか?」
「勿論です。このまま、作業続けますね」
どうやら、作業中でも邪魔をしなければ好きなことをしてもいいらしい。花はなるべく小さな動きでそのポーチを開けてみた。
中から出てきたのは、小さなボトルのようなものが四本と折りたためられた紙だった。
「あ、それキャンのトライアルセットですね。そのポーチ、見たことあるなって思ったんです」
パーマのかかり具合を確認しながら、柏樹がそう花に声をかけた。
「え? あの、これって何ですか?」
名前を聞いても、花にはさっぱり分からない。
「キャンは、化粧品メーカーです。有栖川様のような若い女の子向きのメーカーで、人気ありますよ。洗顔とクレンジング、化粧水と乳液のセットですね」
「クレンジングって何ですか?」
「クレンジングは、化粧を落とす洗顔の前に使うものです。クレンジングで化粧を落とさないと、化粧が肌に残って黒ずみの原因になります」
メイクに疎い花の質問に、柏樹は嫌な顔をせずに簡潔に答えてくれた。
今までメイクは、会社の面接と初出勤の時くらいしかしたことがなかった。昨日のメイクも、お風呂で洗顔しただけだった。
「プレゼントしていただいたんですね。髪も随分変わりますし、もっと素敵になるように頑張ってくださいね」
「はい!」
多分、同性だからこそのお礼の品だったのだろう。茅ノ間は花の事を嫌っていない……その気持ちが、花には嬉しかった。
「このような感じで、いかがでしょう?」
パーマが終わりジェルでセットされた髪を、鏡を使って後ろ側まで見せてくれた。すっきり夏らしいゆるくパーマがかかったボブカットだ。それだけで、心臓が跳ね上がりそうなほど可愛らしく見えた。
「は、はい! とても素敵です!」
「洗髪後、ヘアオイルなどで髪のダメージを抑えて下さい。セットする時は、ジェルやワックス、ムースなど使いやすいものをお使いくださいね」
柏樹は丁寧に髪の手入れを教えてくれて、会計を終えた花にショップのメンバーカードを渡してくれた。
「いつでもお気軽にお越しください」
「ありがとうございました」
足取りが軽い。花は、ゲームが出来なかった二時間が無駄ではないような気分になって店を出た。そうして、教えられたものを買いにドラックストアに向かう。
茅ノ間がくれたポーチの中には、初心者用のメイクのやり方が書いてあった。メイク下地、アイラインペンシル、アイシャドウ……他にも花が持っていないものが色々書かれている。そうして最後に「一気にやらなくても、出来る事からチャレンジしてみなよ」と、茅ノ間の手書きメモが残されていた。
今日だけで、かなりの出費だ。でも、今まで頑張ってきた自分のご褒美! って、考えていいよね? 花は自分にそう言い訳をするように、出来る限りの美容品を買った。
急いで家に帰ると、昨日買った残りのパスタをご飯にして食べてからお風呂に入った。そして、茅ノ間に貰ったクレンジングでメイクを落とす。それから風呂を出ると、化粧水と乳液で肌を整える。髪は乾かして、ヘアオイルを馴染ませた。それから、やっとゲーム画面に向かう。
「わあ、ランキングに沢山名前が出て来てる……!」
レベルが15になると、戦闘力ランキングが表示されるようになった。サーバ総合と、陣営別、職業別に上がっている。花は、職業別で真ん中ぐらいだった。
「もっと頑張らないと」
『アルティメット・リベリオン』は、スマホゲームにしては珍しく課金というものがない。あくまでも自分の育成次第で、強さが決まるのだ。しかし、義務教育の子供はゲームが出来ない。子供は時間に余裕ができるため、社会人との時間のバランスを考えて作られている、というのが公式の発表だった。大人でも、時間に余裕がある人は一定数いるだろう。それが、花には少し理解できないところだった。
「寝落ちしたら、黒梅くんに怒られるよね。やりたいけど、ほどほどにしなきゃ……」
せっかく仲良くなれそうな和景に嫌われたくなかった。ゲームの話が出来る友人が出来たことが、花には嬉しかったからだ。
あと少しでレベルが20になる。そう思って頑張りたかったが、睡魔が花に訪れた。ちゃんとゲームを終わらせてから、花は眠りについた。
その日、夢の中で花は『アルティメット・リベリオン』の世界でまだ知らない仲間とフィールドを駆け回っていた。朝起きた時には覚えていないが、とても満ち足りた夢だった。




