不死王は復活しました①
◆
大森林深部。
最後の塔がそびえ立っている。
三本の塔が既に失われた今、これがファビアン復活の最後の砦である。
その塔の最上階。
そこに一体のデュラハンが立っていた。
ただのデュラハンではない。
黒鎧に銀の装飾が施され、その威容は他の同族とは一線を画している。
旧魔王軍では"銀月の騎士長"と呼ばれていたデュラハン・ロード、カスパリウスである。
カスパリウスは首なしの胴体から立ち上る瘴気を揺らめかせながら立ち尽くしていた
『いたしかたあるまい。三本の塔が失われようとも、儀式は遂行せねばならぬ』
本来ならば四本の塔の力を結集し、初代聖女マリーシアによって虚数空間に封じられた不死王ファビアンを完全な形で復活させるはずだった。
しかし現実は違う。
一本の塔では、せいぜい虚数空間にヒビを入れる程度の力しか生み出せない。
それでもやらねばならない。
このまま何もせずに滅ぶよりは、不完全でも主を復活させる方が遥かにマシだ。
カスパリウスはゆっくりと両の腕を掲げる。
『我が命、我が魂、全てを捧げん』
銀の装飾が施された鎧が、徐々に光を放ち始める。
『久遠の彼方に封じられし我が主よ』
カスパリウスの体が徐々に透けていく。
存在そのものが、魔力へと変換されているのだ。
塔全体が振動し始めた。
壁を構成する骨や肉が軋み、悲鳴のような音を立てる。
『ファビアン様……!』
最後の叫びと共に、カスパリウスの姿が完全に消失した。
同時に、ぴしりと大きな音が響く。
虚数空間への"穴"──いや、ヒビと呼ぶべきか。
その僅かな隙間から、何かが滲み出てくる。
塔が激しく揺れ、やがて崩壊を始めた。
支えを失った骨と肉の建造物は、もはや形を保てない。
轟音と共に塔が崩れ落ちていく中、一つの影が姿を現した。
それは人の形をしていたが、その存在感は尋常ではない。
朽ちた王冠を戴きボロボロの王衣を纏った骸骨。
眼窩には紫の炎が宿り、全身から濃密な死の気配を放っている。
不死王ファビアン。
かつて聖女マリーシアと相打つ形で封印された、旧魔王軍四魔が一人。
しかしその姿は、全盛期とは程遠い。
本来ならば四本の塔の力で完全復活を遂げるはずが、一本分の力では不完全な復活しか成し得なかったのだ。
虚数空間から実数空間へと脱出する際に力の大部分を喪ってしまった。
『……これが、現世か』
ファビアンは陰鬱にいう。
『随分と衰えてしまったようだな』
自嘲するように呟く。
完全な状態ならば、この広大な森全体を死の領域に変えることなど造作もない。
大気を毒霧と化し、大地を腐敗の沼へと変じ、領域内で死に絶えた生きとし生ける者すべてをアンデッドへと変える事など指先一つで出来る──それこそまさに死の王の所業。
だが今の状態では──
『せいぜいが、か弱き者共を呼び起こす事くらいか……まあ、良い。まずは力を取り戻すことだ』
ファビアンが手を振ると、崩壊した塔の残骸から無数のアンデッドが這い出してきた。
『我に従え、死せる者どもよ』
アンデッドたちは新たな主の命令に従順に従った。
◆◆◆
朽ちた森の道を死者の軍団が音もなく進む。
先頭に立つのは、かつて「聖女の契り」を率いた戦乙女エイラ。
全裸のまま与えられた粗末な布を身に纏い、虚ろな目で前を見据えている。
彼女の周囲には、ハインから与えられた配下たち──ゾンビ、スケルトン、デュラハン、そして仲間だった三体のファントム・ウォリアー。
死者たちは完璧な統率の下、森の奥へと進軍していく。
「マルシア、周囲の警戒を」
エイラの命令に青白く揺らめくファントムが無言で頷き、隊列から離れていく。
生前の仲間が今は彼女の配下として動いている。
その事実にエイラの心は何も感じない。
いや、感じることを拒否しているのかもしれない。
不意にエイラの足が止まった。
全身を貫くような凄まじい邪気が森の最深部から放たれている。
背筋を冷たい何かが駆け上がった。
聖女マリーシアの血を引く彼女の体が、本能的に警告を発していた。
「この感覚は……」
震える声で呟く。
体の奥底で、血が激しく脈打っている。
警鐘を鳴らしている。
恐るべき存在の復活を告げている。
「不死王……ファビアン」
その名を口にした瞬間、確信に変わった。
聖女の血は嘘をつかない。
かつて聖女マリーシアが命と引き換えに封印した不死の王。
その存在が、今まさに現世に戻ろうとしている。
エイラは振り返り、自らが率いる軍団を見渡した。
ゾンビが二十体、スケルトン十五体、デュラハン三体、ファントム三体。
決して少なくはない戦力だ。
しかし──
「勝てない」
冷静な判断だった。
不完全な復活とはいえ、相手は四魔の一角。
この程度の戦力では、露と消えるのが関の山。
エイラの中で様々な思考が巡る。
なによりも重要なのはハインからの命令であった。
「露払い──」
小さく呟く。
そう、彼女に与えられた使命は森の障害を排除すること。
最も効率的に、最も確実に。
ならば──
「方針を変更します」
エイラは踵を返した。
「全軍、反転。ユグドラ首都へ向かいます」
配下のアンデッドたちは何の疑問も抱かずに従った。
