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9話 エヴァリン様

 王都の裏路地――今日も洗練された白地の看板が通りがかる人々の視線を引きつけている。そこには「リリアン」と呼ばれる美容サロンがあり、騎士や貴族、将軍、そして平民までもが噂を聞きつけて足を運ぶようになっていた。


 その日の午後、店の前に止まったのは華美な装飾が施された馬車。御者が恭しくドアを開けると、中から上質なドレスに身を包んだ一人の貴族婦人が降り立つ。ふっくらとした頬と二の腕は、その人物が少しばかり豊満であることを想像させる。彼女の名はエヴァリン・コルネリア。上流階級のサロンや茶会では、その美しい顔立ちと社交的な話しぶりで人気を博してきた夫人だった。


 しかし、最近になってエヴァリンは悩みを抱えていた。年齢が30代後半に差しかかり、体重がじわじわと増えてきたのだ。元の顔立ちが整っているため、周囲からは相変わらず「美人」と評されるものの、ドレスを選ぶ際に胴回りや腕まわりが気になるようになった。何より、体型を保つために制限をするのはいやだという思いが強く、「食事を楽しみながら美しさを保ちたい……!」と切実に考えていた。


 そんなとき耳に入ってきたのが「リリアン」の噂だった。王都の一部では「ヘアサロンの最先端」「肌の悩みも相談できる」「魔女の館ではないか」などなど、さまざまな憶測が飛び交っている。実際にそこを訪れた貴族令嬢や将軍までが、見違えるように変貌している姿を見るにつれ、エヴァリンも興味を抑えられなくなった。


「ここが……リリアン、ね」


 店先の小さな植栽と、白地にエレガントなロゴがあしらわれた扉。昼間の柔らかい日差しを受けて、ガラス越しに店内が明るく照らされている。エヴァリンは少し緊張した面持ちで、侍女を外に待たせて扉を押し開けた。


 カランカラン……と高い鈴の音が店内に響き、清潔感のある白を基調とした空間が目に飛び込んでくる。蝋燭やランプではない不思議な照明が、まるで昼間の太陽のようにあたりを照らしていた。


「いらっしゃいませ。ようこそリリアンへ」


 出迎えたのは、短く整えられた黒髪にモノトーンの服装をまとったオーナー兼マネージャーの玲。落ち着いた雰囲気と凛とした姿勢が、どこか貴族めいた品格を感じさせる。


「はじめまして。私、エヴァリン・コルネリアと申します。少し……うわさを聞いて参りましたの」


 エヴァリンが名乗ると、玲は柔らかな笑みを浮かべて深くうなずく。


「ご来店ありがとうございます。どのようなお悩み、またはご希望がございますでしょうか?」


 促されて店の奥のカウンセリングスペースへ移動すると、そこには雑誌やカタログが並べられ、落ち着いた雰囲気でゆっくり話ができそうなテーブルと椅子が配置されていた。エヴァリンは一礼して腰を下ろし、ぎこちなく微笑みを返す。


「実は……最近、体重が増えてきてしまって、体型がちょっと崩れてきた気がするんです。若い頃はもう少しほっそりしていたんですけど……。だけど、美しくありたい気持ちは変わりませんし、でも……食事を我慢するのも嫌で……」


 最後の方は声がしぼんでしまう。玲はフッと口元に苦笑のようなものを浮かべながら、丁寧に答える。


「なるほど。確かに、年齢を重ねると体型維持は難しくなりますよね。ですが、申し訳ありません。当店では、フィットネスや痩せ薬といった類のサービスは扱っていないんです。髪型や肌のケアはできますが、食事制限のサポートなどはちょっと……」


「やはり……そうですよね。私も無理なダイエットで体を壊したくないんです。ごはんは美味しく食べたいし、でも昔のようなメリハリある体を取り戻したい……! こんなわがまま、通りませんか?」


 エヴァリンは悲壮感さえ漂わせる。玲はそれを見て、頭を悩ませるように少し首を傾げた。すると、すっと表情を引き締めて、隣で控えていたトップスタイリストの由香里をチラリと見る。


「うーん、実際にお客様の体型を変えるのは難しいでしょう。ですから、見せ方を工夫することなら可能かもしれません。由香里さん、何か良いアイデアはありません?」


 玲のキラーパスに、由香里は「え、えーと……」と少し面食らった様子になる。バリバリの美容師ではあっても、体型の根本的なケアは専門外だ。しかし、そこはリリアンの実力派トップスタイリスト。諦めずに、様々な手段を頭の中で思い巡らせる。


