不死王は勝手に死にました
◆
ユグドラの大森林に鉄と土埃の匂いが立ち込めていた。
公国がその存亡を賭けて編成した国軍が進軍しているのだ。
ギルドで動かせる冒険者たちも含め、最低限の首都の護りを残して打倒ファビアンの為に進軍している。
先陣を切るのは、バルガス元帥が直卒する公国騎士団。
その側面を固めるのは、ウェブスター率いる冒険者たちだ。
数は騎士団に劣るものの、一人一人が歴戦の強者である。
その顔には死地へ赴く者特有の険しい覚悟が見て取れた。
そして、更にもう一団。
騎士や冒険者たちとも違う異質な集団が、森の木々の間を縫うようにして音もなく随伴していた。
イドラ・イラ・カリステ公爵が遣わした人形兵団である。
その動きは人間とも獣ともつかず、見る者に本能的な忌避感を抱かせている。
しかし、その忌避感もいまやある種の頼もしさにとってかわっていた。
なぜなら誰もが感じ取っていたからだ──この森の奥に潜む、途方もない死の気配を。
空気は重く、鳥の声一つ聞こえない静寂がかえって兵士たちの緊張を煽っている。
◆
「──来たか」
バルガス元帥が低く呟いた。
視線の先、森の闇が不自然に揺らめいている。
それは陽炎ではない。
死者が放つ瘴気が、空間そのものを歪ませているのだ。
やがてその揺らめきの中から無数の影が姿を現した。
スケルトン、ゾンビ、グール……。
腐敗した肉と、剥き出しの骨で構成された死者の軍勢。
人間たちと不死者たち、どちらが多いかは定かには分からない。
しかし押し寄せる不浄な気配に、騎士たちの一部は後退った。
だが、ここで退くわけにはいかない。
「全軍、突撃準備!」
バルガスの号令が戦場に響き渡った。
騎士たちが、冒険者たちが各々の武器を抜く。
戦端は唐突に開かれた。
◆
「進めぇぇぇっ!」
騎士団長が雄叫びを上げ、突撃の先陣を切る。
鋼鉄の波がアンデッドの群れへと殺到した。
先頭のスケルトンたちが騎士らに蹴散らされ、砕け散る。
だがアンデッドに恐怖はない。
怯むことなく、後続が次々と押し寄せる。
「怯むな! 所詮は低級アンデッドだ!」
ウェブスターが叫び、自らも長剣を振るってゾンビの首を刎ねた。
冒険者たちが騎士団の側面に回り込み、敵の横腹を突く。
魔術師たちが詠唱を開始し、炎の矢や氷の槍が後方から敵陣に降り注いだ。
戦場は瞬く間に、怒号と悲鳴、剣戟の音で満たされた。
その混沌の只中を人形たちが舞う。
一体の少女型の人形がゾンビの群れに飛び込んだ。
その小さな体からは想像もつかない膂力で、腐肉の腕を引きちぎり、頭蓋を容易く砕いていく。
『アハハ、ヨワイ! ニンゲンモ、コッチモ、ヨワーイ!』
無邪気な声が場違いに響く。
軍服姿の人形は両腕を砲口の様に変形させて、魔力の弾丸を連射していた。
『塵芥となり果てよ! 我が主の道を阻む愚か者どもめ!』
その圧倒的な火力は、アンデッドの軍勢に巨大な風穴を開ける。
しかしその穴もすぐに新たな死者によって埋め尽くされた。
ファビアンの軍勢は、尽きることがないように思えた。
この森そのものが彼の力の源なのだ。
生と死は表裏一体であり、生に満ちたこの大森林はすなわち死の苗床と見る事もできる。
朽ちた木々が呻きを上げ、地面から新たなスケルトンが這い出してくる。
戦況は徐々に連合軍にとって不利なものへと傾き始めていた。
◆
エイラはその戦闘の様相を、少し離れた丘の上から見下ろしていた。
彼女の周囲にはハインから与えられた配下たちが、静かに控えている。
戦場の喧騒は彼女の心に何の波も立てない。
公国軍も、冒険者も、そしてカリステ公の人形たちも、彼女にとってはただの駒だ。
不死王ファビアンの注意を引きつけ、その戦力を削るための「盾」と見做していた。
エイラの目的はただ一つ。
ファビアンの首を獲ること。
──それこそが、我が主から与えられた至上の使命
ハインを思うたび、エイラの体の奥底からじわりと熱い悦びが湧き上がってくる。
それはかつて聖女として神に祈りを捧げた時の敬虔な喜びとは全く違う。
もっと生々しく、官能的ですらある快感。
ハインの命令に従うこと。
ハインの手足となって敵を蹂躙すること。
その行為そのものが、彼女にとっての存在理由であり、性的興奮にも似た強い充足感を与えていた。
──ああ、主様……見ていてください。このエイラが、必ずや貴方様の敵を滅ぼしてご覧にいれます
頬が紅潮し、吐息が熱を帯びる。
しかし表情を変える事はなかった。
内なる激情を完璧に抑え込み、ただ戦況を見つめている。
ファビアンへの憎悪自体は今も消えていない。
