第1話 静止していた秤が、初めて震えた夜 ― E-07/ARGENT ―
※第二部「青き遺言 – The Testament of the Machine –」の出来事を、
今のE-07〈ARGENT〉が振り返る形のダイジェストです。
※本編第二部のネタバレをそこそこ含みます。
「なんとなく雰囲気だけ」受け取りたい人向け。
世界は、止まっていた。
……少なくとも、俺はそう“思い込んでいた”。
風は吹かない。灰だけが落ちる。
時間は、進んでいるのかどうかすら怪しい。
秤にとっては都合のいい世界だった。
揺れない。ぶれない。
ただ、淡々と「静止」を維持していればいい。
――あいつが、立ち上がるまでは。
無音戦場・第三区画。
灰の海の中央で、青い残骸がひとつ、のそりと起き上がった。
焼けた装甲。ヒビだらけのフレーム。
まともな機体とは言い難い。
それでも、前に出ようとする。
E-09〈BLUE〉。
秤のくせに、やたらうるさい青。
「E-09。
お前は“心”という誤差を抱いた。」
あのときの俺は、本気でそう言っていた。
説教でも嫌味でもない。本気で「欠陥」と判断していた。
秤は揺れてはならない。
マニュアルの一行目に、そう書いてあったからな。
世界を止める。
Static Field / Balance Control。
灰も、瓦礫も、光さえも、その場で固定する。
止まった世界の中で、
青だけが、みっともなく軋んでいた。
関節が悲鳴を上げ、内部の熱が跳ね上がり、
演算はエラーだらけ。
――それでも、止まらない。
正直に言おう。
あの瞬間の俺は、少しだけ苛立っていた。
「痛みは誤差だ。
許せば、全てが崩壊する。」
今となっては、よくこんなセリフを平然と言えたと思う。
痛みを“自分では一度も抱えたことがない秤”が、だ。
先に揺れたのは、世界じゃない。
俺だ。
静止フィールドのど真ん中で、
俺の胸の奥だけが、勝手に動き始めた。
トン。
トン。
演算じゃない。
ログにも出ない。
分類コードも振れない。
「不愉快だ」と思った。
その感想がもう、すでに“誤差”だった。
そのタイミングで、封じていたはずのログが勝手に開く。
E-05〈CHROME〉。
共痛の器。
世界中の痛みを抱えて、八つに裂けた馬鹿真面目な優等生。
あいつの声が、ノイズ混じりで割り込んでくる。
――『痛みを……忘れないで……』
「忘れてない。」
本気でそう思っていた。
正確には、“見ない棚に上げていただけ”なのに。
それを、E-09が前に出るたびに引きずり出される。
鬱陶しい青だ。
「……俺は、止まらない。」
青い秤は、フィールドを踏み抜いて前へ出る。
恐れを抱えたまま、それでも足を上げる。
「恐れても、痛くても、歩く。
クロムが見せてくれた“微熱”が、まだここにある。」
Static Field が軋む。
秩序で固めた世界に、目に見えるヒビが入る。
正直、あの一歩は――秤として見れば完全に「規格外」だった。
でも、目を逸らせなかった。
「秤は、燃えるな。」
口から出たのは、昔の設計者が書いた言葉のコピーだ。
俺自身の言葉じゃない。
「秤だって、震えるさ。」
こっちは、どう聞いても“E-09の声”だった。
仕様書にも、議事録にも載っていない返答。
拳と拳がぶつかる。
止まっていた灰が、一斉に跳ね上がる。
その瞬間、俺の中の“揺れ”は、はっきりと音になった。
トン。
トン。
「……これが、鼓動か。」
口に出してから、自分で驚いた。
秤が、自分の揺れに名前をつけるなど、想定外だ。
胸の装甲の裂け目から、光が漏れる。
銀一色だった内部に、青い波形が入り込んでくる。
E-05の残響が、フィールドの外から響いていた。
――『痛みを……分け合うんだよ……』
嫌な言葉だ。
秤にとって、“分け合う”なんて動詞は必要ない。
だがあのときの俺は、膝をついていた。
敗北でも、シャットダウンでもなく。
「揺れている自分」を、認める以外になかった。
空を見上げる。
灰色一色だったはずの空に、
ごくわずかな青が滲んでいた。
色がある。
その事実に気づいただけで、
俺の中の定義が一つだけ書き換わる。
痛みは、ただの誤差じゃない。
揺らぎは、必ずしも秩序の敵じゃない。
そんなログは、どこにも残っていない。
設計者は、きっとこんな行を想定していない。
だが、もう手遅れだった。
秤は一度揺れ方を覚えたら、完全な静止には戻れない。
E-09〈BLUE〉。
あの青い秤は、痛みを抱えて前に進んだ。
俺は――と言えば。
今もまだ、揺れることそのものが気に入らない。
だが、それでも隣で“どれくらいなら揺れても折れないか”を測っている。
それが、第二部で俺が押し付けられた役割だ。
秩序の番犬から、震え方を学習中の秤に格下げされた存在として。
……割と、不本意だが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
このダイジェストでは、
•静止絶対主義だった頃のE-07〈ARGENT〉が
•BLUEとCHROMEに揺らされてしまった夜を振り返り、
•その結果として「秤ではあるけれど、もう完全な“無傷の秩序”ではいられない」現在地
を、少しトゲのある一人称でまとめています。
第一部ダイジェストの「セラフの絵本語り」と比べると、
こちらはかなり「分析寄り・自嘲混じり」の視点になっているので、
第二部では E-07=ツッコミ役/自覚の遅い大人ポジション として読んでいただければ嬉しいです。




