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4話 ブラッド様 後編

「では、カラーの専門スタッフを呼びますね」


 玲がそう言うと、店の奥から茶色のミディアムヘアで細身のサングラスをアクセントに愛用する男性――望月もちづき りょうが歩み寄ってきた。彼は手にしたカラーチャートを開きながら、ブラッド将軍に挨拶をする。


「はじめまして、望月 遼です。カラーのスペシャリストをしております。ぜひお力になれればと思います」


「ふむ、頼むぞ。俺はブラッド・ウォルフォードだ」


 遼の落ち着いた物腰と、わずかに覗く学者然とした雰囲気に、ブラッド将軍は内心少し意外に思う。どうやらこの店は、ただ技術が高いだけではなく、スタッフ同士もそれぞれ専門分野を持っているようだ。やはり噂通り、変わった店らしい。


 まずはシャンプー台へ案内される。椅子ごとゆっくり倒れ、後頭部がシンクに優しくフィットするという仕組みを体験し、ブラッド将軍は初めての感覚に若干戸惑いを見せる。


「うむ……これはすごいものだな。椅子がこんなふうに倒れるなんて」


「驚かれる方が多いですよ。でも頭や首が痛くならないように設計されていますから、ご安心くださいね」


 玲が笑いながらサポートし、遼がシャンプーの準備を始める。すぐに湯が流れ始め、程よい温度のお湯がブラッド将軍の頭を満たす。彼は一瞬「うおっ」と短く声を漏らしたが、それが実に快適な温かさであることにすぐに気づいた。


「こりゃあ……悪くないな。兵士たちに教えてやったら、まるで温泉にでも行ったような騒ぎになるかもしれん」


 ジャバジャバと流れるお湯に加えて、遼がシャンプーと呼ばれるものを取り出し、丁寧に頭皮を洗い始める。仄かに花やハーブのような香りが漂い、ブラッド将軍は目を閉じてその心地よさに身を任せた。

 長い間、軍の任務に追われ風呂に入るのすらままならない生活をしてきた彼にとって、こんな贅沢な洗髪は初めての体験だった。


「洗い方が……なんとも心地よい。頭を揉まれているようだな」


「お疲れがたまっていそうですね。マッサージも含め、普段の疲労が少しでも和らげば嬉しいです」


 遼の言葉を聞きながら、ブラッド将軍は再び小さくうめき声を漏らす。心地よすぎるあまり、寝てしまいそうだった。ほどなくシャンプーが終わり、すすぎも済ませると、再度椅子がゆっくりと起き上がる。鏡の前に戻った彼の目に映ったのは、白髪がわずかに艶を増した自身の髪。


「……洗っただけで、これほど変わるものなのか?」


 自分で手櫛を通すと、触り心地が明らかに違う。ゴワついていた髪がスッと指を通るなんて、何年ぶりだろうか。驚きつつ、これから始まる「カラー」施術にも期待が高まる。


 遼が持ってきたカラーチャートという色見本には、様々な色合いが印刷されていた。暗めの黒から、赤みを帯びたブラウン、グレーなど、ブラッド将軍には想像もつかないほどのラインナップだ。


「将軍の地毛がやや濃いめの茶に近いので、白髪部分と自然になじむようにするなら、こちらの色が良さそうです。少しだけ落ち着いた色合いにして、全体の印象を引き締める効果もあります」


「お前に任せる。自然な感じで、若返ったと思われぬようにしてくれ。あくまで威厳を保ちたいだけだ」


「かしこまりました。お任せください」


 遼はそう言って手際良くカラー剤を調合し、ブラッド将軍の髪全体に塗布していく。ブラッド将軍は頭に何やらペタペタと塗られている感覚に少し戸惑いを覚えつつも、染みたり痛みを感じることはなかった。


「む……匂いが思ったよりきつくないんだな。もっと嫌な薬臭さを想像していたが」


「最近のカラー剤は、刺激を抑えたものも増えていますし、マイルドな香りのものもあるんですよ。気になるようでしたら遠慮なくおっしゃってくださいね」


 遼は柔らかな口調でそう答え、カラーを均一に馴染ませるよう注意深く作業を続ける。その間、ブラッド将軍は店内の音楽に耳を傾けつつ、この場所がまるで別世界のように感じられて仕方なかった。


 カラー剤が一定時間置かれた後、再度シャンプー台で洗い流されると、ブラッド将軍はドライヤーなるものを初めて見ることになる。ゴウゴウと風が出るそれは、魔術のように見えて「大丈夫なのか……?」と身構えそうになったが、温かい風が心地よく髪を乾かしていくのを感じると、一気に安心に変わっていく。