仲間たちが無惨に死んだのはなぜか。誰のせいか。元凶は──ファビアンだ。
ファビアンに対する憎悪、怒りは確かにある。
だがその憎しみすら、今のエイラにとってはハインへの忠誠を際立たせるためのスパイスに過ぎなかった。
──ファビアン……貴様を殺すことで、私は主様への貢献を証明する)
エイラは静かに立ち上がった。
頃合いだ。
「行きます」
◆
戦場を睥睨し、不死王ファビアンは玉座に腰かけたまま不機嫌そうに戦況を眺めていた。
玉座とは名ばかりの、骨と腐肉を寄せ集めて作られた醜悪な塊だ。
『……忌々しい』
漆黒の眼窩で紫の炎が不満げに揺らめく。
不完全な復活のせいで、力が思うように振るえない。
ファビアンが全盛期であれば、指先一つでこの程度の軍勢など塵芥に変えられたはずであった。
だというのに、現実はどうだ。
配下のアンデッドは数を頼りに押し込んではいるが、決定打に欠ける。
人間たちの抵抗は予想以上に粘り強い。
──特に、あの奇妙な人形ども
あれは厄介だ、とファビアンは思う。
死の恐怖を知らず、痛みも感じない。
負の情念をエネルギーとするアンデッドたちにとっては相性が良い相手とは言えない。
『……まあ、良い。時間は我に味方する』
ファビアンは自らを納得させるように呟いた。
この森はファビアンの領域だ。
戦いが長引けば長引くほど力は増していく。
戦場で倒れた人間たちも、やがては彼の忠実な僕となるだろう。
勝利は揺るがない。
そう確信した、その時だった。
◆
ファビアンはふと強い視線を感じて横を向いた。
本陣を守るアンデッドの壁を突き破り、一体の女がまっすぐにこちらへ向かってくる。
粗末な布を纏っただけの、ほとんど全裸に近い姿。
その手には装飾のない白銀の槍が握られている。
『──ほう』
ファビアンの眼窩の炎が、興味深そうに揺れた。
槍に見覚えがあったのだ。
『マリーシア……あの忌々しい聖女の槍か。となれば』
そして、同時に感じる。
エイラの全身から放たれる、聖なる力の残滓を。
聖女マリーシアの血を引く者で間違いない──そうファビアンは判じた。
『面白い。聖女の末裔が自ら死にに来るとはな』
ファビアンはゆっくりと玉座から立ち上がった。
周囲のアンデッドがエイラを止めようとするが、彼女の槍の一閃で薙ぎ払われる。
その動きには一切の無駄がない。
ただ一点、ファビアンの命だけを目指している。
やがてエイラはファビアンの目前に到達した。
『我が名はファビアン。生と死を統べる不死の王よ』
ファビアンは余裕綽々といった態度で両腕を広げるが、エイラは答えるかわりに──
槍を構え、全身の力を込めて跳躍した。
槍の穂先がファビアンの胸骨を正確に狙う。
それは彼女の憎悪と技の全てを込めた一撃だった。
◆
──手ごたえがッ……
そう、手応えがおかしかった。
“通っていない”
そんな感覚がある。
実際、ファビアンは胸に突き刺さった槍を意にも介さず、ただ静かにエイラを見下ろしているばかりであった。
『……終わりか?』
その声には多分の失望と僅かな嘲りが含まれている。
「なっ……!?」
エイラの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。
ファビアンの眼窩の紫炎が嘲笑うかのように揺らめく。
『一目見た時から気付いていた。貴様はかつての聖女の血をひいてこそいるが、血だけだ。その力の十分の一も受け継いではいない』
ファビアンが槍の柄を掴む。
その指が触れた瞬間、槍を伝って黒色の強烈な電撃がエイラを撃ち据えた。
『所詮はその程度か、聖女の末裔よ』
ファビアンが倒れ伏すエイラの無防備なその首に手をかけようとしたその時。
「エイラッ!」
影が横から突っ込んできた。
“天騎士”ウェブスターである。
◆
「小賢しい!」
ウェブスターの渾身の斬撃を、ただ魔力をぶつけるだけで弾き飛ばした。
甲高い金属音と共にウェブスターの長剣はあっけなく砕け散る。
「ぐっ……!?」
衝撃に耐えきれず、ウェブスターは大きく後方へ吹き飛ばされた。
「続け!」
「囲め! ここで決着をつけるぞ」
ウェブスターの行動に呼応し、近くにいた騎士数名がファビアンへと突撃するが──
『──朽ちよ』
ファビアンがただ一言呟くだけで、騎士たちの鋼鉄の槍は錆びて崩れ落ちていく。
「な、なんだと……!?」
「う、腕が……俺の腕がぁっ!」
騎士たちの体もまたファビアンの放つ死のオーラに触れ、鎧ごと急速に腐敗していく。
彼らは悲鳴を上げる間もなく、人型の染みとなって大地に崩れ落ちた。
