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8話 シャバル様

 王都の裏路地にある美容サロン「リリアン」の扉が、いつになく派手な勢いで開け放たれた。

 カランカラン……と高い鈴の音が鳴り響く先に、色とりどりの布とフェザー飾りを身にまとう男が現れる。背にはリュートのような楽器を背負い、胸にはいかにも「歌います!」と主張するかのごとく、幅広のストールがひらめいていた。


「オホンッ、失礼、失礼……」


 そう呟きながら男が扉を閉めると、店内に漂う清潔な空気と眩しい照明の明るさに、一瞬目を細める。すかさず店の奥から、ショートカットにモノトーンの服装をまとったオーナー兼マネージャーの一ノ瀬 玲が、静かに歩み寄ってきた。


「いらっしゃいませ。ようこそリリアンへ」


 玲が落ち着いた声で挨拶すると、男は「おお……!」と目を見開いた。まるで瞳に星が瞬くような勢いだ。


「こ、ここが噂の……なんとまぁ、この輝き、この清らかさ……! まるで天上の楽園、いま我が胸に響くは一曲の旋律……」


 言うが早いか、彼は背中からリュートを抱え込み、「ハッ」と気合いを入れて爪弾こうとした。が、その瞬間、玲の素早い制止の手が伸びる。


「すみません、店先での演奏はご遠慮いただいております」


「え……あ、そ、そうでしたか。こほん、失礼……」


 呆気に取られた様子の男は、リュートを下ろしたまま残念そうに肩をすぼめる。とはいえ、その口元は笑みを含んでおり、いかにも朗らかな雰囲気だ。


「お客さま、初めてのご来店ですよね? 差し支えなければ、お名前を伺ってよろしいでしょうか?」


「名をシャバル・オーベルと申します! 職業は……そう、想像にお任せしましょうか……」


 これ見よがしにリュートを背中で揺らしながら、シャバルがウインクをする。だが玲は大して動じずに、「吟遊詩人の方、ですね?」とさらりと返した。


「そうです。ええ、そうなんです。私こそ、歌い歩く風の語り部、シャバル・オーベル!」


 ひとしきり気取ったポーズを決めようとするシャバルを、玲はやんわりと案内するように腕を伸ばす。


「ようこそ、吟遊詩人のシャバル様。よろしければ奥へどうぞ。まずは本日どのような施術をご希望か、お伺いしましょうか」


 店内を進むシャバルは、周囲に据え付けられた鏡や、奇妙な道具の数々に目を輝かせ、「へえ~」「ほお~」と感嘆の声を上げっぱなしだ。

 そんな中、トップスタイリストである東城 由香里が姿を見せる。明るいカラーリングのロングヘアと、ファッショナブルな装いが目を引く彼女は、にこやかにシャバルを迎えた。


「いらっしゃいませ。今日はどのようになさいますか?」


 問いかけられたシャバルは、リュートを背中から外して抱え込み、視線を遠くへ飛ばすように言う。


「風が語り掛けるような……そう、疾風のように舞い、けれど柔らかに囁く。そんな髪を、この身に、宿したい……!」


 ピシッとポーズを決めるシャバル。しかし、由香里はその詩的で曖昧な表現に苦笑いするしかない。なんとも返答に困るが、プロとして「じゃあどうすればいいか」という思考を瞬時に巡らせる。


「なるほど、要するに動きを出す感じのスタイルがお好みなんですね? 毛先を軽く流れるように仕上げて、ちょっと遊び心をプラスすれば、風を感じるような印象になるかと思いますけど、よろしいですか?」


「おお、まさにそれだ! 詩人の語りを即座に読み解くとは……あなた、只者ではないな」


 満足げに頷くシャバルに、由香里は営業スマイルを浮かべたまま「じゃあ、こちらの椅子へどうぞ」と案内する。


 回転椅子のふかふかの座り心地に、シャバルは「おお、これはまるで王座じゃないか……!」と早速感激している。東城は「それではシャンプーから始めますね」と声をかけ、椅子をゆっくり倒してシャンプー台へ誘導する。


 湯の温度を調整し、髪をすすぎ始めるや否や、シャバルは再び声を上げた。


「うわっ、なんとこれは……花畑に寝転んだかのような芳香……! ああ、思わず歌が生まれてしまう……『野の花が舞い……』」


 勢いでリュートを弾こうと、手を伸ばしかけるシャバル。しかし、さすがにシャンプー台で楽器は扱えない。すぐそばにいた由香里がとっさにその腕を押さえ、「すみません、演奏は後ほど落ち着いてから……」と制止する。


