猫家主(一)
恋人が消えた。飼いネコがフラッと居なくなるみたいに。客観的に見れば、ただの「自然消滅」なのかもしれない。
我が家における「飼いネコ」とは今でいう「餌付けネコ」に近いものだった。わざわざ去勢したり、トイレの場所が決まっていたり、ということはない。食事はキャットフードではなく残飯。家の中と外を自由に出入りし、近所の野良猫と交尾し、無軌道に繁殖する。常に数匹のネコが家の周りをうろついていた。であるから、名前を付けたネコがフラッと居なくなるのは日常茶飯事。可愛がっていたネコが隣の隣の家で可愛がられていた、という事さえあった。
恋人の姿が消え、連絡もつかなくなってから半年が経つ。その間、週末になる度に無言電話が来た。きっと彼女からだったろう。
確かに私たちは、体の相性以外は何もうまくいってなかった。最後の会話も何かで言い争っていたと思う。無言電話に類する、相手の気を惹こうとする手段はいつもの手練手管だ。その「無言電話」も途切れた。私たちの仲は事実上「消滅」したのだ。今頃、誰か他の男に可愛がられているのだろう。
今まで実家にいたネコで、一番のお気に入りは三毛ネコだ。メスであり、彼女は灰トラを産んだ。一年くらい二匹の灰トラが居ついていたが、二匹とも家の前の県道で、車に轢かれて死んだ。
家の者たちにとりわけ可愛がられていたのは茶トラである。オスで好奇心旺盛だった。誰彼構わず足元にすり寄っていく。私にはそうではなかったが。ある暑い夏の日。ブランコに乗って茶トラを抱いていると、突然フーッ!と唸り、半ズボンで露わになっていた私の太腿から飛び去った。長い爪痕を残して。その傷痕は今も残っている。茶トラも何年かして車に轢かれて死んだ。悲しんだ家の者たちは、庭の外れに深い穴を掘って茶トラの死骸を埋めた。何十年か経った今、その上で家庭菜園をしている。茶トラは今でも土壌を豊かにしてくれている。
歴代の飼いネコたち。そのほとんどは車に轢かれて死んだ。なぜ彼らは路上で、立ち止まって猛スピードで突っ込んでくる車を見据えてしまうのか。それが彼らの悲しき本能なのだ。
お気に入りの三毛ネコは車に轢かれずに済んだ。ある日を境に姿を見なくなった。気に入っていた私としては、寂しい思いをしたものだ。
隣の隣の家に同級生がいて、よく遊びに行った。その日も遊びに行ったが留守だった。庭先で、箱座りする三毛ネコと再会した。ここに居たのか!抱きかかえようとしたらフーッ!と威嚇された。ショックだった。三毛ネコはすっかり私を忘れてしまったようだ。同級生のお気に入りになっており、ここで可愛がられている。ションボリして家路に就いたものだ。
実家に行くと、白ネコが近くにやって来て足の臭いを嗅ぐ。目を細め「ニャア」一声鳴き、ビッコをひいてすり寄ってくる。馴れ馴れしいヤツめ。
白ネコは夕方と深夜、日に二度の散歩に出かける。そうしないと夜中鳴き喚くのだ。何年か前に実家に出て行った理由はまさにこれである。不眠症に陥った。両親は結婚する気のない自分を親が疎ましく思っていた時期で、白ネコをますます可愛がった。それならばと、実家を出て行った。私は白ネコに家を追い出されたのだ。
今では両親との確執はない。お互い気楽に暮らしている。年金暮らしの彼らのため、急な出費を用立ててやることもしばしばだ。
白ネコは熱中症になった事がある。確かに、エアコンが効いているのにグッタリした姿を何度か見た。食欲も無い。こちらはエアコンもないアパートの狭い部屋で暮らしているというのに。贅沢なヤツめ。精密検査の結果、腎臓に障害があった。延命の手術が要る。去勢手術ほど簡単ではない。ほとんどが車に轢かれて死んでいった我が家のネコたち。延命の手術?流石に両親もためらったが、もはや両親と白ネコは共に分かち難い仲である。30万円の手術を受け、白ネコは無事元気を取り戻した。30万円は私が払った。親の心身の健康のためなら安いものだ。