聖女の契りの苦難③
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玉座の間は今や混沌の坩堝と化していた。
エリザベト配下のヴァンパイアたちが、次々と侵入してくるアンデッドの群れと激しい戦闘を繰り広げている。
本来、ゾンビやスケルトンといった下位のアンデッドは、永い時を生き高度な魔術や異能を操る上位のヴァンパイアたちにとって、取るに足らない存在のはずだった。
一薙ぎで数十体が塵芥と化し、一睨みで動きを封じられる、それが彼らの常識。
しかし今この場で展開されている光景は、その常識を覆すものであった。
ヴァンパイアたちが振るう爪牙や魔術は、確かにアンデッドたちを破壊する。
だがアンデッドたちは怯むことなく、倒れても倒れても、まるで無限に湧き出るかのように攻め寄せてくる。
完全に動きを停止させるためには二撃以上を必要としていた。
そんなタフな連中が数に物を言わせた波状攻撃は、さすがの上位ヴァンパイアたちをも徐々に消耗させる。
「ちぃっ、雑魚どもが……鬱陶しい!」
一体のエルダー・ヴァンパイアが、両腕から放った血の刃で周囲のスケルトンをまとめて切り刻むが、すぐに新たなスケルトンがその隙間を埋める。
彼らの眼窩に宿る不気味な光には、一切の恐怖もためらいも見られない。
アルフォンスはこの異常な事態を引き起こしている元凶と目される一体のデュラハンを鋭い眼光で睨みつけていた。
──あの首無し騎士がこいつらを指揮しているに違いない
アルフォンスは右手の掌をナイフで躊躇なく切り裂いた。
鮮血が流れ落ちる。
しかしその血は床に滴ることなく、アルフォンスの魔力によって瞬時に凝固し、禍々しい輝きを放つ深紅の剣へと姿を変えた。
血の業を操るヴァンパイアならではの戦技である。
アルフォンスは血の剣を握り締めると、床を蹴ってデュラハンへと襲い掛かった。
「邪魔だ、出来損ないが!」
アルフォンスの剣閃が、デュラハンの持つ錆びた大剣と激しく衝突する。
火花が散り、金属音が甲高く響き渡った。
両者の力はほぼ互角。
アルフォンスはエルダー・ヴァンパイアの上位個体──ノーブル・ヴァンパイアであり、いかにデュラハンといえどもただの一撃で斬り伏せられるほどの力を持つ。
だが現実は違っていた。
剣を交えるたびにデュラハンの大剣から伝わる重圧はアルフォンスの予想を遥かに上回っていたのだ。
「くっ……!」
焦りがアルフォンスの胸中に広がる。
さらに激しく剣を振るい、デュラハンを圧倒しようと試みる。
確かに技量ではアルフォンスが上回っている。
デュラハンの黒鎧には浅い斬り傷が少しずつ増えていく。
しかし、決定打には至らない。
デュラハンは致命傷を巧みに避け、まるでこちらの攻撃パターンを読んでいるかのように的確に反撃してくる。
アルフォンスはやや押していると感じながらも、あと一押しがどうしてもできないもどかしさに歯噛みした。
なぜ格で劣るはずのアンデッドたちがこれほどまでに善戦しているのか。
それはひとえに、彼らが新たな主であるハイン・セラ・アステールに対して抱く、絶対的な忠誠心ゆえであった。
彼らはハインによって魂のあり方そのものを書き換えられたのだ。
かつて彼らはただ無目的に彷徨い、生者を襲うだけの存在だった。
あるいは更に上位のアンデッドの支配力に縛られ、苦痛と憎悪を撒き散らすだけの駒だった。
だが、ハインは彼らに新たな地平を見せた。
それは絶対的な力への帰依。
それは存在そのものを肯定される悦び。
それは大いなる意思の一部として機能する充足感。
ハインの魔力に触れた瞬間、彼らの腐敗した魂は焼き尽くされ、そして再生されたのだ。
新たなる主の御心のままに動くことだけが彼らの存在理由であり、至上の喜びである。
この忠誠心は彼らの内に眠っていた潜在的な力を引き出し、単なるアンデッドとしての能力を超越させていた。
デュラハンの大剣が、不意に禍々しい紫色のオーラを纏い始める。
それを見たアルフォンスの肌が粟立つ。
あれは受けきれない──直感的にそう悟ったアルフォンスが、死を覚悟したその瞬間。
ぐしゃり、という鈍い音が響いた。
紫色のオーラを放っていたデュラハンの黒鎧が、まるで熟れた果実のようにあっけなく潰れていた。
「何を苦戦しているのよ、この間抜け!」
甲高い、しかし威圧的な声。
見ればエリザベトがその華奢な足で、デュラハンの残骸を踏みつけていた。
美しい面が不快感と怒りで台無しだ。
「本当に使えない連中ね!」
エリザベトが吐き捨てると同時に、彼女の身体から凄まじい魔力の嵐が迸った。
業もなにもない、単純な魔力の放出である。
しかしその奔流は玉座の間を瞬く間に席巻し、エリザベトの意思に従わないアンデッドたちを文字通り薙ぎ払っていく。
ゾンビは一瞬で塵と化し、スケルトンは骨の一片すら残さず消滅した。
エリザベトは肩で荒い息をつく
忠誠心によって異常なまでの力を発揮していたアンデッドたちを一掃するには、さすがの彼女であっても相当な力を費やす必要があったわけだ。
彼女の額には玉のような汗が浮かび、血のように赤い瞳は未だ怒りの炎を宿している。
「申し訳ございません、エリザベト様……!」
アルフォンスは、生き残った数人のエルダー・ヴァンパイアたちと共にエリザベトの前に跪き、深く頭を垂れた。
声には自らの不甲斐なさに対する慚愧の念が込められている。
エリザベトはアルフォンスを一瞥するとその美しい顔をさらに歪ませた。
「役立たず……! 使えない部下はいらないわ!」
エリザベトの殺意がアルフォンスへ向けられる。
が。
エリザベトの動きがぴたりと止まった。
先ほど破壊された玉座の間の扉があった方向を、キッと鋭い視線で睨みつけるエリザベト。
アルフォンスは、エリザベトの突然の変化に戸惑いながらも、恐る恐る尋ねた。
「エリザベト様……? いかがなさいましたか……?」
エリザベトは答えない。
ただその表情が見る見るうちに変わっていく。
当初は歯を食いしばり、両の瞳に殺気を漲らせていた。
だが、徐々にその表情から力が抜け、脂汗がじわりと滲み出す。
やがて彼女の目は大きく見開かれ、その華奢な身体が細かく震え始めた。
──これは
アルフォンスはその反応をよく知っていた。
これまで幾度となく人間たちが自分たちヴァンパイアと相対した時に見せてきた反応に、それは酷似していた。
言葉では理解していても、自身が実感したことは一度もない感情。
すなわち──恐怖。
ややあって、アルフォンスにもエリザベトがなぜそれほどまでに恐怖しているのか、その理由の一端が理解できた。
──な、何かが、来る
ひどく不気味で、そして圧倒的な感覚であった。
まるで夜空に静かに輝いていた満月が、見ている間にみるみるとその大きさを増し、恐ろしい速度でこちらへとぐんぐんと迫ってくるかのような……。
抗いようのない絶対的な何かの接近を本能が告げていた。




