ママの夢
◆
夜の帳が下り、公爵邸が静寂に包まれる頃。
ヘルガは一日の執務を終え、ようやく自室のベッドへと体を横たえた。
柔らかな絹のシーツが肌を撫でる。
しかしその感触も今の彼女の心を慰めるには至らなかった。
ふぅ、と小さく溜息が漏れる。
「やっぱりいつまでも慣れないわね……」
隣にあの温もりがないのだ。
広すぎるベッドの空間がやけに寂しく感じられた。
少し前までハインは毎晩のようにこのベッドでヘルガと共に眠っていたのだ。
「母上、おやすみなさい」と嬉しそうに微笑み、彼女の腕の中に収まるのが常であった。
その寝所を別にしたのは他ならぬヘルガ自身からの提案だった。
『ハイン、もうあなたも一人で眠る年頃よ』
そう告げた時のハインの表情をヘルガは今でも覚えている。
帝国において成人を過ぎても親離れできない貴族の子弟は、社交界で侮蔑の対象となる。
いずれ公爵家を継ぐハインがそのような不名誉な評価を受けるわけにはいかない。
全ては息子の将来を思ってのこと。
母親として当然の判断だったはずだ。
だというのに。
自分が言い出したことだというのに、この胸を締め付ける寂しさはどうしたことだろう。
子離れを促すべき自分がこれでは本末転倒ではないか。
ヘルガは自嘲気味に微笑み、ぎゅっと目を閉じた。
──とにかく、もう寝ましょう。明日も早いのだし
そうしてヘルガは眠りについた。
◆
寝付いてからどれくらいの時間が経っただろうか。
ふと、ヘルガは自分が寝室にいないことに気付いた。
瞼を開けるとそこは闇に閉ざされた空間だった。
だが、ただの闇ではない。
周囲には無数の星々がまるで宝石を散りばめたかのように綺羅びやかに輝いていた。
奇妙なことに星は遥か頭上の天空はない。
まるで手を伸ばせば届きそうなほど近くで、彼女自身を取り囲むようにしてゆっくりと明滅を繰り返している。
──ここは、どこかしら
見慣れぬ光景にヘルガの胸に不安がよぎる。
ヘルガはベッドからおそるおそる一歩足を踏み出し、ほっと息をつく。
地面は見えないが、足元には確かな床の感触があった。
──まずはここがどこだか確認しないと
そう思い、ヘルガが再び歩き出そうとしたその時だった。
ぐい、と背後から優しく袖を引かれる。
驚いて振り返ると、そこにいたのはなんとハインであった。
闇よりも深い黒髪と、星の光を映してきらめく紫の瞳。
ヘルガが誰よりも愛する我が息子。
「ママ、綺麗でしょう。ここは僕にも、そうおいそれとは訪れることができない特別な場所なんです」
ハインはうっとりとした表情で周囲の星々を見回しながら言った。
「ハイン……? どうしてあなたがここに……いいえ、それより、ここは一体……」
混乱するヘルガの言葉を遮るように、ハインは彼女の手を取る。
そして耳元に口を近づけ、「ママ、ここには僕たちしかいないんですよ」と囁いた。
甘く、そして抗いがたい響きを伴うその声に、ヘルガは一瞬、脳が痺れるような感覚をおぼえる。
次の瞬間、ヘルガの体はふわりと浮遊感に包まれた。
ハインが彼女を抱きかかえ、ベッドへと優しく寝かしつけたのだ。
「ハ、ハイン、何を……んむっ!?」
抗議の声を上げようとしたヘルガの唇は、しかし、彼の唇によって塞がれてしまった。
貪るように、味わうように、ハインの舌がヘルガの口内を嬲りまわす。
舌と舌が絡み合うそれは、母子がかわしてよいものではない。
ヘルガの脳が熱い痺れに蕩けていく。
抵抗しようにも力がまるで入らない。
それどころかハインの巧みな舌の動きに、背筋がぞくぞくと快感に打ち震えるのを感じていた。
ハインの唇が離れた時、二人の間には銀色の糸が引かれていた。
「はぁ……っ、な、なにを……」
「ママ」
ハインの手が薄いナイトドレスの上からヘルガの全身をなぞるように這う。
その指が触れた箇所から、まるで電気が走ったかのように熱が広がっていく。
豊かな胸の膨らみを確かめ、腰の括れをなぞり、そして、その手はゆっくりと脚の間へと進んでいく。
「や、やめ……」
かろうじて絞り出した拒絶の言葉。
だがそれはあまりにも弱々しく、説得力に欠けていた。
「ママ、本当にやめてほしいんですか?」
耳元で囁かれたハインの問いがヘルガの心臓を貫いた。
本当に?
本当に、やめてほしいのだろうか?
自問自答する。
──わからない
そう、ヘルガには何もわからなかった。
本来ならば迷うことなく働くはずの理性が今は全く機能しない。
それどころか、体の奥底から湧き上がってくるのは拒絶とは真逆の感情。
もっと。
もっと、この子に触れられたい。
この子の全てを受け入れたい。
そう願っている自分がいた。
「……いいえ」
唇が勝手に動く。
「いいえ、ハイン……」
その言葉が最後の引き金を引いた。
ハインの瞳が歓喜と独占欲に燃え上がる。
ナイトドレスがはだけさせられ、月光のように白いヘルガの肌が星々の輝きの中に晒された。
ハインの熱い視線が肌を焼くようで、しかしそれが何とも心地よい。
二つの身体は一つに重なり合い──そして。
◆
「はっ……! はぁっ、はぁっ……!」
激しい息遣いと共に、ヘルガは目を覚ました。
大きく喘ぎながら、乱れる呼吸を整えようと必死に空気を吸い込む。
心臓が破裂しそうなほど激しく高鳴っている。
慌てて周囲を見回すが、そこはいつもの見慣れた自室のベッドの上だった。
窓から差し込む月明かりが、部屋を静かに照らしている。
家具の配置も、壁に掛けられた絵画も、何も変わったところはない。
「夢──だったのかしら……」
掠れた声で呟くヘルガ。
それにしても、と思う。
あまりにも生々しい夢だった。
肌に残る彼の熱い感触。
耳の奥で繰り返される甘い囁き。
そして体を貫いたあの衝撃と、全身を駆け巡った灼熱の快感。
全てがまるで現実に起きたことのように鮮明に思い出せる。
──それに……
ふと、ヘルガの手が自身の秘所へと伸びた。
ナイトドレス越しに触れたそこは、信じられないほどに熱を帯び、しっとりと湿っていた。
まるで本当に情事を終えた直後のように。
夢だったはずだ。
夢でなければおかしい。
だがこの身体の反応は、一体どう説明すればいいというのだろう。
混乱する思考の中、ヘルガの視線がふと左手にはめられた指輪に落ちた。
ハインが「愛の結晶」だと言って贈ってきた、あの禍々しいほどに美しい黒い指輪。
双竜が絡み合う意匠と、闇の奥で星屑のようにきらめく漆黒の宝石。
月光を浴びた指輪は今、いつもより一層妖しく──そして淫靡な輝きを放っているように見えた。