圧倒的な蹂躙。
力の次元があまりにも違い過ぎた。
ファビアンは邪魔者たちに一瞥もくれることなく、再びエイラに向き直る。
『さて、今度こそ終わりだ』
ファビアンが、止めを刺さんとその手を振り上げた。
だがその腕がぴたりと止まる。
何故なら、その腕に青白い半透明の何かが幾重にも絡みついていたからだ。
「……!?」
エイラは目を見開いた。
彼女の配下である三体のファントム・ウォリアーが、ファビアンに亡霊の如くまとわりつき、その動きを必死に封じている。
実体のない彼らの攻撃は、ファビアンにダメージを与えられない。
だが、その行動は、死してなお主を守ろうとする、かつての騎士としての意思の現れだった。
マルシア
アリス
ミア
仲間たちの抵抗を目の当たりにし、エイラの瞳に力が戻る。
エイラはゆっくりと立ち上がると、腐食しかけていた白銀の槍を拾い上げた。
──主様、私にどうか力を
その祈りはかつて捧げた神へではない。
ただ一人、新たなる信仰の対象であるハインに向けたものだった。
◆
次の瞬間だった。
エイラの体からドス黒い魔力が奔流となって溢れ出した。
それは彼女自身の力ではない。
もっと巨大で、もっと根源的で、もっと禍々しい何か。
その魔力が腐食しかけていた槍へと一気に流れ込んでいく。
──これ、は
槍を握るエイラの手が、震えた。
この感覚には覚えがある。
この圧倒的なまでの、魔力。
主様……?
槍の腐食は止まり、逆に漆黒の輝きを増していく。
そして、槍そのものがまるで生きているかのように脈動し始めた。
ファビアンの表情が変わった。
余裕の笑みが消え、驚愕と警戒の色が浮かぶ。
『な……んだ、この力は!?』
ファビアンは不意に空を見上げる。
感じたのだ──とてつもなく巨大な掌で、全身を鷲掴みにされているかのような絶対的な圧力を。
体が動かない。
指一本動かすことができない。
不死王が得体の知れない力によって完全に拘束されている。
ファビアンはもはや目の前の女など問題ではないと考えた。
天そのものが裂け、そこから巨大な「眼」が自身を見下ろしている光景を幻視している。
抗わなければならない。
抗わなければ。
抗わなければ──
そう思っていたファビアンはふと胸に違和感を覚える。
見ればエイラが不気味な笑みを浮かべて、槍を突き立てていた。
◆
力が抜ける──いや、奪われる。
小さい波がより大きい波に呑み込まれるように、ファビアンは自身の魔力が更に大きい何かに浸食されていくのを感じていた。
これは毒だ。
致死の猛毒だ。
『貴様──聖女ともあろうものが……ナニに魂を売り渡した……』
それがファビアンの最期の言葉となった。
足元から急速に体が崩れ始め、まるで千年の時を一瞬で経過したかのように骨が風化し、砂となっていく。
そうして眼窩の紫炎が揺らめき──ふっと消えた。
後に残ったのはボロボロになった王衣と、地面に転がる朽ちた王冠だけだ。
不死王ファビアンは滅びた。
◆
不死王が消滅した瞬間、戦場を支配していた濃密な瘴気が嘘のように晴れていった。
アンデッドたちは一斉に動きを止め、そして、塵となって崩れ落ちていく。
あれほど絶望的だった戦況が一瞬で覆った。
生き残った騎士、兵士や冒険者たちは、何が起こったのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。
エイラもまたその場に膝をついていた。
槍からハインの魔力が引いていくと同時に、彼女の意識を覆っていた分厚い膜が一枚だけ剥がれたような感覚があった。
「ああ……」
エイラは呆けた様な顔で空をみあげていた。
頭の中が妙にすっきりとし、そして頬には一筋の涙が伝っている。
──終わったのですね
雲の切れ間から陽の光が差し込んでいた。
その光はまるで死んでいった仲間たちが、天から彼女を祝福してくれているかのようだった。
そんなエイラに、連合軍の兵士たちが恐る恐る近づいてくる。
彼らの目には畏怖と、感謝が浮かんでいた。
だがそんな畏怖だの感謝だのはすぐに消えてなくなってしまう。
なぜなら、エイラが放つ気配が不意に禍々しいものとなったからだ。
戻りかけた正気は次の瞬間、さらに強烈な狂信によって完全に塗り潰された。
「ああ、ああ、ああ……! なんてことでしょう!」
エイラはぶるぶると体を震わせ始めた。
その顔は恍惚に歪み、瞳は焦点の合わない熱に浮かされている。
──ファビアンを滅ぼせたのは、私の力じゃない……! すべては、すべては、我が主のお力のおかげ……!)
