10話 打ち上げ
夜の繁華街の一角。ネオンが瞬く大通りを少し外れた路地裏に、こぢんまりとした居酒屋が軒を連ねている。その中のひとつ、暖簾をくぐった先には、賑やかな喧噪とともにビールジョッキのぶつかり合う音が響いていた。
「いやぁ~、今日もお疲れさまでした!」
元気な声を張り上げたのはトップスタイリストの東城 由香里。彼女は普段、店内を軽やかに駆け回っているムードメーカーだが、この打ち上げの場でも元気いっぱいだ。
「乾杯~!」
全員そろったところで、ジョッキやグラスを掲げて声を合わせる。今日の飲み会の参加メンバーは、「リリアン」のスタッフたち。オーナーの一ノ瀬 玲も、こういう場では笑顔を崩さずにしっかりとグラスを持っている。
「おつかれさま。……でも、私、あんまりお酒は強くないのよね」
玲はすこしだけ照れくさそうに微笑み、チューハイのグラスを一口すすった。いつもの冷静沈着な姿とは違い、オフモードでは意外と控えめなのが彼女のギャップでもある。
「いいんですよ、玲さん。今日はゆっくり羽を伸ばしましょうよ!」
「これだけ仲間がそろって飲める機会って、久々ですよね。最近、お店がやたら忙しくて……」
「確かに、ちょっと休む間もなく働いてた感じするもんね」
「でもさ、うちの店――『リリアン』って、やっぱりおかしいよね?」
そんな話題をふいに切り出したのは由香里。グビッとビールを一口飲み、ジョッキを置いて、まるで独り言のように続ける。
「普通、表玄関を開けたらさ、あんな中世ヨーロッパ風の世界には繋がらないって」
テーブルにいた全員が「確かに……」と顔を見合わせ、苦笑を浮かべる。彼らは『リリアン』の裏口から普通に街へ出入りしているが、表玄関が『異世界』と繋がっているという、常識外れの状態に慣れてしまっているのも事実だ。
「ですよねぇ。最初にそれ知ったとき、冗談かと思いましたもん。まさか騎士や将軍が予約してくるとは……しかもひげを整えに来るなんて想像もしなかった」
アシスタントがそう言って苦笑しながら、お通しをつまむ。予約表に「将軍●●」「貴族令嬢●●」と書かれる日常など、普通の社会人ではあり得ない。
「そもそも私たち、なんであっちの世界の人と普通に意思疎通できてるんでしょうね。言葉が通じるのも不思議だし」
「私も詳しいことはわからないけど……お客さんの話を聞いてると、向こうには向こうの言語があるみたいね。でも、なぜかこっちで話すと普通に通じる。魔法とかがあるんじゃないですか? うちの店も、時々あちらの世界でも『不思議な扉だ』って噂されてるって」
「不思議な扉って……確かにその通りだけど。あんな先進設備が並んでる美容サロン、向こうじゃまるで魔女の館扱いなのよね?」
由香里が肩をすくめると、一同からクスクスと笑い声が上がる。シャンプー台やドライヤーの存在すら、異世界から見れば魔法か超常現象にしか見えないだろう。なまじこちらが「普通の技術です」と言っても信じてもらえないのだ。
「でも、そのおかげで『超常的な力を使う店だ』とか言われて、あちらのお客さまが増えてるのは事実ですよね」
最近は異世界側からの来店予約が増え、貴族や平民、さらには将軍や騎士といった多彩な面々がやってくるようになった。シャンプーやパーマ、カラーといった概念が向こうにはないため、毎回大騒ぎになるが、そのぶん施術後の驚きと満足度も高いらしい。
「今思うと、最初に騎士様が来たとき、ビビったよなぁ。店内でガチャガチャと鎧が鳴って、『お前たちは魔術師か?』なんてキレられかけてさ」
由香里がそんな昔話を思い出しながら笑う。
「あと、あっちの貴族令嬢さんたちも最近多いですよね。化粧品に感動して、まとめ買いしようとしてくれるけど、うちではあんまり販売してないから申し訳なくて」
「正直、あちらの世界で広められると困るケースもあるのよね。向こうの文化的ルールとか、いろいろあるし。まぁ、そこらへんはおいおい考えていくしかないんだけど……」
玲が難しそうに考え込むと、近くに座っていた由香里がそっと肩を叩く。
「まぁ、とりあえず今は店がうまく回ってるから問題なし! 玲さん、気にしすぎるとお酒がまずくなりますよ。ほら、グラス空いてるじゃないですか。もう一杯いきましょう!」
「うん、ありがとう。じゃあ……店員さん、すみません、生ビールとチューハイ、あと焼酎のお湯割りお願いします」
玲が店員に追加注文をしている間、遼はホッとしたように椅子にもたれて小声で呟く。
