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7話 シャルロッテ様 後編

 シャルロッテが「リリアン」で涙ながらに悩みを打ち明けてから、数日後――。

 玲はシャルロッテが持参した化粧品を解析し、どの成分が原因になりうるかを一つひとつチェックしていた。そのうえで、アレルギー源となる物質を極力排除した代替品を取り寄せるために、スタッフの望月 遼とも相談を重ねていた。


「おしろいには金属成分が多く、光沢液には卵黄……これらが原因の可能性が高いけど、それだけじゃないかもしれない。何かほかの成分にも反応する体質かもしれないし、サンプル品を試しながら慎重に進めるしかないわね」


 玲が店の奥のカウンターでリストをまとめていると、遼が軽く頷いて書類に目を走らせる。


「そうだね。もし他にもアレルギー反応を示す成分があるなら、優先的に排除した製品を探さないと。あと、肌への刺激を抑えるためのスキンケアも必要だね。化粧品を乗せる前に、保護の役割をするクリームやローションを塗ってあげると、少しマシかもしれない」


「ええ。じゃあ、あらかじめいくつかの製品をピックアップして取り寄せましょう。シャルロッテさんには申し訳ないけど、何度かパッチテストを重ねて確認しなきゃね。最初は大変だけど……絶対に諦めさせたくないわ」


 玲は強い決意のこもった眼差しを向け、手元のリストに目を落とす。スタッフとして、「美しくなりたい」と願う顧客のために最善を尽くすのは当然だ。しかし、今回の場合はアレルギーの問題が関わっているだけに、一層慎重なアプローチが必要だった。


 そして迎えた再来店の日。

 シャルロッテは前回のように侍女を外に待たせ、ひとりで『リリアン』の扉を開けた。店内に足を踏み入れると、澄んだ鈴の音とともに玲が笑顔で出迎える。


「いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ、シャルロッテ様」


 その言葉に、シャルロッテは心を落ち着けるように胸元を抑えて頷いた。まだ不安はある。けれど、前回来たときの玲の頼もしさを思い出し、今日は小さな希望を抱いているのも確かだ。


「今日は、試していただきたい化粧品が届いています。もし肌の様子に異常があったらすぐお知らせくださいね」


「……はい。よろしくお願いします」


 玲に案内され、店の奥にあるカウンセリングスペースへ向かう。テーブルの上には、いくつもの小瓶やコンパクト、チューブなどが並べられていた。見慣れない形状の物が多く、シャルロッテは目を丸くする。


「これが全部、私のために用意されたんですか?」


「ええ。お客様と同じ成分に反応してしまう可能性のある方々にも好評な製品を中心に取り寄せました。まずはパッチテストから始めましょう。こちらのフェイスパウダーは金属成分を極力除いて、鉱物以外の素材を使っているんですよ」


 玲が柔らかなブラシを手に取り、そのパウダーを少量だけシャルロッテの手首の内側に乗せてみる。アレルギー反応を起こす人の中には、化粧品を触れただけで赤くなったり痒みが出たりする場合もあるが……数分経っても何の変化も起きない。


「どうですか? 痒みや痛みはありませんか?」


「い、いえ……全然。大丈夫みたいです」


 シャルロッテは緊張のあまりごくりと唾を飲み込み、じっと肌の様子を観察する。赤くなるどころか、何も起きていない。まだ油断はできないが、この時点で症状が出なければ、可能性は高い。


「それでは、今度はお顔の一角に少しつけてみましょう。無理はさせたくないですから、まずは頬の端あたりに。何かあったらすぐ教えてくださいね」


 玲がそう言いながら、軽くパフを手に取る。シャルロッテの頬骨のあたりに、そっとフェイスパウダーを乗せた。普段なら、白粉をつけた段階で数分以内にぶつぶつが浮き出るのが常だ。彼女は恐る恐る鏡に目をやるが、いつまで経っても肌に異変は見られない。


「これは……本当に、ぶつぶつが出ない……!」


 シャルロッテは思わず声を上げてしまう。今までの経験上、どんなに少量を使っても必ず赤みや発疹が現れたのに、今回はそれがない。信じられないという表情のまま、震える指先で自分の頬をそっと触れた。