「ウフフ……」
不気味な笑い声がエイラの口から漏れた。
「アハハハハハハハ!」
彼女は突然立ち上がると、天に向かって両手を広げて高らかに叫んだ。
「ご覧になりましたか、我が主よ! このエイラは! 貴方様より賜りし大いなる力にて、見事、御身の露払いを果たしました!」
「この勝利は主様のもの! このエイラの体も、心も、魂も、すべては貴方のために! このエイラ、いかなる汚泥にまみれても貴方様のためならば喜んで我が身を捧げます!」
そんなエイラを見て、生き残った兵士たちは顔を見合わせ、じりじりと後退りした。
「おい、あの女、大丈夫か……?」
「頭のネジが何本か飛んでるぞ……」
「聖女様じゃなかったのかよ」
ウェブスターとバルガスも、遠巻きにその様子を見て顔を引きつらせていた。
「ウェブスター殿。あれは、一体……」
「わかりません……。だが、ファビアンを倒したのが彼女であることは事実だ」
エイラの狂気的な独白は、まだ続いている。
「ああ、ハイン様、ハイン様! 貴方様を想うだけで、力が、悦びが、全身に満ち満ちて……! このエイラの槍も、もっともっと、貴方様のために尽くしたいと、疼いております……!」
そう言ってエイラは槍の柄を愛おしそうに両足で挟み、恍惚と体を震わせた。
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ユグドラ公国は甚大な被害と引き換えに、不死王の脅威を退けることに成功した。
しかしその勝利の中心にいたのは、一人の狂った女だった。
エイラは周囲の困惑など意にも介さず、ただ一人、主への感謝と忠誠の祈りを天に捧げ続けるのだった。
◆◆◆
“異なる世界線”に於いて、魔王と化したハイン・セラ・アステールは数多くの魔の者たちを率いたという。
竜種、巨人、悪魔、そして名もなき異形の怪物たち。
だが先代魔王の魂が憑依したところで、その器は脆弱な人間のモノであることに変わりはない。
誇り高く、混沌を是とする魔の者たちが人の子に過ぎぬ魔王に付き従うなど、本来あり得ぬことであった。
では彼は如何にしてその支配を成し遂げたのか。
答えは単純である。
魔力による一種の精神汚染。
言うなれば洗脳に近しい手法であった。
清らかな水が満たされた水差しに、一滴の黒いインクを垂らせばどうなるか。
水は瞬く間に混濁し、やがては全体が黒く染め上げられてしまう。
ハインの魔力とは、まさしくこの「インク」そのものであった。
先代魔王とハインの魔力が混ざりあい、高め合うことで、極めて冒涜的で支配的な魔力が産まれた。
その魔力に長時間晒されたり、あるいは直接その身に注ぎ込まれたりした者は自身の魔力がハインの色へと強制的に「上書き」されていくのだ。
それは魂の同化とも呼べる現象。
思考の根幹、魂の在り方そのものがハインという絶対的な存在に最適化されていってしまったのだ。
無論、親和性というものもある。
魔王ハインの魔力は余りにも不浄で冒涜的で穢れていたため、相応に穢れた魂の持ち主でなければこの洗脳は効果を弱めてしまう。
例えば、元聖女といった清らかな魂を掌握するといったような事は出来ない。
さて。
この世界のハイン・セラ・アステールがした事はなんだろうか。
狂ってしまったエイラを見れば明らかだ。
この世界のハインは、あるいは魔王以上に危険な存在と言えるのかも知れない──