 (うーん、体型を隠すような着こなし? でも、それはドレスや衣装の領分よね。髪型でスッキリ見せる? もともとお顔立ちは整っているから、思い切ってインパクトを出すのもアリかな)


 エヴァリンをよく観察すると、頬は確かにふっくらしているが、もともと面長ではない分、丸みのあるラインが魅力的にも映る。こんもりと盛り上がった胸やヒップは、ある意味では女性らしさの象徴だ。


 (そうだ、むしろ『ふくよかさ』を否定せず、活かす方向はどう? 西洋絵画の女神みたいなイメージに寄せれば、気品と豊満さが同居した“神々しい”感じになるかもしれない)


 由香里は一念発起のように、エヴァリンに明るい笑みを向ける。


「エヴァリン様、少しイメージチェンジをしてみませんか? 痩せることができなくても、ふくよかでありながらゴージャスに見せるスタイルはあります。あえて髪をふんわりパーマでボリュームを出すことで、全体のバランスを整えるのも手なんです」


「ふんわり……パーマ、ですか?」


 エヴァリンは聞きなれない言葉に首をかしげる。王都の貴族界隈にも「髪を巻く」という技法はあるが、リリアンの扱う『パーマ』は別次元の仕上がりを実現するのだ。


「はい。髪全体にウェーブをかけてみると、ふくよかな体型でも華やかさが増して、むしろ絵画の女神のような雰囲気が出ると思います。エヴァリン様の肌はとてもきれいですし、頬の丸みも優しい印象を与えますから」


「絵画の女神……! そんなふうになれるなら、ぜひ試してみたいです! ご飯を好きなだけ食べながら神々しくなんて、まるで夢みたい……!」


 エヴァリンは、ぱっと表情を明るくさせる。玲は「話がまとまったみたいで良かった」とほっと息を吐き、席を立った。


「では、まずシャンプーから始めましょう。カットブースへご案内しますね」


 カットブースへ移動したエヴァリンは、鏡の前に並ぶ最新機器を目にして目を丸くする。その後、ふかふかの回転椅子に腰掛けると、「これはすごい座り心地……!」と感嘆を漏らした。


「まずはシャンプー台で髪を洗いますね。パーマをかける前にベースを整えるのが大切なんです」


 由香里の説明に頷き、エヴァリンは椅子がゆっくり倒れるのを体験する。後頭部がシンクにフィットし、東城が用意したお湯で丁寧に髪をすすいでいく。リリアン独自のシャンプー液からは、花のように爽やかな香りが漂う。


「うふふ……気持ちいい……。ここに来ると癒やされるって噂、本当だったのね」


 力が抜けるほどの快適さに、エヴァリンは目を閉じて微睡みそうになる。洗浄とマッサージを受けた後、椅子が元に戻ると、由香里が「ではカットとパーマの準備をしますね」と微笑む。


「はい、よろしくお願いいたします。女神みたいに……というの、期待していますわ」


「もちろん。お任せください」


 まずは長さを少し調整するために、全体の髪を軽くカット。次いで、特別な薬液を使ってパーマをかける工程に入る。エヴァリンはあちこちに巻かれるロッドや、温度管理の機械にびっくりしながらも、好奇心が勝って楽しそうだ。


「このロッドっていうの、初めて見ます……巻き髪とはまた違うんですね?」


「そうですね。パーマといって、髪をこの状態で薬液で形状を変化させるんです。ふんわり空気を含んだウェーブが出ますから、ゴージャス感や柔らかい雰囲気が同時に演出できるんですよ」


 説明を聞き、エヴァリンは感嘆の声を上げる。今さら焦っても仕方ないが、食事制限なしで自分を美しく見せる方法があるなら、ぜひ習得したいと思っていた。


 薬液を馴染ませ、一定時間が経過すると、由香里は手際よくロッドを外し、一度お湯でしっかりとすすぐ。続けてドライヤーで乾かしながら薬液の定着を確認し、最後にセット剤を薄くなじませて仕上げのスタイリングへ。鏡を見ると、エヴァリンの髪は見事なウェーブを帯び、まるで西洋絵画の豊満な女神像を思わせるシルエットになっていた。