「このフェイスパウダーにはアレルギーを起こしやすい成分をほとんど使っていないんです。もちろん体質は人それぞれですが、シャルロッテ様の反応を見ている限り、これはうまくフィットしてくれそうですね」


 玲の説明を聞き、シャルロッテの胸に希望が広がる。さらにベースクリームや下地として使うローションなども、慎重に試していく。いずれも反応はほぼ皆無で、微かな刺激すら感じない。


「こんなこと……私……初めてです」


 シャルロッテは驚きと喜びが入り混じった表情で、鏡をのぞき込んだ。ほんの少しだけパウダーを乗せただけなのに、もともとの肌の色味が均一に整い、血色も悪く見えなくなっている。これまでの苦しみが嘘のようだ。


「次は、チーク代わりになるものを少しだけ試しましょう。これも卵由来の成分は入っていませんから、呼吸が苦しくなるようなことも少ないはずです」


 玲はそう言いながら、シャルロッテの頬に軽くブラシを当てる。薄いピンク色の発色が、ほんのりと可憐な雰囲気を添えた。こちらも何の問題もなく、息苦しさなど皆無。


「大丈夫……本当に息苦しくない……!」


 思わず感激のあまり、シャルロッテは手を握りしめる。実際、卵黄などのが入った化粧品を付けると数分で胸が締め付けられるような息苦しさを覚えていたが、それがまったくないのだ。


「まだ油断は禁物ですが、どうやら大丈夫そうですね。じゃあ一度、メイク全体を通して試してみましょうか? もちろん、一気につけるのが不安であれば、時間をかけながら進めますよ」


 玲はさりげなくシャルロッテの体調を気遣う。彼女の優しさとプロとしての慎重さに、シャルロッテは心から感謝を覚えつつも、目を輝かせてうなずいた。


「大丈夫です……! やってみたい……お願いします!」


 そうして、シャルロッテは椅子に腰かけ、玲の手による『フルメイク』を初めて体験することとなる。もちろん、完全に現代のようなフルラインナップではなく、シャルロッテの肌に刺激が少ない製品を厳選しながらの試行錯誤だ。

 しかし、パウダー、チーク、リップカラーといったベーシックな工程だけでも、彼女にとっては初めての挑戦ばかり。やや緊張しながらも、その工程にわくわくを隠しきれない。


「じゃあ、ベースをしっかり整えたら、目元は控えめに……でも少しだけ立体感を出しましょうか。すぐに慣れるのは難しいと思いますが、今後ご自分で練習できるように、やり方を覚えてもらいますね」


 玲が話しながら、アイシャドウをまぶたにほんのりと乗せる。シャルロッテはほんの微量の粉を感じるだけで、違和感を覚えない。ちらりと鏡を見ては、いつもより瞳がきらきらしていることに気づき、胸が高鳴る。


「ここは少し明るめの色を使うことで、目の印象を優しく見せるんです。あまり派手にしたくないなら、こういう柔らかい色味がおすすめですよ」


 続いて、ほんのり色づいたリップを唇に当てる。昔から光沢液を塗ると息が詰まるように感じていたシャルロッテだが、今回はむしろ唇がしっとりする程度で息苦しさなどまるでない。


「ちなみにこのリップは、卵由来のエマルジョンを使わずに、植物性のオイルベースで作られているんです。アレルギー反応が出にくいように開発されたものなんですよ」


「そうだったんですね……。こんな形のリップ、初めて見ます。濃い色じゃないのに、ほんのり華やかさが出るんですね……」


 すっかり感心しているシャルロッテ。玲は頬に優しい微笑みを浮かべ、最後にフェイスパウダーを軽くかけ直して仕上げを行う。


「じゃあ、一通り完成です。鏡をご覧になってください」


 一番大きな姿見に促され、シャルロッテがゆっくりと立ち上がる。恐る恐る鏡を覗き込んだ瞬間、彼女は思わず息を呑んだ。


「……これは……わたし……?」


 そこには、これまでの彼女とはまるで違う、上品でいて華やかな姿が映っている。肌は均一に整えられ、頬にはほんのりと愛らしい色づき、目元は優しく柔和な雰囲気を帯びている。唇は控えめながらも潤いをたたえていて、全体として自然な美しさを引き出していた。