「やっぱり、うちのお店っておかしいですよね。現代日本の美容サロンなのに、表の扉を開けたら中世ヨーロッパ風の通りに出ちゃうんだから……。そのうちお客さん同士の交流が進んだら、どうなっちゃうんでしょうね」
遼も同調するようにハムカツを口に運びながら、「国際交流どころか、異世界交流だもん」と苦笑する。
「それに、裏口から出ればここみたいな普通の街。魔術も何もない現代のこの居酒屋での打ち上げって……考えてみればすごい空間移動ですよね」
「でもさ、あのギャップがまた面白いわよね」
由香里がケラケラと笑う。いつもシャンプーやパーマ剤を準備しながら、「あっちの世界の人にどこまで説明すればいいのかな」と悩むことが多い。それでも、今のところ大きなトラブルは起きていない。
「そういえば、この前、誰だったかな。吟遊詩人の人が支払い足りなくて、将軍が立て替えて、リュートを取り上げられてたじゃないですか。あんなこと、普通の美容室じゃありえませんよ?」
「ははは、あった、あった。それはもう、どこのコメディーだって話よ」
みんなの笑い声が重なるなか、店員が追加ドリンクを運んできた。
しばらく賑やかな雑談が続いたあと、遼が「あ、それで思い出したんですけど」と一つ話を切り出した。
「この前、奇抜なヘアカラーを希望するお客さまがいて、向こうの世界から来られた貴族の青年だったんですけど、魔法で髪を青くしたいって言われたんですよ。でもこっちで言う青い染色剤を説明しても、なかなかピンときてくれなくて……」
「それはまたレアな注文だね。どうしたの?」
「最終的には深い湖の色みたいな表現で落ち着いて、暗めのブルーを入れたんですけど、本人は『水の精霊が宿った』って大喜びして帰りました。ああいうの見てると、向こうの人って本当に詩的だなーって思いますよ」
「日本人の感覚で言うと突拍子もないけど、彼らにとっては自然なんでしょうね。魔術とか精霊とかいう単語も、生活の一部みたいだし」
玲も興味深そうに耳を傾ける。客の様子を聞きながら、これから先のリリアンの方向性をいろいろと考えているようだ。
「魔術とか精霊とか、私たちはさすがに扱えないけど……美容の技術であの世界の人々に貢献できるなら、ちょっと面白いかもしれないわ。だからこそ、こうして繋がってるのかもね」
「玲さん、なんだかロマンチックなこと言いますね~。酔ってます?」
由香里が冗談まじりに言うと、玲は「もうやめてよ、そんなに飲んでないわ」と苦笑してグラスを置く。実際、まだほんのり頬が赤い程度だ。
「これからも、面白いお客さんがたくさん来そうね。楽しみだけど、ますます忙しくなりそうで怖いわ~」
由香里はあえて大げさに頭を抱えるフリをする。しかし、その表情にはポジティブな笑みが浮かんでいた。
「私たちも勉強しないといけないしね。技術面でも、向こうのお客さまの価値観にも。まぁ、結局は“どんな世界の人でも丁寧に対応する”っていう当たり前のことを貫けばいいのかしら」
玲が言葉を締めくくるようにそうつぶやくと、全員が嬉しそうに微笑む。国が違うどころか、世界が違っても、接客の基本は変わらない。リリアンのスタッフとして培ってきた誇りはそこにある。
「じゃ、そういうわけで、今後もいろんな意味で普通じゃないお店を、みんなで盛り上げていきましょう!」
由香里が再びジョッキを掲げ、みんなが一斉に手を伸ばす。カチンと響くグラスの音が、夜の居酒屋の喧騒に溶け込んでいく。
「かんぱーい!」
一瞬の静寂のあと、スタッフたちの笑い声や会話が再開し、テーブルは相変わらずのにぎわいを見せる。これから先も「リリアン」が不思議な扉の先でどんな騒動を巻き起こしていくのか――誰にもわからない。だが、少なくともここに集う仲間たちには、少しの不安もためらいも感じさせないほどの強い結束感があった。
今日の打ち上げは夜遅くまで続きそうだ。
不思議な異世界と現代を行き来する『美の架け橋』――そんなちょっと変わった美容サロンのスタッフたちは、こうして変わらず明るい笑顔とともに日々を紡いでいくのだった。
ここまでお付き合いくださった読者の皆さま、本当にありがとうございます。
とりあえず本作は一区切りさせたいと思います。
皆様の応援のおかげで、とりあえず一区切りまで書くことができました。
至らない点も多々あったかと思いますが、それでも読み続けてくださったこと、心から感謝しています。