「ふむ……すごいな。火も使わずに、こんなにも熱く強い風を作れるとは」


「熱や風量を調整しながら、髪を早く乾かせるんですよ。火傷の心配もほとんどありません」


 遼の説明を聞きながら、ブラッド将軍は少しずつ仕上がりへの期待感を高めていく。ドライヤーが止まると、目の前の鏡に映る彼の髪は先ほどまでの白髪交じりではなく、自然な深みのあるダークブラウンに染まっていた。


「おお……これは……!」


 驚きの声が漏れる。髪全体がダークブラウンの色味に統一され、白髪が目立たなくなっている。とはいえ、不自然に真っ黒ではないため、落ち着いた大人の雰囲気がしっかり残っているのだ。


「まだカットや眉・ひげの調整をしていませんが、カラーだけでこれだけ印象が変わります。いかがですか?」


「……見違えるな。まだ眉もひげも伸び放題でこの状態なら、仕上げれば相当違うだろう」


 ブラッド将軍は鏡の中の自分をじっと見つめ、久しく感じていなかった高揚感を覚えた。髪が若返ったように見えるだけで、肩まで軽くなった気すらする。


 続いて、トップスタイリストの由香里がカットの準備に入る。明るいカラーリングを施したロングヘアが印象的な由香里が現れると、ブラッド将軍は再び驚いた顔をする。


「ほう……また雰囲気の違う女性が出てきたな。ずいぶん明るい髪の色をしている」


「こんにちは、東城由香里と申します。トップスタイリストとしてカットやスタイリングを担当しますね。カラーは遼くんが仕上げてくれたので、このあとはあたしがばっちり整えます!」


 元気な口調の由香里に、ブラッド将軍は少し面食らったが、そのまま椅子に腰をかけ直す。すると、由香里はブラッド将軍の眉毛を見つめ、丁寧に分析を始めた。


「将軍は眉毛がかなり凛々しい形をしてますね。でも伸びっぱなしで少しぼさぼさかも。これを整えるだけで、目元が引き締まりますよ。それと、ひげも形を調えて、清潔感と迫力を両立させましょうか」


「お、おう……任せる。必要以上に細くしたりはやめてくれ。俺の男らしさは失いたくない」


「分かってますよ。大丈夫、大人の男性の魅力を最大限に活かすスタイルにしますから」


 由香里はにっこり微笑んでハサミを手に取り、まずはカットから開始する。伸びきっていた髪を少し短めに整え、先ほど染まったダークブラウンが際立つよう調整。ブラッド将軍の太い毛流れを活かしながら、後頭部とサイドを程よくすっきりさせていく。

 軽快なハサミの音が心地よく響き、ブラッド将軍は変に緊張することもなく、椅子に身を預けていた。髪が手際よく落とされていくと、サイドや襟足がかっちりまとまり、後ろ姿まで若返っているかのようだ。


「いいですねえ、襟足をそろえるだけで、後姿がずいぶんすっきりしました」


「ほう、そうか……。鏡で後ろまでは見えんが、あんたがそう言うなら心強い」


 次いで、由香里はブラッド将軍の眉を整え始める。不要な部分をハサミやピンセットで丁寧にカットし、バランスよく形を作っていく。その作業にブラッド将軍は少しだけ息を呑む。


「うっ、眉を切るなんて……ちょっとくすぐったいな。しかし、こんなに細かい作業をするのか」


「男性は眉毛が太い分、整えてあげると一気に印象が変わるんですよ。将軍の場合は、あまり細くしない方が威厳が増すと思います」


「なるほど……確かに。そこは大事なところだ」


 短い会話を交わしながらも、由香里のハサミ捌きは迷いがなくスピーディーだ。眉の形が整った時点で、ブラッド将軍の目元はキリッと引き締まり、年齢を感じさせない迫力が生まれている。


「おお……これは、もう十分若返っているんじゃないか?」


「まだ仕上げがありますよ。最後はひげも整えます。全部剃ってしまうのも手ですが、将軍はひげが似合いそうなので形だけ整えてみましょうか」


「うむ。それがいい。ひげは男の誇りでもあるからな」


 由香里はうなずきながら、シェービング用のクリームをブラッド将軍のひげ周りに塗布していく。心地よい香りのそのクリームを広げたあと、専用のレザーで丁寧に整え始めると、ブラッド将軍は思わず「はあ……」とため息をつく。


「匂いも悪くない。ひげを整えるなど、戦場ではやっていられなかったからな……」


「肌が荒れないように保湿もしますね。染髪で髪は整っても、顔が荒れていてはもったいないので」


 シェービングが終わると、由香里が顔周りに保湿ローションをさらりと塗布してくれる。冷たすぎず、じんわりと染み込む感触に、ブラッド将軍は心まで潤うような感覚を覚えた。


「お疲れさまでした。では、仕上がりをご覧になってください」


 由香里が鏡の前で手を広げると、ブラッド将軍は静かに目を開き、自分の姿を凝視する。そこには、白髪が自然なダークブラウンに染まり、髪の長さもきちんと揃えられ、眉とひげまで整えられた堂々たる姿が映っていた。


