ママの推理
◆
講義を終えて執務室に戻った私は一人、今日の出来事を反芻していた。
まさか花の精を呼び出すつもりが、妖精を顕現させてしまうなんて。
私自身、何が起きたのかすぐには理解できなかった。
生徒たちの驚嘆と賞賛の声に包まれながら、私は平静を装うのに必死だったのだ。
そんなことを考えていると、控えめなノックの音と共にハインが部屋に入ってきた。
「母上、お疲れ様でした。素晴らしい講義でした」
そう言って微笑むハインの顔には、心からの尊敬の色が浮かんでいる。
「大袈裟よ、ハイン。私にも予想外のことだったのだから」
私は苦笑しながら答える。
するとハインは私の手を取り、心配そうな顔で私の左手の薬指に視線を落とした。
「もしかしたら、この指輪が母上の魔力に過剰に干渉してしまったのかもしれません。僕の配慮が足りませんでした。驚かせてしまって申し訳ありません、母上」
ハインが贈ってくれたあの黒い指輪は確かにその、奇妙な所もある。
ここ最近、やけに調子が良いのだ。
それに変な夢も見てしまう……。
ただ、この指輪が私に何か害を与えているということは断じてない。
「いいえ、あなたは何も悪くないのよ」
私はそう言って立ち上がり、ハインを優しく抱きしめた。
私の胸に顔をうずめるハインの髪をゆっくりと撫でてあげる。
もう子供ではないのだから、いつまでもこうして甘やかすのは良くないのかもしれない。
そう思う。
思うのだけれど、この温もりを手放すことが私にはどうしてもできなかった。
この子が私を求めてくれる限り、私は何度でもこうして抱きしめてしまうのだろう。
そんな親子の甘い時間を遮るように、窓の外からホー、ホーと低いフクロウの鳴き声が聞こえてきた。
ハインが顔を上げ、目を窓へと向けて言った。
「……使い魔ですね。こちらへ向かっているようです。始末しますか?」
物騒なことをなんてこともないように言う息子を、私はそっと嗜める。
「こら、いけません」
あのフクロウが誰の使い魔か、私にはすぐに分かった。
師であるハバキリの使い魔だ。
わざわざ私に何の用だろうか。
私はハインの頭をもう一度撫でてから、ゆっくりと窓辺へ向かった。
そして窓をそっと開けて、使者を部屋へと招き入れるのだった。
◆
窓から滑るように入ってきたフクロウは、音もなく私の腕に舞い降りた。
その足には一通の小さな手紙が結びつけられている。
私がその手紙を解いている間、ハインは何も言わず、ただ静かにその様子を見守っていた。
封を切り、中にあった羊皮紙を広げる。
そこに記されていたのは師らしい、装飾のない簡潔な文字だった。
ユグドラ公国の顛末。
不死王ファビアンは討伐されたこと。
公国軍と冒険者ギルドは多大な犠牲を払い、国の立て直しは困難を極めていること。
そしてその混乱の中で、国内の様々な種族間の緊張が高まっていること。
ただ、それだけ。
事実だけが淡々と記され、私に何をしろという指示も、意見を求める言葉もなかった。
私は手紙を静かに畳んだ。
これは試されているのだ。
師はただ情報を与え、私──いえ、アステール公爵家がこの状況をどう読み解き、どう動くのかを見極めようとしているのに違いない。
一瞬、隣に立つ息子の顔を見上げて意見を求めようかと思った。
この子なら私など及びもつかない視点から、的確な答えを導き出してくれるかもしれない。
でもすぐにその考えを打ち消す。
この子に頼ってばかりではいけないからだ。
母親として、そしてアステール公爵家の当主代理として、まずは私自身の頭で考え抜かなければ。
ハインは何も言わずにただ静かに私を見ている。
この子はいつもそうなのだ。
私が尋ねるまで、決して自らの考えを口にしたりはしない。
それはあの子なりの私に対する信頼の形なのだろう。
私は思考を巡らせる。
これからどうなるのか。
ユグドラ公国は様々な種族が共生する多民族国家。
亜人に対しても寛容で、諸外国で迫害された者たちが安住の地を求めて移り住むことも少なくないと聞く。
そんな国が今、大きく揺れている。
不死王という共通の敵を失った今、これまで水面下で燻っていた民族間の軋轢が復興という大きな課題を前にして一気に表面化しているのだろう。
もしかしたら、ユグドラ公国からガイネス帝国へと、行き場を失った亜人たちが流れてくるかもしれない。
いえ、でも……。
私は自身のその考えを、すぐに否定した。
このガイネス帝国が彼らにとって住み心地の良い国とはとても言えないのだから。
では、先生は私に何を伝えたいのだろう。
師がただ私に世情を知らせるためだけに使い魔を寄越すとは思えない。
そこには必ず、何らかの意図があるはずだ。
ユグドラ公国がどうなろうと、帝国にとって直接的な脅威とはなりにくい。
亜人たちがどこへ流れ着こうと、それは彼ら自身の問題だ。
──ユグドラ公国の亜人、ではなく
亜人全体の話だとしたら?
先日の茶会で私は亜人派貴族の旗頭として立つ意思を示してしまった。
亜人に寛容だったユグドラが揺らげば、国内外の亜人たちの期待は、否が応でも私たちに集まるだろう。
それは宰相ジギタリスにとってこれ以上なく好ましくない状況だ。
アステール家を単なる政敵ではなく、帝国を揺るがしかねない危険分子と見なすに違いない。
師はそのことを私に示唆しているのかもしれない。
「覚悟を決めろ、という事なのかしらね……」
私がそういうと、その時初めてハインの表情が変わった。
ハインもきっと私と同じ結論に至ったに違いない。