彼らは既にエイラの絶対的な支配下にある。
やがて森の端が見えてくる。
ユグドラ公国の首都ユグドラシルの城壁も遠くに確認できた。
さすがにアンデッドの軍団を引き連れて首都に入るわけにはいかない。
「ここで待機しなさい」
エイラは森の陰に配下たちを潜ませる。
必要な情報を必要な相手に確実に伝える──それがエイラの目的だ。
ユグドラを動かし、ファビアンを倒すための戦力を増やそうとエイラは考えている。
エイラは一人、首都の門へと向かった。
衛兵たちが彼女の姿を認めるや否や、驚きの声が上がる。
「エイラ様だ!」
「戦乙女が生きていた!」
彼らにとってエイラは英雄だった。
行方不明になっていた最強の冒険者の一人。
その帰還は、絶望に沈んでいた人々に希望を与えるはずだった。
──もし、彼女がまだ以前の彼女であったならば。
◆
冒険者ギルド本部は、久々の朗報に沸き立っていた。
「エイラ様が帰ってきた!」
「聖女の契りのリーダーが生還したぞ!」
冒険者たちの歓声が、ホール中に響き渡る。
しかし、その喜びは一瞬で困惑へと変わった。
「え?」
「な、なんで……」
エイラが全裸だったからだ。
粗末な布を腰に巻いただけの姿。
大きな胸がぼろりと零れている。
だがそんな痴女めいた恰好であるのにエイラは少しも羞恥を見せなかった。
しかも無表情に、まっすぐギルドマスターの執務室へと向かっていく。
「だ、誰か服を!」
慌てたギルド職員が、マントを持ってくる。
エイラはそれを無言で受け取り、体に羽織った。
動作は機械的で、羞恥心など微塵も感じていない様子だ。
執務室の扉を叩く。
「入りなさい」
ウェブスターの声が聞こえた。
エイラは扉を開け、中へと入る。
「エイラ!」
ウェブスターが椅子から立ち上がった。
その顔には安堵と喜びが浮かんでいる。
「よく無事で……いや、その姿は一体どうしたのだ?」
「報告があります」
エイラの声は、淡々としていた。
ウェブスターの表情が引き締まる。
何かが違う。
目の前にいるのは確かにエイラだが、何かが決定的に違っている。
「不死王ファビアンが復活しました」
その一言に、ウェブスターの顔から血の気が引いた。
「なんだと……?」
「森の最深部です。最後の塔があった場所で」
淡々とした口調で、エイラは続ける。
「不完全な復活ですが、時間と共に力を取り戻すでしょう」
ウェブスターは拳を握りしめた。
最悪の事態だ。
四魔の一角が復活したとなれば、もはや冒険者ギルドだけで対処できる問題ではない。
「詳しく聞かせてくれ。塔の状況は? 敵の戦力は? 君の仲間たちは?」
「報告は以上です。ギルドと軍を動かしてください、ウェブスター。不死王に戦力を整えさせてはなりません」
エイラはそう言うと、踵を返した。
「待て!」
ウェブスターが鋭く呼び止める。
「まだ話は終わっていない。なぜ君だけが戻ってきた? 他の仲間はどうした?」
エイラは歩みを止めない。
そのまま扉へと向かう。
「エイラ!」
ウェブスターが机を回り込み、彼女の腕を掴もうとした。
その瞬間、エイラが振り返る。
瞳に宿る光が、以前とは違っていた。
虚ろで、どこか遠くを見ているような瞳。
「離してください」
静かな、しかし有無を言わせぬ声。
ウェブスターは思わず手を引いた。
「私には、まだやるべきことがあります」
そう言い残し、エイラは執務室を出ていく。
廊下で待ち構えていた冒険者たちも、彼女の異様な雰囲気に道を開けた。
誰も声をかけることができない。
ただ見送るだけ。
ギルドを出たエイラは、再び森へと向かっていく。
配下たちが待つ場所へ。
そして、我が主から与えられた使命を果たすために。
執務室に残されたウェブスターは、しばし呆然としていた。
しかし、すぐに我に返る。
今はぼうっとしている場合ではない。
「誰か!」
扉を開け、廊下にいた職員を呼ぶ。
「は、はい!」
「至急、国軍司令部へ伝令を。不死王ファビアン復活の報を」
職員の顔が青ざめる。
「そして教皇庁へも。最優先事項として」
「かしこまりました!」
職員が駆け出していく。
ウェブスターは執務室へ戻り、深く息を吐いた。
不死王の復活。
それも不完全とはいえ、既に現世に姿を現している。
時間をかければかけるほど力は増していく。
配下のアンデッドも増殖していくだろう。
「全軍を投入してでも……」
ウェブスターは決意を固めた。
これは最早、一ギルドマスターが判断できる問題ではない。
国家の存亡に関わる事態だ。
彼は羽ペンを取り、書類に向かう。
国王、教皇、そして国軍司令官への進言書。
不死王ファビアン討滅のため、全軍出撃を要請する内容だ。
本来の戦略──結界をはって援軍を出すなどという悠長な策を取る余裕はなくなった。
エイラの話が本当かどうか、という疑念はある。
しかしウェブスターはそれが本当だと直感している。
ベテラン冒険者の勘というやつだ。
「今すぐ叩かねば手遅れになる。書簡は出したが──いや、私も直接出向くか」
ウェブスターは王宮へ向かう準備を整え始めた。
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