アステール公爵家の夜
◆◆◆
アステール公爵邸の正門前。
夕刻の柔らかな光を背に、巨大な影が仁王立ちしていた。
ガッデムだ。
彼の巨躯は門そのものよりも威圧感がある。
大鬼の血を引く彼の肌は赤銅色で、額には小さな角の名残がわずかに隆起している。
筋骨隆々たる腕は太い丸太のようで、その手には巨大な戦斧が握られていた。
許可なき者がこの門をくぐろうとすれば、真っ二つにされてしまうだろう。
実際にしたこともある。
ハインが姿を現すと、ガッデムの厳めしい顔がわずかに緩んだ。
「お帰りなさいませ、ハイン様」
低く響く声で恭しく頭を下げる。
ハインは片手を軽く上げた。
「佳きに」
その一言にガッデムは敬礼で応える。
門をくぐり、石畳の小道を進むと、玄関前に五人の女性が整列していた。
先頭に立つのはフェリとミーシャ。
その後ろに三人のメイドが控えている。
全員が浅黒い肌を持つダルフェン種だった。
「お帰りなさいませ、若様」
フェリが深々と頭を下げる。
長い銀髪が夕陽を受けて淡く輝いた。
ハインは後ろの三人のメイドに視線を向けた。
左端に立つのはレイチェル。
褐色の肌に映える琥珀色の瞳を持ち、短く切りそろえた黒髪が活発そうな印象を与える。
中央にいるのはパラッシュ。
レイチェルよりもさらに濃い肌色で、腰まで届く編み込みの髪を背中に流している。
瞳は深い緑色だ。
そして右端には──見慣れない顔があった。
他の二人よりも華奢な体躯で、薄紫色の瞳が印象的な少女。
緊張からか、細い肩がわずかに震えている。
「一番右のは新人か」
ハインの言葉に、フェリが即座に答える。
「はい、若様。本日より勤めることになりましたリーシェでございます」
名を呼ばれた少女が慌てたように深くお辞儀をした。
「は、はい、若様。リーシェと申します。本日よりお世話になります」
声が上ずっている。
ハインは値踏みするような視線でリーシェを見つめた。
「お前の同族か」
「はい、若様。私の遠縁にあたる者でございます」
フェリが淡々と答える。
「何人増やそうと構わないが、母上の許可はしっかり取れよ」
「承知しております。大奥様には既にご報告済みでございます」
ハインは軽く頷くと、メイドたちを一通り見回した。
ふと何か思い立ったように眉をひそめ、踵を返す。
「自室にいる」
そう言い残して、足早に屋敷の中へと消えていった。
◆
ハインの姿が見えなくなると、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
「ふぅ……」
リーシェが大きく息を吐く。
「緊張したでしょう?」
レイチェルが振り返って、新人に優しく声をかけた。
「は、はい……想像以上に威圧感がおありで……」
「まあ最初はみんなそうよ」
パラッシュがくすりと笑う。
「でも若様は見た目ほど怖い方じゃないから。ちゃんと仕事をしていれば」
「そうそう。というか怒られた事なんてないかも──」
ここでミーシャが咳払いをした。
「おしゃべりはそこまでだ。まだ仕事が残っているだろう」
フェリはその様子を静かに見守っていたが、やがて口を開いた。
「リーシェ、今日は先輩たちについて仕事を覚えなさい。焦ることはありません」
「は、はい、フェリ様……いえ、姫様」
リーシェの呼び方に、フェリがわずかに眉をひそめる。
「この屋敷では、私はフェリです。姫様などという呼び方は不要」
「で、でも……」
「いいから」
フェリの声に有無を言わせぬ響きがあった。
そこへ、屋敷の奥から大きな足音が響いてきた。
「おお、皆揃っておるな!」
グラマンが廊下を歩いてくる。
その声の大きさに、リーシェがびくりと肩を震わせた。
「夕餉の支度はどうじゃ? 大奥様もハイン様もお戻りになられたぞ」
「既に調理場では準備が進んでおります」
ミーシャが答える。
「よろしい。ところでフェリよ」
グラマンの視線がフェリに向けられる。
「今宵の夜警は誰の当番じゃ?」
「本日は私とレイチェルが前半、ミーシャとパラッシュが後半を担当します」
「ふむ、了解じゃ。では儂は中庭のオーマに勤務終了を告げてくる」
グラマンはそう言うと、再び大股で歩き去っていった。
その背中を見送りながらレイチェルが小声で呟く。
「相変わらず声が大きいわね、執事長は」
「でも頼りになるじゃない」
パラッシュが肩をすくめる。
「二百年以上生きてるって本当かしら」
「さあ……でも、ありえない話じゃないわよね、この屋敷なら」
メイドたちの会話を聞きながら、リーシェは恐る恐る尋ねた。
「あの……オーマ様というのは……?」
一瞬、場が静まり返った。
レイチェルとパラッシュが顔を見合わせる。
「ああ、そうか。まだ会ってないか」
ミーシャが苦笑を浮かべた。
「オーマ様は……うーん、どう説明すればいいのか……ユニークな方ではあるが……」
「庭師、ということになっています」
フェリが淡々と答える。
「ただし、普通の庭師ではありません。いずれ会うことになるでしょうが、驚かないように」
リーシェは不安そうな表情を浮かべたが、それ以上は聞けなかった。
◆
中庭は夕暮れの光に包まれていた。
手入れの行き届いた花壇には色とりどりの花が咲き誇り、中央の噴水が静かな水音を立てている。
グラマンは慣れた足取りで奥へと進んだ。
「オーマよ、勤務終了じゃ」
一見すると誰もいない中庭に向かって、グラマンが声をかける。
すると──
花壇の土が不自然に盛り上がり、黒い液体のようなものが滲み出してきた。
それはドロドロと音を立てながら地面を這い、やがて人の形を取り始める。
『ソウカ』
抑揚のない声が響いた。
『ワカッタ』
黒い人影──オーマは、そのままゆっくりと屋敷の裏手へと向かっていく。
その動きは流れる水のように滑らかで、まるで地面と一体化しているかのようだった。
グラマンはその様子を見届けると、今度は正門へと向かった。
ガッデムはまだ同じ姿勢で門を守っている。
「ガッデムよ、交代の時間じゃ。交代の者も直に来ることじゃろう」
「ああ、分かった」
ガッデムが頷く。
「何か変わったことは?」
「いや、特には。じゃあ俺は飯を食ってこよう」
「うむ、ゆっくり休むがよい」
二人は互いに頷き合い、それぞれの場所へと向かっていった。
こういった勤務交代の声かけはグラマンかフェリが行う事になっている。
というのも、他の者ではやはり恐怖心が先だってしまうからだ。
まあ関係が悪いというわけではない。
むしろ他の貴族家より一体感を持っているといってもいい。
給金は飛び切り良いし、何より労働環境が良い。
ハインはそれぞれの使用人が最大限のスペックを発揮できるよう、労働時間を厳格に定めているのだ。
決められたサイクルでの休憩、休暇は必須である。
この時代、多くの貴族家では使用人の労働環境に気を配る事はあまりないのだが、アステール公爵家は異質の労働者ファーストなマインドを持つ稀有な貴族家であった。
とはいえ怖いものは怖いのだから仕方がない。
そうして今日もアステール公爵邸の一日が幕を閉じていく──。