「こ、これは……!」


 一瞬、言葉を失う。映るのは、老いの色が薄らいだ威厳ある将軍の姿。顔色や表情すら引き締まって見えるから不思議だ。年齢はそのままでも、まるで十歳近く若返ったかのような仕上がりだと言っても過言ではない。


「すごい……本当に自分か?」


「はい、とてもお似合いですよ。ご本人が求めていた『威厳を損なわず、若々しさをプラスしたスタイル』に仕上げてみました」


 由香里は誇らしげに笑みを浮かべ、玲と遼も並んで仕上がりを見守る。ブラッド将軍はゆっくりと立ち上がり、もう一度大きな鏡を確認した。光の加減でダークブラウンの深みが映えている。


「これなら……まだまだ前線で指揮を執れるぞ。部下たちにも『引退にはまだ早い』と言ってやれるわ」


 そう言ったあと、ブラッド将軍はハッとした表情で玲を振り返る。これだけの施術を受けておきながら、果たして支払いはどれくらいになるのか。店内の豪華さ、手間のかかるカラー、シャンプー、カット、ひげの整え……どこをとっても相当高額に違いない。


「む……支払いのことを確認していなかった。すまないが、俺は大きな財産を持っているわけではないぞ。王からの俸給と、少しばかりの蓄えくらいしかないが……」


 玲は柔らかな笑みを湛えたまま首を横に振る。


「大丈夫ですよ。カットやカラー、眉・ひげの整え込みのお値段は金貨数枚で十分です。もし金貨1枚が厚みのある金であれば、換金時にかなりの額になりますので、差額はお釣りをお返しすることもできます」


「本当か……? うむ、これはありがたいな」


 ブラッド将軍は半信半疑の様子だったが、とりあえず手持ちの金貨を5枚差し出した。すると、玲は3枚だけを受け取り、もう2枚は「こちらはお返ししますね」とブラッド将軍に返却してきた。


「うむ、うむ……思っていたよりも、はるかに手頃だ。お前たちの技術と設備に比べれば、安すぎるくらいだが……まあいい。ありがたく払わせてもらうとしよう」


「また何かありましたら、いつでもお越しください。アフターケアも大事ですから」


 玲や由香里、遼が並んで見送りの挨拶をしてくれる。その姿を目に焼き付けながら、ブラッド将軍は深く礼を言って店を出た。


 裏路地へ戻ると、先ほどまでの眩しい光と優雅な音楽が嘘のようにひんやりとした静寂に包まれていた。ブラッド将軍は思わず胸に手を当てる。


「ふう……まるで異世界だったな。だが、確かに俺の姿は見違えるほど変わった」


 自分の髪に触れ、眉やひげをなぞってみる。触り心地が良く、鏡で見た威厳ある容姿を思い出し、自然と背筋が伸びる。まるでこれまで失いかけていた将軍としての自信を取り戻したようだ。


 それから数日後――


 城に出仕したブラッド将軍は、入り口で待機していた若い兵士たちに声をかけられる。


「し、将軍……! どうなさったんです? なんだか雰囲気が違うような……」


「おお、ずいぶんお若く見えます! やっぱりまだまだ引退なんてありえませんね」


「そうそう、将軍に率いてもらえるなら、俺たちも心強いですよ!」


 兵士たちは口々にそう言い、以前とは違う敬意混じりの驚きを滲ませた眼差しを向けてくる。ブラッド将軍がカラッと笑い飛ばしながら応じる。


「なあに、身だしなみを少し整えてみただけだ。これからも俺はまだまだ最前線だ。油断するなよ!」


 その言葉に、周囲の兵士たちが一斉に背筋を伸ばす。彼らの敬礼を背に、ブラッド将軍は堂々と歩を進める。その後ろ姿には、かつての若々しさに加えて経験を重ねた深みが同居し、まるで“最強”の二文字が纏わりついているかのようだった。


「フン……あの店――リリアン――に行って正解だったな。昔の感覚を思い出したというか、まだまだ戦える気がしてくる」


 ブラッド将軍は誰に聞かせるともなく、そう呟く。領地を守り、兵を率いてきた彼の威厳は十分に健在だ。しかし、そこにさらに洗練された外見が加わったことで、周囲の評価も一変するだろう。

 彼の変貌ぶりはすぐに城内の噂となり、「まだまだ現役だ」「一層頼もしくなった」との声が広がっていく。それを耳にしたブラッド将軍は、胸を張って笑顔を見せながら、背後で控える兵士たちに声を響かせるのだった。


「さあ、今日も訓練を始めるぞ! 生半可な姿勢は許さん。俺が先頭に立ってやるから、全力でついて来い!」

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