「お、おお……すまない。いやあ、この香り、思わず詩情が溢れ出してしまうんだよ」


「気持ちはわかりますけど、まずはシャンプーを堪能してくださいね」


 由香里は苦笑いしつつも慣れた手つきでシャバルの頭を洗い上げる。シャンプーの泡がふわりと立ち、シャバルは「はあ……」と陶酔の声を漏らしながら、思わず鼻歌まじりになる。


 シャンプーを終えて椅子が元の位置に戻ると、シャバルは鏡を見ながら「ああ、髪が少し濡れた姿もまた詩的……」とうっとりしている。

 そこで由香里が手に取ったのがドライヤーだ。スイッチを入れると、「ゴウーッ」という温風が髪を乾かし始める。すると、シャバルはまた目を丸くした。


「な、なんだ、これは……!? 風の精霊の祝福か!?」


「いえ、これはドライヤーといって、髪を乾かすための道具なんですよ。熱で髪を痛めないように工夫してありますから、ご安心を」


「こ、これが世に言う秘術か……! 風の精霊がこの店に宿っているのかと……!」


 大袈裟な身振り手振りで大興奮するシャバルに対し、由香里は今度も苦笑いを浮かべるしかない。このまま放っておくと、再びリュートを求めかねない。


「ふふっ、まあお客さまの詩的表現だと思って聞かせていただきますね。どうぞ椅子にじっとしていてください。細かい毛先までしっかり乾かしますから」


 ドライヤーの乾燥が終わり、今度は本格的にカットに入る。


「『風が語り掛ける』ようなイメージですよね。サイドを少し短めにし、トップを動かして、襟足を軽く流れるようにしますね」


「おお、見るがよい、僕の髪はまさに風を孕む大地の稲穂……!」


「はいはい、じゃあ少しずつ長さを整えていきますね」


 由香里はリズミカルにハサミを動かしながら、シャバルの髪を少しずつカットしていく。シャキン、シャキン……という刃の音に合わせて、シャバルの鼻歌がまたしても聞こえ始めるが、由香里は慣れた調子で「動かないでくださいね」と声をかけ、最小限の被害(?)で作業を進める。


 やがてカットが終わり、毛先に軽いスタイリング剤を付けて動きを出したところで、シャバルは興奮気味に鏡を覗き込む。


「なんと……見違える! これぞ風のささやき……いや、そよぐ風のアルペジオ……!」


 大仰な言い回しに、由香里は思わず噴き出しそうになるものの、ぐっとこらえてプロの笑顔をキープ。


「すごくお似合いですよ。前髪が流れるようにしてあるので、まさに『風』を感じる仕上がりかと」


「うむ、まさしく! ああ、この喜び……一節の歌にせねば。『風よ……髪よ……』」


 またしても歌い出そうとリュートに手を伸ばすシャバル。由香里は慌てて「店の中では少し音が響きすぎるので……」と止めに入った。


「わかった、わかったよ。いや、歌わずにはいられない感動だが、ここでは自重しよう……」


 さて、施術を終えたシャバルが会計カウンターに向かうと、玲がにこやかに対応してくれる。


「ありがとうございます。今日の施術はカットとシャンプー、スタイリングになりますので、これくらいの金額になりますね」


 玲が提示した金額は決してぼったくりではなく、リリアンとしては妥当な価格だ。しかし、シャバルの表情が急に曇る。


「そ、そうか……。いや、わかっていたさ、もちろん。……えーと……あれ、あんまり持ち合わせがないぞ……」


 シャバルが布袋を探りながら小声でつぶやく。やがて彼は申し訳なさそうに首を上げた。


「す、すまないが、これしかないんだ。金貨……一枚は足りず、銀貨……細かいのを合わせても、まだ少し届かないかな……? ま、待ってくれ、何か代わりになるものは……」


 玲は淡々と金貨と銀貨を数えながら、少し困ったように微笑む。


「うーん、やはりこれでは足りませんね。大変申し訳ありませんが、当店では後払いの制度は……」


 言葉を濁す玲に、シャバルは「あ、じゃあ、じゃあ……僕の詩を……!」と身を乗り出す。急いでリュートを抱え、弦を爪弾こうとする。


「この感動と謝意を、僕の詩に込めて捧げましょう。『爽やかな風に乗って運ばれるメロディ~♪』」


 ギターの音色がぽろんぽろんと響き始めたところに、急な足音が近づいてくる。


「おい、なんだなんだ。ずいぶん楽しんでるじゃないか」


 低く響く声とともに姿を現したのは、軍服をまとった大柄な男――ブラッド・ウォルフォード将軍だ。先ほど後ろの席で染め直しとカットを終えたばかりらしい。彼は堂々とした態度でカウンターに向かってきた。