「す、すごい……! 私の髪が、こんなにもふんわり……!」


 驚きに満ちたエヴァリンの声。パーマによって後ろ髪に柔らかなボリュームが生まれ、ぽっちゃり体型の輪郭を隠すどころか、美しさを引き立てるバランスになっている。少し高めの位置でカールが揺れるため、フェイスラインが自然とすっきり見える仕掛けだ。


「まるで、本当に絵画の女神のよう……ですよね、由香里さん?」


 エヴァリンが恥ずかしそうに尋ねると、由香里は自信に満ちた笑みを返す。


「そう思ってもらえたなら嬉しいです。実際、とてもお似合いですよ。エヴァリン様の品格と、ふくよかな柔らかさが合わさって、ゴージャスで優美なイメージになりました」


 さらに、玲が軽くメイクのアドバイスをし、眉を整えたりリップカラーを選んだりして全体の雰囲気を整える。ごく短時間の仕上げだったが、エヴァリンの印象は見違えるほど洗練された。


「どうでしょう?」


 玲が差し出すハンドミラーを受け取り、エヴァリンは改めてじっくりと自分の姿を眺める。確かに体は少しふくよかではあるが、その丸みがどこか神々しいオーラを放っているようにも思える。頬が赤らむほどの嬉しさに、エヴァリンは何度も鏡を見直した。


「素敵……! もう、私、ずっとこんな感じでいたい……。食事もおいしくいただきながら美しくなれるなんて夢のようだわ」


 笑顔のまま、エヴァリンはお会計を済ませると、スタッフたちに深々と頭を下げて店を後にする。


「ありがとうございました! 次はもっと早く来たいくらいですわ!」


 彼女を乗せた馬車が裏路地を走り去っていくのを見送りながら、由香里は玲に向かってホッと息をついた。


「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたけど……結果オーライ、ですね」


 玲も軽く笑みを浮かべて頷く。


「ええ。ぽっちゃり体型でも、工夫次第でこんなに素敵になるんだもの。何よりご本人がすごく喜んでくれたのがよかったわ」


――――


 数日後――


 エヴァリン・コルネリアの姿は、さっそく王都のあちこちで目撃されるようになった。「あのコルネリア夫人がまるで絵画の女神のようになった」と噂になり、彼女を見た人々は口々に「あれほどふくよかなのに、なんという迫力と美しさ……」と感嘆の声を上げる。


 そんなある日、偶然エヴァリンを街角で見かけた一人の画家が、思わず声をかけてきた。彼はアンドレ・デュラスと名乗る王都きっての有名な画家であり、貴族たちの肖像画を描くことで生計を立てている。


「失礼ですが……コルネリア夫人ですよね? その……失礼を承知で申し上げますが、あなたの姿に強いインスピレーションを受けました。もしよければ、絵のモデルになっていただけないでしょうか?」


 急な申し出にエヴァリンは面食らいながらも、まんざらでもない様子である。自分のふくよかさを後ろ向きに捉えていたころなら絶対に断っていたが、今は違う。


「わ、私でよろしいの? こんなにぽっちゃりしているのに……」


「いえいえ、むしろその豊満さにこそ、女神的な美しさが宿っているんです! 描かせてください。あなたを『豊穣の女神』として、最高の作品を残したい……!」


 彼の情熱的な語り口に、エヴァリンは少し照れながらも嬉しそうに頷く。


 こうして数日間のポーズや打ち合わせを経て、アンドレ・デュラスは渾身の力を込めてキャンバスに筆を走らせる。エヴァリンのウェーブがかった髪や、柔らかな肌の質感を丁寧に描き出し、背景には農作物の豊かさを象徴するモチーフを配した。完成した肖像画はまるで女神が現世に降臨したかのような迫力と神秘性を湛えていた。


 その絵は「豊穣の女神」と名付けられ、貴族の間で大きな話題となる。貴族たちはこぞってその絵を見ようと足を運び、「美しく神々しい……本当に女神が降臨しているようだ……!」と衝撃を受ける者が続出。エヴァリン本人も、「モデルは私なのよ」と誇らしげな笑みを浮かべるほどの自信をつけていた。


 こうして、「豊穣の女神」と呼ばれたエヴァリンの成功体験は、ぽっちゃり女子の新たなブームを生み出す。無理なダイエットで自分を追い込むよりも、『あえてふくよかさを活かしたオシャレ』を志す貴族婦人が増え、リリアンの評判はますます高まるのだった。

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