 ずっと化粧ができないと思っていた。社交界ではそれが理由で揶揄され、外に出るのが怖くなった。そんな自分が、こんなにも見違えるような姿になるなんて――。


「すごい……本当に……私が……化粧をして、こんなに……」


 言葉にならない感情が込み上げ、シャルロッテは目頭を熱くしていく。気づけば、涙が頬を伝って零れ落ちていた。


「おめでとうございます。ちゃんと化粧、できましたね」


 玲はそっとティッシュペーパーを差し出しながら、微笑む。シャルロッテはまだ信じられない様子で鏡に映る自分を見続け、涙を拭き取る。


「泣いちゃうと、せっかくのメイクが落ちてしまいますよ。今後は、自分をもっと自由に表現できるようになります。メイクは人に見せるものでもあるけど、自分の気持ちを高めるためにも大切なんです」


「……はい。ありがとうございます……」


 シャルロッテは震える声で礼を言う。人生で初めて、自分が「ちゃんと化粧をしても大丈夫なんだ」と実感できたのだ。この一歩は彼女にとってあまりにも大きかった。


――――


 数日後。王都の華やかな社交界に、驚きの声が広がった。

 ある夜会に姿を現したシャルロッテ・エストレア。これまで素顔のままで周囲に馴染めず、ひそひそと陰口を叩かれていた彼女が、美しくメイクを施して現れたのである。


「え……あれは、シャルロッテ様……?」

「嘘でしょう。あの人、化粧できなかったんじゃなかったの?」

「すごく自然な仕上がりなのに、顔がパッと明るく見えるわ。何か新しい化粧品でも手に入れたのかしら……?」


 口々に囁かれる噂も、今日のシャルロッテには届いている。けれど、それが彼女を傷つけるよりも、むしろ自信へと変わっていた。


(大丈夫……今日は大丈夫。私には『リリアン』で勉強した、私に合った化粧があるんだから)


 胸の奥に芽生えた確かな信頼が、彼女の背筋を自然と伸ばしてくれる。淡いドレスに合わせたメイクは決して派手ではないが、今までのシャルロッテからは想像もつかないほど、明るい雰囲気を醸し出していた。


「シャルロッテ様、今日はなんだかとてもお元気そうですね」


 声をかけてきたのは、以前の夜会でも顔を合わせた中年貴婦人だ。周囲の視線を少し意識しながらも、シャルロッテは微笑み返す。


「ええ、少し新しいことに挑戦してみたら、思った以上に楽になれたんです」


 その言葉に込められた意味は、おそらく誰にも分からないだろう。でも構わない。大切なのは、彼女が自分自身の殻を破り、踏み出せたという事実なのだから。


(リリアンの玲さんや皆さんのおかげで、また社交界に来た。これからは、もう少し外の世界に踏み出してみよう。化粧という手段を使って、自分を表現してみよう)


 シャルロッテは周囲のざわめきを聞きながら、胸の奥で静かに決意を固める。まさに、あのとき玲が言ってくれた「あなたも自分を表現できるメイクができますよ」という言葉通りに、彼女は新たな一歩を踏み出したのだった。


 この夜会を境に、『化粧ができない娘』と蔑まれていたシャルロッテ・エストレアの評判は一変する。

「最近のシャルロッテ様は以前とまるで違う」「あの化粧はどうやって?」「息苦しさやぶつぶつは治ったの?」――人々の驚きや興味の声が飛び交う中でも、彼女はもう怯えたりはしない。


 今日も、鏡の前で新しいメイクに挑戦する自分を思い描きながら、シャルロッテは心の中でそっとつぶやく。


(ありがとう、玲さん。やっと、私も普通になれた……いいえ、それ以上に、自分らしさを表現できる女性になれそうです)


 そうして踏み出す一歩一歩が、彼女をこれまで想像もしなかった未来へと導いていくのだろう――

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