ハインの推理
◆
母上の「覚悟を決めろ」という言葉。
その瞬間、俺の全身に電撃が走った。
覚悟──母上が口にするその重み。
これは間違いなく、帝国の掌握を意味している!
いや、それだけではない……。
世界そのものを手中に収めようという壮大な野心の萌芽だ。
母上はついに、真の支配者として立ち上がる決意を固められたのだ。
「母上……」
俺は思わず呟いた。
母上は俺を見ている。
その瞳には期待が──俺への試練が込められているのが分かる。
そうか、これは俺の能力を試していらっしゃるのだ。
世界征服という偉業を成し遂げるために、俺がどれほど役に立つのか。
その資質を見極めようとしているに違いない。
俺は深く息を吸い込んだ。
帝国掌握──まずはそこからだ。
宰相ジギタリスを排除し、皇帝を傀儡とし、全ての権力を母上の手に集める。
俺の力を使えば、恐怖政治を敷くことも可能だろう。
暴力で全てを屈服させる。
劣等どもの首を並べ、逆らう者は皆殺しにする。
だが──
俺は首を横に振った。
それでは母上の威光を俺が陰らせることになりかねない。
母上が輝くためには、俺は影でなければならない。
表舞台で暴れ回るのではなく、静かに、確実に、母上の道を整える存在でなければ。
ならば別の手段が必要だ。
政治的な連合。
味方の増強。
そして何より──
サリオン公爵家。
十二公家の一角を完全に取り込めれば、帝国掌握への道は大きく開ける。
エスメラルダとの婚約。
これまで忌避してきたが、考えを改める必要があるな。
俺は立ち上がった。
「母上、少し外の空気を吸ってきます」
母上は優しく頷いた。
「そうね、頭を冷やすのも大切よ」
違います、母上。
俺の頭は今、かつてないほど冴え渡っているのです。
◆
執務室を出て、俺は己の部屋へと向かった。
次期当主であるエスメラルダを掌握すれば、サリオン公爵家全体を動かせる。
問題はどうやって彼女を従えるか。
洗脳?
魔術による精神支配?
いや、それではダメだ。
洗脳された者は所詮操り人形に過ぎない。
自発的な判断力を失い、予想外の事態に対応できなくなる。
それに母上は、俺がそのような卑劣な手段を使うことを望まれないだろう。
母上が求めているのは、真の忠誠。
心からアステール家を支えようという意志だ。
ならば──
俺は窓の外を見た。
月が昇り始めている。
エスメラルダを俺に隷属させる。
それも自発的に、心の底から俺に従いたいと思わせる。
方法はある。
恋愛感情だ。
俺に惚れさせ、俺なしでは生きられないようにする。
そうすれば彼女は自らの意志で、全てを俺に──ひいては母上に捧げるだろう。
俺は黒いマントを羽織り、窓を開けた。
夜風が部屋に吹き込む。
──飛翔
俺の体がふわりと浮き上がる。
そのまま窓から飛び出し、夜空へと舞い上がった。
◆◆◆
エスメラルダ・イラ・サリオンは、自室で一人静かに書物を読んでいた。
魔術理論の専門書だ。
学園での授業を理解するには、やはり独学も必要だと痛感している。
──特にハイン様のような天才と肩を並べるためには
エスメラルダは首を振った。
──また考えてしまっている。最近、どうしてもハイン様のことが頭から離れない
あの深い紫紺の瞳。
素っ気ないようで、実は優しい心遣い。
そして圧倒的な実力──
ため息が漏れる。
「もう寝ようかしら……」
エスメラルダは書物を閉じ、立ち上がった。
その時だった。
コン、コン。
窓を叩く音がした。
「え?」
振り返ると、窓の外に人影が見える。
ここは三階だ。
普通なら誰もいるはずがない。
恐る恐る窓に近づき、カーテンを少し開ける。
そして息を呑んだ。
「ハ、ハイン様?」
信じられない光景に、エスメラルダの声が震えた。
見間違いではなかった。
そこにいたのは、紛れもなくハイン・セラ・アステールだった。
彼はこともなげに、三階の窓の外に佇んでいる。
宙を浮く、空を飛ぶ──こういった魔術は、実のところ非常に難しい。
魔術の基礎とされる四大元素(火・水・風・土)の操作とは異なり、飛行魔術は空間そのものに干渉する高度な技術を要する。
重力に逆らい、安定した姿勢を維持するためには、膨大な魔力と精密な制御が必要となる。
それを習得しようとすれば、他の基礎魔術を覚える余裕などなくなる程度には難易度が高いのだ。
並の魔術師では、一生をかけても習得できないと言われている。
それをハインは、まるで呼吸をするかのように自然に使っている。
エスメラルダは改めて、ハインの規格外の力を思い知らされた。
だが、驚愕と同時に疑問が湧き上がる。
なぜ彼がここにいるのか。
例え公爵家の者といえども、他家の敷地に無断で入り込むことは禁じられている。
ましてや、令嬢の部屋の窓から訪れるなど、常軌を逸した行動だ。
これは明らかな不法侵入であり、貴族としての礼節を欠いた行為。
エスメラルダはハインに問いただそうと、窓の鍵を開けようとした。
その時、ハインが静かに口を開いた。
窓ガラス越しにも関わらず、その声ははっきりと彼女の耳に届いた。
「エスメラルダ」
名前を呼ばれただけで、心臓が跳ね上がる。
「お前に逢いたくなった。だから来た」
あまりにも唐突で、あまりにもストレートな言葉。
エスメラルダは、自分が何を聞こうとしていたのかすっかり忘れてしまった。
ハインは微かに首を傾げ、問いかける。
「迷惑か?」
その問いに、エスメラルダは答えるしかなかった。
頬を赤らめ、震える声で。
「い、いいえ……迷惑などでは、ありません」
彼女はゆっくりと窓の鍵を開け、招かれざる客を部屋へと迎え入れた。
その行動が何を意味するのか、彼女自身、まだ完全には理解していなかった。




