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3. 出来心

「天野は体調不良で臨海学校欠席だ」


 先生の宣告が冷たく僕の胸を刺す。

 言われてみれば、十分に想定できた事態だった。

 つきみにとっては、この地球上で生活するだけでも大変なことなのだ。

 月の6倍の重力がかかる場所で、集団行動で旅をするのはなかなかに難しいだろう。


 つきみとの秘密の約束に酔いしれて思考が停止していたことに気付き、僕はクラスメートたちがはしゃぐ行きのバスの中で一人落ち込んでいた。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。

 僕がつきみの代わりにスプーンを探し出せばいいだけの話だ。


 僕は自由時間を迎えるまで、水底(みなぞこ)に常に視線を送りながら黙々と泳いだ。

 自由時間中も色々なスポットで海に潜っては光を探し続ける。

 しかし、残念ながらそれらしいものは一向に見付からないまま1日目が終わった。



 そして2日目がやってくる。

 午前中は前日と同じように粛々(しゅくしゅく)とプログラムをこなし、やがて待望の自由時間を迎えたところで思わぬ事態が勃発(ぼっぱつ)した。


「渡瀬、あっちでビーチバレーしない?」


 昨日行けなかった岩場の方に向かおうとしたところで声をかけられ、僕は驚いて振り返る。

 そこには、特段親しくもない数人のクラスメートが立っていた。


 想定外の展開に言葉が出ないまま突っ立っていると、横から「ねぇ、渡瀬くん行こうよ」と鼻にかかった声がする。


 その声の持ち主は花田さん――そう、つきみと出逢う前、僕が密かに想いを寄せていた女子だった。

 想いを寄せていたといっても、小学3年生の頃に一度席替えで隣の席になったことがあるだけだ。

 ただ、何度か頼まれて宿題を見せる度に「ありがとう」と向けられた笑顔が心の奥に(くすぶ)っていた。


「渡瀬くん、いつも天野さんのお世話ばっかりで大変そうなんだもん。天野さんがいない時くらい皆で遊ばない?」


 『お世話』という言葉に引っ掛かりを覚えながらも、笑みを浮かべて小首を(かし)げる花田さんから目が離せない。

 彼女が(まと)う紺色の水着からは白く華奢(きゃしゃ)な手足が伸びていて、胸には大人びた(ふく)らみがあった。

 戸惑(とまど)ったまま何も言えずにいると、近寄ってきた花田さんが僕の手を取り、(ささや)く。


「――ねぇ、折角(せっかく)なんだし、一緒に思い出作ろうよ」


 結果的に僕はスプーン探しを断念し、自由時間は花田さんたちとビーチバレーをして過ごした。

 夕飯のバーベキューもたまたま花田さんと同じテーブルになり、その後砂浜で花火をした時も彼女はやけに僕に話しかけてきた。

 そしてそれは、僕にとって満更(まんざら)でもない出来事(できごと)だった。


 就寝(しゅうしん)時間を迎えて布団(ふとん)の中で目を閉じた瞬間、僕の胸の中に罪悪感が渦巻く。

 冷静に考えれば、もし僕が花田さんの誘いを断っていたとしても、スプーンを見付け出すのは至難(しなん)(わざ)だっただろう。

 それでも、一人家の中でじっと待っているつきみのことを思うと、僕は何てことをしてしまったのだろうと今更ながらに後悔してしまうのだった。


 翌日、せめてもの罪滅ぼしとして、僕はつきみにおみやげを買った。

 みやげ物屋で見付けたその銀色のスプーンは、取っ手の先にかわいらしいイルカのマスコットが付いている。

 神さまのスプーンには似ても似つかないだろうけれど、つきみは喜んでくれるだろうか。


 脳内のつきみにスプーンを差し出すと、彼女はその整った顔をわずかに(ほころ)ばせて「ありがとう」と笑う。

 それが僕の願望が色濃く反映された幻であったとしても、帰りのバスに揺られながら僕の心は段々と穏やかさを取り戻していった。


 バスが学校に到着して解散となったその足で、僕はつきみの家に向かう。

 インターホンを鳴らすが、黒いドアはいつまで経っても開かなかった。

 仕方がないので、僕はおみやげのスプーンの袋に『つきみへ』と一言だけ書き、ポストに入れて帰宅した。

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― 新着の感想 ―
ここまで読ませていただきました。月の住人、私たちが知らないところで、高度な技術や文明が存在するのかも知れないですね。落としたスプーン、地球人の感覚では見つけるのは至難の業ですが、つきみにとってはそうで…
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