4話 思いがけないお礼とバグ?
「いけない、早く用意しないと!」
長時間スマホ画面を見ていたのは初めてだった。目と頭が疲れて、ぐっすりと寝てしまったようだ。いつも起きる時間にアラームが鳴っていたはずだが、今の時刻は起きる時間を十分も過ぎていた。
ベッドに入る前に炊飯器で予約していたご飯は、問題なく炊けている。ホッとしてから、慌てて昨日のようにおにぎりを二個握る。それから急いで洗顔、歯磨き。迷ってから、今日もコンタクトをつけることにした。慣れないファンデーションとチーク、リップ。それから今日は、眉毛も整えてみる。メイクをしている時は必死で何も考えられないが、鏡を見れば不器用ながらしたメイクはいつもより自分が可愛らしく見えた。
「――髪……切ってみようかな?」
風呂上がりに毎日ブラッシングして綺麗な髪だったが、ずっと首の後ろでくくっていた髪にはくくり癖が残っていて、可哀相に見えた。この機会に、切ってみるのも悪くないかもしれない。
いつもの服に着替えて、花はリュックを背負って慌ただしくアパートを出た。今日も、初夏らしく天気が良く少し暑い。寝落ちたままのゲーム画面は、起きた時に閉じていたので電車の中で少し確認しておこう。
今日も、仕事とゲームを頑張ろう!
駅に着くとちょうど来た電車に乗って、花は会社へと向かった。なんだか、今までの自分と違って忙しくて楽しい。そして、それが嬉しい。
「有栖川」
会社でパソコンに向かっていた花に、声がかけられた。見上げれば、茅ノ間が書類を手に立っていた。
「は、はい」
まさか、また仕事を押し付けられるのだろうか? そう花は思って、思わず身をすくめながら返事をした。
「ごめん……これ、分からなくてさ。教えて欲しい……」
そんな様子の花を気にすることなく、茅ノ間が手にしていた紙を花に差し出した。それには赤いペンで、丸が何か所か付けられていた。どうやら、提出したものを莉世がチェックしてやり直しを指示したらしい。
「あ、これですね」
見ればそれは花も調べるのにてこずったことがあるものだったので、すぐに資料がどれか分かった。立ち上がり、資料ラックへと向かった。茅ノ間も、おとなしく花の後ろに付いてきた。
「ここに、それを説明している所があります。ここと、ここと、ここです!」
取り出した分厚い資料本のページをめくり、ピンク色の付箋を数ページに付けた。そうしてそれを、茅ノ間に差し出した。
「そっか、これ見ればよかったんだね。詳しく、ありがとう。おかげで、昼前には終わりそう」
茅ノ間は、ほっとしたようにその資料本を受け取った。漆戸が傍にいないせいか、いつも通り派手ではあるがどこか柔らかな印象に見えた。
「いま私たちがやってる仕事の大半は、ここのラックにある本に書いてあります。言い換えると、ここのラックにしか、今の私たちには内容が理解できないです」
「分かった。他の分からないところも、これからはここで資料探してみるよ。ごめん、仕事の邪魔をして」
今まで聞いた事がないねぎらいの言葉に、花はびっくりしたように茅ノ間の顔を見つめた。まだギャル風のメイクに近い派手さが残るが、少し恥ずかしそうに茅ノ間は花に笑いかけた。
「いいの! 聞いてくれて、嬉しかったです! また分からないことがあったら、何でも聞いてください」
「分かった――これ、お礼」
茅ノ間は片手をスカートのポケットに手を入れると、赤色の小さなポーチを取り出して花に渡した。
「え……いいんですか?」
びっくりして瞳を丸くした花は、茅ノ間から押し付けられるように渡されたそのポーチを、戸惑いながら受け取った。
「じゃあね」
花がそのポーチを受け取ると、茅ノ間はすぐに自分の机に戻った。その近くの席の漆戸は、機嫌が悪そうにパソコンを見ている。
「成長したじゃん。ま、茅ノ間だけかもしれないけど」
席に戻って来た花に、和景がそう声をかけた。
「う、うん。仕事を頑張ってくれるのは嬉しい。それとは別の事なんだけど――黒梅くん、お昼少し時間ある?」
「昼? あれの事か?」
あれとは、『アルティメット・リベリオン』だと分かって、そう言ってくれたのだろう。仕事中にゲームの話をしていると分からないように、和景が配慮してくれたと花は嬉しくなった。
「うん。ちょっと相談したいことがあるの」