「おや……そ、その軍服……は、もしや将軍殿……!?」


 シャバルはビクリと体を震わせ、リュートを抱え込んだまま後ずさる。ブラッド将軍の颯爽とした佇まいは、威圧感こそあれ、どこか若々しい。染めたばかりのダークブラウンの髪が艶やかに光り、眉もひげもきっちり整えられている。その姿にシャバルがすくんでしまうのも無理はない。


「ふん、吟遊詩人か。ずいぶんここで騒いでいるようだが、支払いが足りないらしいな」


「い、いえ、あの……少しだけ、足りないというか……はい……」


 シャバルの声はどんどん小さくなる。まさかこんな場面で将軍と鉢合わせるとは思わなかったらしい。シュッとした外見になったブラッドは、苦笑気味に口を開いた。


「仕方ない。リリアンにはずいぶんと世話になってるからな。ここは俺が立て替えてやろう。おい、玲さん、こいつの分、俺が払う」


 玲は「え……よろしいんですか?」と驚いた様子で目を見開く。ブラッドは肩をすくめてにやりと笑う。


「いいさ。俺も昔、髪を整えてもらったときに随分助かったからな。お店に迷惑をかけるわけにはいかんだろう」


「う、うう……ありがとうございます、将軍様……! あなた様はまさしく大地の守護者、寛大なるお方……! この感謝は詩にして……」


 シャバルが再び歌おうとリュートをかき鳴らしかけたところで、ブラッドがひょいとリュートを掴む。


「ほほう、このリュートという楽器、なかなか良い細工じゃないか。結構な値が張りそうだな。どれ、代わりにこれをもらっておこうか」


「えっ……!? ちょ、ちょっと待ってください、それは僕の生きる糧! ないと旅ができません……!」


 必死にリュートを取り返そうとするシャバルだが、ブラッドの腕力に敵うはずもなく、あっさり奪われてしまう。軽く調弦して音を出したブラッドは、「ふむ、なかなかいい音色だな」と満足気だ。


「お、お許しを……! 僕からリュートを取ったら、何が残るというのです……。将軍殿、その心づもりはいかに……」


「まあまあ、命まで取るわけじゃない。こういうのは『質草』ってやつだ。金ができたら取り返せばいいさ。もともと俺が立て替えただけなんだからな」


 ブラッドはまるで古くからの友人に言うかのように、シャバルの肩をどんと叩く。シャバルは「ひぃっ」と小さく声を漏らし、青ざめながら縮こまった。


「さ、行くぞ、吟遊詩人殿。外で話でも聞かせてもらおうか。お前の旅路の歌とやらを、俺も興味があるからな」


「そ、そんな……! じ、実はその、あまり大した話はなくて……っ」


 必死に言い訳するシャバルに構わず、ブラッドは彼の腕を引いてズルズルと店の出口へ向かう。


「ちょ、ちょっと待って……店の外で歌っちゃダメなんですよね!? リリアンの前では騒がないように、って……!」


「安心しろ。店の前で歌うなと言われたなら、裏路地の先で思う存分歌う場所を設けよう! はっはっは!」


「う、うわぁぁ……!」


 そんなやり取りが交わされる中、ふたりはあっという間に店の扉を出ていく。扉の向こうからは、ブラッドの豪快な笑い声と、シャバルの情けない叫びが少しだけ聞こえた。


 残された店内では、玲や由香里、そして他のスタッフがぽかんとした表情で見送っている。少なくともリュートを抱えて店先で歌われるよりはいい……とはいえ、壮絶な展開に唖然とするしかない。


「……立て替えた上に、リュートを持っていくなんて……あの将軍さま、やることが豪快ですね」


 由香里が呆れ混じりに呟くと、玲は困ったように笑みを浮かべて肩をすくめる。


「ま、まあ、これでリリアンの損失はなくなりましたから……。あの吟遊詩人さん、あとでちゃんとリュートを取り戻せるといいんですけど」


 スタッフ同士が顔を見合わせながら、「まあ、なんとかなるでしょう」と苦笑いするしかない。いつもは穏やかな空気が流れるリリアンだが、今日は一瞬にして嵐が通り過ぎたようだった。


 玄関ドアからは、すでに立ち去ったふたりの姿は見えない。

 店内に一瞬だけ訪れた騒ぎの余韻を残しつつ、リリアンのスタッフは「さあ、気を取り直して次のお客さまを迎えましょうか」と切り替えるのだった。

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