「分かった。俺、いつも通りコンビニに昼めし買いに行くから、先に休憩室に行っといてくれ」
「分かった」
断られるかもしれないと思っていた花は、あっさりと了承してくれた和景に感謝してぺこりと頭を下げた。
「いいから、仕事戻れ」
「あ、はい!」
浮かれていた花は、和景の言葉にハッとして慌ててパソコンに向き直った――仕事の時間は、仕事に集中しなきゃ! そう気持ちを切り替えて、昼休みになるまでに仕事をひと段落させよう。そう思って資料作りを頑張った。
「待たせたな」
昼休み。休憩スペースでおにぎりを食べていた花のテーブルに、昨日と同じ青いエコバックを手にした和景が来た。
昼間は、朝より気温が上がっているのかもしれない。和景の額には、汗が一筋流れていた。エアコンが聞いた室内でほっとしたのか、その汗を手の甲で拭いながら花の正面に座った。やっぱり、整った顔をしているなぁ。と、花はぼんやりその仕草を眺めていた。
「で? 何があったんだ?」
早速エコバックからアイスコーヒーを取り出した和景がそう聞くと、慌てて花はテーブルに置いていたスマホの画面を開いた。
「昨日ね、ゲームやりながら寝落ちしちゃったんだけど……」
「お前、そこまでやりこむなよ。これから大変になるんだから、今から無理すんな」
寝落ちの事を話すと、和景は少し呆れたような顔になった。確かに、今は弱い魔獣を倒してレベルアップするだけだ。もし魔獣に負けても、リセットせずに復活できる期間。
「まあ、寝ちゃってたから負けて村に戻ってたんだけどね。それより、変なものがね……」
「変なもの?」
花は、スマホ画面を和景に向けた。彼は、それを丁寧に受け取った。
「『未知の力』……? なんだ、これ」
画面の右下には、使用できるスキルが表示されている。まだレベル10のアリスが使えるのは、『ホーリー』という回復魔法。『ホーリーライトニング』という攻撃。『ライトボール』という、集団に向かって使う攻撃。『ピュリフィケーション』という状態異常回復。これらは初歩魔法で、レベルが上がると種類が増えて使える技の選択肢が増える。回復師だけでなく他の職業も同じシステムになっているはずだ。装備できるのは、このレベルでは四つまで。PTを組めるレベル20になれば、五個目が解放するがそれまでしかセットできない。アリスのスキルも、五個目は『×』状態になっている。
しかし、本来ならその下にはない六個目のスキルセットがあり『未知の力』と表示されていた。
「六個目のスキルセット……!? なんだそれ、聞いた事ないぞ?」
やはり、和景にも分からないようだった。朝乗った電車の中でアプリを開いた花は、アリスのスキルが増えていたことに気が付いた。しかし、熱心に配信前情報を調べていた中に、そのようなものはなかった。
「このスキル、使えるのか?」
「押してみたけど、何も変わらないの。バグかな?」
確かに『アルティメット・リベリオン』は半年のβテストの後に配信された新しいゲームだ。バグがあってもおかしくはない。
「何か、不都合はあるのか? 再起動もしたんだよな?」
「ううん。さっき少し動かしてみたけど、今まで通りに動くよ。だから、運営に問い合わせするほどではないかなって思って……再起動は、ちゃんとしてみた」
ゲームサイトで知ったのだが、配信元の運営は他にも多くゲームを扱っていて、問い合わせの回答はずいぶん遅くなるらしい。
「そっか……なら、五個目のスキルセットがちゃんと出来るか、が重要だな。もし五個目がセット出来なかったら、問い合わせした方がいい」
「分かった。そういえば、黒梅くんは? 陣営くらい教えてよ!」
「内緒」
そう言って、昨日と同じようにメロンパンを取り出して和景は食べだした。花は不満げな顔をしたものの、おにぎりを再び食べ始めた。そうして二人はそれぞれ『アルティメット・リベリオン』のレベル上げをしていた。
「あ、時間だな。仕事に戻るぞ」
仕事の開始十分前に、和景はスマホを閉じるとそう言って立ち上がった。花はその言葉に慌てておにぎりを入れていたランチバックとスマホを手に、同じように立ち上がった。
「この調子なら、明日にはレベル開放するな。ま、戦場で会ったらよろしく」
「うん、探してみせるよ!」
もしかして重要なバグではないかと心配していた花は、すっかり安心して和景と共に午後の仕事に戻った。




